第62話 ライオンはサバンナの夢をみる

 動物園のライオンはサバンナで生まれたけれど、サバンナを知らない。


 まだ赤ん坊だったライオンは密猟者みつりょうしゃに捕まえられた。

 その時、母ライオンは銃で撃たれて殺されてしまった。ライオンの兄弟はたしか三匹だったと思う。

 幼いライオン兄弟は薄暗い倉庫の狭い檻の中に閉じ込められた。そこは風通しが悪くて蒸し暑い、糞尿の悪臭が漂う劣悪な環境だった。

 兄弟の一匹が朝起きたら死んでいた。

 それから二、三日経って、もう一匹の兄弟は、餌を檻に投げ込んだ密猟者の腕に噛みついて逃げようとしたので、こん棒でこっぴどく殴られて、どこかへ連れていかれが、その後の消息は分からない。

 人間は怖い! 震えるライオンの子はたった一匹残された。


 数日経った或る日、商人が倉庫にやってきて、密猟者に金を払い、ライオンの子は売られていった。

 トラックや船や飛行機に乗せられて、長い時間をかけて知らない国に連れてこられた。どうやらサーカスに売られたようだが、密猟者から買ったことが警察にバレたので、ライオンの子は動物園に保護されることになった。

 小さな動物園だったが待遇は悪くない。いつも決まった時間に餌が貰えるし、檻の中はとても清潔だし、飼育係の人間も優しかった。サーカスにいた頃と違って、ライオンの子を鞭で叩いたり、こん棒で殴られたりしない。――ここは怖くない場所だとやっと安心できた。

 ライオンの子は、レオンという名前を人間から与えられた。


 歳月が流れ、ライオンの子はたてがみも立派な牡ライオンに成長した。

 或る日、レオンの檻に牝ライオンが入ってきた。この動物園にはレオン一匹しかライオンがいないので、ペアにして子作りさせようという園長の計画だった。

 牝ライオンの名前はティナ、三才までサバンナで暮らしていたという。

 彼女は気性が激しく、決して人間に慣れないし、レオンのことも小馬鹿にした。

「あんたみたいな弱虫で腰ぬけの種なんか願い下げだよ!」

 そう言って小馬鹿にして、ついぞ交尾はさせて貰えなかった。

 時々、ティナはサバンナの話をレオンに聞かせてくれた。仲間たちと狩りをしたこと、草食動物たちがライオンを見ただけで、怖れて逃げ惑う様子を楽しそうに語った。

 サバンナの夕日は大地が燃えているように真っ赤だったと教えてくれた。――その瞳には野生の魂を宿していた。

 半年前のことだった、ティナは狩りに失敗して、草食動物の角に突かれて動けなくなっていたところを、サバンナの監視人に保護されたのだ。

「あんとき、サバンナの土になっていたら良かった……」

 人間なんかに捕まって、悔しいとティナは泣いた。

 彼女にとって動物園での暮らしは生き恥でしかない。サバンナを懐かしみ、サバンナに帰りたい、いつもそう言っていた。――故郷があるティナがレオンには少し羨ましかった。

 二匹は檻の中で同居していたが、ペアの相性が悪くて子作りができないからと、ティナは別の動物園に移送されることになった。

「レオン、私たちライオンは百獣の王なのよ。そのプライドを忘れないで!」

 その言葉を残して、ティナはレオンの前から去っていった。


 独りぼっちになったレオンは、寂しくて毎日ボーとして過ごしていた。

「やーい! 大飯喰らいの役立たず!」

 檻の前の柵にとまったカラスがレオンをからかった。

「人間に飼われてる大きなニャンコちゃーん」

「うるさい。どっかへいけよ」

「おまえなんか、ちっちゃい檻の中で食べて寝るしか能がない」

 シッシッと尻尾で追い払おうとするが、檻の中にいるレオンには手出しできないことをカラスは知っている。

「牝ライオンがいなくなると、牡はタテガミが抜けてオカマになるんだぞぉー」

 ぎゃははっカラスがとあざけりわらった。


 ガオォォ―――!!


 怒ったライオンの咆哮ほうこうが動物園中にとどろいた。

 怖ろしい怒鳴り声にキリンや像はパニックを起こした。カラスもビビって柵から落ちた。

「フン! いくらライオンが強くたって、一生檻の中から出れないくせに……」

 そんな捨て台詞を残し、カラスは飛んで逃げた。

 たしかに檻から出られないけれど……ここに居れば、密猟者の鉄砲に追われることもないし、殺されたりしない、食べ物だって毎日貰える。――檻の前の子どもたちがライオンを見て脅えていた。

 レオンの立派なタテガミも、獰猛どうもうな牙も、鋭い爪もただのこけおどし、ハートは蚤より小さい。きっとサバンナに帰ってもネズミ一匹捕まえられないだろう。

 今さら帰る場所なんかない! 動物園はレオンにとって第二の故郷なのだ。


 ティナが最後に言った『百獣の王ライオン』という言葉を忘れない。

 時々、その言葉を心の中でなぞっている。そして生まれた故郷アフリカの大地を夢みるレオンだった。

 風のようにサバンナを疾走するライオンの姿を思い描く。ティナと一緒に何処までも遠く、真っ赤な夕日の果てまでも走り続けたいと――。

 そしてレオンはため息を吐いた。分かっている、どうせ自分はここから出られない運命なのだと……。

「さて、ひと寝入りするか」

 ひとりごつをいうと、ゴロンと寝転がって、静かに目をつぶった。

 遠い記憶の彼方から、風が吹いてきて……。


 ― ライオンはサバンナの夢をみる ―

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