第60話 うたかた書店
あれは高校二年生の夏休みのことだった。
文芸部の部員と顧問の先生と八名で
宿泊先のペンションに着いた時点でお題が発表された。
そのお題というのは『本屋』だった。さっそく、みんなは原稿用紙に向って書き始める。親友の頼子は、その日の内に三作も書き上げた。彼女は文芸部一の早筆でリレー小説なんかすぐに書いてしまう。ストーリーもよく書けているし、テンポがいい、キャラクターも活き活き描けている。
それに比べて、私ときたら筆は遅いし、内容が分かり難く、構成力不足、おまけに誤字脱字が多いとよく注意されていた。
お題小説の締め切りは明日の10時、みんなの投票で一位の作品が決まる。
合宿二日目だというのに、まだ一行も書けていない私は、気ばかり焦って遅々として筆が進まない。朝食の後、アイデアを考えるため一人で散歩に出掛けることにした。
ぶらぶら森の中を散策していると、小さなログハウスがあった。
カフェだろうかと思って、近づいてみたら『うたかた書店』と木の看板がかかっていた。こんな森の中に本屋? 気になって吸い込まれるように入ってしまった。
小さな本屋の四方の壁には、天井近くまで本棚になっていた。入口のカウンターにおじいさんが座っている。店内には自分しかいないので「おはようございます」挨拶をすると、読んでいた本から目を離し、「気になった本があれば、手に取ってください」とおじいさんが言った。
見渡したところ、この本屋には自分の知っている作家の本がない。有名な文豪の本さえ置いていないのだ。不思議に思って、おじいさんに質問してみた。
「あのう、知ってる作家の本がここには置いてないんですが……」
「そうじゃろう。ここは無名の作家の本ばかりを置いておる」
「無名の作家ですか?」
「そう。才能があるのに作家になることをやめた者や、才能を認められる前に
「作家を諦めてしまう人は多いんでしょうか」
「たいてい自分の才能が信じられなくてやめてしまう」
「才能があるのに……
「だから、そんな作品ばかりを集めた本屋、ここは『うたかた書店』というんだよ」
なんだか
ふと、目の前の棚に並んでる『ピアニシモ』というタイトルの本が気になった。手に取って読んでみたら、最初の5~6頁を読んだだけですごく面白い小説だった。著者は
――この人も才能があるのにやめてしまった天才なんだろうか?
結局、財布を持って来なかったので、何も買わずに、『うたかた書店』から出ていった。少し歩いて振り向いたら、不思議なことにログハウスが消えていた。
その時の体験から、私は森の中の本屋の話をお題小説に書いた。
翌日10時にみんなで作品を読み合って、一番面白い作品に投票した。頼子は小説を五作も書いていた。投票の結果、頼子の作品が一位と二位だった。私の作品にも誰かが一票投じてくれていた、たぶん親友の頼子だと思う。
やっぱり彼女の才能は凄い! 逆立ちしたって
高校を卒業して十年、相変わらず私たちは売れない小説を書いていた。本の好きな私は本屋の店員に、頼子は商事会社に勤めていた。
「ねえ、文学賞の結果どうだった?」
二人して大手出版社の文学賞に公募したが、結果が知りたくて、頼子に電話をかけた。
「今度は二次選考まで残れたよ。頼子はどうだった?」
「私は三次選考に残って、特別賞を貰ったよ」
「スゴーイ! 特別賞なんだ! 今度は大賞間違いなしだね」
頼子は、いつも私の一歩先をいく人なのだ。
「あのね……これを最後に小説やめるつもりなんだ」
「ええ―――っ!」
突然、小説をやめるという頼子の言葉に耳を疑った。
「まさか、嘘でしょう? 頼子は才能があるのにやめたらダメだよ」
「……私、結婚するんだ」
私たちは二十七歳になっていた、周りはみんな結婚し始めている。
「同じ会社の人なんだけど、結婚したら海外転勤になりそうなの」
「じゃあ……もう小説は書かないつもり?」
「才能なんて、見えないもの。私は結婚して子どもを生んで、普通の主婦になりたい」
「才能あるよ。見えなくても頼子にはある。せっかく特別賞貰ったのに……」
「私の才能はここまでだよ。そうそう公募のペンネーム替えたの。
そういって彼女は電話を切った。
うたかた書店で見た、水澤かのんという作家は頼子のこと? そして『ピアニシモ』は、頼子が書いた小説だった。才能があるのにやめてしまったから、あの本屋の書棚に置かれていたのだ。
だけど、私は……才能がなくても諦めない!
諦めが悪いことが、この私の才能だから『求めよ、さらば与えられん』いつかチャンスを掴むまで、見えない扉を叩き続けるだろう。
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