第58話 闇に光る三白眼

まだ、夜が明けきれない真っ暗な街の中。

自転車のペダルを漕いで、自分は朝刊を配るアルバイトをしていた。

――きっと後、三十分もすれば朝日が昇るだろうか? 


なんだか小雨も降ってきて、早く朝刊を配り終えて家へ帰りたい。

真っ暗な街はいいようもなく不気味で、仄暗い路街灯だけが頼りなのだ。


前方から、透明のビニール傘を差した若い男が歩いてくる。


こんな時間に……朝帰りか? 

電車は終電も始発もない筈なのに……。

どうでもいいことなのに自分はやけに気になった。

たぶん、こんな真夜中に遭遇した人間だからだろう――。


よく見ると、男の後ろから女がひとり、二、三歩離れて付いてきているではないか。

小雨が降っているのに、何故、男は女を自分の傘に入れてやらないのだろう。

全く素知らぬ風で歩いている――。

ははん、さては喧嘩でもしているのだろうか。

そんなことを考えている内に、このカップルとすれ違った。


その時、後ろの女が、ギロリと三白眼で自分を睨んだ。


白目が暗闇に光った! 

一瞬、背筋に寒いものが走った。


なにか……途轍もなく嫌なものを見てしまったような気がした。

言いようのない不気味な恐怖が、五感を駆け廻り震えが止まらなくなった。


――自分は急に暗闇が怖くなってきて、早く夜が明けて欲しいと願った。



それでも朝刊を配っていると、路地の奥、道の真ん中に黒猫が座りこんでいた。

自転車が近づいて行っても、いっこうに逃げようとする気配がない。

暗闇の中で、自転車のライトが黒猫を照らしたら、


ピカッと猫の眼が赤く光った!


ミャアーとひと鳴きして、


「おまえ、あの女を見たんだね」


と、黒猫が話かけてきた。


「……あ、あ、あ、」


恐怖ですくんで、自分は声が出ない。


「あの女は三日前に、十一階建てのマンションの屋上から飛び降りて死んだのさ。

まるで腐ったトマトみたいに、真っ赤な血肉を地面にぶちまけて死んだ女なんだ」


「……ひ、ひぇー」


三日ほど前に、

この近くのマンションで飛び降り自殺があったことは自分も知っていた。


「――そりゃあ、もう、辺り一面血の海でさ。

男に捨てられて自棄やけになって自殺したんだけど、

成仏できなくて……ああして暗闇を彷徨っているんだよ」


突然、ひらりと黒猫は塀に登った。


「おまえ、気をつけな、あの女にかれそうさ――」


そう言うと、暗闇に中に消え去った。



まさか猫がしゃべるなんて……。

今の猫の話を聞いて余計に怖くなった。


真夜中に魔物に遭遇したら、神社などのお守りに効果があると聞いたことがある。

日頃から、信仰心のない自分はそういう物を持ち歩いていない……。

気味が悪い、リアルに恐怖が差し迫って来る。

アルバイトだからって、もう新聞なんか配っていられない。


早く帰りたい! 明るい所へ逃げたい!


闇雲に自分は自転車を走らせる――。

とにかく、この夜の闇から逃げ出したい。


不意に自転車の前を誰かが横切った。


あっ、あの女だ! また三白眼で睨んだ。

駐車している車の中にも、あの女が居る。

人家の生垣の暗がりからも、あの女が見ている。

いたる所に、あの女が潜んでいるのだ!


――闇に光る三白眼。


ああ、もう嫌だ! 

頭の中が恐怖でパニックになった。

心臓もドックンドックン脈打つ。


電信柱の街路灯が急にいたり消えたりと……、

チカチカ点滅し始めて、自分の恐怖は頂点に達した。


いきなり後ろから、誰かに腕をギュッと掴まれた。

振り向いて見たら――恨めしそうに、三白眼の女がにらんでいた。


ギャアァァァ―――!!!


――絶叫が暗闇に吸い込まれていく。

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