第54話 初雪

 家業の新聞販売店を継ぎたくないと思っていた。

 冬は寒いし、夏は暑いし、朝夕刊あるからまとめて寝られない。休みが極端に少ない上、チラシや集金、新聞の拡張とか雑用もいっぱいあって忙しい。おまけに職場はおじさんやおばさんばかりで冴えない。

 それなのに……今は実家である新聞販売店を手伝っている。


 大学卒業後、会社員として他府県で働いていた。

 自営業と違って安定した生活だった。俺にも恋人ができて結婚を前提に同棲していた。それが突然、結婚式の一ヶ月前に破談にしてくれといわれた。理由を訊ねたら、結婚して、上手くやっていける自信がないというのだ。

 翌日、会社から帰ったら婚約者も荷物も部屋からなくなっていた。婚約者の実家に行ったら、「うちの娘はお宅の家風に合わないのでお断りします」と門前払いされた。

 そう言えば、結婚の挨拶に行った時、実家の職業を訊かれて「新聞販売店です」と答えたら「新聞やぁ?」と語尾が上がって、軽蔑したような響きに聴こえたが、それも破談の一つの原因だったのかなあ? 

 俺の実家の雰囲気にも馴染めない様子だったし……それなら、もっと早く言って欲しかった。結婚が破談になり面子めんつを潰された俺は会社に行くのも惨めな気分だ。婚約者と暮らした部屋に独りで居ても酒の量が増えるばかりなので、退職して実家に帰ってきてしまった。

 だが、両親は内心喜んでいる様子で、同業者の集まりに俺を連れてゆき、「後継ぎの息子です」と紹介して回るのは止めてくれよ。いずれ、心の傷が癒えたら実家を出ていくつもりなんだから……。


 珍しく若い女の子が新聞配達をしたいと面接にやってきた。

 まだ十九歳で化粧っ気もなく内気そうな子だった。父に配達ルートを教えてやってくれと頼まれて、翌朝から一緒に区域を回ることになった。俺はバイク、君は自転車で、一週間で百五十軒の配達先を覚えないといけない。

 無口な子だが仕事振りは丁寧だった。一度だけ「どうして新聞の仕事を選んだの?」と訊いたことがある。すると、しばらく考えて「夜明け前の空気が好きだから……」と答えた。

 あくまで俺の勘だが、君は心の中に悲しみを隠しているようで、そんな様子が気になった。

 いつも配達が終わると自販機の温かい缶コーヒーを手渡す。「ありがとう」といって君は美味しそうに飲む、その素直な横顔に好感を持った。


 今年、初めて雪が降った日――。

「雪道は滑るから気を付けろよ」

 重い新聞を乗せて自転車で走るのは、バランスを取るのが難しい。

 遅くなっても配達から戻らない君を心配してバイクで探しに行った。猛威を奮った初雪は道端に雪溜まりを作り、まだ配達に慣れていないあの子は難儀なんぎしていることだろう。

 見つからなくて……もう諦めて引き返そうとした矢先、引っくり返った自転車の横で倒れている君の姿が見えた。驚いて、駆け寄ったら意識はあるが痛くて動けなかったようだ。膝小僧と肘を擦りむいて血を流していた。

 バイクの後ろに乗せて病院に連れて行き、配達の続きを終わらせてから再び病院に戻ったら、治療を終えて君は帰ろうとしていた。家族を呼ぼうかと言ったら、お父さんに叱られるからと泣きそうな顔になった。

 そして急に……、

「あのう、私、今週で辞めます」

「どうして、早朝の仕事は辛いから?」

「違います。お父さんにお金になる仕事をしろと言われて……」

「そうか、いい仕事が見つかった?」

「……親の借金のために風俗店で働くことになったんです」

 消え入りそうな声でそう答えた。その返答に俺は驚いた。

「風俗店って……? 君はそれでいいの? 親の借金だろう?」

「お母さんが家出しました。それ以来、お父さんは仕事しないでお酒ばっかり飲んで、そのせいで借金が増えて……。私が風俗で稼いて返済しないといけないんです。逆らったら、お父さんに殴られるから……」

 君は泣きながら話した。聴くと、日常的に父親に暴力を受けているらしい。なんて父親だ! 俺は心底腹が立った。

「風俗なんかで働きたくないだろう?」

 君は深く頷いた。

「――で、借金は幾ら?」

「二百万くらい……」

「よし! 分かった」


 俺は銀行があくのを待って預金を下ろし、その足で君の家に行き父親と会った。二百万円の現金を見せて、これで借金の肩代わりをする。

 その代わり、娘さんのことは、うちのお店で世話をみるから今後一切関わらないでくれと宣言した。

 金に困っていた父親はその条件に飛びついた。一応念書も取っておく。

 その後、お店の近くにアパートを借りて君を住まわせた。母親も見つかり今は二人で暮らしている。


 金で君を買ったなんて思わないでくれ!

 この金はどうせ使い道のなくなった俺の結婚資金だったんだから……これで君を助けられるのなら惜しくないさ。

 家業を継ぐなんて最悪だと思っていたけど、生涯をかけて守りたい君を見つけたから、この仕事も悪くないと俺は思い始めた――。

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