第52話 切手の貼っていない手紙

 前島優也まえしま ゆうやは今売り出し中の声優である。

 知的で甘い彼のボイスに熱狂するファンも多く、アニメやゲームの吹き替えを中心にキャラソンを歌ったり、イベントで踊ったり、今どきの声優はマルチでないと務まらない。

 ある日、優也の住むマンションのメールボックスに、切手の貼っていない手紙が入っていた。

 宛名は怜斗れいとという自分が吹き替えをしているゲームキャラの名前だった。差し出し人は同じく、十夢とむというゲームキャラの名前だった。

 ファンのイタズラだろうかと思い、封筒を開けてみると便箋が一枚入っていた。そこには……、



  怜斗へ


 もう許さないぞ。

 ストーカーみたいに麻里香につきまとうのは止めろ!

 彼女はお前を嫌っているんだ。

 麻里香から手を引かないなら、俺にも覚悟があるぞ。


                         十夢



 なんだよ、これは? りきりファンか。

 女性向け恋愛ゲーム『らぶらぶコレクション』は人気のゲームである。そこで優也が声をあてている怜斗れいとというキャラはスポーツ万能な優等生タイプ、十夢とむは怜斗のライバル役でやんちゃなツッパリキャラである。麻里香まりか)というのは『らぶらぶコレクション』の女主人公なのだ。

 ゲームでは、女主人公(麻里香)=プレイヤー自身が演じている。

 ちょっぴりドジな女の子麻里香が怜斗や十夢、他五人のイケメン相手に恋の駆け引きをして、エンディングで「告られる」という設定である。

 これが腐女子向け恋愛シュミレーションゲーム、通称なのだ。


 優也はフフンと笑い、その手紙を丸めてゴミ箱へ放り投げた。


 三日後、怜斗宛ての手紙がメールボックスにまた入っていた。先日の手紙の奴だと思ったが熱心なファンなので、一応、読んでみることにする。



 怜斗! 

 てめぇーこの野郎!!

 俺の麻里香にちょっかい出すなっ!

 ブン殴られたいか!? 


                 十夢



 ずいぶん物騒ぶっそうな手紙だと優也は苦笑した。

 十夢とエンディングを迎えたいと思っているプレーヤーに取って、ライバルの怜斗は邪魔な存在でなのある。ライバルの怜斗を潰さないと十夢との恋は叶わない。熱心なファンの妄想には困ったものだ。


 やれやれ……と思い、そのウザイ手紙を破ってゴミ箱に捨てた。


 翌日、手紙がまた入っていた。中を見た瞬間、ギャッと叫んで優也は放り投げた。



 ぶっ殺す



 真っ赤な血文字で書かれていた。

 これはもうシャレにならない。警察に通報しようかと迷ったが、今売り出し中の優也に取ってトラブルは禁物。痛くもない腹を探られてネットで悪い噂でも流されたら堪らない。

 ――気持ち悪いが無視することにした。


 仕事柄、優也の帰宅はいつも深夜が多い。今夜もスタジオでアニメの収録をしてスタッフと飲んでから、真夜中にタクシーで帰ってきた。

 マンションのオートロックを開けると、後ろから誰かが一緒に建物の中に入ってきた。身長は低く若い女性のようだった。エレベーターに乗り込むと自宅のある七階のボタンを押した。ドアが閉まる瞬間に、その女も飛び乗ってきた。フードで顔を隠して気味が悪いと思ったが、背中を向けて優也はスマホをいじっていた。


 らぶらぶ 恋のコレクショ~ン♪

 らぶらぶ 君を愛してるぅ~♪ 


 いきなり『らぶらぶコレクション』のエンディングテーマを歌い出した。

 驚いて優也が振り向くと、女がカッターナイフで襲いかかってきた。狭いエレベーターの中で逃げる場所もない。凶器を避けようとして腕や手を切られた。七階でドアが開いたので優也は飛び出し、大声で助けを求めながら廊下へ走って逃げた。

 女は歌いながらカッタ―を振り回して、優也を追いかけていく……。


 らぶらぶ 恋のコレクショ~ン♪

 らぶらぶ 君を離さなぁ~い……♪


                         *


 加害者の岡部茜おかべ あかね(17歳)は、中学校の頃から不登校、引き籠りになり、精神状態は不安定で自傷行為じしょうこういを繰り返しています。家でゲームばかりしていて、特に好きなのが乙女ゲーといわれる恋愛シュミレーションゲームです。

 警察の取り調べ室で二人の刑事が調書を読んでいる。

「乙女ゲー? なんじゃそりゃあ」

 年配の刑事が訊いた。

「若い女性向きゲームで、好きな男性キャラとカップルになれるゲームです」

 若い刑事が説明する。

「それってゲームの中の話だろう? オヤジ族にはさっぱり分からん」

「加害者は自分をゲームのキャラだと思い込んで、憎いライバルを襲いに来たようです」

「じゃあ、あの声優さんは妄想で襲われたってことか?」

「ええ。腐女子の妄想は怖いですから……」

「ケガだけで済んだから良かったが、ファン心理とは怖ろしいもんだ」

 年配の刑事は煙草に火をつけて一服深く吸い込むと、ゆっくり煙を吐き出し、言い放った。

「精神鑑定。必要有りだな!」


 留置場の壁にもたれて、手首のリスカのあとが痛々しい少女が、


 らぶらぶ 恋のコレクショ~ン♪

 らぶらぶ 君の全ては僕のものさぁ~♪


 嬉しそうに歌っている。――しかし、その眼は現実の世界を見ていない。

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