第49話 ビニールプール漂流記
気が付いたら、半径1メートル程のビニールプール乗って僕は漂流していた。
見渡す限りの
なぜ僕はこんなものに乗って海を漂っているのだろうか。
たしか、あの日、丸テーブルに乗って、天井の電球を替えようとしている時だった。ガクンと足元が崩れるような、激しい衝撃を受けて気を失った。――目覚めたら、こうなっていた。
独りぼっちで波に揺られていると、時間の
ある日、かもめが一羽、僕の元へやってきた。
「あんた、いつまでそんなものにしがみ付いてるのさ」
「さあ、わからない。だけど海に落ちるのだけは御免だ。それにこのビニールプールの上だと喉も渇かないし、腹も空かないんだ」
「ふぅ~ん。だったら仕方ないね」
僕の返答に納得したのか、かもめは再び大空に舞い上がった。
夜は満天の星が降ってきそうなくらい
まるで宇宙の一部になったような気がして、こうしていると昔のことを思い出して考えてしまう。
ひとりの女性の名前と顔が浮かび上がってきた。
理由は僕が会社に勤めるようになってから会う時間がなくなり、詩織も就職先で新しい彼氏ができたからだ。
呆気ないほど簡単な別れ方だった、『新しい彼氏ができたので、もうあなたとはサヨナラします』そういうメールが詩織から届いて、『了解しました』と僕は返信した。
もうお互いに相手に興味を失っていたのかもしれないが、三年も付き合っていたのに、そんな別れ方はないだろう。
何か詩織に言ってやるべきだったかもしれない。『ありがとう』とか『幸せになれよ』とか……だが、僕は素っ気ないメールの後、まったく感傷に耽ることもなく、すぐに仕事に取りかかっていた、明日の会議で発表するプレゼンの原稿を考えていたんだ。
青春時代を共におくった女性から決別されたというのに……僕は失恋したのに……五分後には、まったく他のことを考えていたなんて……薄情な男だ。
あの頃、僕は社畜だった。
上司に気に入られていろいろ任されて、毎日仕事のことばかり考えていたんだ。
デートの約束も仕事でドタキャンするし、詩織の誕生日も忘れていたし、メールがきてもいつも既読放置だった。その結果、愛想を尽かされて捨てられた。
全部僕が悪い、それは分かっている。――けれど、ビニールプールに揺られていると、詩織のことばかりが頭の中を駆け巡る。
彼女が恋しくて堪らない、今さら失恋の痛みが胸をしめつける。
小さなビニールプールが沈まないのは不思議なくらいだが、そこに珍客が現れた。
「いったいどこからきたのさ」
一匹の亀がビニールプールの中をうろうろしている。
「俺か? 君の意識の奥から這い出してきたのさ」
そういって僕を見上げた。
「僕はいつまでこんなもので海を漂ってればいいんだろう」
「君はあっちの世界とこっちの世界の中間にいるんだ。どっちに行くかは
「どういう意味?」と問うたが、「ふふん」と鼻で笑って、亀はスッと消えた。
ああ、僕は寂しい。独りが寂しいんじゃない。詩織がいないのが寂しい。膝を抱えて僕は泣いた。
「ねぇ、この海の深さを知ってる?」
いきなり海面から声が聴こえた、ビニールプールの周りを白いイルカが泳いでいる。
「この海は涙からできたのさ」
「涙?」
「よーく考えてご覧よ。あんたの彼女に対する仕打ちを……」
あの頃の僕は、仕事もプライベートも順調、このままいったら同期で一番早い出世コースに乗れそうだった。
詩織から別れを切り出される前に、僕は上司の娘と付き合っていた。心変わりしたのは僕の方が先だった。
「別れの言葉を女に言わせるなんて最低の奴だ!」
それを知っていて詩織は、自分からサヨナラを告げたのだ。
あれから半年後、働き過ぎが原因で僕は鬱病になってしまった。会社は休職中でいつ復帰できるか
あの日は電球を替えようとしたんじゃない。自分に絶望して首を吊ろうと
「死にぞこない!」
イルカは僕を
死ぬほど逢いたかった女性の顔だ――。
「
意識を取り戻した僕の側には、泣き腫らした詩織の顔があった。
梁にかけた紐が切れて死なずにすんだが、落っこちて頭を強く打ち意識不明になった。部屋で倒れていた僕を発見したのは詩織だった。どうやら、僕の部屋の鍵をまだ持っていてくれた。
ずっと心配して僕のことを見守っていたようだ。
ビニールプールは僕を
こっちの世界に戻ってこれたのは、みんな彼女のお陰だった。
僕の
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