第42話 おばあさんの優しさ

「契約なんかとれないや」


 今年、大学を卒業した青年は不況で就職が決まらず、とうとう就職浪人になってしまった。

 取り合えず、近所の新聞屋でアルバイトをしながら、就職活動をしていたが、店長に面接で度胸がつくから、「新聞の契約を取ってこい」と言われて、三日前からセールスを始めることになった。

 三日間歩き回った結果が、まだ一軒も新聞の契約が取れなくて腐っていた。

 チャイムを鳴らしても新聞の勧誘だと分かると素っ気なく断わられた。

 まれにドアを開けて出てくれる人もいたが、新聞の勧誘だと分かった途端、話も聞かずに、バタンと目の前でドアが閉じられた。

 世間の風の冷たさに、青年は心が折れそうだった。


「もう帰ろうかな……」


 すっかり自信を失くして、彼はしょげていた。

 路地の奥に古い平屋があった。ここで最後にしよう、ここもダメだったら、もう新聞の勧誘なんか止めだと決めて、チャイムを押してみた。


「はーい、今出ます」と声がした。


 玄関の戸を開けて、おばあさんが出てきた。

「さあ、お入り」と、気さくに玄関へ招き入れられた。

 こんな見ず知らずの人間を家に入れるなんて……ちょっと無用心だなあと青年は思った。

 しかし、初めてのチャンスである。

 おばあさん相手に新聞のセールスをするが、しどろもどろの説明で、慣れない彼は汗だくになった。


「新聞とってあげるよ」


 こともなげにおばあさんが言った。

「えっ!?」その言葉に青年の方が驚いた。

「去年、おじいさんが亡くなってから新聞止めちゃったけど……テレビばっかり観てたらボケちまうから、これからは活字を読むよ」

 初めての契約成立に嬉しかった。景品の洗剤を置いて帰ろうとすると、


「ちょっと待ちな! 喉が渇いてるんだろう?」


 そう言って奥に引っ込む。

 しばらくして、お盆にコップを乗せて運んできた。

「これアイスカフェオレっていうんだ、孫が買ってきてくれたんだよ」

 手渡されたアイスカフェオレは、氷でよく冷えていた。一気に青年は飲んだ。

「美味しいです!」

「そうかい、あたしも好きなんだよ」

 冷たい液体が、乾いた喉と心に浸み渡っていくようだった。

「コーヒーつき合ってくれて、ありがとね」

 そう言っておばあさんがニッコリと笑った。


「ありがとうございます!」


 大きな声で礼を言うと、おばあさんの家を後にする。

 この日、おばあさんの優しさと、一枚の契約書が彼の自信になった。


 ――れて少し冷たくなった秋の風が、汗ばんだ額に心地良かった。             



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