第24話 風媒花

 祖母の千鶴ちづる米寿べいじゅになった時、自らの意思で『グループホーム』に入居したいと言いだした。

 長男である私の父は大反対した。母も姑とは上手くいってると思っていただけにこの言動にはショックだった。二人とも祖母を最後まで自宅で看取みとりたいと言い張ったが、がんとして聴き入れず、県外に住む長女に入居の手続きをさせると、さっさと『グループホーム』に入居してしまった。

 昔から芯の強い人で、決めたことは必ず実行する性分だった。


 そんな祖母に久しぶりに会いに行こうと思う。

 車で小一時間で行ける決して遠い距離ではない。週末には両親もドライブ気分で祖母の面会に行っている。『グループホーム』の暮らしに慣れて元気だと母が言っていたが、祖母は昔から少し変わった人だった。

 女にしては無口な性質たちで余計なことはいっさい喋らない。気配りの利く性格だが恩着せがましい所が無く、ストイックというか自分に厳しい人である。そして夫には絶対服従の大正生まれの女だ。

 親が共稼ぎだったので、この祖母に私は育てられたのだ。


 磯の匂いが風に乗ってきたら祖母の住むグループホーム『潮風荘』は近い。昔から海の近くに住みたいと言っていたから、ここが気に入ったのだろう。

 フロントで面会を告げると、介護士が車椅子に乗った祖母を連れてきてくれた。三年前、脳梗塞で倒れてから少し歩行が不自由になった。

「おばあちゃん」

千尋ちひろ、久しぶりだね」

 優しい笑顔で祖母が迎える。

 その顔を見た瞬間、ふいに涙が出そうになった。《ずっと来れなくてゴメンなさい》心の中で謝る。

「散歩しようか?」

 祖母の車椅子を押して、海岸沿いの遊歩道を歩く。

「おばあちゃん、ここでの暮らしはどう?」

「ああ、とっても楽しいよ」

 何が不満で家を出たのか分からないが、祖母なりの想いがあるのだろう。

「お前こそ、急にどうしたんだい?」

「うん……」

 私が言いよどんでいると、それ以上、突っ込んで訊こうとはしない。結局、その沈黙に耐え切れず、いつも自分から話し出てしまう。

「恋人と別れたの。六年間付き合ってたけど、もう限界だと思ってサヨナラした」


 大学時代からの交際相手だった。

 地方に転勤になったと知らされたが、一緒にきてくれとも、結婚しようとも言わない。「何かあったら……」と新しい住所を書いた紙をくれたが、私はにぎり潰して捨てた。憎んでいる訳ではないが六年も交際して結婚を口にしない男に苛立いらだちを感じていた。

 進展のない恋に失望して終わりにしようと心に決めた。

 彼にとって私はどういう存在だったのか? 都合のいい女になりたくない。私だけを愛してくれる誰かの“ Only you ”になりたかった。


「そんな顔して……お前がきたから、何かあると思った」

 掻い摘んで状況を説明したら、そう言われた。私の心を覗きこんだように、おばあちゃんにはお見通しだった。

「結婚は縁だから、その人とは縁がなかったんだよ」

「おばあちゃんはおじいさんとお見合いだったの? 知らない人と結婚するのって勇気が要る?」

「昔はみんな見合いだし、親が選んだ人と結婚するのが当たり前だった。結婚してから相手のことを好きになっていくものさ」

「おばあちゃんは恋愛したことないの?」

「あるよ」

 その返答は意外だった。

「おじいさんと一緒になる前に、幼馴染だった人と両想いだった。でもね……家柄が合わないからって親に反対されたんだよ」

「家柄って……?」

「昔は同じ氏素性の者同士が結婚するのが好ましいとされてたから、うちは役人の家だったけど、相手は商家だったので反対されたんだよ」

「そんな理由で?」

「親の決めたことには逆らえない」

「別れたの?」

「戦時中でね。その人に赤紙あかがみがきたのさ」

「赤紙?」

「召集令状だよ。兵隊に取られて還ってこなかった。最後にきた手紙で特攻隊に志願したって書いてあった。祖国と君を守るために命をかけて戦うんだって……昔の若者は純粋だったからね」

 海を眺めながら祖母は遠い目をした。

「その人とはそれっきり?」

「出征の前日に親に内緒で逢引したよ。生きて帰ったら私を嫁に貰うんだと言ってたくせに、約束は果たせなかった」

「哀しい思い出だね」

「その人とは接吻をしたことがある」

 そういって祖母は少女のように頬を赤らめた。

「英霊になって私のことを守ってくれたから、あの激しい空襲にも生き残れたんだ。今は海に眠る人に感謝して、ここから供養しているんだよ」

 やっと分かった祖母がここに入居した理由が……。

「今度、生まれ変わったら好きな人と結婚したい」

「おばあちゃん」

「それまで天寿を全うする。千尋もいい人を見つけるんだよ」

 私の脳裏のうりに軍服を着た青年と白無垢しろむくの花嫁姿のうら若き祖母のイメージが浮かんだ。戦争さえなければ幸せな結婚をしていたかも知れない、この二人なのに――。

 望む結婚ができなかった時代の祖母、今は誰でも自分の意思で結婚を選べるのだ。


 祖母に別れを告げて『潮風荘』を後にした。

 やっと吹っ切れた、友人に勧められたお見合いパーティに参加しようと思う。きっと風が吹いて、新たな出会いを私に運んでくれることだろう。

 さあ、一歩踏み出そう!

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