第23話 赤いカプセル

 ――僕は今、十歳。

 去年も十歳、その前の年も十歳だった。

 ぜんぜん成長しない身体なんだ僕の病気は、お母さんがそう言ってた。珍しい病気だから、僕は毎日薬を飲んでいる。――それは、赤いカプセルの薬。


 毎日、決まって十二時間ごとにお母さんが薬とお水を持って、僕のベッドにやって来る。

「坊や、この赤いカプセルを飲まないと大変なことになるのよ」

 いつも悲しそうな顔で言うんだ。

 だから、僕が薬を飲み終わるまでは……決して、お母さんは僕のそばから離れようとしない。

 僕、お父さんの顔を知らないんだ。

 物心ついてから、ずーっとお母さんと二人きりだった。

 お父さんはいつも写真のフレームの中から、僕らを見ているだけ……けど、お母さんの知り合いはみんな、僕の顔が、お父さんとまるでそっくりだって言うんだ。そんなこと僕には分からないや。


 あのね、僕のお母さんは凄く頭が良いんだよ。

 大きな製薬会社で、難病治療の薬の研究をしてるんだって、研究や学会で家を留守にすることも多いけど、そんな時は会社から代わりの人が来て僕に薬を飲ませてくれる。

 さっき、その人から電話があって車の故障で遅れるから、

「ひとりで薬を飲んでください」

 て、言われた。

 今日はお母さん仕事で出張なんだ。――だから、家には誰もいない。


 僕、あの赤いカプセル大嫌いなんだ!

 ……だって飲んで、しばらくすると身体中が痛くなって、頭がクラクラして吐き気がするんだよ。――まあ、しばらくすると収まるだけどね。

 とっても強い薬なんだって、劇薬げきやくっていうらしい……そんな強い薬を飲み続けて僕の身体は大丈夫なの? ずーっと前から考えていたんだ、あの薬を飲まないとどうなるんだろう? ……って。 

 お母さんもいない、会社の人もすぐに来られない。こんなチャンスは滅多にないから一回だけ、そう一回だけでも、僕は赤いカプセルを飲むのを止めてみたい。


 ――時計の針が回って、時がゆっくりと過ぎていく。

 いつもなら、赤いカプセルを飲んでいる時間なんだ……とっくに十二時間は過ぎているけど、僕は全然何ともないよ。

 もう、あんな薬飲まなくても平気なのさ、僕の病気はきっと治ってるんだ!

「あはははっ」

 嬉しくなって、僕はベッドの上で飛び跳ねた。その時、急に背中に痛みが走った!

「うっ!」

 なんだ……この痛みは? まるで骨が砕けるような、ものすごい痛みだ、丸まって僕は全身を走る痛みに耐えていた。

 何だろう? あれ、あれぇ? 急に身体が変化が起こった。脚も腕も長くなってきている、僕の背が伸びているのか?

「……うっうっうぅぅ……」

 身体全体が焼けるようなこの痛み! 

 もしかしたら薬が切れたせいなのか? 赤いカプセルはどこだ? 僕はベッドから転がり落ちて、這いずりながら……薬棚がある洗面所へと向かって急ぐ。

「あそこまで行かないと、痛い、痛いよぉー!」

 あまりの激痛に僕は泣きながら、芋虫みたいに身体をくねらせながら這って行く。


 やっと、薬棚に手が届いた。

 この瓶だ! いつもの赤いカプセルが入っている。

 急いで飲もうと瓶のフタを捻るが硬くて、どうしても開けられない。激痛で、手が震えている。

 し、しまった! 瓶を落とした。小さな赤いカプセルの瓶はコロコロ転がって、どこかへ行ってしまった。ああ、もう最悪だぁー!

「ううっ……苦しい! 身体が引き裂かれるようだ……」

 痛みが益々ひどくなってきて、もう僕は動けない。洗面所の蛇口に掴まっていたが、身長が伸びていくのが自分でも分かる。

 もしかしたら赤いカプセルを飲まないと、僕の成長はどんどん進むの?


「お父さん!?」


 洗面所の鏡に写った、僕の顔はお父さんの顔だった。

 いつも写真のフレームから見ているお父さんの顔と同じ顔になった。

「どういうことなんだ? いったい僕は誰なんだ?」

 ガクンと膝が崩れて僕は床に倒れた。

 洗面所の下に赤いカプセルの瓶が落ちていた。手を伸ばせば……伸ばせば……あ、僕の手がしわしわになってきている。

 成長と共に長く伸びて来ていた髪が真っ白だ! 僕の成長が止まらない、どんどん歳を取っていく……どんどん老化が進んでいく……。

 ものすごい老人になった僕は、眼もかすむし、耳も聴こえない。

 もうダメだ、意識が遠のいていく……。

 お母さん、僕はどうなっちゃうの?


「お母さん、助けて……」


 ――ドカドカと人々の靴音がする。


「坊や、坊や!」

 女が大声で叫んで捜し回っている。

「出張先から家に電話をかけても、坊やが出ないなんて変だわ。だから、仕事を切り上げて早く帰って来たのよ」

 坊やの母親と思われる女は興奮していた。

「スミマセン! 車の故障で遅れたせいで……それで息子さんに電話したら、自分で赤いカプセルを飲むから、もう来なくていいと言われたもんで……」

 会社の男は少年に自分で飲むと言われて、つい安心して様子を見に行くのを止めてしまっていたのだ。

「きっと、何かあったんだわ。ベッドにもあの子いないし、家中捜しましょう!」

「スミマセン……」

 男は今さらながら、ことの重大さに困惑していた。


「あなたも事情は分かっているでしょう?」

「はい、会社の上層部から緘口令かんこうれいは出てますが、詳しい事情は聞きました」

「――あの子は、わたしの死んだ夫なのよ」

「クローン実験で再生したのですよね?」

「そうよ。だけど十歳を過ぎると、急激に成長して老化して死んでしまう、未完成なクローン人間だったの。同じ細胞から作ったクローン人間は十数人いたけれど……みんな十歳になると死んでしまったわ」

「……そうですか」

「――あの子が最後のひとりなのよ。やっと開発した、あの赤いカプセルで十歳のままで成長を止めることができたから……その方法でしか、あの子は生きられないの」

「クローン人間は十歳までの命だったのでしょうか?」

「結局、わたしの実験は失敗だった! 人が人を作るなんて……おかすようなことを、人間がやってはいけなかったのよ」

「……かも知れません」


 再び女が動き出した。

「あなたは二階の部屋を捜してください」

「わかりました」

「わたしは、薬棚がある、洗面所を見てきますから……」

 そう言うとバタバタと走って行った。

 ガチャとドアを開ける音がした後で、しばらくすると女の悲鳴が聴こえてきた。その声に、急いで男は洗面所に向かって走った。

 そこで見たものは……。


「あなた、あなた……」


 ミイラのような老人の遺体を抱きしめて、泣いている女の姿だった。

 まで入って、死んだ夫を再生しようとした女性科学者は、十数回の夫の死に立ち会う運命となった。


 ――そして、今、ついに最後の夫が死んでしまった。

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