第17話 忘れられない人

 あんなに好きだったのに、どうして別れてしまったんだろう。

 それは小さな嫉妬と愚かな傲慢ごうまんさだった。気を抜くと恋愛は逃げてしまうことを身をもって知った、今の僕がいる。

「もう忘れよう」何度決意したことか。

 それなのに、どう頑張っても忘れられなくて……その笑顔みるたび、その声を聴くたびに心が揺れる……今でも君が大好きだから。

 

「おまえ、最近痩せたんじゃねーの?」

「えっ?」

 大学の友人に言われた。

「やっぱし、あれか? 佐伯真綾さえき まあやのことをまだ引きずってんのか?」

「そんなことない」

「そーか、でも今のおまえ見てたら痛々しいぞ」

 いくら否定してみても、この憔悴しょうすいぶりをみれば図星だ。

「一年も付き合ってたんだろう。ヨリ戻せないのかよ」

「無理だ。振ったのは僕だから……どの面下げて謝ればいいんだ」

「そんな面子めんつこだわるから女に逃げられるんだ。自分に素直になれよ!」

「うるさい! ほっといてくれ」

「そうか! 好きにしろ」

 心配してくれる友人まで怒らせた……自分が悪いのに真綾に謝ることも出来ない僕は意気地なしだ。


 佐伯真綾とは大学のサークルで知り合った。

『英会話サークル』という別に面白味もない集まりだが、仲間作りがメインだった。気さくで明るい真綾はサークルでは男女関係なく人気があった。学部は違うけど顔を合わせる内に親しく話すようになった。

 ある日、いきなり「彼女いるの?」と真綾に訊かれて「今はいない」と答えたら、「よしっ!」と小さくガッツポーズをつくった姿が可愛かった。俺も彼女のことが好きだったので内心ガッツポーズだった。

 付き合い始めたら、お弁当を作ってくれたり、身の周りのことも甲斐甲斐かいがいしくやってくれる世話女房タイプだった。こんな居心地の良い女はそういないだろうと満悦まんえつした。

 相手が自分に惚れていると分かると、ぞんざいな態度になる。真綾との待ち合わせに三十分くらいは平気で遅刻していた僕に、それでも文句の言わず待っていてくれた。

 いつも牛丼くらいしか奢ったことないし、プレゼントは誕生日にやったきりだった。自分の都合でデートをスッポカしたことが何度もあったが、真綾は怒らないで許してくれた。――本当は我慢させていたのだと、今になって僕は反省した。


『英語サークル』の飲み会の時だった。海外青年協力隊でボランティアに行ってた先輩が、二年振りに帰国したので慰労会をしようと居酒屋へ集まった。

 ケニアで井戸掘りをしていたという先輩は真っ黒に焼けて精悍せいかんな感じだった。

 僕と真綾が隅っこで飲んでいると先輩が挨拶にやってきた。二人が付き合ってるのを知らないので、僕たちの間に椅子を持ってきて座った。最初は困ったような顔をしていた真綾も海外ボランティアの話に興味を持ったらしく、次第に楽しそうに先輩と喋っていた。

 先輩も真綾が気に入ったみたいで、僕の存在を無視したふたりの態度に腹を立て、黙って先に帰った。

 家に帰る途中メールがきたが無視。帰り着いたら携帯に真綾からかかってきた「どうして、先に帰っちゃったの?」と言うので、怒気を込めて僕は「先輩と楽しそうに喋っているから邪魔だと思って帰った。他の男とでも馴れ馴れしくする尻軽女には幻滅した。サヨナラ!」腹立ちまぎれに酷い言葉を投げつけた。

 その言葉に彼女は泣き出し、僕は携帯の電源を切った。――それは先輩への嫉妬だった。


 その日を境に真綾から連絡が来なくなった。

 大学で先輩と一緒にいる所を何度か見掛けた。僕も他の女の子とデートしてみたけど、彼女の後ろに姿を見ているだけで、切なくなって新しい恋愛は諦めた。

 あれから半年、真綾が交通事故あった。歩道を猛スピードで走ってきた自転車と接触、転倒して頭を打ったらしい。そのことを友人から聞いた僕は居ても立ってもいられず病院に駆け付けた。

 丁度、病室から看護師が出て来たので様子を訊ねたら、今は薬で眠っているけど、「もうすぐ目を覚ましますよ」と言われた。病室のドアを開けると先輩が見舞いに来ていた。一瞬、引き返そうかと迷ったが、そんな意地を張っている場合ではないと中に入った。真綾は頭に包帯を巻かれてベッドに横たわっていた。

 先輩は僕を見て、あっと言う顔をしたが、いきなり訊かれた。

「君たち付き合ってたんだってね」

「はあ、前は……」

「俺のせいで別れたの?」

「いいえ。自分が悪いんで真綾に愛想を尽かされました」

「そんなことないよ」

「えっ?」

「今ね、彼女が夢で君の名前を呼んでいたよ」

「――まさか?」

「俺も彼女が好きだけど断れた。どうやら君には敵わないようだ」

 あははっと自嘲した。

「またアフリカに行くさ」

「先輩……」

「俺には井戸掘りが性に合ってる」

「そんな……」

「頑張れよ!」

 背中をバシッと乱暴に叩いて、先輩が病室から出て行った。僕はベッドの傍に行くと、真綾の手を強く握った。

「真綾でないとダメなんだ。頼む、もう一度やり直して欲しい……」


 その声に応えるように――ゆっくりと愛する人が目を覚ました。


 もう一度、ふたりの時間が始まる。

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