第5話 プールの底
「あたち、
クルッとした瞳の大きな女の子だった。プールサイドでは人目を惹く色の白さで、ひとりぼっちでいるが気になって声をかけた。
この夏、僕は水泳部の仲間たちと遊園地内にあるプールの監視人のアルバイトをしていた。
平日はさほどでもないが、土日は家族連れでプールは賑わっている。
「お母さんやお父さんと一緒じゃないのかい?」
「菜々美はここでママを待ってるの」
「迷子じゃないんだね」
「うん。ここで待ってるだけ」
「そうかい」
「お兄ちゃんは菜々美が見えるの?」
「えっ?」
「だったら、プールの底でいっしょに遊ぼう」
「……どういうこと?」
「うふっ」
僕が瞬きをした瞬間に、少女は目の前から消えていた。まるで白昼夢のような出来事だった。
その後も、人混みで賑わうプールサイドで時おり少女を目撃したが……まるで煙のように、一瞬の隙にスッと消えてしまう。――この少女のことが気になっていた。
その日は、仕事が終わってバイト仲間たちとマック食べて帰ることになった。
店の前で自転車の鍵をしまう時、ポケットの中に自宅の鍵がないことに気がついた。たぶん、プールのロッカーに置き忘れて来たのだろう。うちの両親は旅行中なので鍵がないと家の中に入れない。仲間にプールに鍵を取りに戻ると言ってマックから出る。
すっかり陽の暮れた街を自転車で戻って行く。
閉園時間を過ぎた、遊園地は闇に包まれて
やっぱり鍵はロッカーに置き忘れていた。慌てて鍵をポケットに突っ込み、帰りかけたら……プールから水音がする。
何だろう? プールを覗くと、小さな人影があった。よく見ると女の子が水に浸かって遊んでいるではないか。――こんな時間にひとりで!?
「おーい! そんな所で何しているんだ?」
僕の呼び声に、少女はにっこり笑って、
「お兄ちゃん、一緒に遊ぼうよ」
その子は昼間何度か見掛けた、菜々美だった。
「プールには鍵が掛かっているだろう? どうやって入った?」
「開いているよ」
「えっ?」
プールに入る扉を軽く押したら開いた。
いつも厳重に施錠してから帰っている筈なのに……とにかく、閉園時間を過ぎたプールに人がいるなんて、トンデモナイことだ!
「こんな時間にプールに入っちゃあダメだろう。さあ、上がるんだ!」
手を伸ばし、捕まえようとしたら、
「ここでママを待ってるだけ! ねえ、一緒にプールの底へいこうよ」
少女が僕の手を強く引っ張ったので、プールの中に転落してしまった。
「うわっ! 何をするんだ!?」
水深八十センチのプールなのに足が着かない!
なぜだ? 水泳部の僕は泳ぎには自信がある。プールサイドに上がろうとするが、誰かに両足を掴まれて泳げないのだ。
「お兄ちゃん、プールの底にいこう」
耳元で菜々美の声がする。僕の身体にしがみ付いて離れない。
く、苦しい……息が出来ない、このままでは溺れてしまう。もがいても、もがいても・・・ああ、ダメだ、僕の意識が遠のいていく……。
誰かの叫び声がする――。
気が付いたら、病院のベッドだった。
プールで溺れて死にかけていた僕のことを、なかなか戻って来ないので様子を見にきたガードマンが助けてくれた。あんな時間にプールに入っていた僕の行動を、みんなに聞かれたけれど……少女の話をしても、誰ひとり信じてくれなかった。
だけど、その後バイト仲間からプールに
一年ほど前に四歳の女の子が排水溝に足を吸いこまれて溺死した事件があった。母親とプールに来ていた保育園児で名前は菜々美ちゃんと新聞に載っていた。――たぶん、あの少女のことだ。
その後、六歳の男の子が浅いプールで溺れたり、ホームレスの老人がプールの中で死んでいたりと、不吉な事件が何度もあった。深夜に人影が見えたり、女の子の笑い声を聴いた人もいるらしい。
実は『幽霊プール』として、密かに霊スポットになっていたのだ。怖ろしい体験をした僕は、記憶に鍵をかけて忘れようとした。
あれから三年の歳月が経った。
高校だった僕は、大学に進学して地元を離れていたが夏休みに帰省した。当時のバイト仲間から、あのプールは悪い噂が後を絶たないので、ついに埋め立てられたと聞いた。
そしてプールだった場所が、今はバラ園になっていた。
元々、遊園地の片隅だったので、バラが咲かない季節には訪れる人もいない。ところが、何かに曳き寄せられるように、僕は再びその場所を訪れたのだ。
わずか四歳で亡くなった、菜々美の冥福を祈るために、ジュースとキャラメルを土の上に置いた。
あの少女はママに会いたくて、プールの底で地縛霊になったのだろうか?
「菜々美ちゃん、成仏してくれよ」
僕は手を合わせる。
突然、土の中から小さな手がニョキと突き出た。ギョッと驚いて僕は尻餅をついてしまった。恐怖でいざりながら後退りをする。
「ママはどこー?」
菜々美の声がして、僕は足首を掴まれた。
「お兄ちゃん、一緒に遊ぼうよ」
「た、た、助けてくれぇー!」
子どもとは思えない怪力で、僕の身体は引っ張られていった。
「うわ~~~!!」
ズボズボと……足が土の中に呑み込まれていく……。
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