第49話 病気①

祐一の携帯電話は着信を知らせるメロディが流れることがほとんどなくなった。

たまに着信音がなると、迷惑メールや企業からの宣伝ばかりである。

用件があるときだけ美咲からメールがくる。

息子の俊太のことについてだったり、手続きに関することについてだ。


朝の通勤電車から降りてからする『職場に付いた』というメールや『仕事が終わったから帰る』というメールをしていた頃が懐かしい。

あれから数週間しかたっていないのに。


祐一は美咲と離婚した。

不倫がばれたわけではない。このまま中途半端な状態で夫婦でいることが美咲に申し訳なく感じたからだ。

もちろんそれ以外にも理由があるが、上手く説明できない。


前日まで普段と変わらず一緒に過ごし、俊太の将来についてや職場で起きたことを話していた。

突然切り出した離婚話に美咲は一瞬驚いて、無言のままじっと目を見つめてきた。そして意志の確認を一回だけ聞いてきた。

祐一は決断したことを伝えると、美咲は大きく息を吐き、しばらく無言状態が続いた。

「分かった」

短く返事をすると、そこから理由とか聞かず普段通りの明るい笑顔でいつもと変わらないような感じで話をした。

「そうすると俊太の親権はどちらがいいと考えているの? あっ、養育費の問題も出てくるわよね。もちろんゆう君が親権を持つようになったら、私が養育費を払うのでしょうけど、あまり女性側が払うってイメージないね」

無理して明るく振舞っているようには見えないが、その気持ちがゼロではないことは長い間一緒にいたから分かる。

「美咲が望むとおりでいいよ」

100%自分が悪い。祐一は美咲が望む全ての条件を飲むつもりでいた。


その後も離婚後のことについて話しつつも、日常会話もいつも通りあった。

いきなり離れることはなく、一ヶ月くらいは一緒に生活を送った。

息子の親権は美咲が持つこととなり、住む家が決まると二人は出ていった。

自宅は祐一が持つことになったが、一人で生活するには広すぎる。

子供部屋としてオモチャが散乱していた室内も、洋服が部屋の半分を占領していたところも何もないスペースとなり、以前家が狭いと感じていたことが嘘のようであった。


あれだけいたメル友も全員いなくなった。

この機会に縁を切ったわけではなく、たまたま同時期に連絡が途絶えた。

社長をしているアリサとは職場内のいじめ問題について意見が異なってしまった。


『いじめられる人は世渡りをする能力が劣っていたり、どうすればいいのか考えず不満を言うばかりだからそういう状況に陥るんじゃない』というのがアリサの意見である。


確かに会社としてそういう人がいると困るであろう。だがパワーハラスメントと思えるような扱いで追い込むのは祐一には不満に感じた。


『学校でのいじめ問題は、いじめられる方も悪いとならない風潮となってきたのに、社会だと努力が足りないのが悪いとなるのは変な気もするな。確かに私の職場にも口ばかり偉そうなことを言う人がいて困っちゃうけどね』


『学校のいじめは別問題よ。ユウさんの周りにはそんなにいじめがあるの?』


『本格的なパワハラやいじめはないから訴えることもできないレベルかな。正解のことをしても屁理屈をつけて、何でそんなことをしたんだと怒鳴られたり、一人だけに大変な仕事を押し付けて来たり』


『そんなことどこでもあるじゃない。じゃあその時どうするかが必要よね。批判するくらいだったら、自分には何ができるのかもっと考えるべきじゃないかな。まあ、ちょっと経営者目線だけどね』


こんなやりとりに祐一は疑問を抱いた。

行動的な性格のアリサは世界中を周って色々な状況を見てきたのだろう。日々生きていくことすらままならない人や、頑張って成功をつかんだ者など。

だからこそ世の中にどうしても存在してしまう、頑張れなかった人を切り捨てているように思えてくる。

もちろん本人に言ったら否定するだろうが。


アリサ自身も努力してきただろうし、優秀な知人友人がたくさんいるからこそ、自分に甘いような人は見切りをつけて関わらないようにしてきた結果の価値観のような気がした。


『努力が足りないとか、何をしてきたのとか言い出したら、全員が不足していることになるんじゃないかな。そんな正論で批判を封じ込めるから、自分が悪いんだと追い詰められて、最悪なところまで行けば、自殺問題になっちゃうような』


あまりメールで討論は向かないと今までの経験からも分かっていた。打つべきか迷ったが柔らかい言葉づかいで少しだけ書いてみた。

これによってアリサの考え方がはっきりするような気がした。


『それは極論すぎるわよ。批判することも大切だけど、仮に批判されたことが全て改善されていったら、それこそ偏った気持ち悪い社会になっちゃうんじゃない。今の社会の方がバランスがとれていると思うのだけれど』


その台詞をイジメを受けている人の前でも言えるのだろうか。


別問題、極論と、こういう言葉で議論の本質を避けているだけのように思える。

横暴なことが横行している世の中を改善したい気持ちを「だったら偉くなって変えればいい」という正論で潰してしまうように思えた。

世の中には様々な理由でデモ行進をしている人達がいる。

その人達の前で「デモしている時間があったら総理大臣になれば」と言っているようなものだ。

もちろんこのことをアリサに言ってみたら、そういうことを言っているのではないと言ってくるであろう。


自分の考えが未熟なのかは分からないが、これ以上この話題を言い合うのは得にならない。

祐一は買い物に出かけたことや、美味しいラーメン屋さんを見つけたことなど、日常の当たり障りないことに話題を切り替えた。

しかし、どこかぎくしゃくしてしまったようである。

あまり意見を言わないようにと、お互い腫物に触るような感じとなってしまったのは否めない。

その後数日メールをしたが、考え方が違ってうまくいきませんねと言われて離れてしまった。


ネットの世界では一つのほころびが不信感を抱かせる結果となりやすい。

ここが文章の怖いところであろう。

これが直接会ってする会話であれば、十人十色の考え方があることは分かっているので、ぶつかったり訂正したりしながら仲が深まっていくのであろうが。


明るい性格の夏姫とは、一生の友達となっても不思議はないくらい相性が合ったが、彼女が結婚することとなりメールを止めた。

良好な形のままメル友が終わる稀有なパターンだ。

今まで何回も嫌われたり、飽きられてきて自信を無くしてきたので、少し誇らしく感じる。


家族もメル友も失い、なくなる時は一気に訪れるものなのだなと空虚が祐一の全身を支配した。

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