第46話 脅迫⑨

麻衣子は待ち合わせの喫茶店でメモ用紙を広げ、内容を反芻していた。

テーブルにはほとんど口をつけられていないアイスティーが、結露水をコップ表面につけた状態で置かれている。

待ち合わせ相手がくる一時間も前から、ひたすらメモ用紙を頭に叩き込んでいる。

このメモ用紙にかかれている内容は、祐一が調べてくれたレイジの情報の数々と助言であった。


次にレイジと会う約束をしたのは麻衣子の方からである。

息子の同級生たちの間で、あそこの母親は愛人になっているらしいという噂が広まりつつあったからだ。

愛人とはずいぶん尾ひれが付け加えられたものであるが、もしかしたら最初からレイジがそう言ったのかもしれない。

麻衣子から連絡が来たことに作戦通りと思ったのか、前回のことをまったく気にする様子もなく、レイジは麻衣子の言う通りの曜日と場所で会うことを約束してくれた。


約束の時間の十分前に喫茶店の入口の自動ドアが開き、長身の男性が店内に入ってきた。

その男は右端からゆっくりと視線を左に移していき、待ち合わせ相手を見つけた。


長身の男が麻衣子の前までやってくると椅子を後に下げて、久しぶりという挨拶と共に腰を下ろした。

今回も全身黒ずくめの服装である。ズボンにいたっては前回と同じ物を履いているので、そこまでお洒落に敏感というわけではなさそうだ。


「で、麻衣子さんから会いたいと言ってきたのは、これから何がしたいの?」

レイジは注文する前から本題に入ってきた。

愛人という噂を広められて観念していると思い込んでいるのであろう。

必勝の策とは行かないが祐一からの提案通り、やってみる価値はあると思う。

「三浦零司さんですよね。住所はここで間違いないはず。勤め先も記入の通りかと」

麻衣子はメモ用紙とは別の紙をテーブルの前に置いた。

そこには名前、生年月日、住所、電話番号、勤務先と履歴書のようにレイジの個人情報がびっしり書いてある。

「あなたは法律に触れることは何もしていない。ただ私は勤務先とかに、あなたが何も法律に触れていないことをしていることを言うことはできます。この意味分かるでしょうか?」


麻衣子の続けざまの言葉にレイジは無言のままとなっている。

喫茶店の店員があえて空気を読まないように無表情で注文を取りにきたので、アイスコーヒーとだけ注文の声を出した。

「あと私の知り合いは、この会社の社長さんとも知り合いです。社員がこんなことをしていると知らせることもできます」

レイジの焦っている表情で麻衣子は少し安堵した。

今のところ計算通りに運んでいる。しばしの沈黙が麻衣子には心地よい。

レイジは視線を差し出された用紙の上に運び、その内容を確認している。否定してこないということは調べてくれた内容に間違いはないのであろう。

頭の中では損得勘定の計算をしているに違いない。


店員がアイスコーヒーを持ってくるのをきっかけにレイジは口を開いた。

「どうしてこんなことを知っているの?」

「同じことをやったまでです。ネットの怖さはあなたも知っているのでは?」

あまり刺激はしたくなかったが、多少強気に行く必要もあるため自分を鼓舞しながら麻衣子は話した。

「他にもご両親の連絡先も分かっています。最近引っ越したとかでしたら別ですが」

レイジがこのまますんなりと身を引くとは思いにくいが、なんとかそこに持って行かないといけない。


一通り麻衣子の話を聞き終わると、今度はこちらが話す番だということを確認するかのように、ゆっくりとした口調で話を切り出した。

「僕は別に何も悪いことしてない。それなのに社会的名誉を傷つけるようなことをしたら訴えることもできるよ。そうすれば犯罪者の子供が誕生することになるね」

犯罪という言葉に麻衣子はたじろいだ。

確かにレイジの言う通り自分は法律違反にあたるのかもしれない。そして相手は違反をしていない。

祐一ともっと密にやり取りをしていれば、こういう事態の対応もできたかもしれないが、メールでの連絡だけでは限界がある。

今度は麻衣子が押し黙ってしまうこととなった。


形勢逆転と言わんばかりにレイジがペースを変えずに言葉を続ける。

「僕はくだらない噂を気にしない。一人が言っている証拠もない噂程度で会社が一社員をどうこうすることはない。麻衣子さんは不倫をしたんだよね。教えてくれたメールも、麻衣子さんのアドレスが付いた状態で保存しているし。これ以上悪いことをする気なの?」

悔しいという感情を麻衣子は初めて認識した。

やはりあがいてみても不倫をしたという弱みがある以上レイジには勝てない。

バッグの中の携帯電話にすがるようにして一瞬目を向けるが、今回も都合よく助けを知らせてくれるとはいかなかった。

どうすればいい。

また強引にでも逃げるしかないのか。

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