第42話 脅迫⑤

麻衣子はレイジと会う約束を承諾した。

表向きは一緒に食事でもということであるが、場所は都内のホテルのレストランである。

きっと同じ建物内の部屋へそのまま連れていかれることになるのであろう。


ささやかな抵抗として、ドタキャンしてホテルの部屋代を損させてやろうかと考えてみた。

弱みを握り続けなければならないレイジは、このことでいきなり全部ばらすことはせず、せいぜい息子の友達に少しだけ情報をばらまく程度であろうから。

しかしそんな些細な仕返しが堪える相手とも思えなかったし、そんな小さなことをする自分も嫌だったから待ち合わせ場所のホテルのロビーに向かった。


麻衣子は待ち合わせ時間の十分前に到着した。嫌な相手と会うのに、それでも時間を守ってしまう真面目さが疎ましく感じた。

「はじめまして」

麻衣子の背後から突然声をかけられた。

ゆっくりした口調だったのは、びっくりさせないようにとの配慮があったのであろう。

振り返った麻衣子の前に男性の胸が飛び込んできた。

目の前に立つ長身の男は麻衣子より顔一つ分高かった。ヒールを履いた自分よりもこれだけ高いのだから、身長は一八〇センチメートル以上あるだろうと思った。

長身の男は自己紹介で予想通りレイジと名乗った。フルネームではなく、ハンドルネームのままだ。

麻衣子のことは本名から住所と全て調べられてしまったのに、自分は何も教えない態度がますます嫌悪感を募らせた。

レイジは髪を少し立たせていた。服装は上下ともラフな感じではあったが、そこそこのブランド物を着こなしておりお洒落であった。

清潔感もあるので、こんなことをしてくるような男でなければ、もしかしたら普通に友達になれたかもしれない相手だ。

だからこそ一年以上もメールが続いたのであろうが。


「ここの二階にレストランがありましたけど、そこでお食事でもどうですか?」

真摯な対応は遠まわしな脅迫メールを送ってくるような人物とは一致しなかった。もともとの性格がそうなのであろうが、余裕の表れもあるであろう。

「いいわよ」

麻衣子は短く返事をして二階への階段へ向かっていった。

これ以上弱みを見せたくないという気持ちが働いて、普段よりもきびきびした動きをとる。

レストランに入店しそれぞれメニューの中から料理を選んだあと、とぼけることなく突然レイジが核心的なことを話し始めた。

「ごめんね、こんなことをして」

「こんなことって?」

麻衣子はその通りだという憤りの気持ちを押さえて、わざと聞いてみた。

「いや別に。一応言っておこうと思ってね。えっと、そうだな。一千万円が目の前にぶら下がっていたら誰でも取ろうとするみたいな」

やはり言葉にはっきり出さないあたりがずるいところだ。

でも謝ったことは本心の一部ともとれた。罪悪感も少しはあるのが救いだ。だからこそ普通の青年を悪の道に走らせてしまう男の下心が空恐ろしく感じた。

「信じて隠し場所を教えた一千万円を、無理やりぶら下げさせて取ろうという人は少ないんじゃない」

麻衣子は嫌味を言ってみたがレイジはこたえた様子もなくにやにや笑っている。ここで嫌な女を出して嫌われたらしめたものと思っていたが通用しなさそうだ。


そこからは、しばしの沈黙の時間を過ごすことあれば、レイジのどうでもいい話を聞いたりが続いた。

「以前ふと考えてみたことがあるんだけどさ。自分に彼女がいる状態のとき、美人な女性から言い寄られたとするじゃん。その誘惑を断るのって、宝くじの当たり券いくら分を捨てるのと同じくらいの葛藤があるのかなって」

レイジの仮定の話が楽しいとは思えなかったが、自分が不倫したことに少しはからめているような思いもあってわずかな興味は持った。

レイジは麻衣子が聞いていることを感じ取ると話を続けた。

「宝くじも棚ぼた的な話だし、女性から言い寄られるのも似たようなすごい幸運な状況じゃない。彼女がいるからと断る苦渋の決断って、宝くじをどぶに捨てるのと同じくらい苦しい選択かなと思ってさ。十万円だったらそこまで苦しまなさそうだし。そう考えていくと一千万円の当選くじと同じ位かもと」

「ふーん、男女で感覚は違いそうだけどね」

これが普通の友達同士の会話であれば、百万円位じゃないとか言いあえて盛り上がれたかもしれないが、あえて感情を抑えた返答をした。

「つまり私は一千万円の価値があったということ? 喜ぶべきことなのか、金額を付けられて怒るべきなのか」

麻衣子はレイジの反応を待った。

目の前にある料理を食べていたレイジは、ごはんを飲みこんだあと口を拭いてから答えた。

「うーん。金額はよく分からないけど、例え千円であっても拾いたいという心境かな。そうだ。せっかくだから聞きたかったんだけど、麻衣子さんはどうして不倫に発展したの?」

「そんなこと教えたくないわ」

これ以上弱みを与えるわけにはいかない。

気丈に振る舞ってみたものの、何となくレイジのペースに乗せられている思いから優勢にたっている気分にはなれなかった。

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