第8話 自殺①

祐一は失恋と同じようなショックを受けていた。


食欲がなく一日を食パン一枚だけで過ごしても良かった。ただ妻が料理を作ってくれているので食べないわけにいかない。

このことはもちろん妻に話すことではないため、一人で抱え込むことが余計に祐一を落ち込ませた。

「今日はビーフストロガノフよ」

長時間玉ねぎを炒めたりと時間がかかる料理であり、美咲の自信作だ。

食欲がないといっても一旦食べ始めるとやはり美味しい。


自分にはちゃんと妻がいるのに、メール相手がいなくなったことで落ち込むなんて贅沢なのだろうと思えた。

しかしいくら頭で納得がいくことでも、気持ちを抑えられることはできなかった。


食欲を満たし喪失感のようなものはいくらかやわらいだが、かといって何かしようとする気にはなれなかった。

祐一は自室のベッドに横になり、テレビも付けずにただ虚空を見ていた。

妻は洗い物を行っている。その様子を自室から見ることはできなかったが、無音に近い部屋の中で、わずかな水の流れる音から判断できた。


祐一の部屋はもともとは書斎だった。

子供部屋は設けたが、夫婦それぞれの部屋というものはなかった。

しかし息子の俊太が生まれて夜泣きとかするようになると、美咲が気をきかせて別の部屋で寝た方がいいと提案してきた。

確かに夜中に起こされると翌日の仕事に影響が出る。しかしそれも含めての子育てであり、夫婦として大切なことのように思う。

でも美咲は気が利きすぎる。

「私は俊太が寝ているときは昼間でも少しお昼寝することができるけど、ゆう君はそれができないでしょ。支えるのが私のお仕事だよ」

少し釈然としないが、嫌味とかない素直な言葉に甘えることにした。

それから3年たち息子も大きくなったのであるが、そのままの状態が続いている。今では自室があることでメールがやりやすくなっていた。

つい携帯電話に着信が入っていないか確認してしまう。

10分前も同じことをした。着信の表示はもちろんない。すごく寂しく感じた。

 

そんな茫然とした気持ちで数週間過ごす中で新たなメル友を見つけた。

ハンドルネームをナナという。祐一よりも5歳年下で社会人二年目の若い女性だ。

ナナの募集への書き込み内容は他の人とはあきらかに違っていた。


『人生何をやってもつまらないです。これがずっと続くのだからこんな人生いらないです。どうすればいいか分かる人いますか?』


このナナには生きる目的もなく、ただ単調な毎日にうんざりしているのだろう。

そんな彼女の感覚が理解できたのは自分も同類と思えたからだ。

家族もいて仕事もこなし順調な生活は送れている。とてもありがたいことだとの認識はあるが、体の芯から熱くなるようなものがどうしても見つけられずに生きてきてしまった。

もし美咲と俊太がいなかったらナナと同じことを考えてしまいそうな気がした。


祐一は自分も同じようなものだとナナにメールした。

それに対してすぐにナナから返信が来た。


『毎日つまらない。消えることができないから仕事しなくちゃいけないだけ。ユウさんは?』


『僕も生きている理由を聞かれるとあまりないかな。息子がいるからお金を稼がないという部分もあるし。でも万が一のことがあって息子の成長が見られないというのは残念には思うけど。ただ何としてもという意識は高くなさそう。未来は何が起きるか分からないから覚悟は持っているけど。何だかはっきり言えないという時点で、同じようにもやもやしたものがあるのかもね』


『そうなんだ。こんなこと思っているの私だけじゃないんだね。へー、ユウさんは結婚もして子供もいるんだ。それなのに同じことを考えちゃうなんて私と同じように重症?』


メールだからはっきりとは言えないが、最期の部分は少し冗談も入っているのであろう。

きっとナナは普通の子だと思える。たまたま今まで充実できるものがなかっただけで。


『似たようなこと考えている人ってけっこう多いのかもね。その中で何かしら面白いことを見つけようとしているのかな。ナナさんはお休みの日は何しているの?』


『特にやりたいことはないな。ぼーっとテレビを見たり、ネットをしたり。こんなことで時間を使って私が存在している意味ないね』


ナナとのやりとりは発言には慎重にした方がいい。でも嘘を付いたりきれいごとを言う気はない。多少の気遣いを忘れないようにすればいいだけだ。


『存在となると意味ある人の方が少ないかもね。ただ仕事は喜んでくれる人もいるわけだから、回り回って何かしら意味はあるのかな』


『でも私じゃなくても、他の人がやれば効果は一緒だよね』


『確かにそうか。ただ親や恋人にとっては一応唯一の存在だから、親族がいる間はという気持ちもあるかな』


あまり意味のある会話ではなかったが、こうして話すことが大切なことのように思えた。


祐一は今までこういう悩みを持っている人とは話したことはなかった。

それでもよく言われるような、安易な励ましは言ってはいけない気がする。

もっと苦労して生活している人がいるよ。両親がいない状況でも頑張って生きてきた人がいるよというのが、それにあたる。

そんなことは当人も分かっている。だから悩んでしまうのだ。恵まれているからこそ、自分でどうすればいいのか分からないことが大きな問題であった。


会社を辞めて、全財産を使って旅をしてみたら解決するかもしれない。

しかし将来困ってしまうからそこまでの冒険はできない。生きていきたくないのに、生きることを考えないといけない矛盾に苦しめられていた。

焦って解決策を出す必要はない。

自分も今のナナとあまり変わらないことを認識しているので、自分がされたいことをしていくのがよさそうに思ってみた。

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