第2話 0人目の子供




「子供が、消えるんです」


妊娠して4か月。数日前に検診に行くと、胎児の姿が消えていることがわかった。突然お腹が軽くなった気がしたから、まさかと思ったら本当に。これでもう4人目になる。胎児の父はこれを気味悪がって、昨日とうとう一緒に住んでいたアパートを出ていった。こんな男ももう4人目。いい加減うんざりしていた時、病院でもらったよくわからない名刺のようなものを思い出した。


「エコーで人間の形がわかるようになる頃に、突然。なんの前触れもなく消えるんです」


会社の名前のようなアルファベットの羅列と人名。それしか書いていない名刺を頼りにどうやって行けばいいんだあのクソ受付女とか思ったけれど、適当に大通りを歩いて、スタバのある道を曲がったら辿り着いた。エレベーターのない5階建ての雑居ビル、その3階。子供がいなくなった身体は前よりも軽く思えて、すんなりと上ったその事務所で、私は今、話している。


「もう4人目なんです。夫は気味悪がって出て行ってしまって……本当にもう、どうしたらいいのか……」


来客用らしいソファーに座って、私は言うと涙を少し流してみたりする。気まぐれに訪れたそこには長身のイケメンが居て、彼は今、私の目の前に座っている。ラッキーだった。彼の上司のような人は女だけれど、この2人に仕事以上の関係はなさそう。両手で顔を覆ってみれば、私の気分はもう悲劇のヒロイン。あとは、この可哀想な依頼人にイケメンが手を差し伸べれば終わり。ハッピーエンド。


「助けてください……」


これでもかと言うほどにか細い声で言えば、今まで落ちない男は居なかった。今回だって


「……眼々」

「何?」

「これは、」

「大丈夫、狼、もうわかったから」


男の小さい溜息と、誰かが立ち上がる音。指の間から見やると、部屋の隅に掛けられたコートに手を伸ばす鬼一眼々とかいう女と、黄色い眼でこちらを見るイケメンの姿。


「客人、」

「狼さん、ちゃんと名前で呼んでください」

「鈴木さん、」

「桃花って呼んでください」

「……桃花さん、行くぞ」

「どこへ?」

「鬼一が原因を見つけた」


顔を上げると、真神狼が女に歩み寄り、女の手からコートを取ると後ろに回って着せようと広げる姿があった。それに対して礼も言わずに女はコートへ袖を通し、歩き出し、真神狼はそのあとを追う。


「桃花さん、早く」


そして私を急かす。私は急いでカバンとコートを持って、足早な2人についていく。忌々しい。あの女。


****


長身イケメンの男、真神狼が運転する車に乗って、事務所から少し離れた郊外の住宅地に行く。私は後部座席。女は助手席。2階建てのアパートの前を横切ろうとしたとき、鬼一眼々と名乗った女は「ここだよ」と呟いた。真神は車を停め、私に向かって「降りろ」というと、車を降りて助手席側に回り、ドアを開けて鬼一に降車を促す。落ち着いた、守るような所作。それが鬼一に向いていることを私は忌々しく思う。この女に関するすべてが忌々しく思える。男の優しさ全ては、可哀想な依頼人である私に向けられるべきなんだから。


「こっちだよ」


車を降りた鬼一は、こちらを見ようともせずに歩いていく。アパートの道路とは反対側の面には庭がある。101号室と102号室の住人はそのスペースを使うことが許可されていて、102号室の住人はそこで家庭菜園をしている。101号室の住人は特に何をするわけではなく、もうすぐ春が来る土には雑草の芽が無造作に顔をのぞかせているだけだ。

なぜ私がこのアパートに詳しいかというと、他でもない、この101号室の住人は私だからだ。数日前には3人暮らしになりそうで、2日前までは2人暮らしで、今は1人暮らしの部屋。


「この辺、かな」


鬼一はまるでここに来たことがあるような勝手知ったる足運びで庭に向かうと、隣の家との境目になっている塀の近くで地面を見下ろした。


「鈴木桃花、何か言っておくことはある?」

「は?」

「私が真実を語る前に、何か言っておくべきことはある?」

「……何よ、いきなり」


鬼一が立つその場所に思い当たることはあったけれど、この女がそれを知っている筈はない。昨日まで、ついさっき出会うまでは赤の他人だった。街をすれ違うことも稀だろう通り過ぎるだけの者だったこの女が、何を知っていることもない、筈、なのに。

鬼一にはまるで全知全能であるかのような不気味さがあった。春を待つ日差しの中で、この女の黒は別の次元の何かを思わせた。

私は可哀想な依頼人で、不気味なものを前に怯えている。この場合、それを十分に利用するのが得だと思って、私は不安で泣きそうな顔を作って隣に立つ真神を見上げる。


「狼さん、あの人は一体……」


言いかけて、言葉を飲み込んだ。そこには、今にも牙をむきそうな黄色い肉食獣の眼があったから。


「今、問うているとは眼々だ」

「あ、あの、」

「あるのか、ないのか」

「あり、ません」


答えると、真神はすっかり私への興味を失ったようで、ふっと視線を前方に移した。その視線を追うと、コートのポケットから小さいスコップを出した鬼一がしゃがみ込み、地面を掘り始めた。


「え、あの……」

「消えた子供は4人で合ってる?」

「……ええ」

「では、今までに授かった子供の総数は?」

「……4人に、決まっているでしょう」


鬼一は明らかな目的をもって地面を掘っている。私はその目的に心当たりがあるけれど、そんな筈はない。おかしい。たとえその答えに行きついたとしても、それがその場所にあるという確率とそれなりの面積の中でそこを掘り当てる確率を掛け合わせたら、一体どんな小さな数字になることか。

それなのに、忌々しい女はそれを掘り当てたようで、スコップを地面に置くと穴の中から白い欠片を1つ拾い、立ち上がった。


「いいや、5人だよ。最初に消えた子供を君が1人目だと言うなら、さしずめ0人目とでも言うべきか」


鬼一眼々は、白く小さな骨の欠片を掌で転がした。


「4人の胎児を攫ったのは、この0人目だよ」


傾き始めた陽を背景に、逆光になっている女の表情は読み取れない。


「“彼”は問うている。『なぜ、自分は殺されたのに、4人はそうではないのか』と」


鬼一の言葉を引き金に、私は最初の恋を思い出した。少し年上の、子供ができたと私が言った翌朝に姿を消した男との恋。


「そんなの、」

「……」

「私は悪くない。あの男が……あの男が!私とその子を捨てたからよ!」

「つまり君は、捨てられたから、捨てたのか?」


問う、鬼一の足元の影に、頭が潰れた乳児の姿が見えた。そう。ちょうどあのくらいの乳児だった。うるさく泣くから、存在が私以外に知れてしまう前に無かったことにしようと思って頭蓋を割った。小さく折りたたんで、その場所に埋めた。自我を持つ前の、第2の誕生の前だったから、人間にはカウントされないでしょう?


「私は悪くない。悪くないのよ!ねえ、真神さ……」


だから、私は殺人者ではない。可哀想で悲しい女だ。そう思い、地面を向いていた視線を隣に向けようと動かすと、ちょうど真神狼の頭部の影が、イヌ科の動物の造形に変わろうとしているのを見た。そこから顔を上げることができなくなった。


「眼々、それを戻せ。手が汚れる」


隣の気配は歩き出し、きっと忌々しい女の側へ向かったのだと思う。


「鈴木桃花」


夜のように澄んだ低音の声に呼ばれて、私は思わず顔を上げた。恐怖など瞬間に忘れて。阿呆のように男に媚びる。私はそういう人間だ。


「お前は別に珍しいものではない。有史以前からニンゲンは当たり前のように殺人を行ってきたのだから」

「私は、」

「お前は特別ではない。だが、その報いは必然だ」


鬼一の手から骨を拾うと、真神はそれを穴に戻して土をかけ始めた。


「君が子供を授かるたび、0人目は何度でも奪い続けるよ」

「は?何よそれ、それをなんとかして欲しくて私は」

「どうすることもできない。始まりで間違えた、君の責任だからね」


土を戻し、平らに均す。その作業が終わると、真神は鬼一の手に着いた僅かな土を払い落とし、そのまま手を引き歩き出す。その表情にはあらゆるものが入り交ざっていて、私は最初の分析を間違えていたことを知った。


「供養しようとも、除霊しようとも無駄だよ。失ってしまったものは、捨ててしまったものはもう永遠に戻らない」


そして、彼らは去っていった。


****


狼の運転で事務所に戻り、うちが飲み物を催促するといつもと変わらないコーヒーが入ったカップが渡された。


「後味の悪い案件だったな」


狼が淹れる飲み物は全て少しだけ味が薄い。まあ、イヌ科の動物だから仕方がないのかもしれないけれど、うちはそれがあまり好きではない。


「狼、コーヒー薄いよ」

「ん?そうか?」

「いつも言ってるのに。いつになったら直してくれるの?」

「あー、どうだろうな」


そしてそれを指摘すると、狼はいつも曖昧な返答をする。白黒はっきりつけたがる性分の彼が、なぜかそこだけグレーになる。不思議だ。


「まあいいや。うち、明日は大学に行くから。事務所はクローズにしておいて」

「なぜ」

「ん?」

「そうしたら、明日来た客とは永遠に会えない」

「まあ、そうだけど」

「開けておく。話を聞いて予定を立てるくらいは私にもできるからな」

「そう」


明日は何かが起こるような気がしていたからちょうどいい。ニンゲンであるうちよりニンゲンらしい彼が独自にどのような動きをするのか、少し興味もあったから。



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