第3話月の少女と隠された陰謀

「さぁ!満を持して始まりました!12年に1度の運命を決めるシンデレラ武闘会予選大会inクロノス!司会はこの私放送部黒崎めうが、解説はスペシャルゲスト、学園の圧倒的実力者であり頂点を極めたこの方!イリス生徒会長でお送りします!」

 地下闘技場が熱狂に沸いた。まるで地鳴りが起こったかのような声たちに俺も隣に座っている絵里も内側から震えるほどに湧き上がる心地よい寒気を覚えた。今頃地上のほかの闘技場も沸いていることだろう。千人以上を超える候補者を1組ずつ1つのステージで戦わせるのは効率が悪い。よってA~Dのグループに分けてそれぞれのグループごとに別の闘技場が与えられている。ちなみに俺たちはBグループ、俺も霧華もこのグループである。

「まずはこの大会のルール確認から…分かっていると思いますが最終確認、念には念を入れてっていうわけですので悪しからず!使用できるアイテムはデバイス以外無効とします!殺傷能力のコントロールができない武器は危険ですから持ち込みすら禁止されています。ただし事前申請で許可が出たアイテムのみ使用を許可されます!ステージから一歩でも外に出るとその時点で失格とされますので注意してください。ただし観客席とステージを隔てる壁に上るのはセーフとされています!」

 ステージと客席の壁の高さは5メートルもあるのだからそこに上る奴なんていないだろうと内心でツッコミを入れもう空で言えるほどのルール説明をあくび交じりに聞く。

「シンデレラ候補者の女性が戦闘不能、もしくは降参を宣言した時点で敗北とみなされます!いくら騎士が残っていようとも主を守れなければその時点で失格というわけです!このルールだけはしっかりと頭に刻んでおいてくださいね!ちなみに、危険行為や明らかに反則と取れる行為をした場合も問答無用で失格となります!」

「…だってさ、お兄ちゃん。しっかりと私のこと守ってよね?お兄ちゃんの体がどうなってもいいからさ」

「無茶言うなよ…ま、やるだけやってみるさ」

 絵里に微笑みかけると彼女は無邪気に笑う。その笑顔だけで胸の奥から力がわいてくるようだ。

「予選一組目から注目のバトル!会長はこの組み合わせどう思いますか?…って寝てる!さすが王者の余裕…いついかなる時も眠れることこそ強さの条件だというのを見せつけているようです…って寝てるんじゃ解説の意味ないじゃないですか!誰よこの人呼んだの!チェンジチェンジー!」

 司会の少女の小粋なトークで会場のボルテージは最高潮に達していた。皆早く選手が入場するのを今か今かと待っている。

「さぁ…お待たせしました!選手入場です!通称氷の魔女!優秀な姉に囲まれ印象は薄れ気味ですがその力は折り紙付き!彼女に凍らせられない物はない!2年白雪霧華!先日不幸な事件で騎士ランスロットを亡くしたため精神的に参っているといわれていましたが…今こうしてしっかりと力強い足取りで入場してきました!」

 堂々とした顔立ちを浮かべて歩を進める霧華、その気高い姿勢にはとてつもない意志の力が感じられた。まるでランスロットの魂を背負っているような、俺にはそう感じられた。ちなみに騎士を従えていなくとも参加はできる。ただやはりその分騎士が仕えている相手には不利になってしまうが…彼女はそれでもシンデレラを目指すと意気込み闘志の炎を燃やしていた。

「続いて入場するのは高嶺に咲いた凛とした花!現代によみがえった平安貴族!6人の騎士を携える姿はまさに女王様!さぁ姿を現したのはこの人!同じく2年佐竹神楽耶!」

 入場してきた神楽耶は柔和な笑みを浮かべて皆に手を振っている。後ろからぞろぞろとついてくる6人の騎士はまるで要人警護の黒服のようだ。

「着々と力をつけてきている霧華選手と学園一の大和撫子であり剣の達人神楽耶選手の対戦です!なんと彼女たちはクラスメイトで友達同士!初戦から残酷な組み合わせだ!」

「神楽耶…友達だからって手加減は無し…分かってるよね?」

「えぇ、もちろんですわ。それにわたくしは戦う相手には敬意を込めるというのをモットーにしていますのよ?手を抜くなんてそれに反しますわ」

 この戦いではたとえ友人だろうと倒さなければいけない。これも一種のシンデレラに通ずる必要で非常な道なのだろう。

「両者がステージに入りじりじりと睨みあっています!戦いの開始を告げる鐘が…今鳴ったぁ!試合開始!」

 学園のチャイムが試合開始を盛大に知らせる。耳をつんざかんとするばかりの鐘の音にもひるまずに行動を開始したのは霧華だった。

「速攻で決めるよ…シヴァ!」

 霧華の声に応えて青白い刀身が姿を現した。この学園に来て1番初めに見た青が、キラリとステージの照明に照らされて眩い光を放つ。凄まじい速さで神楽耶に突き進む霧華、刀身の青白い光が流星の緒のように彼女の軌跡を辿っていく。

「何すかした顔してるのよ!相手には敬意をこめてじゃなかったっけ?」

「もちろん…わたくしは最大の敬意を持って…あなたの攻撃を受け止めますわよ」

 瞬間カキンという音が響いた。それは広いステージで残響を生み出す。神楽耶の手に握られていたのは鈍色の光を放つ日本刀、のようなデバイスだった。ほっそりとした姿に滑らかな刀身がいやに魅力的だ。まるで神楽耶のために作られたといってもいいほどに彼女に似合ったその剣はしっかりと霧華のレイピアの一撃を受け止めていた。

「わたくしのデバイス【木葉】は起動に時間がかかりましてね…ただ一度起動すればその威力は…ほら、この通りですわ」

 神楽耶の刀が霧華を弾き飛ばした。そして一瞬怯んだ彼女の体に驚くべき速さで斬撃を喰らわせる。その速さは目視でもぎりぎり見えるかどうかの物で、実際俺も絵里も何が起こったのかと口をあんぐりと開けるしかなかった。

 けれどすごいのは霧華の方だ。あのとてつもなく素早い斬撃を、紙一重で避けたのだ。足で軽く地を蹴りステップを踏み後方へと下がる。彼女の反射速度はブルーノ並みにすごいんじゃないかと思う。

 互いの斬撃が走る。それが彼女たちの本当の試合開始の合図だとでもいうように激しい剣の打ち合いが始まった。まさに神速と呼べる太刀筋は目で追うことができず、刃の輝きの軌跡と打ち合わせた時に散るオレンジを追いかけることが精いっぱいだ。

「おぉーとっ!これは早い!目で追えないほどの2人の激しい剣戟!実力は互角だぁ!これは長期戦になりそうだ!」

 司会の黒崎はああ言っているが、打ち合いが長引き有利になるのは霧華の方だ。確かに実力としては互角だが、霧華にはあの異能がある。彼女の剣で触れたものはすべて凍る、俺が身をもって知った異能だ。まるでループ映像を見せられているかのように交わされる攻防は神楽耶の剣を凍りつかせるには十分すぎた。

「神楽耶選手踏み込んだ!その重い一撃を霧華選手は…軽やかな身のこなしで避けたぁ!」

 互いの距離が一度開く。じっと互いを睨みあっていたが、ふと顔をひきつらせたのは霧華だった。驚きに目を見開いた彼女の視線は神楽耶の刀にのみ注がれていた。

 俺もつられて神楽耶の刀を見る。まったく穢れのない魅惑的な輝きを放つ刀身が、彼女の手の内に握られていた。

「どうして凍ってないの!?私の剣に触れたものなら何でも凍るはずなのに!」

 怒りと焦りがごちゃ混ぜになった霧華をあざ笑うように神楽耶は三日月にひきつらせた笑みを讃えて話し始めた。

「雷切という刀を知っていますの?」

「…雷切?」

「古の時代、雷神、つまり雷を切ったといわれている伝説の刀…その刀には切った雷神の力が宿り常に帯電しているといわれていますわ。それが雷切の伝説」

「…何が言いたいの?」

「あら?結構ヒントを与えたつもりでしたのに…分かりませんでしたの?」

「あれをヒントって呼ぶならあんた頭おかしいんじゃない?」

 今度は霧華が神楽耶をあざ笑う。けれど神楽耶はそれにも負けないニヤリとした笑みを浮かべて得意げに言い放つ。

「わたくしの木葉は雷切をモチーフとして作り上げましたの。刃の表面はもちろん帯電していますわ、まぁ微弱ですけれども…。それでも刃に張り付く氷を弾き飛ばすには十分な力ですわ」

「そんなのズルよ!チートよチート!」

「あら?触れたものをすべて凍らせる方がよっぽどチートですわよ?」

 その言葉が終わる前に霧華は神楽耶の元へと切り込んでいた。けれど神楽耶はそれを予想していたかのように涼しい顔を浮かべて横薙ぎの剣で退けた。霧華は高跳びの選手さながらの跳躍力でその横薙ぎを宙へ回避、それと共に手の中で剣を回転、そのまま落下の勢いとともに剣を突き下ろした。

「そんな攻撃届きませんわよ?」

 宙から降ってくる刺突にもうろたえずに余裕をもって避ける神楽耶、けれどその1瞬の後に空気が凍り付いたことにしまったという風に顔を歪めた。

「凍りつけ…アイスブレイカー!」

「出た!霧華選手の大技アイスブレイカー!自身の周囲を完全に凍てつかせる大技を神楽耶選手避けられるかぁ!?」

 地面に剣が突き刺さる。と同時に彼女の半径約5メートルに、彼女を中心に地面からつららをイメージさせる氷塊が姿を現した。それは徐々に範囲を広げていき今や最初の倍ほどの範囲を氷漬けにした。さすがにその攻撃は神楽耶でも避けられない。あと一歩で逃れられるというところまで来ていた神楽耶だが、無残にも青白い咢に飲み込まれてしまった。

 一瞬辺りが静まる。あまりの異能の強さに皆息を呑んだ。

「これが…霧華の力なんだ…」

 隣の絵里もゴクリと唾をのんだ。

「神楽耶選手氷に飲み込まれたぁ!まさに一瞬の油断が命取りとなってしまったかぁ!これは霧華選手の勝ち…いや、ちょっと待ってください!どういうことでしょうか!氷が赤く染まっていますよ!」

「司会者君、神楽耶にも騎士がいることをお忘れかな?」

 今まで眠っていたのか緩い声だったが、まるで自慢するような風に会長が声を発した。その声が終わるや否やパリン!とガラスが割れたような音が響いた。見ると真っ赤に染まった氷が内側からはじけ飛んだ瞬間だった。赤く染まった氷というのもありえないが内側からの爆発もまたありえない、そんなありえない光景に会場は湧き上がり揺れた。

「な、何…!?」

「ふふ…わたくしをこの程度で倒せると思っていますの?ねぇ、火鼠さん?蓬莱さん?」

「えぇ、お嬢をここで倒させるほどあっしらは馬鹿じゃないんでねぇ」

「そうね。あたしたちのお姫様はこんなのじゃ倒れない、いや、倒させない」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべ飄々とした態度をとるのが火鼠と呼ばれた男、女のような声を発した長髪を持つのが蓬莱と呼ばれた男だ。その全く異なる雰囲気の二人だがキッと鋭い視線で霧華を敵視する瞳は同じだった。

「ここで騎士を使ってきたのね…今までは遊びだったってところかしら?」

「そうね、そう考えてくれても結構ですわ…ただ、わたくしたち全員で勝ちを取りにいっても面白くありませんわね。火鼠さんと蓬莱さん以外下がってくださいます?」

 後ろに控えていた男たちは不満そうな顔を浮かべたが逆らうわけにもいかずにそのまま後方でおとなしくなった。

「それに彼らの戦闘介入も極力控えてもらいますわ。騎士の助けのおかげで勝てたと思われたら不快ですもの」

「お嬢!」

「火鼠、落ち着きなさい。これぐらいのハンデであたしたちのお姫様が負けるわけないでしょ?」

「そうですわよ。もしかしてわたくしを信じられませんの?」

「いえ…あっしはただお嬢の身を案じて…」

「あら、やっぱり信じていないのかしらね?ならわたくしがその不満をすぐに解消してあげましてよ」

 その言葉とともに神楽耶は切り込んだ。地に剣を突き刺していた霧華はとっさのことで反応が遅れる。そのせいで彼女は攻撃を喰らってしまった。けれどそれは決して深手ではなく皮膚の浅いところを切り裂いただけ。それでも空中に真っ赤な血は花弁のように舞った。

「くっ…でも…こんな攻撃まだまだだよ!」

 今度は負けじと霧華が神楽耶へと切り込んだ。剣に氷を纏わせた一撃だ。けれど…

「火鼠さん」

「あいよ!」

 神楽耶の目の前に広がった炎の壁によって阻まれてしまった。どうやらあの火鼠という男は炎の異能に特化しているようだ。冷静に分析をしている中、突如霧華が痛みに顔をしかめた。神楽耶との距離は十分にある、火鼠も炎の壁に集中して攻撃できない。なのに彼女は痛みに顔を歪めたのだ。目に見えない何かに蝕まれているようだった。俺はじっと目を凝らして彼女の周囲を確認する。と、キラキラと虹色に光る親指サイズの何かが、まるで小さな昆虫が舞うように彼女の周りを飛び回り一撃離脱を繰り返していた。その数は3、そのどれもがバラバラに攻撃を仕掛けて霧華を蝕んでいた。

「蓬莱さん、少しやりすぎましてよ?」

「あら、そうかしら?もっともっと歪んだ顔を見せてくれないとあたし的には楽しめないのだけれど」

「お兄ちゃん、どうやらあの技、蓬莱の宝玉っていうらしいよ。小さな球を飛ばして攻撃するってさ」

 隣で端末から蓬莱の情報を調べたのだろう、絵里がそう言ってきた。

 蓬莱の攻撃がどんどん霧華を蝕んでいく。気づけば彼女の体には細かい傷がたくさんついていた。赤く切れた裂傷からはとろりとした血が流れ落ちてきていた。

「これぐらいまだ…どうってことない!」

 突如霧華が叫んだと同時に会場の冷気が一気にマイナスまで下がった。それと同時にポトリと地面に青白い氷の破片が3つ落ちた。よく見るとその氷塊の中には虹色を浮かべた蓬莱の異能の弾が入っていた。

「これでどうかしら?地に落ちてみるとなんてことないわね」

「そんな単純に防げると思わないでほしいわね」

 にやりと悪魔的な笑顔を浮かべる蓬莱、それは本物の女性よりも女性らしい妖艶さを兼ねたものだった。パチン、と指を鳴らす蓬莱。それを合図に虹色の弾丸を封じ込めた氷塊が弾けた。内側から、まるで蝶がサナギから生まれるかのように飛び出したのだ。そしてそれはまた霧華の体に襲い掛かる。

「何よこれ!くっ…避けきれない…!どうすればいいのよぉ!」

「ふふ…これがあたしの宝玉ちゃんの力よ」

「蓬莱さん、ほどほどにお願いしますわね。もう一度言いますけど騎士の実力のおかげで勝ったとは思われたくないんですもの」

「何よ…舐め切った口利いて!私だって…まだやれるんだからぁ!」

 霧華の怒涛の咆哮が響いた。その怒涛の勢いを身体に乗せて彼女は突撃をかける。低い姿勢で加速をかけ上段へと突き上げる。それと同時に剣の周囲の空気も凍らせる。まるで空気を剣で断ち切っているような、そんな雰囲気だ。けれど神楽耶はそれすらも避ける。さらに避けながらも攻撃へ移るのを忘れてはいなかった。神楽耶の斬撃が霧華の体に走る。

「くっ…!」

「おっと!霧華選手攻撃を喰らってしまったぁ!どうやら腕をやられたみたいです!ですがまだ戦う意思は十分!」

 利き腕をかばうようにもう片方の腕を犠牲にした霧華。左腕には裂傷が走り血がだらりとこぼれ落ちて地に落ちて赤の染みを作る。裂かれた左腕を力なく垂らして傷の大きさを物語っていた。

「へぇ…わたくしはあの攻撃で完全に利き腕を潰すつもりでしたのに…もう片方の腕を犠牲にするとはさすがですわ。見上げた心意気ですの…でも…わたくしには勝てませんわね」

 神楽耶の猛烈な切込みが霧華の体を襲う。彼女はレイピアで何とか防ぐが蓬莱の攻撃とさっきの斬撃で体内の血が大量に失われてしまったのだろう、ふらふらとして危なっかしくギリギリで防御しているようにも感じられる。

「霧華、一ついいことを教えてあげますわ。あなたのレイピアは刺突が最大の武器、そのフォルムも刺突に特化した細身で軽く扱いやすいもの。対してわたくしの刀は斬撃はもちろん刺突も得意としていますわ。材質は固く刀身は鋭利ですの。この意味が分かります?」

「さぁ…?あんたが何を言おうが知ったこっちゃないわね…!」

「なら…身をもって教えてあげますわ」

「え…?」

 その瞬間、キン、と鋭い音が響いた、と同時に会場全体が静まった。ステージ上で起こった出来事がスローモーションのように見える。振り下ろされた刃、霧華の驚いた顔、そして、回転しながら宙を舞うレイピアの切っ先。鈍色の光を放ちながらくるくると回る鋭い切っ先は、ブスリ、と無残に地面に突き刺さった。

「霧華…レイピアは、防御に向きませんわよ?」

 呆然とする霧華に何かを囁いた神楽耶は、そのまま背を向けた。戦闘を放棄した、と思われたがその瞬間にはすべてが終わっていた。

「かはっ…!」

 霧華の口から、真っ赤な液体の塊が吐き出される。がくり、と足が崩れて地に膝をつく。上半身は茫然としたように神楽耶を眺めていた。

「な、何が起きたのでしょうか!?突然霧華選手が倒れたように見えましたが…映像班!スローモーションの用意して!…あぁ!これは…!あの一瞬の間に霧華選手が…攻撃された!?」

 場内の巨大モニターに映し出されるスローモーション映像に、俺は息をのんだ。あの瞬間に神楽耶は剣を鞘に戻し、それで霧華を攻撃した。しかも…8回だ。あの一瞬の間に、霧華の体は8回の攻撃を受けたのだ。人間ではありえないほどの速度に信じられないといった顔を浮かべたのは、隣の絵里も同じだった。

「あれは神楽耶の異能だね…天才の脳(ジーニアスブレイン)」

「ジーニアスブレイン…とはどういう能力なんでしょうか、会長?」

「彼女は状況に応じて脳神経を切断したりつなぎ合わせたりできるのさ。もちろん神経の命令も自由自在なわけさ。これがどういうことか、もうわかるだろう?」

「いえ…分かりませんが…」

「はぁ…仕方ないな…面倒だけど説明しようか…彼女のあの動きは脳の指令で体のリミッターを解除したんだ。人間の体には自然とリミッターがかけられている…体が限界を超えて壊れないようにね…彼女は命のセーフティを自ら解除したんだ…そうだな…もっとわかりやすいたとえでいうと、自力で火事場のバカ力を使った、といえばいいかな?」

「な、なるほど…」

「…と言うわけでボクもさっきの説明をするのにリミッターを外したんだ…疲れたから寝る…」

「か、会長…!?」

 すやすやと気持ちのよさそうなのんきな寝息が会場に響くが、それとは逆に会場内には驚きと戦慄が走っていた。

「ねぇ神楽耶の能力って…」

「あぁ…俺の力と似ているな…けど、あっちの方が強そうだぞ…」

 俺の場合は思考に特化するように脳神経を接続しなおすのみだが、神楽耶はそれ以上のことができるのだろう。まぁ俺のこの力は異能ではないので土俵が違うのだが、それでも同じような能力が使える者として厄介に思える。もし神楽耶が勝ち上ってきた場合相当厄介な敵になるだろう。

「さて…これで終わりですわね」

 呆然と崩れ落ちた霧華を横目で見た神楽耶は、余裕の笑みをたたえた。霧華はもう動かない。戦意喪失だ。ぼんやりと死んだ魚のような濁った瞳が、空虚に神楽耶の姿をとらえるだけだった。体からも、口の端からも零れ落ちる血液に、熱が、艶やかさが感じられない。体は1ミリも動かず、茫然とした瞳からはつつぅと、涙が垂れおちていた。

「霧華…」

 俺はそんな彼女を、見ていられなくなった。いつも気丈に振る舞っていて、けれど誰よりも努力して認めてもらおうとしていた彼女の、こんな無様な姿なんて見ていられない。俺が惹かれたのは、こんな彼女じゃない。

「霧華選手戦意喪失か!?ルールにより10秒の猶予が与えられますが…その間に戦闘の意思を見せなかった場合霧華選手の敗北となります」

 場内にカウントダウンの針の音が響いた。カチリ、カチリと人生で一番長く感じられる10秒が刻一刻と進んでいく。けれど彼女は立ち上がらない。敗北を受け入れたように、ただ諦めの涙を濁った瞳から流すだけだった。

「霧華…!」

 俺はぎゅっと手を握る。もう、今の彼女を見ているだけなんてことは、できなかった。


(勝てなかったんだ…私…)

 圧倒的な実力差だ。私だって強くなったと思っていた。姉たちと比べられて、劣っていると馬鹿にされて、才能がないと罵られ、苦汁を舐める日々だった。強制的に地面にたたき伏せられてゴミを見るようなひどい視線に苛まれるだけの日々だったけど、諦められなかった。地を舐めてでも、彼女は強くなろうと自身にのしかかる重圧をはねのけたというのに、また地に伏せられるような相手に出会ってしまった。一度はランスロットに救われ、慶次にも救われたというのに、私はまた負けてしまう。結局私は、どうしようもない弱者なんだ。つつぅ、とほほを涙が伝うが、それは驚くほどに冷え切っていた。まるで今の私自身の心が漏れ出しているかのような冷たさだった。遠くで聞こえるのは10を告げようとしている針の音。まるで私の残りの命を示しているようだ。けれど、私はもう戦えない。やはりどれだけ努力しても、越えられない壁はいたようだ。私は諦めて、その壁に押しつぶされる覚悟を決めて、眼を閉じた。

「霧華―!」

「!?」

 突然大声で私を呼ぶ声が聞こえた。それはとても遠くから聞こえるのに、耳元で叫ばれているような不思議な感じを私に与えてくれた。応援してくれる彼がいる。けれどそれでも、私は負けを認める。彼は私が頑張ってることを知っている。けど、どうしても越えられない壁の前では努力は意味をなさないって、きっと彼ならわかってくれるはずだから。

「バカヤロー!お前…こんな簡単に負けを認めていいのか!?お前はシンデレラになってみんなを見返したいんだろ!?そのためにランスロットの死からも立ち上がったっていうのに…こんなところで簡単に諦めるのかよ!?お前の努力って…この程度で潰れるようなものなのか!?」

 彼の叫びが、私の心にずぶりと突き刺さった。私の冷えきって固まった心を溶かすお湯のように、彼の言葉が胸に染みこんでくる。

「俺は何事にも諦めずに努力するお前が好きだったのに…なんだよこの体たらくは!あの時のお前をずっと見ていたいって思ってたのに…今のお前はなんなんだよぉ!」

「私のことが…好き…?ずっと…見ていたい…?」

 なぜかその言葉で、私の心に再び火が付いた。私の体の末端にまでその火は燃え移り、力を湧き上がらせる。ぎゅっと手を握る。暖かな血潮を感じる。そうだ…私は、負けられない。努力を無駄にすることも、できないんだ。

「お帰り、霧華…ほら、立てよ」

 気が付くと私の目の前には、王子様がいた。童話の白馬に乗った王子様とも、お城に住んでいる世間知らずな王子様とも違うけれど、それにも負けないぐらいに輝いている王子様が、私に手を差し伸べていた。ニッと子供らしい、けれどもどこか安心したような笑みを浮かべて、私の心の復活を心底喜んでいる彼の暖かな手を、私はとった。

「ありがとう…それと、ただいま…慶次!」


「俺は今から霧華の騎士として戦いに参加する。いいだろ?」

 俺は自然と体が動いていた。彼女を助けたい、彼女と共に戦いたい、それが俺の思いだ。

「で、ですがそれは…」

「まぁいいんじゃないか?ルール上では禁止と書いてないし」

「まずこんな行為をする人がいなかったんです!…まぁ、会長が言うなら大丈夫なんでしょう…」

 会長がこちらを向いてニヤリと笑った気がした。もっと場を温めてくれよ、とでも言いたげな顔だ。盛り上がりのダシに使われるのはあまり気乗りしないが、霧華を助けられるためならそれも上等だ。

「さぁ…メリー…出番だ」

 夢に誘う羊の名を冠した相棒が喚起に満ちたように勢いよく展開される。デバイスの調子は万全、霧華も立ち直ったし、神楽耶は相手にとって不足はない。

「お兄ちゃん頑張ってー!」

 しかも大好きな絵里の応援まであるのだ。負けられない。しかもここまで出張っておいてあっさりと負けてしまえば俺のメンツ丸潰れだ。

「霧華、いけるか?」

「もちろん!慶次こそビビってない?」

「俺がビビるだって?冗談!」

「頼もしいね、さすが私の騎士!」

「お前につくのも一度きりだけどな!」

「つくづく楽しませてくれるわね…わたくしも本気を出さなければいけませんわね…現れなさい八咫烏(やたがらす)!」

 カラスの羽のように真っ黒な姿をした刀のデバイスが神楽耶の手に握られる。右の雷切、左の八咫烏、布陣としては完璧だ。

「私も本気の武器を使わなくちゃね…コキュートス!」

 霧華の周辺の空気が一気に冷え込み、それが彼女の右手に収束していく。凍り付いた空気が、剣を形作る。青白く透明に煌めくスラリとした刀身、コキュートスが今、彼女の手の内に現れた。純粋に彼女の異能からできた剣は、何者も凍りつかせてしまいそうな威圧感があった。

「さぁいくよ慶次!私についてきて!」

「お前こそ…俺の速度についてこいよ!」

 霧華のニヤリとしたいたずらっぽい笑顔に、俺もつられて口元を歪ませる。その不敵な笑みこそ戦いの合図だった。

こうして、最初で最後の俺たちパートナーの戦いが始まった。


吹き抜ける夜風がいやに高ぶり熱く火照った肌に気持ちいい。昼間の興奮も冷めやらぬままの心に吹き抜けるそれは柔らかく心を撫でる。学園の屋上を見下ろす真ん丸の月、彼が見下ろしているのは屋上だけでなくそこにいた一組の男女もだ。静かな夜の情景を眺めて彼らは手に持った缶ジュースを乾杯、と静かに打ち鳴らした。それが小さなお疲れ様会の始まりだ。

「お疲れさま、慶次」

「霧華も、お疲れ」

 一仕事終えた後のように疲れ切った俺の喉に冷たいジュースが流し込まれる。甘く爽やかな味が喉を突き抜けるのを感じる。

「ぷはぁ…生き返る…」

「もう…慶次ってば大げさ」

「そうか?」

 二人顔を見合わせて思わず吹き出してしまう。おかしそうにひとしきり笑った後に残るのは、ただの静寂だった。夜風に乗せられた虫の鳴く声だけが沈黙を震わせている。

「えへへ…今日は…残念だったね…」

「…あぁ、そう、だな…」

 小さく笑みを漏らしてそう言った霧華に、俺もうなずいた。その言葉にはどこかやり切ったような達成感のようなものも交じっていると俺は感じた。

「さすがに…神楽耶に勝つには私たちでも足りなかったみたい…」

「…だな」

 結果から言おう。俺たちは神楽耶に敗北した。俺たち二人がかりでも、彼女には遠く及ばなかったのだ。

「何よあの技…完全に見えなかったじゃん」

「だよな…」

 俺たちを屠った神楽耶の大技「月割」、それは目に見えない速度で俺たちの体を同時に行動不能に陥らせた。ありえない速度にありえない威力、けれど彼女にあの大技を使わせるほどまでに肉薄した俺たちのことも褒めてやりたいくらいだ。本当に俺たちはあと一歩のところまで彼女を追い詰めていたのだが、それでも及ばなかったのだから。

「悔しいね…」

「そう、だな…でも、最後は神楽耶も認めてくれてたじゃないか」

 ―あなたたちの努力を称して、わたくしは最大の敬意をこめて、この技を贈りますわ―

 彼女の最後の言葉だ。それは嘘偽りなく、彼女の本心だったように思える。

「あぁもう!悔しいよぉ!勝ちたかったよぉ!」

「ちょっ…霧華…」

 いきなり叫んだかと思うと霧華は思いっきりジュースを煽った。まるで自棄酒でもしているかのようにがぶがぶとジュースを飲んだ彼女は、やはりといったところか盛大にむせた。

「げほげほっ…はぁはぁ…うぅ…慶次!もう一本!」

「やめておけバカ」

 恨めしそうにこちらを見る霧華、その顔はどこか酔っぱらっているようにも思えた。

 と、彼女が突然表情を変えた。今度はしおらしく潤んだ瞳を、こちらに向けてきた。少し釣り目がちな瞳が、こちらをじっと見据えている。あまりにもじっと見られて穴が開きそうなその視線に、俺は思わず目をそむけた。

「ダメ…慶次、こっち見て…」

 ぐいっと顔をつかまれて力任せに首をねじられる。驚きにも似た表情を浮かべた俺の顔が、彼女の澄んだ瞳に映る。視線が、熱いほどに交わる。一度夜風でクールダウンした心が、また熱くなってくる。

「慶次…本当に私の騎士になるつもりは、ない?」

「あぁ…すまないが、俺は絵里一筋なんだ。だから、ダメなんだ」

 こんなムードを作られたって俺の心はなびかない。けれど次の言葉に、俺の心拍は思いっきりペースを乱した。

「騎士がダメなら…私の彼氏になるのは…ダメ?」

「か、彼氏!?」

 思わず声が上ずってしまった。頭の中でさっきの霧華の言葉を反復する。けれど何度繰り返したところでその言葉の真意に俺は気づくことができなかった。いや、気づかないふりをした。

「お願い…私、慶次のことが好きになっちゃったの…初めて会った時は最悪な変態野郎って思ったけど…でも、優しくて強くって…こんな私でもいいんだって…頑張ってるって言ってくれた…」

 霧華の瞳から、涙が零れ落ちた。それが恥ずかしさからくるものだというのは真っ赤に染めた頬から容易に見てとれた。そして彼女は恥ずかしさと同時に、恐怖を感じている。俺に断られたらどうしよう、これからどんな関係として過ごせばいいのかわからない、といった恐怖が渦巻いているのだろう、体がプルプルと小刻みに震え、声が上ずってしまっている。まるで生まれたての小鹿だ。

「一度慶次のことが好きかもって思ったら…どうしようもなくなっちゃったの…日に日に慶次のことが好きになっちゃって…私の心がどうしようもなく慶次を求めて…おかしくなりそうなの…ねぇお願い…慶次…好きなの…私、慶次のことが、大好き…!だから…私を、彼女にしてください…」

「え、えと…その…」

 俺は必死に頭をクールダウンさせるよう試みる。霧華のことは好きだ、けれど俺は、絵里のことも同じくらい好きなんだ。絵里を言い訳にして逃げているだけ、と思われるかもしれないが、それでも俺は、どちらかなんて選べない。

「知ってるよ…慶次は、絵里のことが好きなんだよね?」

 心を見透かされたかのようなその言葉に、俺の心拍はさらに跳ね上がる。一生分のドキドキが、今この瞬間に凝縮されたように感じる。

「でもさ…絵里って妹だよね?慶次はどうするつもりなの?本気で、妹と恋するの?そりゃ本人たちはいいと思うけど…社会的にはさ、気持ち悪いとか思われちゃうよ?だからさ…私と健全な恋愛、しよ?」

 確かに妹との恋は禁忌だ。社会的にも生物学的にもアウトだ。けれどそういうしがらみのせいで諦められるほど俺の恋心はもろくない。だけど禁忌を犯して妹がもし不幸になったら?それは俺の責任だ。幸せにするといって不幸にしてしまえば元も子もない。この恋心を捨てるのが、絵里の幸せなのか?霧華の好きの気持ちを、認めてしまえばだれもが幸せになるのだろうか?

「お、俺は…俺は…」

 思考がこんがらがる。恋心と相手の幸せが天秤の上で揺れる。気が狂いそうなほどの思考が俺の頭の中で渦巻いては消える。どうすればいいのか言葉が出てこない。

「ねぇ慶次…ほら…私の体…絵里よりも成長してるでしょ?おっぱいも、お尻も…あの子よりおっきいよ?男の子ってさ…おっぱいもお尻もおっきな子が好きなんだよね?それにさ…私、とってもエッチだよ?慶次の事変態って言ってるけど…私だって変態だもん…ずっと慶次のことだけ考えて、慶次と恋人になってるのを想像して、その先のことだって妄想して…これだけエッチになっちゃうほど、私は慶次のことが好きなんだよ?だから…」

 そういわれると急に彼女の体のことを意識せざるを得なくなってしまう。女の子らしいふっくらとした丸みを帯びた身体、柔らかそうなおっぱいに少しむちっとした太もも、スカートの上からでもわかるお尻のライン、ほっそりとして、でも確かに肉付きがいい腕、可愛らしい顔、プルンと潤った、唇…。霧華が近づいてきてその体をぽにゅり、と俺に押し付けた。シャンプーだろうか、柑橘類の爽やかないい匂いがする。その匂いに交じって女の子特有の甘い匂いが俺の脳内をくすぐる。それは俺の脳内を、この空間をピンクに染めるには十分すぎる魔力を持っていて、俺は…

「はぁ…やっぱり淫乱メスブタだったわねこの泥棒猫!」

「え、絵里…!?」

 突然の絵里の乱入によりピンクに染まりかけた場の雰囲気が一気に崩れた。

「何が私とってもエッチだよ?なの!?意味わかんない!女の子が好きな男の子のこと妄想しただけで何がエッチなのよ!教えてちょうだいよこの淫乱!」

「え?だ、だから好きな子と…その…エッチなことする妄想する、とか…」

「何よカマトトぶって!エッチなこととかオブラートに包まないでちゃんと言いなさいよ!霧華はお兄ちゃんとセックスしたいんでしょ!?」

「ちょっ…絵里!?」

 今絵里の口からとんでもないワードが出た気がするが…

「私は大声で言えるわよ!お兄ちゃん、セックスしよ!今すぐお部屋に戻ってしよ!」

「絵里…兄ちゃん悲しいぞ…いつの間にか羞恥心も捨てて…」

「違うもん!私だってお兄ちゃんが好きなの!こんな泥棒メスブタに取られるなら手段だって選んでられないわよ!お兄ちゃんを私のものにするためなら羞恥心なんてドブにでも捨ててやるわ!それにお兄ちゃんは私の下僕よ!私がしたいことを断る権利もないわ!さぁ!早く帰ってしよ!朝までいっぱいいっぱいね!」

「な、何よ自分が慶次を独占したつもりなの!?慶次は私の騎士になってくれたのよ!だから私の下僕ってことでもいいんじゃないかな!?」

 さっきまでのいい雰囲気はどこへやら、今は霧華と絵里の睨み合いで場が冷えついてしまった。互いの視線が殺気を帯びて相手に注がれる。その中間で板挟みになった俺は胃がキリキリと痛んだ。

「お兄ちゃんは私の物!絶対ぜ~ったい誰にも渡さないの!」

「うるさい淫乱妹!ド変態!慶次は私くらいのノーマルなエッチな子が好きなんだから!あんたみたいな頭の中ピンク色のビッチはお呼びじゃないのよ!」

「はぁ!?頭の中ピンク色はどっちよ!?淫乱妄想ばっかりしてるからその胸の脂肪の塊が増えたんでしょ!?その中に詰まってるのは変態要素だけじゃない!なのに自分はノーマルなんて…許せない!やっぱり巨乳は淫乱の証だったのよ!」

「何よ嫉妬?おっぱいがほしいなら最初からそう言いなさいよド変態ブラコン!」

「うるさい!メスブタビッチ!」

「あの~…俺…もう帰ってもいいですか?」

 結局俺の声は彼女たちには届かず、その不毛な言い争いは月が眠るまで続いた。俺の本心も、結局はどちらに転ぶか決められずうやむやのまま終わった。


「ふわぁ…ねむねむ…」

「さすがに朝まで言い争うことなかっただろ…俺なんて途中で意識とんだぞ…」

「だってあの淫乱ビッチが…!」

 あの不毛な争いはどちらからともなくやめようと提案されたのだが、気がつけば朝だ。眠気にふらつく足取りで寮の部屋へと戻る。絵里もふらりとした足取りだがどこか機嫌よさそうだった。

「さて…これでようやく眠れる…」

 眠気で沈み込みそうになる意識の中、扉に手をかけて気づいた。

「鍵が…開いてる…」

「私はちゃんと閉めたよ?」

「じゃあ…泥棒か?」

 そのおかげで一気に眠気が吹き飛んだ。デバイスを構えて慎重に、音をたてないように扉を開けて部屋へと入る。玄関は荒らされていないようだが、その奥がどうなっているかもわからない。

「お兄ちゃん、見て…この靴、誰のだろう?」

「とうとう怪しくなってきたな…絵里、俺の後ろに隠れてろ…」

 知らない靴は3組、そのどれもが無個性で履いている人物の特定ができない。俺は慎重に歩を進めてリビングへの扉を開けた。その瞬間緊張感に張り詰める意識が最高潮に達した。

 けれどそんな俺の緊張とは裏腹に、リビングから聞こえた声は緩いものだった。

「お帰り~。えらく遅かったね、心配したよ~」

「その声…会長!?」

「やぁやぁお邪魔してるよ~…しかしキミたち朝帰りとは…昨夜はお楽しみでしたね、とでも言えばいいのかな?」

 見るとテーブルにお菓子をぶちまけてそれをコーヒーとともにほおばっている会長の姿が、しかもその隣には湯飲みでお茶をすする神楽耶の姿があった。まさかの見知った顔の侵入に張り詰めた緊張がバカらしく思える。

「絵里、大丈夫だ。会長たちがなぜか俺の部屋でお菓子パーティーをしていただけだ」

「な~んだ…ビックリした…ただのお菓子パーティーなら…ってなんで私たちの部屋でなのよ!それにこの人誰!?私知らないよ!」

 睡眠を求める頭はスルーしたかった事象なのだが、指摘されてしまえば仕方ない。俺は会長たちに向かい合うように座っている女性に声をかけた。

「あの…失礼ですが…あなたは…」

 長い金色の髪を持つ女性はこちらに顔を向けた。顔だけでは年齢が判別できない。若いようにも見えるし、おばさんのようにも見える。何事も知らない若く無垢な表情と同時に、人生の荒波をくぐって達観したような表情が混じっているといえば伝わるだろうか。とにかく、表情だけでは彼女が何者で、何を考えているのかわからない。けれども、俺の心の中で何か引っかかりを覚えた。俺は過去に一度、いや、何度も彼女に会ったことがある…?

「それはわたくしから紹介しますわ…彼女は美咲純子さん…初代シンデレラですわ」

『初代…シンデレラ!?』

 俺たち兄妹は同時に驚きの声をあげる。まさか目の前にいるのがそんな存在だとは信じられなかった。現代のジャンヌダルクとまで言われた女性が、不思議なオーラを纏った彼女だというのか…

「そして彼女は…あなたたちの本当の母親ですわ」

「久しぶりね、慶次、絵里…元気だったかしら?」

「この人が…かあ、さん…?」

「嘘…お母さんは、私たちを捨てたんじゃ…」

「絵里…!」

「はっ…ご、ごめん、なさい…」

 いきなり目の前の母親と名乗る存在に捨てたとかいうのは失礼に値すると思い絵里を叱ったのだが、彼女は至って平静でまるで聖母マリアのような微笑をたたえていた。その笑みは慈愛に満ちていて、けれどどこか悲哀に染まっているようにも見えた。

「いいのよ…もとはといえば私が悪いんだもの…今更許してほしい、なんて言わないけれど…でもちゃんとした理由があったということは知っておいてほしいわ」

「理由…ですか?」

「…っと、それを語る前にボクからの話をしても大丈夫ですか?」

 突然会話に割り込んできた会長は、メガネをかけていた。しかもその纏っていた雰囲気が一気に鋭いものへと変わっている。俺も絵里も驚くが、神楽耶は至って平静だ。つまり会長のこの変化は生徒会の中では日常茶飯事なのだろう。

「キミは先日の事件について覚えているかな?いや、覚えているよね?なにせ事件のど真ん中にいたのだから」

「ランスロットが殺された、あの事件ですか?」

「あぁ、そうさ。その黒幕が、今そこにいる彼女だったんだよ」

 会長の鋭い瞳が純子をとらえた。けれど純子は眉一つ動かさない。

「そして彼女は…2代目新選組のトップ、龍崎だったんだよ」

「は?どういうことだ?龍崎なら俺たちが倒したよな?」

「あれは表の舞台に立つ龍崎だ、龍崎は二人いる。裏で組織を動かしていた龍崎が、彼女というわけさ」

「いや、待てよ。それは矛盾するはずだ。なぜ初代シンデレラが自分の作った法を潰そうと考えるんだ?普通なら守るはずだ」

 あまりの衝撃で眠気が吹き飛んだ頭はそんな答えをはじき出す。

「もしも、彼女自身望まない形で法を作ってしまったら、どうする?それが撤廃できない状況に陥れば、どうするかな?」

「まさか…」

「そう。彼女はシンデレラ法を望まずに作ってしまった。いわば女権国家一番の被害者だよ。シンデレラなんてやり玉に挙げられて…かわいそうに…だけどいくらかわいそうな理由があったにしろ彼女がしてきた罪が消えるわけじゃない。今までのテロ行為で彼女は間接的にだが数多の命を手にかけているのだから」

 そんなことを言われているのに彼女はにこにこと笑顔を作っている。底の知れないその笑顔の仮面に、俺も絵里も、ぞっとするしかなかった。

「ボクからの話は今はいったんこれで終わりだ。美咲兄妹も早く彼女の話を聞きたがっている頃だしね。さて…ボクはいったん寝るから…あとはよろしく…終わったら起こして…」

 メガネを外した会長は1秒にも満たない速度で眠りに落ちた。あまりにもマイペースすぎる…

「それじゃあ話すわね…あれは私がシンデレラになる前の話…」

 と、純子は淡々と過去の物語を紡いでいった。俺たちが知らない母親の素顔をさらけ出していった。


 美咲純子は世界に不満を抱いていた。この平等じゃない世界に、人以上の不満を抱えて生きていた。実家の古典的な風習の下、女は卑しいものとして育った彼女には、いつしか世間全体がその意見を持っていると思い始めた。世界の全てが、男女平等をうたいながらも女性を卑下して回っているような、そんな気がしてならなかった。そしてその考えは思春期を迎えたころに、爆発した。若気の至りともいうべきか、まだ高校生だったにも関わらず彼女は女性の権利を求めて立ち上がった。初めは校内だけたったけれどそこでは収まらず街頭や駅前で演説を行った。そこで彼女が常に話していたのは女性が中心になる世界だった。彼女の本心では本当の男女平等を求めていたのだが、人々を先導するには口当たりのいい言葉が一番効果的だと幼いころから知っていた彼女は、やけに大きなスケールの夢を掲げて演説に挑んだ。けれどその大きな虚言が、取り返しのつかない事態を招いた。

 気がつけば彼女の言葉はカルト的な影響力を持つようになっていた。まるで新興宗教のように女性たちは彼女の言葉を鵜呑みにして、行動に移した。きっと彼女が死ねと命じれば本当に自ら命を絶つほどに、みな彼女の言葉に陶酔していた。彼女の下に集まった人々の中には権力者もいて、警察や政府に重圧をかけたりもしていた。

 彼女は、後戻りなどできなかった。自分自身が真の平等を求めていたのに、先導したのは女権国家の設立だ。彼女は革命の先導者として様々なメディアに祭り上げられてどうすることもできなくなっていた。世の中は、幼い彼女が想像できないほどに真っ黒で、どうしようもなく醜いものと悟った時には、17歳の彼女はシンデレラという偽りの女王、いや、権力者のマリオネットとして日本の頂点に君臨していた。

 その悲しいマリオネットは、すべてを捨てた。浅ましい自分を罰するように、すべてを捨てたのだ。思考も、自由も、完全に放棄して権力者の操り人形として生きる道を選んだ。それと同時に男性の敵として自らを罪人化することを選んだのだ。羨望、憧れ、憎悪、憎しみ、様々な感情がごちゃ混ぜになった視線を彼女は一転に受け止めた、その空白の心で。

「あなたはもういらないわ。長期の独裁は民衆の反発を生むのよ」

 彼女が29歳の時にかけられたその言葉で、彼女の体に纏わりついた鎖は解き放たれたように思えた。けれどそれは大きな間違いだった。完全には解放されずに政治のおもちゃとしてまたも利用された、新しくやり玉に挙げられた悲しきマリオネットとともに。けれど2代目シンデレラは決してその体制に不満を覚えてはいなかった。なにせ甘い蜜が吸えるのだから。永久に遊び過ごせる富と人類の頂点にも立てるほどの権力を得ることができるのだ、それもただ人前に立ち自身が考えてもいない法律を読み上げるだけで。その甘い蜜のおかげで今もシンデレラは全女性の憧れの的である。

 そんな彼女にも転機が訪れた。こんな彼女でも愛する男性が現れたのだ。彼女自身それに悪い気がせず一から愛を育み結婚して、そして子供を授かった。シンデレラを解任されて1年後のことだった。さらにその翌年にはまた子供ができた。家庭を築いた彼女は今までの不幸の分を取り返そうと精いっぱいの幸せを噛みしめた。けれど、やはりそれも長くは続かなかった。彼女は、不幸に愛されてしまっていたのだ。

 それは彼女に生まれた子供たちが物心つく頃の出来事だ。初代シンデレラ暗殺未遂事件、反シンデレラ法の過激派によっての行動だ。だが所詮は未遂、彼女の体には何もなかった。けれど、夫が死んだ。彼女の目前まで迫った銃弾を、自ら身を挺して受け止めたのだ。その時彼女は誓った、冷えた彼の体に向かって。

「私がすべての責任を取る…もううんざりだ…たとえ修羅の道だとしても、私は過去の私自身を、殺す」

 彼女の体に纏わりつく切れない鎖、シンデレラ法、彼女はそれを壊すために立ち上がった。初めに子供たちを友人の女性に預けた。何の罪もない子供たちを巻き込みたくないという親心からの行動だ。預けた後も経済的工面をしていたのはきっと彼女の罪悪感からだろう。次に彼女は全国の反政府組織をまとめあげた。彼女が生まれながらにして持った人を惹きつけるカリスマ性と、その時成立した男性の武力の剥奪を定めた理不尽な法のおかげで容易にそれは成し遂げられた。政府に不満を持っていた彼らにはシンボルのような存在を必要としていたことも大きかった。ただしこれは彼女にとっては命がけの綱渡りだった、政府に潜り込みながらも裏では革命のために男たちを先導するという危険な二足の草鞋を履いた綱渡りという。

「2代目新選組…革命の英雄に立ち向かった誇り高き侍たちと同じ名前ね…私たちにぴったりの名前じゃない。ただ彼らは最後には国とともに滅びたけれど…私たちは違う。最後は私たちの手に国を取り戻しましょう…!」

 そして彼女はそこで龍崎という裏を束ねるシンボルとなり確変した国家を元に戻すべく戦いを始めた。けれどそれもうまくはいかなかった。異能によって発動する武器、デバイスの登場、それが明らかに彼女たちを不利にした。元来生まれてくる異能者の割合のほとんどは女性だ。男性の異能者など全体に1割いるかどうかだ。無能力者が持つ旧式の武器ではデバイスや異能の前にはおもちゃの銃やナイフと同じだった。

 そんな折2年越しに友人からの連絡があった。

「私の子供が異能者?しかも強大な力を持っている可能性がある…報告ありがとう。そうね…このことは隠しておきましょう。子供たちの情報をすべて偽りの物に書き換えて。何者であろうと子供たちのことを知られないようにね」

 その時彼女にはとてつもない悪魔が舞い降りていた。子供たちを利用してシンデレラ法を撤廃させる。昔彼女がされたように、今度はシンデレラの座を勝ち取った娘を裏で操る。彼女は一人ほくそ笑んでいた。この過酷な戦いの日々の中で彼女には良心というものも、親心というものも完全になくなってしまっていたのだ。ただ残っているのはシンデレラ法を作る原因となった過去の自分への恨みだけだ。彼女は初代シンデレラの権威を使い次のシンデレラの選定を武闘会へと導き行方をくらました。

 そして武闘会が開催する今年、彼女は友人の研究所が母体となっているここクロノス学園へと編入させるように決めた。シンデレラ養成というのは表の顔、裏では異能についてのデータを集めているのが全国の学校の実態だ。このクロノスも例外ではなかったが、やはり友人の榊原がやっているというだけで安心できるのでここに決めた。彼女は子供たちを利用したりしない、そう信じていたからだ。

 ノーデータの子供たちがワイルドカード、ジョーカーとなりすべての札の頂点に立つ、それはまさにシンデレラストーリーだ。けれどそれを実現するには少し不安が残っていた。子供たちの実力が分からないのだ。だから彼女は力を試すべく試練を与えることにした。それがあの人質事件だ。そう、本当の目的はシンデレラ法の撤廃ではなく、子供たちの成長を見るためだったのだ。


「…そしてあなたたちは見事私の課題をクリアした。あなたたちほどの実力があればシンデレラを目指せるわ」

 俺はその話を聞き終えると、こう言い放った。ずっと我慢してきた言葉が、口から零れ落ちた。

「あんた…最低だな」

「え…?」

「何がシンデレラ法撤廃の運動だ!何が試練だ!課題だ!あんたの不始末を俺たち子どもに擦り付けて…しかもランスロットまで奪った…!あんたは…最低最悪だ…!人間として…クズだ。いや、人間以下だ!」

「そう言われても構わないわ。私はもう、人の心は捨てたもの。ちなみに言っておくけどそのランスロットっていう子を奪ったのは私たちじゃないわ…と言っても信じてもらえなさそうだけれどね」

 それでも笑みをたたえた表情は崩れずに、俺は舌打ちをする。こいつの奥底の闇の深さにはどこまでも嫌悪しか感じなかった。

「けれど慶次、あなたもシンデレラ法の撤廃を求めているのでしょう?」

「!?」

 歪な笑みを浮かべた表情が、さらに狂おしいほどに釣り上がった。満面の歪な笑みを浮かべた顔についた二つの切れ長の瞳が俺の心の奥底までとらえているようで、背筋が凍り付いていく。あまりの不快感に吐き気が込み上げて来て動悸が狂う。

「知っているのよ。あなた、絵里を救えなかったからシンデレラ法を壊すって。それなら私と同じじゃない。私だって夫を殺されたし、下手すればあなたたちも奪われていたところだったわ。それにあなただって他人を利用してるでしょ?心当たり、ない?絵里を道具だと思ったことは…?」

 俺が、こいつと同じ?いや、それよりも気になる言葉があった。絵里を道具だと思ったことがあるか…?正直に答えると、無いとは言えなかった。俺は絵里を、俺自身を苦しめたこの法律を壊すために絵里の力を、道具としてみている節があった。相棒のデバイス、メリーと同じように、ただ目前の敵を屠る武器としか考えていない所が…。

「…」

 俺はその言葉に何も返せない。今まで見ないふりをしていた自分の浅ましさに、心が潰れてしまいそうになった。そしてそれ以上に、絵里への罪悪感と、これからも道具のように見てしまうかもしれないという恐れが、俺の心を万字絡めに縛っていた。

「そう…図星、だったのね。やっぱり慶次は私の息子だわ。私とそっくり…」

「違う…」

 彼女のその言葉を遮ったのは、今まで沈黙を貫いていた絵里だった。

「お兄ちゃんは…あんたとは違う!」

 うつむいていた顔をバッとあげる。その顔には涙の色が浮かんでいた。

「お兄ちゃんは、誰かを助けるために戦ってるんだ!私やお兄ちゃんみたいな辛い思いをする人がいなくなるようにって、とんでもないお人好しだと思うけど…それでも必死になって戦ってるんだ!あんたみたいに過去の自分の間違いを正すためとかちっちゃいことに捕らわれてないの!それに…お兄ちゃんが私を道具みたいに扱ってるのは知ってた」

「え…?」

 絵里のその言葉に俺は凍り付いた。

「確かに戦ってる時のお兄ちゃんは私を道具として見てるみたいだけど…でもそれは私だって同じ!お兄ちゃんは私のことを自動で守ってくれるロボットみたいに思ってた…嫌なことから全部守ってくれる道具だって…!だけどそれはお兄ちゃんの優しさに、私が甘えてるから…お兄ちゃんも私の強さに甘えてるだけ…そうでしょ?」

「絵里…」

「それにお兄ちゃんは常に道具として私を見ることはない…お兄ちゃんは私のことずっと大切な妹だって思ってくれてる…自分の命より大事な人って思ってくれてる!言葉にしなくても私にはわかるもん…お兄ちゃんは誰よりも優しくて、誰よりも私のことを考えてくれていて…そんなお兄ちゃんがあんたと同じなわけないじゃない!」

 まるでかんしゃくを起こした子供のように泣きわめきながら絵里は俺への思いをぶちまけた。彼女のその言葉たちについに純子は顔を歪めた。笑顔から、深い悲しみを憂うようななんとも形容しがたい表情に変わったのだ。

「それが分かったなら早く帰ってよ!二度とお兄ちゃんの目の前に現れないで…!」

「絵里、それぐらいにしておけ」

 ヒートアップして相手に食いつかんとするばかりの絵里を手で制する。ここまで言ってもらえた俺は、幸せ者だ。胸の奥底から絵里への愛おしさが溢れて止まらない。

「ありがとな、絵里…俺、やっぱりお前がいなくちゃだめだ」

「えへへ…お兄ちゃん…嬉しい…」

 妹の頭をそっと撫でてやる。と、絵里はいつものように気持ちよさそうな、それでいてこそばゆそうに目を細めた。その瞳からはもう、涙は流れ落ちなかった。

「…分かった、俺はあんたに、協力する」

「え!?」

 俺のその言葉に絵里が、それにここまでずっと沈黙を守ってきた神楽耶も驚きの声をあげた。どうしてという瞳が俺に突き刺さる。

「勘違いするな、俺はあんたのためにシンデレラ法を撤廃するんじゃない。俺と、絵里のためだ。だが誰のためであれ目的は一致している、ならばここはギブアンドテイクの関係になるのがいいんじゃないのか?」

 純子の顔にまた笑みが戻った。彼女はまた笑みを釣り上げてにんまりと笑う。

「ふふ、抜け目ないわね。いいわ、あなたたちが勝ち上がれるように裏で手を引いていてあげる」

「ちょっと!?それはわたくしたち生徒会にケンカを売っているということですの!?」

 運営としては見逃せないのだろう。俺だって卑怯な手は使いたくなかったが、事態が事態なのだ。

「神楽耶…ごめん…俺たちだって、どうしても勝ちたい理由があるんだ…だから、少しだけ目をつむっていてくれないか…?」

「わかり…ましたわ…けれどもし、わたくしと当たるときがあれば、その時はこのツケ、清算してもらいますわよ?」

「あぁ、わかった…それで、あんたはどんな利益を俺たちにくれるんだ?強くなるための課題、なんてのはノーサンキューだ」

「もうあげてるわ。あなたたちにレベルが低い相手が当たるように細工しておいたから」

「あ、そういえば…」

 対戦相手という単語で思い出した俺は端末を取り出してトーナメント表を開く。

「会長、これ見てくださいよ。多分不具合なんですが…」

「ん…?ふわぁぁぁ…そんなの後回しにしてくれよ…ボクはもう少しで10段重ねのメープルたっぷりホットケーキを食べれるところだったんだよ…食べ終わるまで待って…」

 相変わらずのマイペースの会長のことは無視して俺は話を続ける。会長に眠る隙を与えてはだめだ。この人いつになったら起きるかわからないからな。

「対戦相手なんですけど俺たちの相手だけ情報のリンクに飛ばないんですよ…永久音マリっていう相手なんですけど…」

 その言葉を聞いた会長はそこにいる全員が驚くほどの速度で顔をあげ立ち上がった。あまりの速さに一瞬心臓が止まりかけた。会長は端末を俺の手から取り上げてじっと見る。そしてだんだんと顔色を変えていった。青ざめた顔から怒りに顔を真っ赤にして、けれどヒートアップしすぎた自分をなだめたようで元の顔色へと、まるで七変化だ。

「神楽耶…キミの端末ではどうなっている?」

「わたくしの物も、リンクが飛びませんわね。それに対戦相手も…永久音マリですわ」

「くそっ!先公どもは何を考えているんだよ…!なぜ繋がれ者を参加させるんだ!?それがどういう結果を生むのかは容易に分かっているはずなのに…!くそ!くそ!やっぱりボクの学園に何か嫌な虫が紛れ込んでる…害虫はどこだ…?いや、どういう経路で害虫が侵入した…?」

 メガネをかけていないのに会長のこの豹変っぷりに俺は事態がただ事でないことを察した。それは絵里にも伝わったようで不安そうに顔を歪めて俺の服をぎゅっと握っている。

「ボクは今から職員室へ行ってくる!きっとこれは何かの間違いだろう、きっとこの結果を改変してみせる。でも万が一ボクに何かあった場合は、神楽耶、迷わず学園側を起訴しろ、いいな?」

「わかりましたわ…」

 そのまま会長は勢いよく部屋を飛び出してしまった。あとに残された事態をうまく呑み込めていない俺と絵里はただ不安な心に侵食されるしかなかった。


 空には、昨日と同じように月が昇っている。それは、シンデレラ法に隠されたあんな話を聞いた今日も変わらない。空だけでなく、世界も結局変わらない。どう転んでも俺たちの世界は不変だというのがいやにも思い知らされる。けれど俺は今日、今夜、一つの連鎖に終わりをつけようと思う。

「絵里…ごめんな」

「え?お兄ちゃんどうしたの改まって?もしかして変なもの、食べた?」

「いや、茶化さないで聞いてほしいんだ」

「え?う、うん…」

 いつもと違う雰囲気を感じ取ったのか絵里は顔色を変えた。ゆっくりとベッドに座り込み俺の言葉を待っていた。窓から漏れるのは月の光だけ、それがお互いを暗闇から照らした。

「俺さ、朝も言ったとおり絵里を道具扱いしてた…それを、ずっと謝りたかったんだ」

「なんだ、そんなことね。それならいいよ。だって私も…」

「いや、俺がほしいのは慰めの言葉じゃないんだ…俺を、罰してほしいんだ…ちゃんとダメだって、俺は間違ってるって言ってくれないと、俺はずっとお前を…」

 青白い月の光に照らされた絵里の顔、それはなんとも形容できない物に染まっていた。悲しんでいるのか、憐れんでいるのか、それともそれ以外の何かなのか、俺には判別ができなかった。けれどその顔も、彼女のため息とともにどこかに吹き飛んだ。

「はぁ…お兄ちゃんってばいやに真面目なんだから…もっと楽にすればいいのに…まぁ、わかった。じゃあ私がお兄ちゃんを…罰してあげる。一回しか言わないからちゃんと聞いてなさいよね」

 そして彼女の言葉が紡がれた。俺へと罰を与える彼女の神聖な言葉が、俺の元へ送られた。

「お兄ちゃん、私のほんとの気持ちを受け取って…お兄ちゃん、大好きです…兄としてじゃなくて、一人の男の子として、お兄ちゃんのことが、好きです…この私の気持ちを…受け取って…好きを、もらってほしいの…」

「な…?え…?」

 こんな予想もしない言葉を駆けられて俺は戸惑うしかなかった。何かの聞き間違いだと思ったが暗がりに映し出された絵里の表情が赤くとろんと蕩けたものに変わっていることから間違いでも、嘘でもないことがうかがえた。

「私の気持ちを受け止めることがお兄ちゃんへの罰…私を道具としてじゃなくて恋人にしか見れないようにするよ…」

「え、絵里…」

 これが、罰…。きっとこの罰は道具扱いしたことだけへの罰ではなかった。絵里の気持ちを知っていて、あえて目をそらしてきた俺への、罰だ。

「私ね、ずっと昔からお兄ちゃんが大好きだったの…何度もお兄ちゃんに思いを伝えようって思ったけど、できなかった…けど、私ももう逃げないって決めたから…お兄ちゃんは…どう、なの…?私のこと…好き?」

 潤んだ上目遣いの瞳、その瞳に慌てふためくが、どこか意思の固まったような俺の顔が映っていた。俺はもうとっくの昔に、答えを決めていたようだ。きっとこの意思は今朝あの時の絵里の姿を見て固まったのだろう、俺を守ろうと懸命に戦った彼女の優しさで…。

「俺は…お前が好きだ…もちろん妹としてもだけど…一人の女の子としても、大好きだ…けど…ほんとに、俺なんかでいいのか?」

「お兄…ちゃん…私、お兄ちゃんじゃないとダメ!お兄ちゃんじゃなきゃ嫌なの!」

「そっか…俺もだ。俺も絵里じゃないと、ダメみたいだ」

 その時妹の顔がゆがんだ。嬉しそうな、それでいて泣きそうで、信じられないと歪めたその顔はとても愛おしく感じた。彼女の頬に涙が伝う。その温かい液体を俺は指で掬い取る。

「お兄ちゃん…お兄ちゃん…!」

 絵里が俺の胸の中へ飛び込んできた。そしてわんわんと子供のように泣いた。今までため込んでいた気持ちを洗い流すように、涙をこぼした。大きくなったと思っていてもまだまだ小さなその体を、震えるその体を俺はぎゅっと抱きしめた。俺の胸の中恋人が泣き止むまでずっとずっと、抱きしめた。

「お兄ちゃん…キス、しよ?昔した遊びのキスじゃなくて…恋人同士の本物のキス…」

 絵里がピンクに上気した顔でこちらを求めている。けれど俺は、それに応えることはできなかった。

「絵里、そういうのは死亡フラグだぜ?でっかい戦いの前に恋人同士のキスをすると片方は絶対に死ぬ」

「え!?ほ、ほんと…!?」

「あぁ。昔の作品では99%死んでた。レトロマニアな俺が言うんだ、間違いないさ」

「嘘…じゃあ、キス、しない方が、いいのかな…?お兄ちゃんが死んじゃうのは嫌だし…」

「そう、かもな…」

 俺はこの時逃げたのだ。もう後戻りできない領域に踏み込むことを恐れてしまったのだ。結局恋人となっても、俺はその先の未来を恐れていたのだ。霧華の言っていた社会的タブーが目の前に迫り、それを怖いと感じてしまったのだ。

 今は絵里のことが好きだと伝えるそれだけでいい。いずれこの幸せの天秤が傾いたとき、彼女には答えを伝えよう。未来の幸せの。


 光のない階段を下りていく影が2つ、そこにあった。真っ暗な階段を懐中電灯の明かりだけを頼りに下りていく2人の女性。ここは学園の地下へと向かう階段だ。けれど正規の階段ではない。学園でも一部の権力者しか知らない秘密の階段だ。この存在は学園の母体である榊原の人間にもほとんど知られていない裏のルートだ。そんな階段を下りていく数少ない存在の女性たち、片方は30代くらいの女性だ。これといった身体的特徴はないが彼女の纏ったオーラは常人とは違っていた。いや、オーラがないといえば正しいのか。彼女には一般人が纏う何かしらの気配も、感情も、纏っていなかったのだ。存在自体が闇に紛れているといった方がいいか。それは彼女が隠密と呼ばれる存在の一人だからだ。簡単に言い換えれば忍者だ。彼女の表の顔はこの学園の教師の一人、なよ竹朱理だが、裏の顔は暗殺を生業とする隠密として活動していたのだ。そして彼女の隣にいる女性、いや、老婆といった方が正しいだろう。その老婆は腰が丸まり顔にも深いしわがいっていた。齢としては80を余裕で越えているだろうが、老婆の雰囲気もまた常人とは違っていた。隠密の無のオーラとは逆に老婆は溢れんばかりの威圧的なオーラを纏っていた。歩くだけで老婆の前を通っているものが、それがたとえ虫や動物であろうと本能的にひれ伏してしまいそうな、そんな絶対的な強者の風格がその老婆にはあった。

 しかしなぜそんな異例の二人がこの学園の地下へと向かっているのか、それは一つの理由があった。それが…

「外に出る権利を与える、永久音マリ」

 学園の地下に閉じ込められた少女、永久音マリを解放するためだ。彼女は生まれながらにしてすさまじいほどの異能を使えることができた。さらには常人からは考えられない特殊体質を持っており、異能の力と合わせるといずれは国一つ滅ぼせるほどの力を手に入れるだろうと考えた榊原博士はこの学園を作ると同時にその地下で彼女を監禁し、実験を繰り返した。その非人道的なことのおかげで今の異能社会が出来上がったといっても過言ではないというのがまた皮肉な所だ。

「ぐあぁぁぁぁぁ!」

「おっと…彼女、薬が切れかけてるのね」

 手足を鎖に繋がれた彼女は獣の瞳でうめく。長く美しい金色の髪を振り乱して人間としての理性を失ったかのようだ。

「うがぁぁぁぁ!」

 彼女が鎖を引きちぎらんばかりの勢いで二人に近づく。それはまるで首根っこを食いちぎらんと襲い掛かってくるライオンのようにも見えた。

「さがれ!」

 だが彼女のその勢いは老婆の殺意さえ帯びた一喝によってそがれてしまう。それどころか彼女は怯えた犬のようにガクガクと震えて後方へ下がってしまう。小動物のような哀れな瞳が揺れていた。

「本当にこやつが使えるのか…?」

 老婆のいぶかしげな声が響く。けれどもう片方の女性がニヤリと笑い答えた。

「えぇ…今の彼女は薬が切れて理性がうまく働かないだけですが…薬を入れればこの通り…」

 怯える永久音に一歩近づいた女性はその腕に注射針を差し込み液体を注ぎ込んだ。度重なる実験のせいで彼女はこの薬なしでは理性を保てなくなってしまっていた。

「どうだ永久音、気分は?」

「…さいっこうに気持ちいい」

 薬が注ぎ込まれた瞬間彼女の雰囲気は一変した。野生の本能が奥底に押し込まれてはいるが表に出てきているそれはもっと厄介なものだった。それは愉悦だ。嬉しそうな、それでいて快楽におぼれたような、そんな邪悪な笑みを浮かべている。その愉悦的な笑みの奥底では破壊の意思が渦巻いていた。

「お前に命令を与える。こいつらを…殺せ」

 朱理がポケットから取り出したのは写真だった。そこに映っていたのは、彼女の対戦相手である美咲兄妹。

「…もちろん、ただじゃないよな?」

「あぁ、これをくれてやる」

 ドスン、と大きなアタッシュケースが永久音の前に放り投げられた。彼女はそれを開いて、興奮に目を見開いた。その中に入っていたのは大量の薬と、2つのデバイスだった。

「これは先行投資だ、受け取れ。もしもこいつらを殺せば、その10倍の薬を用意してやる」

「へへ、ありがたいねぇ…だが私はこの通り繋がれの身さ。どうしろって…ひっ…!」

 老婆がカツン、と一歩進み、その手に持った杖を振り上げた。それだけの動作なのに、彼女の手足を縛っていた鎖が断ち切られたのだ。それがどんな神業なのか、永久音はまたその老婆に恐怖した。

「殺せ…シンデレラの子を、殺せ…そして、彼女に栄光を…」

 老婆はそれだけ言うと暗い階段を上っていってしまった。永久音にはその言葉の意味が理解できなかったが、ただ薬のために、自らの人間的理性を取り戻すために、この戦いの決意を固めた。


 試合当日、永久音は実に数年ぶりの日の下に出た。何年たったとしても日の光は変わらずに皮肉的に永久音を照らしている。彼女はその光に目を細め、そしてにやり、と笑った。彼女の隣には西洋の鎧をフルアーマーした巨大な何者かが立っていた。彼女は一歩踏み出す。愉悦的な殺戮の戦場へと…

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