第18話
通されたのは、先程までの広い空間とは打って変わって狭い部屋だった。窓はなく、四人がテーブルを挟んで二人ずつ向かい合って座れるようにソファが配置してあるだけ。本当にそれだけ。あ、でもエアコンはあるらしい。
「まあ、座ってください」
右手一本で着席を促すと、
「さっきは名乗りませんでしたね」
その人は胸ポケットに手を突っ込む。名刺を取り出して、
「申し遅れましたが、私、小早川学と申します。運株式会社では開発部で部長をしています」
……開発部。それはつまり、アンドロイドの製作に携わっているということだろう。しかし、なぜこのタイミングで名乗って来たのだろうか。
「杉内仁さん、でしたね」
「あ、はい」
小早川さんは俺の名前を言うと、神妙な面持ちになる。
「アンドロイドが、お姉さんに似ているとお気づきになられたと」
「そうですね……性格は全然なんですけど、雰囲気というか、感じというか…………あ、笑ったときの顔はすごい似てます。それで気づいたんです」
「なるほど…………」
小早川さんは両手を組んでそう頷くと、
「あなたには、お話ししてもいい気がします。当事者…………いえ、遺族ってことになってるんでしたね」
小早川さんはそう言うと、カバンから一枚の紙を取り出す。
「杉内美帆さん……この方がお客様のお姉さんでよろしいでしょうか」
「えっ――」
背筋が凍る。二人分のために効かされている冷房は、ちょっと寒いくらいだ。その冷気が、よりいっそうその不気味さを引き立たせてしまっている。
「違いましたか?」
「いや…………合ってますけど」
「ですよね」
ですよね――その言葉は何を意味するのか。蛍光ペンのキャップを開けた小早川さんは、先程取り出した紙の一部にアンダーラインを引く。
「このアンドロイドを製造するに当たって、何人かの人間を参考資料として利用しました。同意は得ています。私たちは得られた情報をもとに、人間の一般的な形を求めました。つまり、『普通の人』を具現化すること。そして、そのようにして作った人間像に、それぞれの個性を兼ね備えることで、本物の人間を作ることを目指しました」
冷房の風向は俺に向けられたまま動かない。
「そして――杉内美帆さん、あなたのお姉さんも、その一人でした」
「その一人、とは?」
唐突に出てきた姉の名前に、ひねり出したのはその一言。返答がくるまで、可能な限り現実から逃避する、そんな一言。
しかし、それも二秒ほどのこと。気休めにもならない。
「アンドロイドの製造のための参考資料の一人です」
参考資料……
「杉内さん、大変訊きづらいことを訊いてしまうのですが、お姉さんの死因はご存じですか?」
「死因ですか…………修学旅行先で地震に遭って巻き込まれたというのは知ってますが、具体的なものは知りません。圧死なのか、溺死なのか、少なくともここに遺体は無いですから推測でしかないんですけど」
「そうですか、それは違いますね」
小早川さんはまた別の紙を取り出す。
「こちらは、お姉さんを連れてきたときの報告書です。こちらの部分、これがその時の様子ですが――『瓦礫の積み上がる県道を歩いていると、一人の女子高生と遭遇。私は「助ける」と言って彼女を連れた』、この部分ですかね」
人名、日時、状況の順に文字が並んでいる。杉内美帆という文字、そしてその読み上げられた文章は目に入ってくる。日時は…………地震の後だ。
「この際だからお伝えするところはしていきますね。この記述をした人は、当時自衛隊の隊員でした。現在は体調不良で外れているようですが、災害派遣された陸上自衛隊のメンバーのうちの一人であることは確かです」
自衛隊が絡んでるのかよ。ますますこの企業が理解できなくなってきた。
「私たちはそこで杉内美帆さんを研究対象の一人として挙げ、二年ほどこちらで保護し、衣食住を与え続けて観察、吸収していました。そして――」
小早川さんはそこで一旦言葉を区切る。
「二日ほど前に、研究機関が解放しています。しかし、災害に遭ったとき身分証を持ち合わせていなかったため、住所が分かりませんでした。当社ではそのような場合いくら本人の口から正しい住所を言われたとしても、正確なものを入手できなかった場合にはその場で解放することとなっており、今回もその範囲内でしたために、そのような措置をとりました」
「その場で解放する、って――」
「はい、言葉通りの意味ですが」
言葉通りって、それって――
「九州にある研究所より、そこの玄関にて解放したとお知らせが入っております」
九州で、解放…………それってつまり――
「まだ姉さんは生きてるんですか⁉」
「それはお答えできません。当社では知識を吸いとる場合、出来る限り後遺症を残らないようにしています。一度犯したミスより学びました」
「だから姉さんはどうなんですか!」
「修学旅行という事で五千円ほど財布に残っていたものと思われますが、最後に確認された場所が九州ということで、どのようにされているかはわかりません。飛行機、鉄道、船――手段はいくらでもありますから、日雇い労働などを駆使して帰ってくるかもしれませんし、成人されるということでそこに居住することもあるかもしれません。当社としてもまもなく成人するということでの解放とのことですので、帰ってくることは帰ってくるかもしれません」
姉さんが、生きている――
五年前、突然行方不明になった姉さん。一年たった頃にもう死んだんじゃないかと思って仏壇とか用意しちゃったけど、勝手に殺してごめん姉さん。さすがにと思ってしまった。
「お姉さんから参考にした情報は、骨格、体つきなどです。その時にひょんなことから知識を吸いとられることがあったかもしれませんが、その場合は正常には成長できません。何らかの障害、後遺症が残ります。ところが、お姉さんの場合、一切そのようなものがなかったことを確認済みですから、影響ない程度に情報を収集させていただいたようです。ありがとうございました」
小早川さんは深々と頭を下げる。
「いえ、そんな、姉の無事が確認できたのでこちらこそ嬉しい限りです」
「誠に申し訳ございませんでした。記録によりますと、残る家族がお客様のみのようで、未成年には情報を流さないルールになってるんです。五年間待たせてしまって、誠に申し訳ありません」
「いえいえ、こちらこそ、地震の惨状を見る限り希望を失っているところだったので」
お互いに譲歩する流れができてしまった。どちらかが折れないと終わらないんだよなこういうの。とりあえず相手を持ち上げておくか。
「他にも情報収集のために集められた人って何人いるんですか?」
「そうですね、程度にもよるんですが、初期メンバーは五名で、それぞれに骨格等の情報、知識面の情報、体力や筋力面の情報、予備メンバーといった感じですね」
「予備メンバーというのは?」
「対象者に万が一のことがあれば起用されます。死亡することはなかったですが、機械の暴走によって収拾がつかなくなった方と交代で起用された方はいます」
「機械の暴走によって収拾がつかなくなった……?」
おい待て、聞いたことあるぞこういう話……
「その件については企業秘密です。お答えできません」
小早川さんは先程までよりいっそう顔をこわばらせて言う。この件には関わるな。目がそう言っている。
でも、俺はそんなことお構いなしに訊いてしまう。姉の無事が、俺の心の中を少し緩くしてしまったのかもしれない。
もしかしたら、背中にゆっくり、弱く吹いてくる冷風が、背中を押したのかもしれない。
「じゃあ…………幸は…………?」
本当に、どうしてこんなことを訊いたのかわからない。
さっきは自制が利いていた。扉の向こう、開けたところでは、よく自分を見つめられていたのかもしれない。
ところが、扉を挟んで、閉鎖的な空間になった今、簡単に、そうなってしまう。
「幸、というのは?」
まだしかし、この人の顔には余裕が見受けられる。こわばった表情のなかに、少しばかりの猶予を感じる。ここで最善手を指せば、まだなんとかなる。そう相手の表情が語っている。
でも、俺はここで悪手を選んでしまう。どうしても、この場の雰囲気に呑まれる。
「姉と同じように、ここでアンドロイドの情報収集のために集められた人なんですけど」
「そうですか。どうしましたか?」
「いや…………あいつが、体調悪いみたいなんですよ…………その件がどうも、姉の安否と重なって」
そう、俺はどうしても、あいつのことが衝撃過ぎて、姉の無事を信じることができないでいるのだ。もしかしたらああなっているのではないだろうか。もしかしたら――いや、やめよう。当事者が大丈夫と言ってるんだし大丈夫だろう。
「そうですかそうですか」
小早川さんは笑顔を絶やさずに口を開く。
「そうですね、では――――死んでもらいましょうか」
「…………え?」
「だから、死んでもらいます」
小早川さんは本当に笑顔を絶やさない。最初から笑顔。最初より笑顔。
そんな顔から、突然の。
人間、笑顔で人を殺せるらしい。黒い感情が目の前で視界を埋める笑顔と混ざってどうしようもなく気持ち悪い。
「田中幸さん、ですよね」
「…………そうですけど」
「やっぱり。僕らのミスで死んだんだか死にそうだか、まあ別にどうでもいいんですけど、そんなような人ですよね」
狭い部屋がよりいっそう狭く感じる。
「まあいいです。杉内さん、明日死んでもらいます。明日です」
「え、明日ってどういうことですか」
「いやだから言葉通りの意味ですが。知りすぎましたね杉内さん。死んでもらいますよ、合法的に」
すーっ。ひとつ大きく息を吸った小早川さんは続ける。
「自衛隊が絡んでる話で察したのか察しなかったのか知りませんけどね、拉致まがいのことしたっておとがめがないのはバックに国がくっついてるからなんですよ。AIの研究は国の最優先事項のひとつ。アンドロイドができれば万々歳ですから、それの成功に一番近いわが社が目をかけられるのは当然。そして、あなたは少し知りすぎた」
小早川さんはまだ笑顔だ。表情が緩い。それがまた不気味。
「では杉内さん。お話は以上です。明日あなたが死んだところで、こちらでアンドロイドを回収します。それでは」
小早川さんはそう言うと、ドアを開けた。その奥にはいつも通りの空間が広がっていたが、見える景色は違った。ソファの配置は変わっていない。その他のものも位置は変わっていない。ただ、外から入ってくる光の角度が変わっただけで、見える景色が違う。
そういえば奥の小さい部屋に夏帆は入ってこなかったな。玄関入ってすぐのところ、いつものお姉さんの横に立っていた夏帆の手を取って、家に向かった。
定刻通りに電車は滑り込んできて、定刻通りに駅に着いた。
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