第13話 幸、語る。

 場所を変えるという幸について行った先は、まさかの運株式会社だった。相変わらず詐欺団体みたいな感じだが、俺は二回も命を救ってもらってしまったので一概に否定できない。ありがとう詐欺。魔法の言葉だな。

「それはね――」

 ロビーとでも言おうか。広々とした空間にソファがたくさんおいてあるような部屋で、俺と幸は隣同士座っていた。何度も言うがここの椅子はふっかふか。

「共通点がここだからだよ」

「共通点……」

 そういうと、幸は自らの左腕を露にした。袖を肘のあたりまであげると、そこにはピンクのリストバンドが。

「……これって」

「そう。じんくんが持ってるやつと一緒。私は月百ポイント契約で、五万円を支払っている。それは前にもした話。でも、これからの話は、まだ誰にもしてない、内緒の話」

 コーヒーでも飲む? と、ここでワンクッション入れてきた幸。長丁場になりそうだ、畜生。

 俺が行ってくるよとだけ伝えて、コーヒーメーカーに近づく。あいつが砂糖いるかとかよくわからないので、とりあえずミルクとガムシロを二個ずつとって持っていく。

「ありがと」

 幸は片方を受けとると、何も加えずに飲み始めた。十秒前の俺の葛藤を返してほしいし、俺はミルクなしでは生きていけないので、何となく気恥ずかしいまである。

「話って?」

 結局背に腹は代えられず、ミルクとガムシロを普通に突っ込んで話を再開する。これくらいでないとコーヒーなんぞ飲めるか。

「知っての通り、私はここの会員としては珍しいくらいにポイントを消費しているの。まあ五万の定額に加えて状況に応じてチャージしてるから、月に…………いや、やめよう」

「そうしろ」

 高校生の口から大金が飛び出るのは嫌だからな。

「どうして、こんなものに頼ってると思う?」

「どうして…………」

 今まで通り笑顔は絶やさないが、しかしその裏に、何か大きい影のようなものが見える気がする。部屋の光の入り具合かな。

「まあ、会って何日の人の状況なんてわかんないか」

「そりゃな」

 幼なじみとはいえ、まったくもって会わない時期が三年くらいあったんだ。これで俺が幸の状況を把握してるなんてことがあったならそれはそれで問題があると思う。名前も思い出せなかったのに。

「私は田中幸。今、じんくんの前にいる私は田中幸。でも、私にはもう一人の私がいる。最初にじんくんに伝えた名前の私が」

「今永ってやつか」

「そう、今永涼羽。私は、ここでは――この会社の中にいる限り、今永涼羽」

 ブラックコーヒーを僅かにすする。そんなにちびちび飲むんなら砂糖入れろよ。

「……私は、お金ではどうにもならないことをどうにかしたくて、こんな変な会社に頼んでるの。千葉にある人工島より断然夢を買えるもの」

「…………」

 変な会社ではあるよな。普通だったら詐欺とかそういう系統の会社にしか思えないし。

「じんくんはどうしてここに来てるの?」

「どうしてと言われても……ふと見た怪しい光につられてきただけで……」

「怪しいと思ったならなぜ行ったし」

「それは思ってる」

 確かに怪しい光についていくほどカモなものはない。あのときの俺どうかしてた。

「……でも、俺はその時すごい不運だった。細かいものではあったけど、箸をもらい忘れたり掃除当番だったり。一つ一つは小さくても、溜まると嫌なものなんだよ。だからまあ結果オーライって感じかな」

「そうだね」

 やはり感情の起伏はないようだ。いや、あるにはあるが隠しているとかそういう可能性もある。つまり幸の表情は変わらずニコニコ微笑なのだ。

「まあ、そういう軽い人はいいんだけどさ」

「軽いってなんだよ」

「私はね――」

 夕方の日差しが斜めに入り込んでいる。でかい窓が俺らの座るソファーの裏にはあるが、住宅街の間からまだ太陽が見える。

 散乱したミルクとガムシロのカップとストローの袋をひとまとめに置く。相変わらず表情の変わらない幸が口を開き、ふーっ、とひとつまとまったため息を吐く。

「小学校の頃からじんくんとは仲良くしてるからじんくんには言おうと思ったの。この時期に会ったのもなんかの縁だと思うし」

「…………」

「実は…………」

 逆光。左半分の顔が完全に影に隠れてしまってよく見えない。が、右半分の目元は相変わらずきれいだ。

 だから、続く言葉は、あまりにも突然で。


「私の命は、残り一週間」


「…………は?」

 突然の告白に、返答が遅れる。

「だから、残り一週間」

 変わらず――本当に変わらずに笑顔な彼女を、俺はやはりただ見ることしかできなかった。

 一週間? 一週間?

 もはや何がなんだかわからなくなって、オーバーフロー気味の脳内でその言葉を反芻してみても、やはり答えは出てこない。

 ――私の命は、残り一週間。

「じんくんは、ここに来てアンドロイドと暮らすことになったはずだよね。試作品とかいって」

「ああ、うん……」

「それは、人間と一緒に暮らして、人と共生するということをアンドロイドに教えるの。生身の人間は何をするかわからないので、臨機応変に対応するということを教えるの」

 視線は下に向いてしまったが、口調はさっきまでとまるで変わらない。

「しかし、それは応用編。基礎編を積んできたからこそのものなの。じゃあ、その基礎とは?」

「えっと…………詰め込み学習?」

「半分正解」

 ピース。右手を俺の目の前に突きだす彼女はどういう感情なのだろう。

「では、残り半分とは?」

「…………わからん」

「正解はね…………私」

「私?」

「そう」

 ブラックコーヒーをまた一口飲む。俺も同時に甘いものを飲む。

「私は、あの娘ら……アンドロイドたちの、いわば餌なの。知識の餌。行動の餌」

「餌ってどういうことなんだよ」

 左手で右の髪を整える幸。右手でやった方がよさそうだけど。

「じゃあ、あの娘たちの得意科目教えてあげようか?」

「得意科目?」

 待て、これに関しては聞いたことあるぞ。確か奈帆が……

「――数学が一番できる。次いで国語、社会と。理科が絶望的」

「大正解。すごいね、聞いたの?」

「奈帆――アンドロイドから」

「そうなんだ……じゃあ」

 そう言って幸は足元のカバンをごそごそやり始めた。右手で一枚の紙を取り出すと、それを俺に差しだす。表とグラフが用いられたその紙には、何やら数字がちりばめられていて。

「半年前の模擬試験の成績」

 山井塾と書かれた紙の下には、各科目の偏差値が記されていた。


 ――英語53.5

 ――国語60.2

 ――数学65.8

 ――社会59.9

 ――理科43.0

 ――五科目58.1


「『数学が一番できて次いで国語、社会。理科が絶望的』でしょ?」

「…………確かに」

 奈帆の言ったその通りの成績表である。各科目の結果もだが、総合の偏差値も奈帆の言った58となっている。

「何でだと思う?」

 俺のカップは空になった。甘かったからすぐに飲み干せてしまったコーヒー。そんな間にも、幸は特に何も変わらなかった。


「私から知識を吸いとっているから」


「知識を…………吸いとる?」

「彼女らアンドロイドの基礎知識は、数多くのインターネットや文献から成り立っていた。当初は会社もそれでいいと思っていて、あとは臨床試験を繰り返せばいいも思っていた。でも、ひとつだけ足りないものがあった」

「足りない、もの?」

「そう。それは――間違えるということ」

 唐突に人が入ってきた。幸はそれを見ると一瞬ドキッとしたそぶりを見せたが、やがて平静に戻った。それが社員ではないと見てのことだろう。話してることがあれだしね。

「人間と共生するに当たって、どうやら『完璧すぎる』ことは問題であると会社は考えたらしい。彼らは究極の機械人間を作ろうとしているの。『間違えたっていいじゃないか、だって人間だもの』を、アンドロイドは達成できなかった。間違えないアンドロイドは、人間じゃない。それを問題と感じた運営は考えた――『中の上』の人間を作ろうと」

 少し、口調が変わったか。柔和な声ではなくなったのが分かる。トーンが低くなった。

「そんな時、ふとこの建物の前を通りかかった私がいた。私は確かコンビニに行こうとして、その近道だったから通ったんだけど、そこに凄く優しそうな男の人が立っていてね――」

 いわく、気づいたら両手と両足をガッチリ固定されて手術台のようなところにのせられていた、と。

「後のことはよく覚えてない。完全になすがままだったのか、記憶が消されてるのか、分からないけど、たぶんどっちか。こうして、私はこの詐欺団体みたいな会社に巻き込まれたってわけ」

 最後はまたもとの調子に戻っていた。

「以来、私は偽名を使って、髪型も変えてこの会社の会員になった。もしかしたら運が良くてこんなことなくなるのかもしれないも思って。月に百ポイントにプラス課金で元に戻ろうとした。でも、遂に時が来た」

「時? 」

「そう」

 四方を見渡す幸。人がいないのを確認したのか、こちらに向き直る。

「知識を吸いとるという運営側の行動は、私の勉強とかの知識の枠を越えて、右足を出して左足を出すと歩けるというところまでに及んできたの。吸いとる知識がなくなったのか、運営は私の、田中幸の全てを吸いとり、アンドロイドの糧にしようとした。そして――」


 ――今、私は左手が動かせない。


「…………えっ?」

 耳に届いたその言葉は、あまりにも唐突すぎて、俺の理解を苦しめた。

 ピース。

 しっかりと作られたそのサインには力が込められていた。

 でも。


「知ってる? 私はって」


「あ…………」

「こんなことになってから、私は病院に行った。二日前に。それより前にはまだ動いてた両手が、今や動かない。お医者さんも何がなんだか分からなかったみたいだけど、進行の度合いから、これだけは分かるって言ったのが――余命一週間」

 日が傾いてきた。そろそろ部屋に差し込む影も大きくなってきて、遂に、幸も、俺も、すべてが闇に飲まれてしまった。

 幸が部屋の電気をつける。

「さ、伝えたいのはこれだけ。何か質問は?」

 ふかふかのソファーに腰を下ろした俺は、電気のスイッチまでの五メートル先に立つ女の子のその堂々とした立ち振る舞いに、何も言えなかった。どうしたものか、話を聞かされた側がショックを受けてしまっているようで、情けなかった。

「…………帰ろっか」

 絞り出した言葉は、それだけ。事態を後回しにする、その一言だけ。

「うん」

 幸はこちらに歩いてくると、自らの飲んだコーヒーを律儀にゴミ箱に捨てる。俺もそれにならう。気のせいか、左足をすでに引きずっているようにも見えるが、俺はもうそれすら見ることができず、照明を落として、場を後にした。

 外は、すでに夜だった。

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