第11話 涼羽、アタック。

「おはよー」

「おう、なんか久しぶりだな」

 朝方の通学路で、同じクラスの西口に出会った。ショートカットの茶髪を揺らしながら、その影は迷いなく俺の右横に立つ。

「『久しぶりだな』って言われても、先週の金曜以来だし、普通じゃない?」

「え? あ、そっか」

 その間二回死んで、一、二週間経った気分でいるのは俺だけなのか。

「『あ、そっか』って言われてもさ、私わかんないよ? 自己完結なしでお願いしますー」

「いやそう言われても」

「杉内くんの都合は知らないよ?」

 いや知れよ。遠回しに首突っ込むなって言ってるんだろうが察しろよ。なんのための自己完結だよ。ビバ自己完結。

「……まあいっか」

「そうしてくれ」

 立ち上がる煙は二本、三本。崖の下に走る電車の走行音。それらを横目に、あるいは足元に、ただひたすら歩く………………話のネタがないってこと。別に付き合ってるわけでもないのになに喋るってんだよ。

 遅刻ギリギリの生活もここ最近はしなくなっている。といっても、暦ではこの月曜日だけなんだけど、奈帆のときにも遅刻しなかったからこれで二回目である。ノー遅刻、ノーランニング。素晴らしい。朝から体力を失う生活は嫌だったのだ。

 ご飯がおいしいアンドロイドには、この三食分で十運ポイントを支払ってきた。ご飯がうまいって大事なんだなやっぱり。前のやつに払っていたポイントが本当に惜しい。課金しなくても普通にうまい。惚れてまうやろ。

「…………なににやにやしてるのん?」

「し、してねーよ」

「してるよ。さっきから左右を交互に見回してにやけるなんてことしてたらわかるわさすがに」

「気持ち悪いな俺」

「だから言ってるでしょ」

 飯がうまいんだから仕方ない。

 さて、交差点を渡れば後は一本道である。煙が立ち上がる右横の工業地帯が朝の挨拶をしてくる。まいにち、公害。

 しかしまあ早すぎたよね。始業まで五十分はある。あれじゃないの、時間設定間違えたんじゃないの。それは困る。毎朝無駄に早く起きることになるし、そんな生活は嫌だ。ギリギリまでは寝られるからこの高校を選んだんだぞ。

「……なんか邪なことを考えてる臭いがするよ?」

「お前はほんと鋭いな」

「それほどでもー」

 他愛もない会話をしている間も、周りには誰もいない。多少の女子がいる限りだ。

 多少の女子がいる。

 ――その中に、一人知った影が。


「また会ったね」


「ん? 誰?」

 事情を知らない西口が、分かりやすく狼狽する。両手をわたわたさせているのはわざとなのか素なのか。

「今永…………さん」

「同級生なんだから呼び捨てでいいよ」

「じゃあ……い、今永」

「正解。そして不正解」

 意味深ににやける今永は、短く切った茶髪にさらっと指を通すと、

「そちらの方は?」

西口の方を見て、冷ややかに言った。

 め、めんどくせえ。いかに当たり障りのない回答をするか、ここは俺の腕がかかっている。

「クラスメイトのにしぐ――」


「彼女です」


 ものすごい警笛音が駆け抜ける。

「杉内くんの、彼女」

「は、はあ? 何言ってんのあんた」

 かろうじてそう返す。しかし。

「この前は夜まで一緒にいてくれてありがとねー。いろいろ教えてもらったもんねー」

「お前何口走ってるかわかってる⁉」

「そうなの、じんくん?」

「いやいや違う、こいつが勝手に」

「じんくん? じんくんって誰?

「杉内くんの下の名前、仁を音読みした、いわばあだ名みたいなものかな」

「だからお前なんでその名前知って」

「へ、へえー、仲いいんだ?」

「お前が彼女とか言うからそうなるんだろ⁉」

 声が上ずってんぞ。

「……ていうか今永はどうしてこっちから来てんの? お前の学校は最寄りが隣の駅のはずじゃ」

「信号故障で電車が止まっちゃって」

 このあたり――といっても真下――の線路は実はJRと並走して私鉄が走っている。俺の通う深山高校はJRだが、今永の高校――制服から察しただけだが――は、たしか私鉄を使うはずだ。たしかに私鉄が止まればこちらを通ることもあるし、現に数人歩いている。もちろん俺の高校の十分くらい先のところにあるので、この時間にいても納得だ。

「でも、おかげでじんくんと会えて良かった!」

 空から降り注ぐ日光と似た眩しい笑顔が、俺と俺の隣の西口を照らす。

 西口はなんと思ったか、

「いこ」

と一言だけ残してすたすた歩きだす。

「あ、おい、どうしたんだよ」

 後につられるように俺も追いかける。軽トラが一台横をすり抜けて、迷い猫が足元をすり抜ける。俺も今永の左横を通り抜ける。

「あのさ、じんくん」

 瞬間、今永の声が俺を引き留める。

「またね」

 海風がその茶髪を揺らす。右手をその髪に当てた今永のその指の隙間に。

「お前、それ…………」

 ネクタイが揺れる。工業地帯から吹きつける海風は途切れず、葉擦れの音が絶えず両耳に差し込む。

「ん? どうかした?」


「…………幸…………なのか?」


 カタンカタン。足元から聞こえる規則正しい音。

「…………思い出してくれたんだ」

「……小学校の時、お前がつけてたやつだろ? なんか知らないけど愛着がわいたんだか」

「ご名答」

 一度風がやんだので、このタイミングで髪を整える今永――もとい、幸。その額には、やはり、ピンクの髪止めが光る。

「何してんの?」

 後ろから西口の声がする。

「それじゃね」

「ああ、うん」

「それと――」

 カバンを持った左の腕を突き上げると、幸はさもどうでもいいかのように言った。


「――私、あと二週間なの」


「…………え? 二週間って、何が?」

「ちょっと、何やってんの?」

「私が月にいくらかのお金をつぎ込んで、あんな詐欺団体みたいなところにすがってる理由も、そこにあるの」

 詐欺団体は共通認識なようだ。すぐそこにあるけどな事務所。

「じゃね」

「え、あ、おい、ちょっと!」

 一週間って、何が一週間なんだよ。せっかくこいつが幼なじみだってわかって、それであと…………いや、いいや。これだけで彼女が背を向けたのも、「詮索されたくない」という彼女の意思なんだろう。

 すでに俺の横を通りすぎて背中を向けている幸。実は俺の真後ろには自称彼女の西口も立っていた。

「……ねえ、何があったの?」

 心配そうに、本当に心配そうに幸と、そして俺を交互に見る西口は、しかし俺の返答がないからか、うつむいてしまった。

 例えるなら春風のごとく。しかし暖かさを含まないその後ろ姿を、俺はただ見送ることしかできなかった。

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