第8話 杉内、またもや死んでみる。

「起きてくださーい、朝ですよー」

 カンカンカンカンカンカンカンカン!

「起きてくださーい!」

 カンカンカンカンカンカンカンカン!

「起きてくださ」

「ここマンションの五階だからやめて!」

 エプロンを着た奈帆さんは、フライパンとおたまをぶつけてバカでかい音を出す古典的な目覚ましになっていた。そこそこの音量が出てしまっているので気を付けていただきたいところなんだけど。怒られたくない。

 月曜の朝六時半。最高に気分の悪い時間帯である。今日から学校という倦怠感に、朝の寝起きというトッピングをのせた負の気持ちフラペチーノみたいな感じ。フラペチーノ飲んだことないけど。

「……ねむ」

「ちょっと、いつまでボヤボヤしてるんですか? そろそろ起きないと遅刻しますよー」

 台所に立っている奈帆がそう俺をけしかける。うるせえななんだよ余計なお世話だよ。

 …………台所?

「あっ、おま、料理なんてしなくていいよ!」

 絶対毒が作られてるよ。俺まだ死にたくないよ。

「だーいじょうぶです。昨日は二ポイントでしたが、今日は五ポイントですから、五ポイント分のクオリティで作りますから」

「てめえ黙ってポイント使うなって言ってるだろ⁉」

 詐欺師詐欺師!

「な、なんですか、じゃあ今日も変なもの食べたかったんですか⁉ マゾヒストさんですか⁉」

「変なものって自覚あったのかよ!」

 あと語彙力はさすがです。

「そりゃありますよ。目の前で人が私の料理食べてぶっ倒れるんですもん」

「あ、倒れてたんだ俺」

 本当に意識が飛ぶ瞬間って人間には分からないんだね。

「しかも、冷静に考えたら、唐揚げが青いってあり得ないですよね」

「常識だよ!」

 あんた知識はあっても常識はねえのな。

 南東向きのマンションの一室にも、明け方の日が差し込んでくる。日が延びてきたのか、最近は五時台には日が上っている。エアコンをつけるにはまだ早いけども暑いので窓は開けておく。

「でも、今日のは自信があります」

「そ、そう?」

「はい! もらっているポイントも増えましたから、やる気がわいてきていろんなレシピを見ました!」

「現金なやつめ」

 こいつも働いている身なのかな。まあちょっとした家政婦さんみたいなものか。そう思えば苦でもないかな。

「楽しみにしててくださいねっ」


「う、うまい……!」

「でしょでしょ⁉」

 一時間後。朝食の席についた俺を待っていたのは、普通にうまいハムエッグだった。ハムエッグはどうやったら不味くなるのかわからないが、こいつの場合何があるか分からないから怖いのだ。唐揚げに重曹を混ぜるやつだ。わからない。

「卵を焼いて、ハムを焼きました。それだけです」

「それでいいんだよ!」

 大抵料理の下手なやつは何かしらワンクッション余計なものを置いてしまい料理を台無しにしてしまうのだ。重曹もしかり。

 よく我慢した、奈帆さん!

「お弁当も作っときましたからねー」

「うん、ありがと」

 そんなことを言われても、素直にありがとうと言える。

 それくらいに信頼度はアップしてきたってことだ。

「えへへっ、どういたしまして、です」

 普通に照れている奈帆は、その表情を隠そうとでもしたのか、すんと顔を下に向ける。


 瞬間、開け放たれた窓から突風が差し込んできた。初夏のものは、少し湿っていて。

 その風は、俺と、うつむいた奈帆を通り抜けて。


 奈帆のエプロンの裾をめくり上げるには、十分だった。


 俺は、そこで衝撃を覚えた。

 人間は時に、そこにあると思っている物が当然あるというと先に認識してしまうと、そうであると思い込んでしまうのだ。


「おま……それ……」

「へっ?」


 本当に何があったか理解していない模様の奈帆だが、俺も何が起こったかわかったもんじゃない。

 先入観というものは怖いものだ。テストでも「不適切なものを選べ」とかに引っ掛かったりするのと同じ。

 でも、そのこととこれは別物だ。現代日本でこんな人初めて見たから。

「あのさ、奈帆……」

「あ、はい」

「あのさ…………」

「はい…………?」


「どうして裸エプロンなの?」


 奈帆は、裸エプロンだった。


「えっ? あっ」

「……気づいた?」

 指摘されて、初めて現在の自分の状態に気づいた奈帆。嘘だろお前。

「あ、あの……」

「どうした?」

 急に顔を赤らめた奈帆は、いつだか聞いた台詞を口にする。

「洋服、貸してください」

「うん。あのさ、運営に服用意しとけっていっとくからね」

「ありがとうございます」

 常に全裸のアンドロイドを家においておいたら精神がどうにかしそうだったし、今度あの人たちに言っておこう。可哀想だし。


 さて、今日は月曜日。普通に学校がある。だから朝も六時半なんて時間に起きたわけだし、休みならもっとだらだらしてる。

 暗澹たる気持ちを払拭して立ち上がると、奈帆にひとつ挨拶をして学校への道を進む。かれこれ四年は経過し、ついに五年目に突入した電車通学。

 遅刻ギリギリかと思いきや、今日はなかなかに早く起きたのでその心配はない。起きたというか、起こされたってことだろう。

 いつもならコンビニに寄っているのだが、今日はその必要はない。重くなった鞄を肩にかけ、駅までの道を歩く。

 工事現場のクレーンが、朝から元気に稼働している。こんな朝っぱらから出勤するのも嫌になるだろうけど、まあいいか。それが社会人ってこと。

 空にはすじ雲が延々と続いている。

 信号に差し掛かる。ここの交差点はでかいショッピングモールに繋がるので、なかなかに交通量がある。

 そして――以前俺が轢死した場所でもあって。

 ……今日はよく左右を見た。小学校で習う、左右左ってやつ。右左右だっけ。まあいいや。

 ガガガガガ。後ろの工事現場から音がする。

 信号が赤に変わる。


「ただいまー」

「あっ、おかえりなさいですー」

「えっ? ……あそっか」

 誰もいないはずの部屋から甲高い声が上がってきたので一瞬戸惑ったけど、そういえばこいつがいたのか。

 靴を脱いで居間に行くと、なんとも美味しそうな匂いと共に、エプロン姿の奈帆がやはり料理を作っていた。お母さんかよ。あとちゃんと服を着ている。

「この制服、可愛いですねー。データを参照する限りこれは『セーラー服』とやらだと思いますが、いいですねこれ」

「姉のだけどね」

「あの、前から気になってるんですけども、その、お姉さんという人はどこにいらっしゃるんですか?」

 奈帆は、極めて自然に、ただ自分の疑問を解消するために、そう訊ねてきた。

 幼少の頃の、はっきりとした別の意味を含まない、純真な。

 だから、その疑問を埋めるためだけに、答える。

「…………姉さんは…………五年前に」

「…………五年前に?」

「――修学旅行先で、天災に巻き込まれて、それっきり」

 俺は、何一つ包み隠さず、そう言った。

 五年前。修学旅行に出かけた、唯一にして無二の姉は、その出先で行方不明者となった。未だに姿――俺はもう遺体と言ってしまうが――それは見つかっておらず、形見として家に遺された腕時計を、簡易的な仏壇にのせて、数少ない姉の笑顔の写真を立てて置いてあるだけなのだ。

「そうですか…………ごめんなさい、つらい話を」

「いいんだ。慣れてるから」

「いやっ、でも」

「それに」

 夕日が、窓に見えるビルに反射して映える。間接的に入るその光が差し込む居間で、俺は奈帆と二人。

「……今日の弁当、うまかったよ」

「えっ?」

 唐突だったんだろう。奈帆はキョトンとしたまま動かない。

 それでも、続ける。

「だからさ、お前には伝えてもいいかなって。生活を共にしてる人に、隠し事ってよくないじゃん。それがたとえ三日だろうと、さ」

「…………杉内さん。それって、私がそのお姉さんの代わりってことですか?」

 奈帆は急に真面目な顔になって、そう返してきた。珍しく真面目な顔。最初家に現れたときにも見せなかった顔。

「いいんです。アンドロイドっていうのはご主人に仕えるものだ、使われるものだって習いました。それがどんな荒い使われ方でも、どんな非常識な使われ方でも」

 奈帆は自分の右手を胸のところまで持っていく。ずっと、俺の目を見て話していたが、それもうつむき加減になっていく。そんな奈帆に、俺はわずかにでも申し訳なさに似た感情があった。

「お姉さんの代わりに、またこの家庭を作るお手伝いをします。あと一日らしいですが、それでもそのお姉さんに、少しでも近づけるように――」

「違ぇよ」

「…………えっ?」

 なんだかすねたような感じになってたから、俺は奈帆にそっと近づく。機械の体からも電気のものだろうか、熱を感じる。ちょっと熱すぎるまである。大丈夫? 動画見たあとの携帯みたいになってるけど。

「な、なんですか」

「お前は……姉さんの代わりなんかじゃない。唯一無二の、新しい……なんだろうな」

 あー、こういうときにかっこいいこと言えないのがまた俺だよな。スベった感じになると辛い。

 でも、変な言葉を使わないで、ただまっすぐに伝えればいいか。

「…………大切な、人だから」

 言った後にこいつは果たして人なのかという疑問はあったが、言ってしまったので仕方ない。

「大切な……」

「そう。大切な」

「…………わ、わかりました、ありがとうございます。これからも頑張りますから、え、えーと」

 妙にあたふたしはじめた奈帆。わかりやしーな。

 さっきからこちらと目を会わせてくれないが、まあそれはそれでいいか。俺は右手を奈帆の前に差し出すと、

「あと一日よろしくな、奈帆」

「は、はいっ」

 奈帆はその手を両手で包み込むと、そう言って真っ赤な顔を笑顔で埋め尽くす。ほんと機械なのに表情豊かだよな。そういうところはほんとに人間なんじゃないかと勘違いするくらい。

 でも。

「あっ、杉内さん」

「ん?」

「すみません……そろそろ充電させてください」

「あっ、わかった。行ってこい」

 目の前の女の子は、しっかり機械だった。


「じゃあ、行ってくるね」

「はい、行ってらっしゃい」

 朝起きると、それはもう豪勢な食事が置いてあった。なんといってもこのカキフライ。カキなんていつ買ったんだよ。俺は知らないぞ。てかこれ買ったのも俺の金なんだよな。

 いやいいんだよ? うまいものが食べられるってことは大変に幸せなことだし、うまいものが食べられる世界はそう多くない。お前ら一旦イギリス行け。背に腹は代えられん。

 お陰さまで今月分のポイントは使い果たしてしまった。もう今月あと少ししかないし、使えるものは使っておかないともったいないじゃん?

 左腕の青いリストバンドには、しっかり0の文字が記載されている。ほんとにゼロ。ナッシング。月五十ポイントの生活だと他の人もアンドロイドに吸いとられてんじゃね?

「そんな生活も今日で最後かー……」

 賑やかな三日間だった。賑やかっつっても普段は部屋に一人だし、もう一人女の子が来るってだけでレアな出来事だ。

 消費期限が三日。その意味がなんなのかよく分からないが、たぶん今日中に何かあるんだろう。そういうことだと思う。

 今日も、学校への道は余裕がある。二日連続で歩いたのは久々だ。清々しい。

 普段はあまり気にしない周りの様子が目に飛び込んでくる。あれ、ここの店潰れたっけ。知らないうちに町も変わっているようだ。

 でっかいタワーマンションが建築中だ。ここの地域は近年開発が進んでいて、何本も高層ビルが建築されている。昔は家から見えたものが、まるごとビルに変わってしまった。

 新鮮なものを見るのは楽しい。田舎者とか思われる勢いでキョロキョロしながら歩いていた。

 そんなことをしていたから。


「あっ、危ないですよー!」


 そう言われるまで、そのことには気づかなくて。


「えっ?」

 声につられて上を見上げれば、そこには、黙々と落ちてくる、ひとつの工具。

 上空二十メートル付近から自由落下してくるそのスパナに似たものは、呆然と立ち尽くす俺の頭上に迫って。

 視界に火花が散る。骨という硬いものと、スパナという硬いものがぶつかり合う凄惨な音が俺のなかでこだまする。

「……っつー」

 頭頂部、恐らく一番痛いと思われるところをさする。どこが痛いとかそういう感覚も鈍ってきたけど、たぶんここ。

「……え?」

 そこをなぞった指には、ドロッとした赤いものが。

「お前、また落としたのかよ!」

「すみませーん! 拾ってきまーす!」

 上の方で何やら会話してるようだが、もはやどうでもいい。

「……おい、下に人いるぞ!」

「えっ⁉」

 あ、やっぱりなんか喋ってる……なんのことなんだろう。俺、かな……

 薄れゆく意識の中、やたらがたいのいい人たちの悲痛な声を聞いたか聞かないかのころ、俺の意識は飛んだ。

 ――ついてねー……

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