第7話 奈帆、生活する。
「んん~、この甘さ、クリーミーさ、カラメルの苦さ! くぅ~っ、たまりません!」
俺が食べたくて冷蔵庫に保存しておいたプリンを元気よく頬張るのは、昨日より我が家においでになっていらっしゃる奈帆さん。なんつーのかね、それ俺のやつなんだけども。ちょっと奮発して五百円のやつ買ったんだけども。なかなかに美味しそうだね。
「あっ、座ってくださいよ。台所に突っ立ってないで、せっかくリビングダイニングなんです。みんなで団らんとしましょうよ」
「……あんた一時間ちょい前くらいにここ来たばっかだよな」
カウンター越しにテーブルを眺めていた俺だが、すぐそこのテーブルで美味しいプリンを召し上がっている奈帆さんのその満足そうな笑顔に、しかたなしに椅子に腰を下ろした。
「わらひ、ふいんはいふきはんめす」
「飲み込んでからしゃべって?」
「はひっ、……ごく。私、プリン大好きなんです。すっごい」
「へえー……」
いま開封したばっかなのになんでこれが好きって感じるんだろう。あれかな、そうやってインプットされてるとかそういう系かな。
一人でそんなことを考えていると、奈帆が話しかけたさそうにこちらを見ていた。
「ん? どうしたんです? 食べたいんですか? しょうがないですね、ほら」
奈帆は一人でそこまで言うと、カップのプリンを一口分すくってこちらに差し出す。
「はい、どうぞ」
「えっ?」
「どうぞ、食べてください」
「いやっ、いいよ、食べなよ」
「そんな食べたさそうにしてるのに放っておけませんよ、ほら」
彼女からしたらなんということもないんだろう。スプーンの上に乗ったカスタードプリンが、俺を呼んでいる。
「で、でも、ねえ?」
「はい、あーん」
「えっ」
奈帆は思春期男子の心をしっかりとつかむと、スプーンを俺の方に差し出してきて。
「ぱくっ、うーん! おいひ」
寸前で自らの口にUターン、プリンは奈帆の胃袋(?)に吸収されてしまった。
「遊んだだろ!」
「え? なんです? 聞こえないです?」
「おま、それはひどいぜ」
「あーあー聞こえない聞こえないー」
両手で耳をパタパタさせて外の音を封じる奈帆。子供か。
「ったく……」
これ、俺怒っていいやつじゃないだろうか? 結構イラッと来るしぐさだぞこれ。
が、自然とそんな気にはなれず、もくもくと平らげられていく五百円のプリンを、俺はただ眺めるばかりだった。
「ふぃ~」
日曜日の午後。夕日が遠くのビルに反射して部屋に差し込んでくる。
色々あった昼の疲れが全身に押し寄せる。時間もいい頃だし、床に寝転がってだらだらしていると、俺のプリンを勝手に食らった奈帆さんもこちらに来て寝てしまった。腰横にはコードが繋がっているのを見ると、充電中なんだろう。
ていうかあれだよね、全員寝ちゃうとやる気なくすよね。全員っつっても俺以外こいつしかいないけど。
「……寝るかな」
フローリングの上に適当に体を放り投げ、しばらくすれば普通に寝てしまった。
「杉内さーん、起きてくださーい」
意識の奥に女の子の声が聞こえる。うるっせえな寝かせろよ俺は眠いんだよ。
みたいな自分勝手な考えを押しやり、体を起こす。なんせ人に起こされるという経験が久々だったので、なかなかに新鮮だった。そうそう、この感覚。
「はいはい起きました起きましたよっと……ん?」
刹那飛び込んできたのは、あたたかい味噌汁のだしの香りと、なにやら揚げ物をしているであろう音。
「……何してんの?」
「何って晩御飯ですよ。今日は唐揚げですよー」
台所に到着した俺を待っていたのは、どこから見つけたのだろうか青いエプロンを見にまとい、その腰まで伸びる青髪を後ろに結ってこちらを振り向く奈帆の姿。右手にはおたまを持っている。あんた右利きなのな。
なるほどね、なるほど。確かに揚げ物は久しぶりだしちょっと楽しみだ。唐揚げなんてコンビニで買う以外に食べないからほんとに楽しみだ。
「って違うだろ!」
「うわぉ!」
一人ノリツッコミで大声を出してしまったために、奈帆が大仰に驚いた。火を扱ってるから目を離さないで?
「……料理までしてくれるの?」
「しますよ。それも仕事のうちですし」
「……至れり尽くせりですね」
「おほめに預かり光栄です」
ああ言えばこう言う。
「……まあいいや、ありがと」
「はいっ、頑張りますね!」
「うん……うん?」
と、ここで唐突な違和感。目の前で広がるアットホームな空間に生ずる、確かな違和感。
それは――
「さってと、唐揚げにはやっぱり重曹とハバネロだよねー」
「おいちょっと待てコラ」
とてつもなく不穏な言葉が聞こえたので、目の前で踊るアンドロイドに取り敢えず声をかける。
「……唐揚げってなんだか知ってる?」
「は? 何言ってるんですか杉内さん。超短期詰め込み学習の成果なめないでください」
「いやなめちゃいないけど……ちなみに唐揚げってどんな料理?」
「鶏のモモ肉を衣につけて、重曹とハバネロで味付けした料理ですよね?」
「後半の攻撃力が高すぎるだろ!」
聞いたことねえわその組み合わせ! なになに、どんな味がするの? どんな味がするの⁉
「だってそれも学習するんですよ! 全国の料理番組とかサイトとかの情報を総合して、一番よいと思ったものが脳内に取り込まれるんです。その時にこのレシピが当たったんですよ!」
「メディアリテラシー!」
頭がいいのか悪いのか。
しかし作ってもらっているのは俺だし、ここであーだこーだ言うのもなんかと思って、この辺にしておく。悪いのはどう考えても運営側であって、こいつではない。そう、こいつではない……と、自らに言い聞かせる。そうでもしないとやってらんねえよ。
「じゃあ、あとで鰻と梅干しの混ぜご飯作っときますね」
「お前殺しに来てんのか!」
「し、しんでしまう……」
以前はコンビニ弁当を主食として、辛うじて生きていた杉内さんの食卓には、なんということでしょう、手作り料理の数々が。
「どうでしたかどうでしたか?」
「いやっ、うん…………唐揚げは想定してた。してたよ」
まさかの青である。青。唐揚げに青という概念が加わったので今日は唐揚げ記念日。
「そうですか、ありがとうございます!」
「いや誉めてねぇし……」
こちらの体調を気にも留めず、自らの目をキラキラと輝かせる奈帆。
「……ちなみに、味噌汁はどうやって作ったの?」
奇跡的に無事だった白米の横に、湯気の立ち上る得体の知れない液体。モザイクモザイク。
「味噌汁なんて簡単ですよ。そこにはいってるお豆腐とかワカメとかを味噌と出汁とブルーハワイを溶かしたスープで温めるだけなんですから」
「ブルーハワイ⁉」
なんだお前来て数時間で殺意が芽生えたのか?
「分かった……ご飯は俺がやるよ。このままじゃお前にも迷惑かけちゃうし、何よりお互いに命を大切にしよう」
「そうですか……そんなに殺戮性のあるものだとは思いませんでした……インターネットの情報も取捨選択が大切ですね」
そんなもん小学生で習うんだよ。
「ところで、今ので運ポイントを二ポイントほど消費しています」
「え?」
「だから、私のご奉仕もお給料をもらっているということです。ただでご飯が食べられるほど世の中甘くないって習いました」
「世知辛いな、あんたらの世界も」
「そうですよ。黙って杉内さんのポイントを消費する程度には貪欲です」
「それをこっちの世界では詐欺っていうのね」
勝手にポイントを使うとかもはや詐欺とか窃盗とかその域に達してるだろ。
「わかりましたー、次からは本人の確認をとった上でご奉仕させていただきますね」
奈帆はちょっと悔しそうに、けど申し訳なさそうにそう言うと、頭を下げた。
「そうしてくれ」
そんな奈帆の態度には俺もこれ以上責め立てることができなかったので、ここで折れておく。人造人間とは思えないほどの表情の豊かさに、ただただ感服するまでだ。振り回されているともいう。
しかし、そんなしおらしい態度の奈帆も、いつのまにか顔を変えていた。
「でも、この晩御飯での二ポイントはいただきますからね」
「お前やっぱ詐欺師だろ!」
こんなクソ不味い飯に対価なぞ払いたくない。むしろ慰謝料を要求したいね。
「大丈夫です。今は二ポイントですが、これから先もっとポイントを積んでいただければ、参照するデータ量も増えますし、美味しいご飯ができますよ」
「課金しろと⁉」
「そういうことです」
今日一の笑顔が目の前に立っていた。世の中結局金かよ。
さて、頼れない課金アイテム奈帆さんは、その後も適度に働いていた。働くというのはやはりそこに金が発生しているのであって、しかもプラスだろうとマイナスだろうと関係なく賃金は払われるのである。
たとえば。
「杉内さん、布団洗っておきますねー」
「ん…………洗う?」
「杉内さーん、柔軟剤ってどれですかー?」
「どうやったら敷布団を洗濯機に突っ込むって発想に至るの⁉」
「え? またまたー、杉内さん、布団は洗うとき洗濯機ですすぎ一回ですよ?」
「そんなこざかしいコピー聞いたことねえよ!」
はたまた。
「食器洗っときましたー」
「おお、それはありがたいよ。疲れるからね食器洗い。どうしても食洗機がないからね、自分でやらないとってこれなんの洗剤使った?」
「はい、お風呂用洗剤です」
「あんたほんとに言葉通じてんのか⁉」
「はい? 通じてますよー。私とずっと喋ってるじゃないですか。おかしくなったんですか?」
「じゃあなんで食器洗いにお風呂用洗剤使うかなあ!」
命に関わるよ。
だめだ、こんな使えないアンドロイドといたら死んでしまう……精神がすり減ってなくなってしまう……
結局布団は自分で干したし、食器は全部きれいに食器洗剤で洗って、念のため漂白までした。ここ最近で一番働いた自信ある。お給金はないけど。
「なんか無駄にポイント使ったな……」
一日が終わるころ、俺は左腕にまとわりつく青いリストバンドの数字を確認した。学割もあった上での八十ポイントは、その数を七十まで落としている。その内訳にはクソ不味い飯も含まれており、世の中の理不尽さに耐えられるか否かという瀬戸際に立たされている。
今現在スマホをいじっている彼女は、なんだか知んないけどもにやにやしている。気持ち悪いな。素直に機械っぽい顔してろよ。
「はぁ……」
なんというか、一日が早かった。家事をしていると一日が早い。まあ普段から家事はしてるんだけど、今日の場合はなかなかに一手間あったのでめんどくさかった。お風呂洗剤を落としてから皿を洗ったりしたし、そんな感じでいつもの倍時間がかかった。
「……ふふ」
右の口角を上げて笑いだす奈帆。お前のせいだぞ。
てかあんたもスマホ持たされてんだな。アンドロイドがアンドロイド使ってると思うとわけわかんなくなる。
外の空気が部屋に流れ込んでくる。五月独特の、湿ったわけでも乾いたわけでもない、温かくもなく冷たくもない風が部屋に入る。
「……あと二日か」
消費期限、三日。その言葉は、文字通りの期限を表すもので。
でも。
「ちょっと杉内さん、これ見てください!」
「んー?」
こんな、迷惑ばかりの無能なやつでも、不思議と嫌にならない。むしろ、そんな生活が楽しくて。
昨日まで一人で過ごしていたこの部屋が、全く別の何かに見える。
嬉々として画面を見せてくる奈帆の右手には、インターネットのレシピサイトが映っていた。なんだよ、何だかんだ悔しかったのかよ。無課金でも一定のクオリティで頼みますよ。
それは、ハンバーグのレシピ。どこにでもある、普通のハンバーグ。
「このハンバーグ、コーヒーかけたら美味しそうですよね⁉」
「お前頭おかしいんじゃねえの?」
普通のハンバーグは普通でいさせてほしい。普通最高。
「えー……いいと思ったんだけどな」
勘違いだからそれ早く忘れて?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます