第4話 杉内、いっぺん死んでみる。
生暖かい昼下がり、俺はなんと思ったか日曜に外出を試みていた。なんと思ったかというよりは、新しく出た音ゲーをやりたかったからというか、つまるところ朝の十時からゲーセンにいきたかったのである。
誰もいない家を一人で出て、鍵を閉める。ここ最近腕にまとわりつき始めた青いリストバンドもしっかりといらっしゃる。
「行ってきます」
返る言葉はない。
さて、朝の十時とはいえども、早朝なことは早朝である。俺にとって日曜日は十一時からなのだよ。
何が言いたいのかというと、朝早く起きて身支度を済ませるまでに時間を浪費してしまったのだということ。
やばい、開店二十分前には少なくともあそこについてないと……
ゲーセンまでの約二キロ、帰宅部全力ダッシュを余儀なくされた。現在九時半。
大丈夫、遅刻ギリギリの時はたいてい間に合ってきた。家から駅までのダッシュは完走できる。途中コンビニに寄っても間に合う。あれ? これコンビニ寄んなかったら走んなくっていいんじゃね? 今度試してみよ。
国道の信号が青になった瞬間、スタートを切る。カバンは軽くしてきた。数学は他から借りる。
靴ひもを結ぶ時間などない。自由に、縦横に振り回される靴ひもには目もくれず走り続ける。これだからひも靴は嫌いなんだ。でも革靴だと朝走れなくてやだ。わがままだな俺。
慣れ親しんだ通学路を走る。中学生のときから使ってるから、今年で五年目の道だ。
どうしたものかな、今日は青信号に守られている。そろそろ走らなくてもいいかな、疲れた。
ゲーセンは最寄り駅に隣接するショッピングモールの四階にある。なんというか、そういうとこのゲーセンってほんわかしたイメージあるけど、奥にいけばガチの方々はいらっしゃるからね。またしかもその辺のゲーセンより機種が豊富だったりする。だから休日にわざわざ行く程度には愛用している。
目の前の信号はまた青だ。今日はほんとに赤信号に捕まらない。何でだろうね。今日はついてる。
――人は、自分の立場が他より上になったり、テンションが上がったりすると、調子に乗ったり、自分を過信してしまう。
そうなってしまうと、もはや自分で自制は効かない。突っ走って、とりかえしのつかない失敗をして、そして反省して、また調子に乗る。その繰り返し。人間は失敗から学ぶ動物とか言われるけど、この点はなんとも言えない。
つまるところ、青信号に救われた俺は、調子に乗っていた。
信号が赤に変わる。人の往来は車の往来に置き換わる。
俺は、それには目もくれず。
交通量の多い道路には、やはりたくさんの車がいて。
一斉に吹き荒れるエンジン音。周囲の視線。白と黒。
俺は、そのどれにさえも気がつかなくて。
走り続ける俺の右、一台の車。
――しまった。
気づいたときには遅かった。
流転する思考の中、結論を見いだせぬまま、延々と流れるブレーキ痕が俺に向かって伸びる。
物凄い衝撃音が、俺の耳に届くまでの二秒。事態を理解した人がこちらに走るまでの五秒。
そして、意識が飛んだ。
「…………ま…………お客様?」
「んぁ?」
気がつくと、俺はふっかふかの椅子に座らされていた。目の前にはショートカットの若いお姉さんがいる。
「運ポイントのご契約でよろしいですか?」
「…………はい?」
お姉さんは、なんでもない表情で言った。
「運ポイントの契約でよろしいですか?」
「いやっ……契約って?」
「えっ? 先ほどあの人に言いませんでしたか、『契約する』って」
「いや先ほどって……大分前です」
「それは……個人の尺度ですよね」
知らねえよ。
「ではご契約プランを……」
「いやいや、契約してますけど」
「……何言ってるんですか? さっき入ってきたばっかですよね?」
キッと視線を尖らせるお姉さん。こわ。
「でもほら、ここにリストバンドも」
「さっき『彼女ほしい!』って叫んだときからついてますけど」
「あんた結構傷えぐるな!」
淡々とそういうこと言うの悪い癖だと思います!
「ご契約でしたら、こちらにお名前とご住所、電話番号、メールアドレスをお書きください」
わりとしっかりした契約をさせられている。また。
「あの、ほんとにもう契約してあるんですけど……」
もう何度めになるかわからないこのセリフ。どうせ流されるのだろうとは思ったが、今回は違った。
「お客様――死にました?」
お姉さんは、さも当然かのように、マニュアル通りだと言わんばかりに、そう言った。
「はい……死にました、けど」
「あ、そういうことか」
ぽん、と拳を手のひらに打ち付けて動作通り合点がいったらしいお姉さんは、パソコンに向かった。
「あー、確かに使われてますね」
「使われてる?」
「はい。このパソコン、そのリストバンドをつけたまま死んだ人を自動的に記録するんです。この場合だと、確かにあなた、五月二十三日、九時四十分に亡くなってますね。場所的に……事故ですか?」
「そんなところまでわかるんですか?」
「そうですね、死亡時刻、場所まではわかります。そこから推定はして、こんな路上で死んでたら事故ですよねー」
くすくすっ。笑みが漏れている。おい人が死んでんだぞ。何だその態度は。
「説明しますね」
お姉さんはいつものお仕事の表情になった。キリッとしてる。さっきまで人の死因笑ってたくせに。
「ここは、いわばセーブポイントなんです」
「セーブポイント?」
久々に聞いたなその単語。
「お客様がここに来ると、会員カードが入り口のセンサーに反応します。すると、何時何分にここに来たか、カードに記録されます。その結果はリストバンドに反映され、万が一お客様が不慮の事故に遭われたとき、ここからもう一度やり直すことができるんです。まあ一度これ使っちゃうとここを抜けられなくなっちゃうんですけどね」
お姉さんは前髪を整えると、俺にリストバントの数字を確認するように指示した。
「今、運ポイントはゼロです。なぜだと思いますか?」
「えっ? 使ったからですよね?」
多分、時を巻き戻すという、その作業自体は不可視だ。つまりこれは運ポイントを消費した物になっているはず。
「残念、違います」
が、予想に反してお姉さんは首を振った。
「実際に、お客様が事故に遭ったときは使用されていますが、それは五月二十三日の話です。今日は何日ですか?」
「えっ……二十日ですか?」
確かここに来たのは二十日だ。俺の出席番号と一緒だからね。だから指名されたんだ。
「二十日、ここで契約する前にあなたは戻っています。実際のあなたの記憶で言えば、『彼女欲しい』と言って爆死したあと、こちらの席に移動して契約するタイミングです……ふぶっ。あ、ごめんなさい。ちょっと思い出し笑いを」
「あんた自由だな」
客前で笑うとかどういう神経してんだよ。
「二十日のこのタイミング、あなたには何ポイントが付与されていますか?」
「え? 八十……あ、契約する前だからゼロか」
「正解です。よく考えれば当たり前でしょ?」
悔しいが反論はできない。
「ちなみに、月々は八十ポイント契約っぽいですが、ループしたときに運ポイントを七十五ポイント消費してます。よかったですね。その前には七十八ポイント残ってましたから」
「あ、ポイント使ってることには使ってるんですね」
「ですよ」
あぶねえ、これたまたま使い始めたばっかだったからよかったけど、月末とかだったら終わってたんじゃ。あれ。
「これって、ポイント足らなかったらどうなるんですか?」
「はい、死にますよ」
お姉さんはさらっと受け流した。
「だからよかったですよね、契約したばっかで」
ほんとよかった。神様ありがとうマジリスペクト。
「つまり、あなたは最後にここに来たとき、契約する前だった。ですから――」
お姉さんはそこで言葉を区切る。喧騒が耳に入る。
「今から、契約を最初からやり直します」
「は? いや、いいですよ。もうわかってますし。五十ポイント、学割で」
「ごめんなさい、社会って冷徹なんです」
多分今日イチの笑顔でそういったお姉さんは続ける。
「あなたは二回目かもしれませんが、私は一回目なんですよ。私があなたに会うのも、一回目。つまり」
まだお姉さんは笑みを絶やさない。
「色々言ってないこともあったら困るんで、もう一回かもしれませんが、全部言いますね」
「えー、全部聞くんですか?」
「はい、頑張ってください」
笑顔が眩しいね。
「まず、月々の運ポイントなんですが、こちらは三十、五十、百とご用意させていただいて――」
また三十分くらいに渡って話を聞きました。ついてねー。
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