第2話 杉内、巻き込まれる。

 それは、ただの公民館だった。

 ただ言うならば、少し暖かみの増した電気と、建物の中にいる人々の表情が、いたく似通っていた。

 外からでは分からなかったが、中にはたくさんの人がいた。たくさん、というのは、考えるのも厭になるような数というわけではなく、予想外に人がいたとか、そういう意味での、たくさん。

 周囲には話し声が飛び交う。

 入り口は自動ドアになっていたが、中に入るまでその内装はわからない。コンビニみたいに全面ガラス張りとかそういう作りではなく、むしろ重厚感に溢れた冷たい壁が外との隔たりになっているものなので、いったんは勇気を出さないとどんな空間になっているのかが分からないのだ。

 そして、その玄関を越えた先、広大なスペースには、観葉植物が二鉢、そこそこの大きさのやつが置いてあった。集会場みたいな感じ。

 第三次産業の企業だということはわかる。そこにいる人々は農家でもなければ工場員でもない。客と人。

「お客様、カードはお持ちですか?」

 と、後ろから声を掛けられた。

「カード?」

「はい、こちらでは会員カードをお持ちのかたにのみサービスを提供しているのですが、お客様、初めてのご来店ですか?」

「はい、そうですね」

「でしたら会員登録をいたしますので、こちらにいらっしゃってください」

「いやいや会員登録って、俺まだここがどういうところか知らないんですけど」

「でしたら、ご説明いたしますので、カウンターの方までお越しください」

 三十も行っていないはずのお姉さんに言いくるめられて、俺はなんか知んないが会員登録の流れに乗ってしまった。

 ここで、ひとつの予測がよぎる。


 ――詐欺か?


 こういうの絶対詐欺の手口じゃん。ほら、初対面の人を事務所に連れ込んで高額商品を買わせるとか、よくあるやつじゃん。

 しまった。ここは一旦引き下がらなくては。

「ごめんなさい、今日ちょっと用事あって」

「大丈夫ですよ、会員登録、年会費ともにゼロです」

 あんたいったい何回詐欺と間違われてきたんだ。

「……じゃあ、話だけ聞こうかな」

「ありがとうございます。こちらにお掛けください」

 そう言って、お姉さんは俺をふっかふかの椅子に座らせた。


「では、先に弊社の提供するサービスをご説明します」

 ずらりとならんだ行列とはまた別の、ひとつかふたつ隣のカウンターで、俺とお姉さんは対峙していた。いまだに何となく疑いは晴れないが、これだけの利用者がいるからにはさほど詐欺とかそういうんではないのだろう。もしそうだとしたら安心と信頼の詐欺師ってことかな。言い得て妙。

「こちらは、運株式会社といいます」

 ネーミングセンスどうにかしろ。

「わが社は、お客様の『運』を、ポイントとして可視化し、また貯蔵、使用など様々な方法で皆様の運を更に快適なものにします」

「ちょっと何言ってるか分からない」

「そんなところだと思いました」

 バカにしてんのか。

「具体例を出しましょう。お客様、携帯電話はお持ちですか?」

「ええ、持ってますけど」

「なるほど、手っ取り早いです」

 言い方気を付けろー。

「お客様、月々の通信容量はいくつですか?」

「五ギガです」

「では、お客様は毎月五ギガずつ通信できると」

「そうですね」

「それです」

 お姉さんは丁寧に手入れをしたはずの黒髪を右手でかきあげると、口を開く。


「私たちは、お客様に毎月一定量の運ポイントを差し上げています。その運ポイントは様々な不可視の現象にお使いいただけます」


「……は?」

 何言ってんだこの人。

「では、ご契約の方に進みますが」

「いやちょっと待った待った!」

 やっぱ詐欺師だろあんたら。このスピードで契約を押し込むとか詐欺師だろ!

「お客様、落ち着いてください。悪いようにはしません」

 お姉さんは一切動じずに俺をたしなめると、そのまま着席を促した。

「なら、ちょっと試してみます?」

 長髪の彼女は、そう言って挑発してきた。長髪だけに。……ついてねー。

「やります」

「じゃあこちらを着けていただいて」

 そう言って手渡されたのは、青いリストバンド。モコモコしてて微妙に暖かい。そこには赤いボタンと画面がある。

「今から五運ポイントを与えます。不可視の願いをひとつ考えておいてください」

「ちょっ、ちょっと待ってください。不可視の願いって、どういうことですか?」

「そうですね、例えば、好きなあの子に振り向いてもらいたいとか、この試合に勝ちたいとか。要するに見えない願い事です。例えばゲーム機がほしいとかは、その結果がゲームとなって現れます。しかし、好きなあの子が振り向くというのは、感情を操作するものです。感情――つまり、不可視のものです。それを操作できるのが運ポイントです」

 よく分からないが、とりあえずこれを着けてみよう。

「赤いボタンを押してください。画面に時間が表示されます。その間に願いを吹き込んでください」

 正直意味が分からないが、やってみないのも損した感じなので、やってみる。

 カチッ


「彼女がほしい!」


 ……しーん。

「ふざけんな!」

「ごめんなさい、もうちょっと安いのにしてください。彼女がほしいは高額なので」

「ふざけんな!」

 あーもう恥ずかしい! みんなこっち見てるし。やめて! もう杉内のライフはゼロよ!

「なら、願ってください」

「へっ?」

 カウンター越し、冷ややかにこちらを見据えるお姉さん。


「皆さんに、今の出来事を忘れてもらいましょう」


「……忘れてもらう? あっ、そういうことか!」

 これが不可視の願いを操作するもの。記憶、それは不可視の現象。


「みんな、忘れろ!」


 キラーーン!

 ……とかは特になかった。

「ふざけんな!」

「お客様、どうなさいました?」

「なんもねぇじゃねえか!」

 ないぞ、なんかこう、少年なんとかみたいな、爆発的なエフェクトが! 何もすごいことした実感がない!

「ごめんなさい、わが社の製品では、なんとかジャンプみたいにド派手かつかっこいいエフェクトはありません」

「自覚あったのかよ」

「ええ、何度も言われましたし」

 なら改善してくれませんかねぇ。

「ですが、周りをご覧ください」

 お姉さんは、周囲に手を向ける。そこには、今までと変わらない、たくさんの人々が。

 と。

「皆さん!」

 唐突に声が響いた。

「ここにいる人、さっきなんかしてましたか?」

「ふざけんな!」

 ぶり返さないで! 俺のライフはもうゼロなのに。

 笑われる……笑われる……

 しかし、帰ってきた反応は、中々に想定外だった。

「……え、なんかあったっけ?」「いや? 特になくない?」「知らないでーす」

「え?」

 大勢の困惑がこちらに伝わってくる。

「お客様、これが運ポイントです。お客様は今五運ポイントを使って、ここにいる全員の記憶を消去しました。対象の記憶だけですけど。先程のリストバンドをご確認ください」

 もはや声もでない。言われるがままに左腕を見ると、そこには「残り、0」と書かれている。

「使用後はこちらに残量が表示されます。契約した暁には、毎月一日に一定量の運ポイントを差し上げています」

 マニュアル通りなのか、つらつらとお姉さんは語り続ける。

「ここまで使用方法と効果をご説明いたしました。ご契約なさいますか?」

 彼女はここで初めて、俺に考える猶予を与えた。天井の明かりは、暖かくこちらを照らしてくる。

 こんだけ使えるんだったら、俺の不運もどうにかなるかもしれない。ありがたい。

「お願いします」

「ではこちらへお並びください」

 そう言ってお姉さんは、延々と続く長蛇の列の奥、また別のカウンターを示した。いくつカウンターあんだよ。

「担当者変わりますのでお願いします。あと、身分証の提示を求めますが大丈夫ですか? 学生証で結構ですから」

「あ、はい、大丈夫です」

 俺はそれだけ言うと、奥に歩きだした。


 十人か二十人か、もしくはそれ以上か。考えるのも億劫になるくらいの人がそこに並んでいた。が、俺がいるのはそこではない。

 「新規ご加入」と書かれたカウンターには、これまた若いお姉さんがいた。今度はショートカット。そしてこれまた椅子ふっかふか。

「運ポイントのご契約でよろしいですか?」

「はい」

「でしたら、こちらにお名前とご住所、電話番号、メールアドレスをお書きください」

 わりとしっかりした契約をさせられている。安心と信頼の詐欺師説は俺のなかで半分消えてきているが、客観的に見ればそうとらえられるかもしれない。

 しかし、俺は、その効果を確認してしまった。「幸運を呼び寄せる水」とかそういうんではなく、マジのやつ。

「はい、いいです」

 要求された個人情報をすべて書いて渡す。お姉さんは一瞬驚いたような表情になったが、またすぐにもとの顔に戻った。営業スマイルキラーン。

「でしたらご契約のプランを決めますのでこちらをご覧ください」

 なんか携帯を契約しているみたいだ。

 お姉さんはそのきれいな指先を、卓上に貼られた一覧表に置く。

「まず、月々の運ポイントなんですが、こちらは三十、五十、百とご用意させていただいてます。少なければ少ないほど、お客様への負担は小さくなります」

「お客様への負担って?」

「そうですね、具体的に言えば、三十運ポイントの方にはその運ポイントの使用状況をこちらが確認できるようになってます。例えば、お客様が『もっとサッカーが上手くなりたい』と願った場合、こちらもそれが把握できます」

 色々筒抜けってことね。

「五十運ポイントの方には、こちらが開発したアンドロイドと暮らしていただきます」

「アンドロイド?」

「はい。弊社は先月、人工知能の開発に成功しました。今回、お客様にはそれを搭載したアンドロイドと生活をしてもらい、こちらの情報収集の手助けを行ってもらいます」

「実験材料ってことですか」

「まあそういうことです」

 あんた言っちゃったな。

「そして百運ポイントの方には月に五万円ほど払っていただいています」

「ついに課金システムですか」

「ですね。まあこれを選ぶ人は滅多にいません。お客様は学生さんですし、この辺は仕方ないかと」

 やけにこちらのことを考えてくれている。確かに俺に月五万の支出は無理だ。でもこういう店って金払わせに来るもんじゃないの? 優しいのかな。

「五十運ポイントで」

「わかりました……あっ、学生さんですね。でしたら今は学割期間中ですので月々三十運ポイントのプレゼントを行っております」

「携帯会社みたいですねほんとに」

 最近よくテレビで見んぞ。学割学割って。ありがたい。

「じゃあそれで」

「それと――」

 お姉さんは矢継ぎ早に続ける。


「ご家族様は同時加入ですか? 今ならご家族様同時加入で百運ポイントを差し上げています」


「家族、か」

「どうかしました?」

 突然声が変わった俺に若干焦ったのか、店員が訊いてくる。その辺あなたも人間ですね。

「ごめんなさい、家族、いなくって」

「一人もですか?」

「はい。両親が十五年前、姉が五年前に」

「そうですか、ご愁傷さまです。何も知らずに、失礼しました」

「いえ、いいんです。慣れましたから」

 小学校のとき、「親の顔が見てみたいわ、いないけど!」と高笑いされたのをきっかけに、俺は家族がいないことに対して特別な感情を抱くことはなくなった。その親の顔が見てみたいわ発言は瞬く間に母親の間に知れ渡って、すぐにその母親は叩かれてしまったが、どうでもよかった。「つらかったでしょ?」と慰めにきた誰かの母親に、「別に」とかなんとか言ってそっぽを向いたことはよく覚えている。その頃から俺はいろんな意味で有名人だ。

「では、利用規約をお読みください」

 お姉さんは元の調子に戻ると、利用規約を差し出してきた。俺はそこにざっと目を通すと、「はい」と合図を出して契約を完了させた。

「以上で契約を終了します。五十運ポイント、学割でよろしいですか?」

「はい」

「でしたら、以下よりアンドロイドをお選びください」

「選ぶほどあるんですか?」

「はい、五人いるのでどれでも」

 ペラッ、と一枚のカタログみたいなものを渡された俺は、その五体を眺める。

「好きな食べ物とか書いてあるんですけど、人間の食べ物食べるんですか?」

「なまもの以外は食べます。別に与えなくても充電式なのでいいんですが、結婚できないアラサーの方々や、一人になったご老人がリアリティーのために与えているケースはあります。排泄とかは特になく、自分ですべて分解、吸収して電力に変えてしまいますから」

「なかなかすごいな」

「ありがとうございます」

 営業スマイル。まぶしー。

「へえー……いろんな種類がありますね」

 髪型、性格、胸のサイズ、身長等たくさんの種類がある。言ってなかったがここには女性のアンドロイドしかいない。

「……ん?」

 と、ここで一体のアンドロイドに目が止まる。N―0というアンドロイド。黒髪のロングで、眼鏡をかけている。どこか親近感のわくその容姿に、俺は見とれていた。

「じゃあ、この子で」

「はい、わかりました。奈帆ちゃんですね」

「奈帆ちゃん?」

「あ、はい、弊社で勝手につけたニックネームです。型番で呼ぶより親近感わくと思いません?」

「まあ、たしかに……」

 N―0と奈帆。明らかに後者だ。呼びやすい。

「では、明後日にお届けしますので、箱を開封したら説明書をよく読んでお使いになってください」

「あ、はい、わかりました」

 お姉さんはまたもや営業スマイルを見せる。


「ご契約、ありがとうございました」

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