4.恩師の背
夜の静寂を掻き乱すような雨の中、怪我をした少年を背負って走る老人がいた。
しかし、彼らが雨水に濡れることはない、例え濡れても、雫が飛んでいってしまう程の速さで移動しているからだ。
そう、彼はただの老人ではない。 吸血鬼の森2代目村長『メレク』、それが彼の名である。
風を切り、草原を、森の木々を走り抜け、その奥でにある温かな光が浮かぶ薄暗い村へと辿り着いた。
「おかえりメレク。 資材の調達お疲れ様」
自分の部屋へ向かおうとしたところ、売店の親仁に話しかけられた。
二人は昔からの仲で、他の住民より比較的親しげに話すことが多い。
「おう、ちょいと急用ができたから、採ってきた物はあいつに渡しといてくれ」
「そうか、ん? お前が背負ってるのって、人間の子じゃないか?」
やはり気づかれてしまった。 できればすぐに自室に運んで休ませてやりたかったんだが...。
「...そうだ。 雨の中渓谷で倒れていて、助けてもらえそうになかった」
「おいおい、この前も同じような理由で子猫拾ってきたじゃねぇか」
親仁が飽きれた表情で言った。
「生きようとしている命を助けて何が悪い。 それに、これからどうするかは、この子に聞いてからにする」
メレクは少し怒りを込めて言い放ち、急いで自分の屋敷へと向かった。
「全く...少しは自分の心配もしろよ...」
背後に遠ざかっていく売店の親仁が、溜息混じりにそう言ったように聞こえた。
数日後、吸血鬼の治療により大分傷が治りかけた少年は、村長メレクの部屋で、寝かされていた。
「一応手当したはずなんだが、なかなか目覚めんなぁ...。 やはり魔女に診てもらった方が良かったか...」
心配と不安で頭をいっぱいにしながら、机に座って医学の本を読みなおしていた。
吸血鬼の医学は人間より遥かに進歩しているが、魔術に長けた者の治療の方が治りも早く、確実である。
とはいえ、仮にも長命な吸血鬼達のボス。 彼なりに最善を尽くした成果もあり、少年の傷は外見的には既に完治と言えた。
「...ねぇ、そこのおじさん」
背後から寝ぼけた少年の声が聞こえ、咄嗟にメレクは振り向いた
「おお...! やっと目が覚めたか!」
治療が成功していたことに安堵し、喜びを交えた声を上げる。
「ここは...どこ? おじさんは誰?」
久々に目の前に広がった世界の変化に、状況が呑み込めず、当然の質問を投げかけた。
メレクは一瞬どう説明しようか迷ったが、ここで少年に嘘をついて騙しとおすにはかなり無理があると判断し、ありのままのことを話すことにした。
「...お前には信じがたいことじゃろうが、ここは深い森の中にある、吸血鬼や魔女の住む村なんじゃ」
自室の窓から見える村の様子を見せながら、少年に説明した。
「そして、わしはこの村の二代目村長、メレクじゃ。 ...これで分かってもらえるかのう?」
黒いトレンチコートにブロンドの立派な髭を貯えていたりと、村長としての威厳は十分にある。
だが、目覚めて早々こんなことを言っても、相当無邪気か幼い子供でない限り信じないような事だ。
しかし、少年は特に驚いたり疑ったりする様子もなく答えた。
「うん。 おじさんの言ってること、信じるよ。 だって、僕がおじさんに背負われてる時、すごい速さで運ばれてるのが分かったから」
なんて利口で大人びた子なんだろうかと、不安げに答えを待っていたメレクは感動した。
「おお...物わかりの良い子で助かったよ...」
こちらの自己紹介は済んだものの、少年に関することは何一つ分かっていない。
「とりあえず、君の名前と、ここに来る前のことを教えてくれんか?」
「僕の名前はナイト。 ここに来る前は確か、雨の中を走ってて...走って、て....」
ナイトは途中で下を向いて、思い出しながら話していたが、言葉が詰まってしまった。
「ん? 何故走ってたんだ?」
身元を知るための手掛かりになるかもしれないので、追及することにした。
しかし少年は相変わらず困った様子で続ける。
「はっきりと思い出せない...。 でも、誰か大切な人と、何かに向かっていた気がする...」
俯いて自分の言葉に自身を無くしていく少年の様子を見て、メレクも頭を抱える。
「うーむこれは困った...。 ちょいと打ち所が悪かったようじゃな...」
分かったのは名前だけで、それ以上の手かがりは望めそうになかった。
「関係のある人が分からないとなると、どこに返したら良いのか...」
結局二人とも考え込んでしまったまま、しばらくの沈黙が続いた。
「おい、メレク。 子供の様子はどうだ?」
突然、ドアをノックしながら叫ぶ売店の親仁の声が聞こえた。
この悩みと沈黙の渦から抜け出したいという思いもあってか、すぐに扉の向こうへ行った。
「なるほど...そんな状態じゃあ帰そうにも帰せんなぁ...」
メレクが少年の状態と事情を話すと、さすがの頑固親仁も困った様子だった。
「...もう正体も知られてしまったことだし、せめて、自立する年になるまでここで育ててはどうじゃろうか?」
酷い提案だとはお互いに分かっていたが、500歳過ぎの老人二人が知恵を絞った所で、それ以上の妥協案は思いつかなかった。
「...仕方ない。 お前が拾ってきた命だ。 自分で責任とれよ。 俺らもできるだけ協力するからよ」
人間に一切関わったことのない親仁は、まるで捨て犬を拾ってきた子供の親のように言った。
しかし、これも彼なりの誠意なのだろう。
メレクは村民の協力も得て、ナイトにできる限りのことをして、育てることにした。
「有難う爺ちゃん! 爺ちゃんの教え方すごい解りやすいよ!」
しばらくすると、ナイトはメレクのことをそう呼ぶようになり、まるで本当に祖父と孫のように見えた。
いくら老人といっても、何百年もの人生を刻んできたメレクが教える勉強は、人里の教師より遥かに上手く、説得力も並みではなかった。 おかげで、ただでさえ物わかりの早いナイトは、ほんの数年で外の成人顔負けの知識を身に着けていた。
といっても、大量の本に囲まれた部屋で、特に森の外に行く用もない環境となると、そうなっていくのも当然なのだが。
ナイトはよく村の中にも顔を出し、その利口さが好かれたのか、ノリ気でなかった住民ともすぐに打ち解けた。
そうして、住民達の持つ人間への敵対意識も、時とともに薄れていった。
少なくとも、その穏やかな日常はしばらく続いた。
-あの惨劇が起こるまでは-
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