第2話
部屋がピシピシと高い声を上げる。音の中心は部屋の中か外か。
そもそも音の原因はなんなのだろうか。
そんなことも一切気にならないような顔をしている彼女――いや、実際に本に夢中で周りの音が拾えていないのだが――
今も部屋は決して小さくはない音が転がっている。けれど日和の意識は本以外にはなく、周りの音などあってないようなものだった。
部屋の端にシングルベッドが置いてあり、その布団の中が日和の常の定位置だ。 12月初旬。さすがに厳しくなった寒さを耐えるには一番お金がかからず、そして居心地も良い。
炬燵があればよかったのだろうが、冬が終われば片づけなければならなくなるし、その分の場所も必要になる。
それにあまり広いとは言えないこの部屋に炬燵を備え付けることが、日和には分不相応な気すらしていた。
引っ越しから約二ヵ月。あまり部屋の装いは変わらず、多少の生活感は出てきているものの殺風景な印象のあるこの部屋に、日和はとっくに馴染み根をはっている。
特に違和感も不気味さも恐怖も感じたこともなく、日和はこの部屋に与えられた『いわくつき』の噂もほとんど忘れていた。
近所の好奇心と同情のこもった目にも気が付けるはずのない日和の生活は順調そのものだ。と、日和は思っている。
――七瀬 日和。高校1年、帰宅部。成績は上の下。
真っ黒な髪は腰まで伸び、多少のウェーブを描いている。日にあまり焼けていない白い肌はなんの荒れもない。頬には薄く紅が落ちていて、ニキビの一つも見せない彼女の肌の綺麗さを如実に表している。
くっきりとした二重は目じりまでのび、形の良いパーツがバランスよく集まった彼女の顔は間違いなく美しく、人目を惹くことのできる日和は紛れもない「美少女」のそれだ。
ただ、日和は音に鈍い。気配に鈍い。物事に鈍い。
察しが悪いわけではないし、決して頭が悪い訳でもないのだ。
日和を見て多くの人は美しいと思うだろう。しかし、残念ながら彼女は自分のそういった長所を生かせる人間ではなかった。
要領の良い人間にはなれなかった日和の趣味は十人並みの読書で、友人の居ない彼女の話し相手はぬいぐるみくらいのものである。人の輪の中に上手く入れない彼女にとって、家は愛すべき居心地の良い場所だ。
だからたとえ彼女がその美しさを布団に押し込め、むさぼるような読書をしていて、いっそ青春を棒に振るような毎日を過ごしていても、日和はこの日常幸せを感じていた。
ふ、と。日和の意識が本から戻ってくる。
ザザザ、と耳障りな音に気が付き、音の方向を見ればテレビが点いている。
今の時間はまだ夕方くらいなもので、新しいテレビは引っ越しの際に業者の人がとり付けてくれた真新しいものだ。チャンネルも設定も最後に見た時から変えた覚えもない。なのに、テレビは耳障りな砂嵐を見せつけてくる。
多くの違和感を感じさせるそれを日和は一瞥し、
「点けたっけ? ……うん、点けたような気がする 」
点けてない。
だが日和は本気で納得した。砂嵐? そんなこともあるよね! きっとそのうち直るよ!
布団にくるまり、本から全く顔を上げない人間が(その上日和はあまりテレビを見ない)わざわざテレビを点けるわけもなかった。
しかし、日和の考え方では――点いてるなら点いてる。なら点けたんだろう。それに尽きた。
日和が一言を発してから、部屋の音が一層ひどくなる。部屋も、気のせいでなければ揺れている。ピシピシという多少控えめだったであろう音が今となってはビシビシビシッ! と家が悲鳴を上げるような音になっていた。
その音にはさすがに気が付いた日和だったのだが、彼女は音のする方向もよく解らなかったし、音の原因について特に何も考えなかったので(上の階の人かな? くらいのものである)。
「眠くなってきた……おやすみ、かーくん」
砂嵐のテレビを消して、ぬいぐるみを一撫でして、電気を消して、寝た。
彼女が眠る宣言をして、部屋の音はビシィッ!! と最大の音ではないのかという音を立てたが、日和は眠たげな目を一瞬そちらに向けて、何も無かったので寝た。
それ以降、日和は部屋に転がる音は全く気にならず、また起こされるということもなく夜までたっぷり3時間寝た。
『何か』が怒るように日和の肩に触れていたが、それは日和の感知する所ではなかった。弱い力では寝ている彼女が理解するには至らない。
「う、ん……」
もぞり、と日和が布団の中で動き出す。それに待ってましたとばかりに家の音が増えた。まるで日和が起きてきたことを喜ぶかのような反応になっていることに『何か』は気付いていない。
「おはよ、かーくん」
寝ぼけたような声を出す日和は寝返りをうって布団の中で長く豊かな髪をかき上げ、手に付けていたゴムで一つにまとめる。
ゆったりとした動きで布団から出れば、肌寒く冬の空気が日和の体を刺した。
「さむい!」
日和は布団に戻った。寒かった分を布団の中で消そうと布団を体をつかってかき集める。温まった布団の中は居心地が良すぎる。
幾度か体を震わせればやっと心が落ち着く。ダメだ外は寒い。
暖房を付ければいいのだが、冷房はともかく暖房はあまり使ったことがないためその実力に懐疑的になっている日和には思いつきもしなかった。
しかし寒いからと言っていても、いつかは布団から出なければならないのだ。風呂にしても食事にしても、このまま自動的に用意されるわけではないのだ。それが一人暮らしというものである。
日和もそうは思うのだが。
「……もういい、寝よう 」
見事に駄目な決断をした。一人暮らしなら困る人もいまい。確かに、困る『人』がいないのはその通りだ。
暗くなった部屋に音がまた無数に転がるが、既に夢の世界へと半分旅立った日和には届いていなかった。
日和が昼寝を二度寝してからどれだけ時間がたっただろう。部屋は暖かい空気に包まれている。むしろ少し暑いほどだ。
さすがにその暑さに不愉快さを覚え、日和は布団を捲り起き上がった。体は熱をもっているように温まり、汗が背中を伝う。
なぜだろうと首をかしげてみれば、ブーンと起動音をさせるその暖房に気が付いて納得をした。
つけた覚えはない。けれどきっと寒くて耐えられなくなって寝ぼけながらつけたのだろう。暖房という文明の利器に素直に感心した。
やるじゃないか。何度か頷いてその実力を潔く認める。ただし設定温度が高すぎると思った日和は温度を三つ下げた。存在も忘れていたくせに、とんだ都合のいい脳みそである。
また天井あたりからビシィッ! と音がした。日和は気にしなかったが、まるでツッコミのように響いていたことをここに記しておこう。
夕食として買ってきた惣菜パンを食べる。最近のお気に入りは焼きそばパンだ。もう三日は同じ夕食にしている。別に偏食なわけではないが、気に入ったものは何度でも食べたくなる方なのだ。
もぐもぐと焼きそばパンを頬ばっていると、テレビが勝手に点いた。ザザ、と砂嵐のそれである。リモコンをみればおおよそ日和からは手の届かない位置にある。
それに対して日和は驚けばいいものを、
「……このくらいの時間になると点くように設定されてるのかな? 最近の機械は難しいことしてるね」
そういえば前にもこのくらいの時間についたね。じゃあもうそんなものなんだね。 かーくん(ぬいぐるみ)にそう話しかけて日和は納得した。
部屋に抗議するような音が転がった。が、日和の納得が覆るわけもない。 日和は行儀悪く足を伸ばして床に落ちていたリモコンを自分の方に引き寄せ、チャンネルを変えた。変えたときには一瞬画面が暗くなり人の顔が映ったけれど、日和はよそ見をしていてそれを見ることはなかった。
部屋にはゴツン、と今までにはなかった低い音が鳴った。珍しくその音は日和にも届いて、何か倒れた? と部屋を見渡した。変わらない部屋に聞き間違いかと首を傾げる。
その疑問も、よしお風呂に入ろう、という日和の決定によって意識から一瞬で外されたが。
風呂。家庭内のホラー名所と言えばここだろう。
排水溝に自分以外の髪、蛇口から赤い水、頭を洗っていると後ろから肩を叩かれる、脱衣所の鏡に自分以外の誰かが……
そんな定番どころの恐怖は映像で見るのも怖いのに、実際体験するならばその恐怖は映像で見ることの比ではないだろう。
そして日和は何事もなく風呂から出た。
もちろん、何事もないと思っていたのは日和くらいのものなのだが。
排水溝には明らかに日和のものではない短い黒い髪が落ちていたし、蛇口から赤い水は出たし、肩も叩かれたし、鏡には人影が映った。
けれどいつものごとく、排水溝の髪は自分の髪と混ざって分からなかったし、赤い水は水道管が錆びてるのかなと思ったし、肩を叩かれたような気はしたけれど気のせいだったし、鏡は自分を見るものだった。
どれだけの不思議も、意識の外側にあれば気のせいどころか「もしかして」の一端にもなりはしない。
風呂から戻ると部屋に不確かな音はなくなっていた。違和感がないことが違和感なほど音が部屋に馴染んでいたかと思うとこの部屋のおかしさが解る。 もちろん、日和はなにも感じていないが。
最後のあがきというようにテレビが砂嵐を映したけれど、日和はもう何も考えずにテレビを消す。もうテレビ勝手に点くなんてのはよくあることなのだ、と日和は理解をしてしまった。
日和は機械にも疎いし、常識にも疎めだ。もうここまで来ると心霊現象よりも日和の日常生活の方が危ういのではないのかという疑惑が残る。そもそも、日和にとってこの心霊現象に今のところ一切の危うさがなかった。
今日も日和の日常は平和なものであって、それはそれは代り映えのない休日が何事もなく終わった。日和の中だけで。
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