それでも彼女は

@tumeawase

それでも彼女は気付かない

第1話


 出て行って欲しい。ただ、いつもそれだけだった。


 暗い部屋に電気が灯されると嫌でも起きてしまう。生活音も気に入らないけれど、『ソレ』が何より嫌だったのは玄関扉の開閉音だ。

 指の一本、もっと言えば爪の先ほども出せない外の世界に意識が向いてしまうなんて、そんな残酷が事実が嫌で仕方がなかった。


 どれだけ扉を抜けようとしても、『ソレ』はどうしたってここから出ることが出来無いのに。


 『ソレ』は、扉の開閉音に最初は羨望を感じていた。外に出たくて、羨ましくて、何度手を伸ばしたかもわからない。

 そして簡単に、何も思わないように玄関扉を出て行く人間に嫉妬した。楽しそうな、明るい外の世界。どうしてこんなところに居なければいけないのだろう。


 それがいつからか、恨みに変わっていた。


 何も誰も部屋に居なければ、何も感じず、眠るように漂うだけ。それなのに。


 ずるい、ずるいずるいずるい!


 出て行って欲しいだけ。出られないのなら、ただ静かに、静かに、静かに過ごしたい。

 静かなら、目の前のことだけで満足できるのに。それなのに。


 誰かを羨望するのも、嫉妬するのも、恨みを感じるのも。

 誰かを自分の安寧のために傷付けることも、本当は。



 本当は、とても面倒なのだ。

 それなのに!!


「本当にいい家ね。なんでこんなに安かったんだろう? 」

 女が言う。所謂独り言だ。だってここに居るのは彼女一人で、他に人間なんて居ないのだから。

 彼女に、ソレは見えていない。聞こえていない。解らない。


 彼女は家がピシピシと、いたるところからラップ音というものが聞こえてきても特に気にしない。さらに言えば気付いていない。


 彼女が消したテレビが帰宅して付いていても消し忘れたくらいにしか思わないし、いきなりテレビが点いた所でテレビの接触の問題にしか思わない。


 電気が点滅してもやっぱり接触の問題程度にしか思わないし、安かったしなあと家自体の欠陥を疑いもしている。


 ドアがドンドンと叩かれても外に酔っ払いがいるみたいだね、危ないから近寄らないでいようなんてぬいぐるみに話しかける。


 彼女が寝たところに人影を見せる、なんて事をしてみたこともあるが、寝つきがおそろしく良すぎるし、何をしたって途中で起きる事もない。


 なんだこの鈍すぎる女は!!

 ソレは激怒した。


 しかしそれでも、彼女は気付かない。


―――


 その賃貸マンションは築23年で、その部屋は3階にあった。

 エレベーターのない、多少古さを見せ付けるマンションの端に備えられた階段から一番離れた部屋。


 階段を上がると左手側にいくつか部屋があるが、一番奥のその部屋はまっすぐ歩いた正面に玄関扉が置かれている。


 風が通り抜けず光も当たらない薄暗い印象を受けるその部屋は、よく言う「いわく付き」と呼ばれるものだ。


 中の造りは玄関の位置以外、他の部屋と特に変わるところが無い単身者向けワンルームである。数年前にリフォームされて、むしろ使用感のある他のどの部屋よりも綺麗なほどだ。


 マンションは駅から徒歩5分の好条件で、さらにその駅は都心駅まで乗り換え無しで3駅7分。スーパーも近く治安も悪くない。そのため、そのマンションの賃料はワンルームとはいえその好立地条件に見合った値段である。

 けれど、その部屋は。「いわく付き」と言われるその部屋はやはりその噂と共に年々賃貸料を下げている。


 事故物件――そういった人死にが起こった物件ではない。けれど、その部屋には確かに「何か」がある。


 賃料の安さに惹かれ入居を決めた勇敢を自称する人も、やむを得ない事情を語る人も、楽観的に笑う人も、最後には同じく暗い顔をしてこのマンションの3階から去っていった。


 リフォームがされても、部屋の御祓いがされても、その入退居のサイクルは変わらない1~5ヶ月と短く、近隣の人間は新しい入居者が来るたびに新しい噂を耳にする。

 ここ一年ほどは、不動産の管理会社からの掃除くらいにしか人が訪れることは無く、見学者も来ない為に半ば不動産会社も匙を投げたのではないかと思われ、浮いていた部屋だ。


 そこに10月某日、引越しの閑散期ともいえる日に、とある女性が見学に訪れた。

 そして契約を決めた。不動産会社の女性社員も驚くほどの即決であった。


 誤解しないで頂きたいが、不動産会社にも説明義務があり、賃料の安い理由も伝えた。女性社員は数年前に目にした前入居者の顔色をしっかりと覚えていたために、良心から制止の言葉をもかけた。


 しかしどの方面から見ても残念なことに、彼女は止まるそぶりも見せず次の日に必要書類を集めたその足で本契約に訪れた。



 そうして――彼女の、『いわく付き』生活が始まった。


 ……ただし、彼女の意識の外側で。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る