第70話 選ばれし犠牲者

「よう、ちびっ子」

 ナザクスは、街中で見かけたスネイルに声を掛けた。


「ちびっ子じゃない。おいらはスネイル」

 スネイルはそう言うと、ナザクスを無視して歩き出す。スネイルは背丈こそ小さいが、歩く速さはなかなか速い。


「あーー、悪かった、スネイル。今日は何か用事か?」

 ナザクスは、スネイルと歩調を合わせて隣にやってきた。すぐ隣にいないと、何となく見失いそうな気がするのだ。


「買い物。剣の手入れとかするから」

 スネイルは歩調を緩めず、素っ気なく言う。


「おう、そうか。ちなみにジャシードは暇か?」

「アニキはガンドと特訓してる」

「ガンドってのは……あれか……あの」

「でぶちん」

 スネイルは初めてナザクスの方を見て言った。


「そうそう……ってお前仲間になんて事を」

「でも間違ってない」

 スネイルはなおもスタスタと歩き続ける。


「結構あれかァ? ヒートヘイズって仲悪いの?」

 ナザクスはピンと来た。もし仲が少しでも悪そうなら、付け入る隙もあるかも知れない。仲が悪そうなところから切り崩して、流血の面倒なしに、事を上手く運ぶことができるかも知れない。


「いいよ。悪くない」

「そ、そうなのか……? にわかに信じがたいが……」

 ナザクスは少しガッカリした。どうやら当初の予定通りに勧めるしか無さそうだ。


「何か用なの」

 スネイルは、歩きながらしつこく付いてくるナザクスを見上げた。


「ああ、その、ちょっとジャシードに相談事があってさ。リーダー同士で話したいんだ。ほら、リーダーって独特の悩みとか、そういうのあんだろ?」

「おいらは、リーダーじゃないから知らない」

 スネイルから、取り付く島のない返答が返ってきた。


「ああ、ああ、そうだな。すまねえ。まあでもそう言うことだから、ちとサシで相談したくてさ。うちはシューブレンとか、レリートとか、ミアニルスとか、問題がある奴らを抱えてるからさ」

「全員じゃん」

 スネイルはすかさず、容赦ないツッコミをする。


「ふぐ……ま、まあそうなんだけどよ……とにかく、ちょっと第三者的な意見を聞きたいと思ってな」

「ふうん、わかった。伝えとく。どこに行けばいいの」

「ああ、おれは『海の鳴き声亭』っつう宿屋にいるから。街の南東の方だ。よろしく頼むぜ」

「わかった。じゃあね」

「お、おう。頼んだぜ……悩みが多いと困るんだよ」

 ナザクスは、武具の店へ入っていくスネイルを見送った。


「ま、こんなモンか。後は待ってりゃあいい……てかアイツ、歩くのホントはええな……」

 ナザクスは独り言ち、宿に向かって歩き出した。


◆◆


「あと五回!」

 ジャシードはガンドのトレーニングを見守り、応援していた。館の中にある訓練用の部屋には、色々な物が置いてある。ガンドはその中の一つ、鉄の塊に太い鎖を通したものを上げたり下げたりしている。


「も、もうダメ……あ、が……んないぃぃぃ」

 ガチャンと音を立てて、鉄の塊が床に衝突した。床は石でできているが、削れてしまうために何重にも安物の絨毯が敷かれている。


「もう一回だけやろう!」

 ジャシードは、座り込んだガンドの背中をバシンと叩いて、最後の一回を促した。トレーニングは最後の一回が大切だ。『できない』を『できる』に変える成長のために、この一回が重要だと言うことをジャシードは身をもって体験していた。


「上がんない……のに……」

 ガンドは息も絶え絶えに立ち上がり、鎖を持つと精一杯チカラを振り絞って、最後の一回をこなした。


「よし、いった!」

 成り行きを見守っていたジャシードは、パチパチと拍手を送る。


「もう、ダメだあぁぁぁ……!」

 ガンドは大の字になって、荒い息をついている。


「腕は疲れただろうから、次は腹筋にしようか」

 ジャシードは、上を向いているガンドの視界に入り込んでニッコリした。


「えぇぇ、まだ……まだやるのぉぉぉ?」

「痩せるんでしょ?」

「これ、痩せるのぉぉぉ?」

「きっと痩せるよ」

「うぅぅ……何回?」

「二十回」

「に、にじゅっかいぃぃぃ!?」

「を、一回として、三回ね」

 ジャシードは笑顔を崩さない。


「ろ、六十回じゃないか!」

 ガンドは子供みたいに床を転がった。


「二十回毎に休んでいいから。はい、はじめ!」

 ジャシードもガンドの隣で腹筋を始めた。ガンドが一回やる間に、ジャシードは三回こなす。ガンドが疲れてくると、ガンドが一回やる間に、ジャシードは七回こなす。


「し、しぬ……」

 ガンドは最後の一回がどうしても上がらなかった。


「もう一回! 頑張れ!」

「んぐぐ……んぐむ…………ぐぐ……があああ!!」

 ガンドはようやっと最後の一回を終わらせ、そのまま横にごろりと転がった。


「死んじゃう……死んじゃう……」

 ガンドは譫言のように繰り返した。


「よく頑張ったね。じゃあ、次回は明明後日にしよう」

「一週間ぐらい……休みが……欲しい……」

「痩せるんだよね」

「や、やせるよ……」

「じゃあ、明明後日」

「はぃ、先生……」

 ガンドは大の字になって、荒い息をついている。


「アニキ、ナザクスが用事があるって」

 買い物から返ってきたスネイルが、訓練部屋に顔を出した。


「ん、ナザクスが……何だろう?」

「よく分かんないけど、リーダーの悩み相談とか言ってた」

「そうなんだ、どこに行けばいいって?」

「街の南側にある、『海の鳴き声亭』だってさ」

「ふうん、まあ行ってみるよ。ありがとうスネイル」

 ジャシードが礼を言うと、スネイルは微笑を浮かべてから、作業部屋へと歩いて行った。


「なんだろうね、悩みって」

「ジャッシュは悩みなんかないでしょ」

 ガンドがジャシードの言葉に応じた。


「うん、別にないかな。僕たちはとても上手く行っていると思うよ」

「異論はないね。ナザクスのところは、聞くだけで問題だらけのような気がする」

 ガンドは、天井を眺めつつ呼吸を整えている。


「問題が何もない僕が、参考になる答えを言えるのかな」

「トレーニングも一段落したし、いい休憩になるんじゃないの……僕はすごく休みたい」

「とりあえず行ってみるよ」

 ジャシードは訓練部屋を出るために歩き出した。


「ああ、行ってらっしゃい」

「ゆっくり休んで」

 ガンドの姿をチラリと眺めて、ジャシードは部屋を出て行った。


「……言われなくても。何でジャッシュは、あんなにピンピンしてるんだ……」

 ガンドは、まだたっぷりある腹の肉をさすりながら独り言ちた。


◆◆


「ナザクス、僕だ、ジャシードだ」

「おう、よく来てくれたな、ジャシード。ちと折り入って相談があってだな……ってなんでお前、剣を背負ってるんだ?」

「何か起こったときのために、武器だけは持ってるんだ。街に襲撃とかあったら困るから」

「ほんっと、真面目なんだな、お前は」

「みんなの役に立ちたいからね」

「準備がいいことで……」

「で……何となくスネイルから聞いたよ。仲間のことで相談だとか。何か全員問題児で困ってるって言ってた」

「ちょっと待て……声がデカい。ここで話すのも何だ。聞かれるとあれだから、剣も持っていることだし、街の外に行かねえか」

「ごめん、声が大きかった……うん、いいよ」

「すまねえな……」


……


「……ここまで来れば大丈夫か」

「随分来たね」

 二人は、街を出て南側を歩き、グーベル沼地の南端を越えたところまで来ていた。


「すまねえな。何というか、シューもそうなんだが、ミアニルスがまあ鼻が利いてな。何故か分からんが、おれのいる場所を嗅ぎ付けてやってくるんだ。まるで犬みたいだろ」

 ナザクスは肩を竦めた。


「ミアニルスさんは……その、凄いね。この間見たときに、ナザクスさんが可哀想に思えたよ」

「……だろ? 全く困ってんだ。そんで極めつけにレリートだ。アイツは何にも喋らない。何を思っているのかも分からん」

「レリートさんは、凄く謎の人だってみんな言ってたよ」

 ジャシードは苦笑するしかなかった。彼とコミュニケーションできる人物はいるのだろうか、そんな事が頭の中を過ぎる。


「ああ、そうだろうな。だっておれたちだって、レリートのことは殆ど何も知らねえんだ……そんな奴らと一緒で、おれはほとほと疲れちまってね。

 早く仕事を終わらせて帰りたいんだが、まああれだ。武具の調達は一向に進まない。もうどうしたらいいのかと思ってさ、それで、お前に来て貰ったってワケだ」

 ナザクスは敢えて本当のことを言った。嘘を言っても真実味に欠けてしまうと判断したためだ。


「仕事が進まないのは……僕も気の毒だと思ってるよ」

 ジャシードには、他にかける言葉が見つからなかった。


「ちょっとシューから聞いたんだが、お前たちはアントベア商会の一員なのか?」

 ジャシードから見たナザクスは、陽の光を背負って顔が暗くなっている。


「それは……」

 ジャシードは一瞬の戸惑いを見せた。何と答えるのが正解なのか、単に惚ければいいのか迷った。


「いや、いい! 皆まで言うな。もしそうなら、もしそうならだ……ちょっと口利きをしてはくれねえか。このままじゃ、おれたちはずっとエルウィンに張り付きで、報酬が貰えねえんだよ」

「ぼくたちも、アントベア商会の館には、高い部屋代を払ってて大変なんだ。一員って言うか……」

 ジャシードの反応を無視して勝手に話を進めるナザクスに、話を止めさせようとしてジャシードはマーシャの嘘を持ち出した。


「なあ、何とかしちゃくれねえか? おれたちは色々と調べた。街の店だとか、他の街への出荷とか、裏ルートはないかとか……でも全部ダメだ。街の店はグランメリスに売る武具は無いの一点張り、最初に大量購入するときに、どこから来たのかがバレたのが大きかった」

「バレた? どうやってバレたの?」

「所持品だ……グランメリスからの荷車ってのは、雪の上を進むから、ギザギザした車輪を複数装備しているんだ。もちろん、こっちではすり減るから使わないが、荷車の下に結びつけてある。それを見つかった」

「なるほど……」

 ナザクスは、近くにあった岩に腰掛け、身振り手振りをしながら話を続けた。


「それからというもの、おれたちに武具の類は全く売られなくなった。まあ、おれたちじゃなくて、商隊の奴らがヘマをしたわけだが……結果は同じだな。……で、おれたちは手詰まりになって、グランメリスに手紙を送っていた。雇い主がどう判断するかって事だ。で、向こうからの答えは、アントベア商会に揺さぶりをかけろってえ話だ」

 ナザクスはここでも真実を話した。できるだけ本当のことを話して理解して貰おうと努めた。それはナザクスの中にあった、微かな良心の呵責から来る精一杯の誠意だった。


「揺さぶり……?」

「まあ手段は問わないから、何とかしろって事だな。だが、おれたちも手荒なことはしたくない。そこで、たまたまあの館に出入りしているところを見つけたシューが、お前たちを突破口にできないかって話になったわけだ」

「うーん、出入りしていたも、僕たちにできることは何もないよ。ただ住んでいるだけだし……」

「いや、仮にそうだったとしても、アントベア商会の奴らと話はできるだろ? 話をしてみてはくれないか」

 ナザクスはギリギリまで食らいついた。これ以上の会話は、ジャシードがアントベア商会に所属しているか、していないかの水掛け論になると感じてのことだ。聞きたいのは、やってくれるのか、くれないのか……ただそれだけだ。


「……僕にはできないよ」

 ジャシードには、そう言うしか選択肢がなかった。


「そうか……残念だ。では、他の四人に聞くことにしよう」

「誰に聞いても同じだと思うけどね」

「何故そう言い切れる? お前ほど薄情じゃ無いかも知れない」

「僕がヒートヘイズのリーダーだからさ」

「……そうか。分かった……一所懸命頼んでみたが、ダメだったな……。それなら、仕方が無い」

 ナザクスは、ふと片手を上げた。


「……っく!」

 どこかからジャシードの目を狙った矢が放たれたが、すんでの所で回避した。この瞬間、ジャシードは自分に向けられた殺気に気がついた。今までは殺気になっていなかったものが、殺気に変化したものだった。気配は目の前のナザクス以外に三人分ある。その全てが、スノウブリーズだ。


「悪いが、お前には死んでもらうよ。ジャシード。悪く思わないでくれ」

 ナザクスは、レリートが放り投げてきた大剣を受け取り、その鞘を引き抜いて地面に放り投げた。


「ナザクス! 何でこんな事を!」

「何でじゃあない。おれはお前に何度となく頼み込んだ。お前がアントベアの一員かどうかなんて、どうでもいい。おれはお前に協力して欲しかった。だから何度も頼み込んだ。こっちの事情も詳しく説明してな……。

 だが、お前は断った。おれたちも、もうどうしようもできない。だから、お前には犠牲になってもらう。おれたちに武具を売らないなら、こうなると教えるために」

「滅茶苦茶なことを……っ!」


 ジャシードはナザクスが振り下ろす大剣を躱したが、その先にはレリートが斧を横薙ぎに振っていた。ジャシードはレリートの近くに滑り込み、斧の直撃を躱す。そして起き上がりざまにレリートの腹へ、チカラ一杯の打撃を叩き込んだ。


「んぐ……」

 レリートの苦しむ声が聞こえた。


 ジャシードはそのまま走って距離を開ける。しかしその先には、宙に浮かぶ鎧の戦士が二体待ち構えていた。


「こんなもの!」

 ジャシードはファングを抜いて、鎧の戦士に斬りかかった。鎧の戦士はそれを受け止めようとしたが、鎧ごと真っ二つにされた。真っ二つにされた鎧は、魔法で身体が維持できなくなり雲散霧消する。

 しかし、その瞬間ジャシードの腕から炎が上がる。ミアニルスの魔法がジャシードの腕を捉えていた。


「これも……!」

 ジャシードは、腕に力場を展開させ、ミアニルスの魔法を無力化した。力場のオーラに魔法が敗北し、消滅する。


「なっ……なにそれ……!?」

 ミアニルスは仕組みが分からずに仰天している。戦士は魔法に無力なのは定説だが、今目の前でその定説が否定される出来事が起こった。


 ジャシードは足を狙って飛んできた矢を躱し、身体を回転させてファングを振るうと、もう一体の鎧も真っ二つに切り裂いた。更に肉迫してきたレリートが振り回す斧を、素早く距離を開けて躱す。


「もう止めてくれ! 何故僕たちが殺し合いをしなければいけないんだ!」

 ジャシードは飛んでくる二本の矢を見つけて一本を躱し、一本を剣で弾いた。


「何故じゃねえ、お前は犠牲者に選ばれた。大人しく死んでくれ」

 ナザクスが走り込んできて、大剣を振り下ろした。しかしジャシードはそれも躱し、大剣は地面に当たって土を弾き飛ばした。


 レリートの斧が轟音を上げて迫り来る中、矢が三本、ジャシードに迫ってきた。ジャシードは手の平に力場を展開し、飛んできた矢をはたき落とし、レリートの斧を片手で受け止めたが、さすがに勢いに負けて吹っ飛ばされた。

 ゴロゴロと地面を転がり、近くにあった木に激突する。しかし激突した部分には力場を展開しているため、傷を負うことはなかった。


「さすがはジャシードだ。凄まじいまでの使い手……だが、いつまで保つかな」

 ナザクスが、レリートが、そして新しく召喚された宙に浮く鎧の戦士が迫ってきた。少し距離を開けてシューブレンとミアニルスの姿がある。

 ジャシードの右側と前方からはスノウブリーズが迫る。間合いを取ろうと後ろへと下がったジャシードであったが、その背中に当たるものがあった。顎を引いて見ると、背中には大木があり、更にその後ろにはエレネイア山脈となる山が壁のように立ち塞がっている。

 左側を見れば、少し平地が続いた後に地面が切れ、その向こうには海が広がっている。波は高くは無いが、水中には怪物がいる可能性が高い。海に逃れるのは自殺行為だ。ジャシードは山と海がある角へと追い込まれた。退路は存在しない。ジャシードは後方を確認するために引いていた顎を上げ、迫ってくるナザクスとレリートを視界に納めた。


「お前がどれだけフォースフィールドに習熟していたとしても、この状況からは逃げられない。フォースフィールドは、生命力を大きく消耗する特技だ。このまま攻撃を受け続けていたら、いつまでも保つはずが無い」

 ナザクスは大剣を構え、ゆっくりと距離を詰めてきた。

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