ひとつになる世界
第69話 ふたつの決意
イレンディアで最も大きな都市、エルウィン。やや褪せた緑色の高い壁が街を取り囲み、更にその外側を海と川が囲っている。
エルウィンを取り囲んでいる海は常に穏やかだ。東はレッテ川を挟んでグーベル沼地、北は西レンドール地方、海を挟んで西はウェリント地方、更に南はウェンデル地方があり、地形的に大きな波を受けることはない。
街の北側にある堀は、実は人工的に造られたものだ。たくさんの人々が住んでいる街を守るため、陸続きだった街の北側に、海とレッテ川を繋ぐ深い堀を造る工事が行われた。その結果、街の入口はレッテ川を渡る、グーベル沼地に面した一箇所の橋のみとなった。
仮にエルウィンへ侵攻しようする軍隊があれば、周囲の地形に難儀することだろう。南北に広がるグーベル沼地はその足を取り、東西に延びるエレネイア山脈は行軍の妨げになる。街の周囲には幅広い堀があり、堀を抜けても高い壁がそびえ立つ。
では海から攻められるかと言うと、それも不可能だ。遙か昔にあった船という乗り物は、海に蔓延る巨大な怪物たちにとって、格好の的となってしまった。
そのようなわけで、イレンディアには船が存在しない。結果、エルウィンは難攻不落の街となった。
「……仮に街に入られたとしても、街の中にはエルファール城がある。エルウィンは、二度の攻城戦を乗り越えられない限り、決して落ちない街なのだ」
バラルはパイプを吹かしながら、得意気にその知識を披露した。
「相手が怪物たちだったら、少し変わってきそうだね……。エティンとかさ、この間戦ったオークの大きいヤツだったら、壁に取り付かれるかも知れない。
それに、海に怪物がいるなら、海から来るかも知れないよね。あとは、空から……これが一番怖いかな。ワイバーンやドラゴンが来たら、壁は意味ないよね」
ジャシードは、今までの記憶と経験を引っ張り出して、色々なことを想像していた。小さい頃にやった、石ころを動かす訓練を何となしに思い出しながら……。
「確かにそうだな……。ドゴールでは、対ワイバーンの装備として、上空へ撃ち込む槍の発射台が城壁の上に幾つか用意されている」
「そんなのあったんだ。城壁の上を一周していれば見えたのかな」
「それほど多くは無いからな。それに、地上から槍を撃ったとして、ワイバーンを倒せるわけではない。結局は、城壁の外側に誘導して戦うことになるだろう……もっとも、ワイバーンが攻めて来たことはほぼ無い。ワイバーンも、自身にとって、ドゴールが危険な場所だと分かっておるのだろう」
バラルはパイプの灰を皿に落とした。
「その……船って、どんな形をした乗り物なのかしら? 海を行く乗り物って、想像ができないわ」
マーシャは初めて聞く名前に、色々な想像を膨らませていた。
「わしも実物を見たことはないのだが、大きな箱のようなものらしい。前から見ると下が尖った三角形、横から見ると下が窄まった台形に見えるとか。それが上手く海に浮かぶらしい。その上には『ホ』と言うものがあって、風を受けて進むことができるそうだ」
「変な形なのねぇ……」
バラルが手近な紙にざっくりと形を描いているが、上手に図形を描けないバラルの側面図だけでは、全く情報のない者たちに伝わるはずもなかった。
「船って、乗ってみたいなあ。海を行けるなんて、楽しそうだなあ……。この辺りにいたら、どこを見ても海なんだろうなあ」
ガンドは地図を見ながら、妄想の世界へと足を踏み込んでいた。
「船は、波の高さでかなり揺れるらしい。それに、嵐が来たら、逃げ場がない」
「えぇ……。揺れるのかあ、それは嫌だなあ」
バラルの言葉で妄想を乱されたガンドは、嵐に巻き込まれて大揺れになった船の上にいるのを想像して、眉間に皺を寄せた。
「ぴっかりんは、船で転がるね。揺れたらゴロゴロ、揺れたらゴロゴロ」
「僕は玉っころじゃあないぞ!」
「転がってるのは、すぐに想像できる」
「や、痩せてやる……」
「へー」
「うわ、まるで信用されてないよ……うーん、頑張ろう」
ガンドは腹の肉を見つめて、たるんだ部分を掴んだ。
「関係ないけどマーシャ、昨日ピックが戻ってきたよ。みんな元気にしているみたい。フォリスおじさんは、一週間くらい、そわそわしてたみたいだけど」
「手紙、あとで読ませてね。それにしても、ピックは偉いわね。ちゃんとエルウィンに戻ってくるんだから」
「うん。手紙の日付から少し時間が掛かったから、ちょっと迷ってたかも知れないけどね」
「今日はたくさん、トウモロコシをあげないとね」
「食べ過ぎは良くないから、ほどほどだね」
ジャシードは、一瞬ガンドの方を見た。
「ジャァァァッシュ! 今、僕を見たろぉぉぉ、見たろぉぉぉう!」
ガンドは立ち上がって、ジャシードをビシッと指さした。その拍子に、たっぷり肉が付いた腹が揺れる。
「ご、ごめん。見た」
ジャシードは素直に白状した。
「むぐぐぐ……! き、決めたぞ。僕は痩せる! 筋肉も鍛えて、ガッシリした身体を手に入れる!」
ガンドは拳を握りしめ、どこか良く分からない方向を見つめた。
「何かすごく本気だね……いつもなら、それを言いながらクッキーを食べたりしているのに」
「本気だからね……ジャッシュ、鍛えるの手伝って」
「あはは。特訓かい? いいよ、いつでも」
「今回の僕は、本気だから」
ガンドは、再び腹を揺らしながら、拳を握りしめた。
「ぴっかりん、筋肉になるの?」
「わしが腹を燃やしてやろうか?」
スネイルとバラルは言いたい放題だ。
「見てろよ、二人とも! 今日明日には無理だけど、必ずガッシリしてやる!」
ガンドは冷やかした二人を睨み付けて言った。
「もしできたら、わしが魔法の手ほどきをしてやろう」
「バラルさん! それ、忘れないように……!」
ガンドはバラルをビシッと指さした。
「もしできたら、クッキーを買ってやろう!」
「スネイル、それは罠なの!?」
「いらないの?」
「い……いいい……いらない!」
「やせがまん。太ってるけど」
スネイルはニヤニヤしながら、ガンドの腹を突っついた。
「うっるさい!」
ガンドはスネイルのほっぺたを両手でぐいぐいと引っ張る。
「いいいい痛い痛いごめん」
ガンドから解放されたスネイルのほっぺたは、ほんのり赤く染まっていた。
とにもかくにも、ジャシードの一瞬の視線から急に始まったガンドの痩せる宣言は、こうして実行に移されることになった。
◆◆
「まだ連絡は来ないのか?」
シューブレンはイライラした様子で言った。
スノウブリーズたちは、グランメリスの連絡がないまま、エルウィンにひと月以上足止めを喰らっていた。
ナザクスは日々のミアニルスによる付きまといに、ミアニルスはちっとも進展しないナザクスとの関係に、シューブレンとレリートは放置されている事そのものに不満を抱えていた。
ちょうどその時、一羽の鳩が宿屋の窓に辿り着いた。その足には手紙が結びつけられている。
「おお、待ちわびたぞ、ハト野郎」
シューブレンは、鳩の足についている手紙を取って広げた。
「…………ふむ。手紙にはこうある。『アントベア商会に揺さぶりを掛け、エルウィンの結束を解除せよ』……遂に仕事だ」
「あんまり楽しそうな仕事じゃあないが……やるにしても、どうやる? あの館に押し入るのか?」
ナザクスは、引っ付こうとするミアニルスの首根っこを片手で押し返している。
「強盗するということか?」とシューブレン。
「私の鎧たちにやらせる?」
ミアニルスは、ナザクスに引っ付こうとするのを一旦止めて、宙に浮かぶ鎧の戦士を呼び出した。
「冗談に決まってるだろ、シュー。エルウィンと深い繋がりがあるアントベア商会にそんな事をしたら、おれたちは即座に牢屋行きだ。――マジメに考えなきゃよ」
ナザクスは、ミアニルスの『攻撃』が止んだので、少しホッとしている様子で言った。
「そう言えばこの間、あの館の近くで商会の動きを観察していたのだが、館からヒートヘイズの奴らが出てくるのを見つけた。……と言うより、油断していて見つかってしまった。奴らは、高額の費用を払わされて住んでいるとか言っていたが、あれはきっと嘘だ。恐らく奴らはアントベア商会に肩入れしている。今考えれば、元々繋がりがあったのだろう。エルウィンに来たのも、何らかの仕事を請けるためだ」
シューブレンは、顎に手を当てながら言った。
「もしかしたら、本当のことを言っているのかも知れないがな、ヒートヘイズの奴らは。奴ら素直そうだろ?」
ナザクスは肘掛けに頬杖をついた。
「そう言ったのは、一人いた女の方だ。あの女とジジイは、少し頭が切れるように思える……アイツらを殺してみてはどうだ」
シューブレンはマーシャの表情を思い出し、嘘をついているかどうかを分析していたが、ふと思いついたように付け加えた。
「アイツらってヒートヘイズの奴らをか?」
ナザクスは眉根を寄せた。
「話の流れを読めないのか、お前は。当然だ」
シューブレンはサラリと答え、鳩を止まり木の方へと運ぶ。
「気が進まねえなあ。アイツらは別に悪くないだろ」
ナザクスは片手を振り、シューブレンの考えを退けた。
「だが、アントベア商会に出入りしているのは間違いない。揺さぶりをかけるのにもちょうど良いだろう。街の外にも良く出て行く。チャンスはたくさんある」
シューブレンは、鳩を止まり木に結びつけ、餌箱へ適当に餌を放り込む。
「アイツらは、高額の賃料を払って住んでる、ただのバカじゃないのか?」
ナザクスは、からかうような口ぶりで言う。
「お前、真面目に言っているのかナザクス。さっきも言ったが、そんなものは嘘に決まっているだろうが」
シューブレンが手に持っている餌袋から餌が床に落ち、パラパラと乾いた音を立てた。
「いちいち過剰に反応するんじゃねえよ、シュー。言ってみただけだ。仮にやるとして、ジャシードはどうする。アイツはフォースフィールド使いだぞ。しかも、そこいらの奴とは違って、かなり使いこなしている」
「あの小僧は、お前が抑えておいて、他のを殺してからやればいい。ただそれだけだ。あるいはレリートの一撃で、フィールドごとぶっ飛ばしてもいい」
シューブレンはレリートの方へ手をやった。その手の先に居るレリートは微動だにせず話を聞いていたが、手を向けられてコクリと頷いた。
「ったく、血の気が多いことで」
ナザクスは呆れた様子で、顔をひしゃげさせるほど、頬杖に頭の重さを預けた。
「他に揺さぶる方法があるのか? ここひと月の調査で、エルウィンのありとあらゆる店が、アントベア商会に強い繋がりがあるのが分かった。
嘘の情報を流しても、全く広まる様子がないだけでなく、あと少しの所で情報発信源のおれを突き止められるところだった。始末したから問題は無いが」
シューブレンは苦々しい表情をしていた。
彼が金で雇った貧民らしい男は、あと少しで自白しそうなところまで来ていた。シューブレンは、夜に薬で深く眠らせた後に荷車で運び、衛兵の隙を突いて闇に紛れ海に流した。そのため自白されることはなかったが、かなり危ういところだった。
シューブレンが海に流した貧民は、遠くのどこかに漂着しているか、海の怪物に喰われているだろう。
「他に手はないのかよ。もちっと考えた方がいいんじゃねえのか?」
ナザクスは頬杖をついたまま、納得の行かない表情で言う。
「殺したら、私たちがやったことがバレちゃうんじゃないの? それって、揺さぶりをかけていることにならなくない? 私たちが殺人者になって終わりよ」
ミアニルスがもっともなことを言った。
「それよりは、奴らを内通者に仕立て上げる方が良いんじゃねえかな」
ナザクスは頬杖の姿勢を崩さない。
「初めから繋がりがあるだろう奴らを、どうやって内通者にするつもりだ?」
シューブレンは少しも納得していない様子だ。
「そこを考えるために集まってんだろ」
ナザクスは、片手で椅子の肘掛けをつついてコンコンと音を立てている。
「なら、こうならどうだ……。ナザクスが、あの小僧だけを誘い出す。お前は仲良さそうにしているから大丈夫だろう。それで、こちら側に取り込めるかを試す。無理なら、四人で殺し、生首をアントベア商会に送りつける」
シューブレンは、どっかとソファに腰を下ろしつつ言った。
「確かにおれたちは手段を選ばない。だが、今回それは正解なのか?」
ナザクスは呆れた様子で言った。
「目的を達成するためだ。おれたちが本気だと言うことを示してやらなければならない。応じなければ犠牲者が増えると言うことを示してやらなければならない。そのための最初の犠牲者だ。ああ可哀想にな。
それとも、このまま命令を無視して座して動かずのつもりか。おれやレリートはいいが、お前やミアニルスには家族がいたな」
シューブレンは横目にナザクスを見ながら言った。シューブレンの顔には冷徹な表情があった。
「……くそ、シュー。お前は最悪だ」
「ああ、そんな言葉はお前以外からも何度も聞いた。何ならおれは、レリートと二人で目的を達成してもいいんだぜ。正直に言うと、お前たちの家族は、おれたちには関係ない」
「んだと……!」
ナザクスが床に強く足を叩き付けて立ち上がった。シューブレンもそれに合わせてゆっくりと立ち上がる。
「ちょっと、やめなさいよ二人とも。もう、やりましょ。いいわ。やればいいのよ」
ミアニルスが二人の間に割って入った。
「ああやってやるよ、どうせ結果がでなければ、おれたちは終わりだ。グランメリスの奴らは、その辺りも分かった上で、おれたちにこの任務を任せたんだ」
ナザクスは吐き捨てるように言った。
「では、まずはあの小僧を誘い出すところからだ、ナザクス」
「はいはい、分かったよ」
ナザクスはシューブレンを一瞥し、気怠そうに立ち上がると、部屋を出て行った。
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