第68話 新たなる旅立ち

「ご報告申し上げます。知能を向上させ、人語の理解、怨讐の維持、残虐性の向上、そして、身体能力の更なる向上も実現しました。たまたま、コボルドの時と同じ相手……ジャシードとか言う……ではありましたが、かなり善戦したかと思われます。これで不可視の膜を張ったまま、移動速度が上がれば、殺戮能力が大幅に向上するでしょう」

 灰色のローブを纏った者が報告していた。


「人語を理解できるとなると、相互理解をさせることも可能か?」

 甲冑の男は、肘掛けに頬杖をついたまま言った。


「相互理解? そんな事が必要だとは思えませんが、種族に寄っては可能かも知れません」

 灰色ローブの肩が竦められた。


「ほう。種族に寄って、とは?」

「例えば、元々知能が低い者たちは、知能向上させても無理があります。何故なら、文化や価値観が元々存在しないからです。そういう者たちは、言葉を交わせたとしても相互理解には辿り着かないでしょう」


「それもそうか。虫は知能向上しても、所詮虫と言うことだな」

「左様でございます」

「よく分かった。今後の方針だが、目に埋め込むもの一つだけで全ての機能を果たすのでは無く、機能毎に部位を分け、組み合わせができるようにせよ」

「し、しかしそれでは、研究の時間が……」

「いいから、やれ。命令だ」

「……わ、分かりました……。では失礼いたします」

 灰色ローブが、広間から出て行った。


「ジャシード……か。いずれ衝突するかも知れんな。が、その時はその時だ」

 甲冑の男は立ち上がり、金属音を響かせながら広間を出て行った。


◆◆


 ヒートヘイズ一行は霧の中、すやすやと寝ているバラルとスネイルを荷台に乗せ、オーリスがラマを引いていた。

 荷台は皮の覆いが被されているが、その中から小さないびきと、ささやかな寝息が聞こえてくる。


「みんな、格好良かったなあ。僕も武器を振るえれば……と思ったけど、正直、あんな奴と戦えるがしなかったよ」

 オーリスは、伏し目がちに笑顔を浮かべていた。


「きっとまた、レイピアを持てるようになるわ!」

 マーシャは、ジャシードの根拠無い自信を真似て言ってみたが、オーリスはマーシャに微笑んだだけだった。


 十字路を越えた辺りでようやく起きたバラルとスネイルは、世の中が暗くなっていて驚いていた。二人は野営で最初の見張りに立ち、交代した後も寝られないと言っていた。


 風抜け谷で更に夜を過ごし、一行はエルウィンに帰ってきた。


「よう、ジャシード」

 街中で、ローブを着込んだナザクスが、キョロキョロしながら声をかけてきた。


「やあ、ナザクス。どうしたの、キョロキョロして」

「いつものことだ。ミアニルスを撒いて来たところだ」

「た、大変だね……」

「全く飽きもせず、毎日毎日……たまんねえよ。同じパーティーだから、大嫌いだとも言えねえ」

 ナザクスは、本当に嫌だと言う顔をしている。


「ナザクスぅ〜! どこぉ〜!?」

 遠くにミアニルスの声が聞こえてきた。


「ああ、くそ。じゃあまたな!」

 ナザクスは、ローブのフードを被って人混みの中へ消えていった。


「なんだか、かわいそうね……」

 マーシャはポツリと言った。


「僕にも、あんな追っかけてくれる人がいたらなあ」

 ガンドはなんと、羨ましそうにしていた。


「ミアニルスさんがいいの?」

 マーシャがガンドの顔を覗き込む。


「や、いや、そうじゃないんだけど。他の人がいいかなあ、僕は。ミアニルスさんは、あー、ね?」

 ガンドはすぐさま違うと言った。


「そんな言い方するなら、何も言わなきゃいいのに」

 マーシャは少しご立腹の様子だ。


「ミアニルスさんの件もそうだけど、スノウブリーズは、いつまでエルウィンにいるんだろうね……」

 ジャシードは、雇われの彼らが少し心配になった。帰ることも、逃げることもできない彼らは、まさに不自由そのものだ。


 ジャシードたちは、マーシャルの元へと帰ってきた。材料を書いた紙は、魔法の言葉をかける必要も無く、無事に持ち戻った。備えがあるのは結構なことだが、その備えを使わずに済むのはもっと結構なことだろう。


「よお、マーシャル。お前、とんでもない所に行かせおって。報酬弾めよ。それから、オーリスが大怪我で武器が持てん。いい治療師を紹介してくれ」

「バラルさん、それはもう……」

「オーリス。もう一度だけ……もう一度だけ、治療してもらえ。後悔したくないだろう」

 バラルは、オーリスの両肩を掴んで揺らした。


「分かりました。ありがとう」

 オーリスは複雑な心情を表情に出していた。


「思ったよりも大変だったようだな……。治療師は、私の知る最高の人物を紹介しよう。治療術そのものの研究を行っている者だ」

 マーシャルは、オーリスに向けて頷いた。


「マーシャルさんも、ありがとう」

 オーリスは頭を下げた。


 ジャシードたちが持ち帰ったものは、無事にヘンラーへと引き渡され、研究が続けられることになった。オーリスもヘンラーに連れられて、最高の治療を受けるために出かけていった。


「オーリス、治るといいねえ」

 スネイルは心配そうにしていた。自分がもし武器を取れなくなったらどう思うか、想像しただけで辛いものがある。



 翌日、訓練部屋で朝の訓練を行った後、バラル以外の四人は、エルウィンの散歩に行くことになった。


 エルウィンの南側には砂浜があり、そこから対岸のウェンデル地方や、ウェリント地方の風景を眺めることができるらしい。


 四人が館を出ると、少し離れたところにシューブレンの姿があった。


「おはようございます。シューブレンさん」

 ジャシードたちは快活に挨拶をした。


「お前たちは、アントベア商会に出入りしているのか?」

 シューブレンは挨拶の代わりに言った。


「私たち、部屋を借りてるのよ。急に来たから、ちょっと高かったけど」

 答えを言おうとしたジャシードを遮って、マーシャが言った。


「…………そうか。無駄金だったな」

 シューブレンはそう言い残し、背を向けて去って行った。


「何で嘘をついたの?」

 ジャシードは、シューブレンの背中が見えなくなってから小声で言った。


「何でってジャッシュ、アントベア商会は、彼らの雇い主たちに武器を売らないようにしているのよ。まだ分からない?」

 マーシャは小声で言いながら腰に手を当て、ジャシードの鼻先に人差し指を突きつけた。


「あ……。そうか……」

 ジャシードは目を見開いた。彼らが故郷に帰ることができないのは、エルウィンの方針ではあるが、アントベア商会はそこに深く関わっているのだ。

 アントベア商会の仕事をしているのは、スノウブリーズが請けている依頼の邪魔をしていると受け取られる事になる。


「でも……。シューブレンさんは、気づいてしまったと思うわ」

 マーシャは苦い顔をした。


「ナザクスなら、きっと分かってくれるよ」

「……だといいけど。ま、過ぎたことはどうしようもないわ。それに、ここで生活している以上、いつか分かってしまうことだったもの……。さ、行きましょ」


 四人は街の南側方面に歩き始めた。エルウィンの街並みは、どこを通っても素晴らしい。街の隅々まで見渡せそうな、エルウィンの中心にある巨大な城が、街並みからの景色に等しく存在している。

 衛兵にその城の名前を尋ねると、衛兵は『エルファール城』であると教えてくれた。


 エルウィンの南側に到達するまでに、いくつもの街路を通り抜け、エルファール城のそばを抜けた。そして民家の数々を抜けていくと、南側の城壁に辿り着く。

 アントベア商会の館は街の北側にあるため、朝早く出発したにも関わらず、南側に到達したのは昼過ぎだった。


 南側にも城壁があり、一箇所だけ砂浜へと出られる門がある。平時は城壁の鉄格子は上げられていて、砂浜へと自由に出入りできる。もっとも、周囲が全て海、かつ砂浜の南側における、平時以外の状態は想像できない。


「うわあ!」

 マーシャは、砂浜へと出た瞬間に走り出した。


 砂浜に出ると、これまで城壁で遮られていた景色が、視界いっぱいに広がった。

 東西に大きく広がる砂浜から南側を眺めると、ウェンデル地方の平原から森、森から連なる山々への眺めを見ることができる。東側にはグーベル沼地とエレネイア山脈の端っこが見えた。

 南西方面を見れば、海の霞の向こうに、もう一つの街ウェルドの城壁がうっすら見える。もし海を渡る巨大な橋があれば、丸一日かければ歩けそうな距離感だ。

 視線を西へと向けると、ウェリント地方を見ることができる。あいにく、視線上に森林があるため、広域を見ることはできない。森がなければ、更にその奥には山があり、リーヴと呼ばれている洞窟を擁しているようだ。


 四人は砂浜の硬いところに皮を何枚か敷いて昼食を摂りつつ、周囲の景色を楽しんでいた。


 ガンドは地図と風景を合わせながら、ウェンデル地方の東側にはノータ小山地と言う、小さな山が集まってデコボコしている場所があると言っていた。地図を見て一人で興奮しているその様は、とてもガンドらしい。

 見えるような距離感でありながら、ウェルドに辿り着くまでは、レンドール山を迂回して徒歩八日ほどかかるらしい。ウェルドから次の街メルナーまでは、ウェンデル地方の山々を迂回して、更に四日かかるだろうとガンドは誰に言うでもなく言葉にした。


「早いうちに乗馬を覚えないと、遠くに行くのに時間が掛かりすぎるなあ」

 ガンドの説明を聞いて、ジャシードはため息をついた。


「ゲートができれば、乗馬も要らなくならない?」

 ガンドは囁くように言った。


「それでも、そこから遠くに行くなら、馬が必要になるよ」

「それもそうか……上手く乗れるかなあ」

「あっはは。だから練習するんだろう?」

 ジャシードは、ガンドの変な心配に噴き出してしまった。


「ガンドは、馬が『おもたい』って言うよ」

 スネイルがニヤニヤしている。


「くっ……少しは痩せてやる!」

 ガンドはモリモリと食べながら宣言した。


「食べながら言われてもね……」

 マーシャの冷たい視線がガンドに突き刺さる。


「アネキ、いつものことだから無視していいよ」

 スネイルがそう言い放つと、マーシャは苦笑いしていた。


「くそう。本当すぎて言い返せない」

 ガンドは口いっぱいの食べ物で、頬を膨らませていた。


◆◆


「ただいま」

 翌日になって、オーリスが屋敷に帰ってきた。


「どうだった?」

 スネイルはオーリスに駆け寄った。


「ヘンラーさんの研究所にいる、治療術研究をしているモリウスという人に、色々と治療術を掛けて貰ったんだけど、武器は上手く使いこなせないままだったよ」

 オーリスは、分かっていたとばかりに言った。


「そっか……」

 スネイルは我が事のように、無念そうにしていた。


「ありがとう、スネイル。でも僕はもう決めたんだ。決めてたんだ。ジャッシュにも、もう話してある」

 オーリスは晴れやかに言った。


「そうなの、アニキ?」

 スネイルの質問に、ジャシードは黙って頷いた。


「それで、僕はヒートヘイズを抜けることにした。ジャッシュも了解済みだよ」


「え……。そ、そうなんだ。それで、オーリスはこれからどうするの? レムリスに帰るの?」

 ガンドは驚いていた。


「いや。今さら家には帰らないよ。僕はドゴールに行く。バラルさんにお願いしてあるんだ。バラルさんさえ良ければ、すぐにでも行くつもりだ」

「ドゴールに行ってどうするの?」

「それは、お楽しみだよ。スネイル」

「えぇ……。教えてくれてもいいのに」

 スネイルは不満そうにしている。


「まだ、どうなるか分からないからね……。いずれにしても、僕はまだ何も諦めてない。それだけは言っておくよ」

 オーリスの表情は、とてもスッキリしたものだった。それだけに、もう誰も彼を止めようとはしなかった。彼の人生だ。彼は選択する権利がある。


「また会えるよね」

「もちろんさ、ジャッシュ。君が小さな頃から、君は僕の憧れだ。君が行く先を見ないと、損だと思う」

「大袈裟だなあ、オーリスは」

「そう思わせているのは、ジャッシュの方さ」

「あはは……。ありがとう、オーリス」

 オーリスが余りにも自信満々に言うので、ジャシードは苦笑いしてしまった。


「おいらの成人祝いは!?」

「ああ……スネイル。すまない……まだ分からないけれど、スネイルの成人は、一緒に祝えなさそうだ」

「えええええ!」

 そんな音を発しながら、口を尖らせて、両手の親指を立てて前に突きだした。


「すまない、スネイル。僕が言い出したことなのに。でも何か、君に贈り物ができるようにするよ」

「やった! 贈り物! 何かな! 何かな!」

 スネイルは小躍りしていた。


「きっと、素晴らしいものを用意するから待っててよ」

 オーリスとスネイルは、両手の親指を立てて前に突きだした。


◆◆


 数日後、オーリスはドゴールへと向かうことになった。


「じゃあ、みんな。また会おう」

 オーリスは一人一人、両手を使って握手を交わした。


「寂しくなるなあ」

 ガンドはポツリと言った。


「ガンド。僕はまた会おうって言ったんだ」

「そうだね、ごめんよオーリス」

「ふふ。いいさ……さあ、余り別れを惜しんでいたら、僕が泣きそうだから行くよ」

「なんだい、また会おうって言ったのに」

 ガンドが不満を漏らすと、オーリスは微笑んだ。


「よし、行くとするか……。海を真っ直ぐに突っ切っていくのは、何かがあったらマズいから、街道沿いに行く。そこだけは認識しておいてくれ」

「わかりました。よろしくお願いします、バラルさん」

 オーリスは、いつかジャシードがやって貰ったように、バラルの背中に魔法でくっつけられた。


「では、行くぞ!」

 バラルは杖を一振りして空へと舞い上がった。バラルとオーリスの姿が一気に小さくなっていく。バラルは東に進路を取り、ピックが飛ぶよりもずっと速い速度で飛んでいった。


「行っちゃったね」

 スネイルが、雲以外に何も見えない空に向かって呟いた。


「また会うのが楽しみだな。二年後、何を送ってくれるんだろうね」

 ジャシードはスネイルの肩に手を置いて言った。


「いいなあ。僕も何かおねだりしておけば良かった」

 ガンドが口を尖らせた。


「あら、ガンドったら。欲しがりなのは食べ物だけじゃないのね!」

 マーシャは杖でガンドの頭をコツンとやった。


「ううう。僕はいつもこうだ!」

 ガンドの苦々しい顔を見ながら、みんなで笑った。





 ヒートヘイズを結成した青年は、新たなる道を歩み始めた。

 出会いがあり、別れがある。新たなる旅は始まったばかりだ。



 第三章「新たなる旅立ち」 完

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