第60話 グーベル沼地

 ヒートヘイズの一行は、グーベル沼地の南側へと足を踏み入れた。

 グーベル沼地は、北側は南北に細長く伸び、南側は東西に伸びている。どちらも長い端から端まで歩くと、ほぼ丸一日かかる距離があり、その真ん中をイレンディア街道が突き抜けている。

 この沼地は、沼地と名が付いているが、沼に見える箇所は多くはない。殆どが草や枯れ草で覆われており、ぬかるんだ草原あるいは枯れ草原と言った趣だ。


 スネイルとオーリスがその感覚を開放して、怪物の気配を探ると、怪物の位置がおおよそ明らかになる。その方向へと歩を進めていくと、地面に近い位置を飛ぶ、沼虫の群れを発見した。群れの数は七匹、なかなかの数だ。


 ジャシードは、敢えて無言で沼虫に走り込んでいった。沼虫たちも気づいてジャシードに殺到してきたところで、ジャシードのウォークライが放たれた。

 沼虫たちは、ジャシードに向かって次々と針で攻撃し始めた。しかしジャシードは少しずつ下がりながら、それらの攻撃を器用に長剣で弾いている。


「ジャッシュが大変そうだから行こう!」

 オーリスは、レムリス西門の戦いを思い出しながら飛び出していった。あの時も、幼いジャシードは、五体のコボルドを上手に捌いていた。


「おう!」

 スネイルも腰のダガーを二本引き抜き、走り出した。


「僕も行くよ!」

 ガンドは、久々に持ち出した戦闘用の棒を振り回しながらでていく。


 その時マーシャは、既に魔法を練っていた。集めた魔法力を沼虫たちに向かって放つ。

 すると、沼虫たちの近くの地面が盛り上がり、沼虫の脚を三匹分飲み込んで地面に固定した。無様に羽をばたつかせる沼虫たちは、きっと何が起こったのか分かっていないだろう。


「上手い!」

 ジャシードは地面を蹴って後退すると、固定された沼虫たちとの距離を離した。

 そこへオーリス、スネイル、ガンドが飛び込んできて、それぞれ沼虫の背後を取り、攻撃し始めた。


 マーシャは更に次の魔法を準備していた。沼虫達が固定された場所に光の玉を放り込むと、光の玉は派手に炸裂し、沼虫たちを細かい部品に分解した。


 スネイルは二本のダガーで、鮮やかに空気を撫でつけるように切ると、沼虫の羽根はバラバラになって、沼虫は地面に落ちた。すぐさまとどめの一撃を刺す。


 オーリスは訓練用の人形で特訓した、正確な突きで沼虫の腹を貫き、胸を貫いた。沼虫は飛ぶこともままならず、地面でもがいた。


 ガンドは、ジャシードを攻撃した瞬間を捉えて、沼虫の羽根に棒を命中させると、カサカサという音を立てつつ、沼虫の羽根は折れ、沼虫は地に落ちた。最後の一撃を叩き付けると、パキッという乾いた音を立てて、沼虫は潰れて死んだ。


 ジャシードは、残った一匹を凄まじい剣速の切り上げて真っ二つに切り裂いた。


「いきなり基本が通用しなかったけど、みんないい動きだったね!」

 ジャシードは満足げに言った。


「これじゃあ、肩慣らしにしかならないよ」

 ガンドは棒をクルクルと回している。


「確かに。リザードマンみたいなのはいないかな」

 オーリスも物足りなさそうにしている。


「文句の前に、気配探る」

 スネイルは、既に集中してあちらこちらを眺めている。


「すまない」

 オーリスも気を取り直して、周囲の探索に取りかかった。


「いた。リザードマン」

 スネイルはいち早く、リザードマンの気配を探知した。


「よし、行こうか」

 ジャシードは、スネイルの先導について、沼の奥地へと入っていく。


 しばらく進んでいくと、リザードマンが二体、沼虫を捕まえようとしているところだった。


「奴らが沼虫を捕まえたら、突撃するよ。それまで姿勢を低くして待機」

 ジャシードが指令を出すと、全員がそれに従って姿勢を低くした。


 リザードマンたちはシャーシャー言いながら、槍を突いて沼虫を捕らえ、そのまま口に入れた。


「行くぞ。みんなも続いて」

 ジャシードはそう言って飛び出していった。


「お食事中ごめんよ!」

 ジャシードは驚いているリザードマンたちを抜けてから、ウォークライを放った。リザードマンたちがジャシードの方へと振り向く。


 ジャシードは、長剣を攻撃対象へと構え、次々と突き出される槍を躱していく。槍は素早く攻撃できるが、ジャシードにはこれらの攻撃がゆっくりに見えるため、余裕を持って躱すことができる。


 マーシャは攻撃対象ではない方のリザードマンへ魔法を放った。リザードマンの顔の周りに濃い霧が発生し、リザードマンは気を取られて攻撃の手が鈍った。


 ジャシードは、リザードマンに切り上げの一撃を放った。しかしリザードマンは後ろへ移動してその攻撃を回避する。

 だが、それは予測済みの回避行動だった。リザードマンの後方で待機していたオーリスとスネイルは、それぞれ攻撃を開始した。

 まずガンドの棒術がリザードマンの頭部を捉え、リザードマンの頭蓋から、コーンと言う凄くいい音が響いた。

 更にオーリスのレイピアが突き刺さった。リザードマンは痛みに苦しみ、動きが鈍る。そこへオーリスの追撃が襲いかかる。

 オーリスは、目にも止まらぬ速さの突きを繰り出し、リザードマンを穴だらけにした。

 そこへスネイルのワスプダガーが炸裂する。リザードマンは弓なりになり、がら空きの前面にジャシードの一撃が炸裂した。ばっくりと切り裂かれたリザードマンは、大量の体液を迸らせながら、その場に倒れこんだ。


 顔の周りが霧で覆われているリザードマンは、あらぬ方向を攻撃していた。

 マーシャは杖の先に炎を作り出すと、霧に覆われているリザードマンへと放った。

 リザードマンは、激しく燃え上がったが、上手く沼に身体を預けて消化した。

 そのままリザードマンは、沼の中に潜っていこうとして、身体を沼をねじ込み始めた。

 しかしマーシャは、電撃の魔法を沼に放ち、リザードマンを感電させた。ビクビクと震えるリザードマンは、暫くして動かなくなった。

 動かなくなったリザードマンへ、オーリスのレイピアが突き刺さった。続けてスネイルの二本のダガーがそれぞれ、リザードマンの急所を捉え、リザードマンは動かなくなった。


「うん、良いんじゃないかな。ガンドの立てたコーンって音、笑いそうになっちゃったけど。オーリスのレイピアの手数もますます増えているし、スネイルのダガーはきっちり急所を突いてる。マーシャの魔法も適切だし、言うことないね」

 ジャシードが冷静に観察していた結果を言うと、それぞれ嬉しそうな顔をしていた。


「アネキの魔法、色々あるね」

「でしょう? 魔法の本で、色々な応用を勉強したのよ」

 マーシャは、得意満面でスネイルに微笑んだ。


「さすがアネキ!」

 スネイルは、両手の親指を立ててマーシャに突き出すと、マーシャも真似して両手を突き出した。


 その後もグーベル沼地を進んでいったヒートヘイズの面々だったが、その後はリザードマンを見つけることができず、沼虫との戦いに終始した。

 そうこうしているうちに夕刻が近づいてきたため、一行はエルウィンに戻ることにし、街道へ戻るとエルウィンへ向けて歩き出した。


 エルウィンに到着し、商会の屋敷を目指した。その道すがら、武具店の前を通りがかると、ナザクスが何やら揉めているようだった。ナザクスは捨て台詞を吐いて、武具店の扉を乱暴に閉め、扉を蹴り飛ばしたところだった。


「ナザクスさん、どうしたの?」

 ジャシードは、ただならぬ雰囲気を纏ったナザクスに近寄っていった。


「ああ、ジャシードか。なんだか、スノウブリーズには売る武器はないんだとよ。武具を買い付けに来た商隊の連中も、理由もなしに軒並み断られてな」

 ナザクスは、武具店の扉を再度蹴り飛ばした。


「それじゃあ、何のためにグランメリスから来たのか分からないね」

「全くだ。なんなんだこれは。ふざけやがって!」

 ナザクスは、更に武具店の扉を蹴り飛ばした。店の中から、衛兵を呼ぶぞ、と言う店主の声が聞こえてきた。


「僕が代わりに話をしてみようか?」

「いいよ、もう。腹立たしい奴からの武具なんて欲しくねえ」

「そっか……何というか、残念だったね」

「グランメリスからの指示待ちになりそうだ。今日は酒場にでも行って飲んだくれてやる。なんなら来るか?」

「せっかくだけど、僕たちは訓練から戻ってきたばかりなんだ。泥だらけでね」

「よく見たらそうだな……。じゃあまたな」

 ナザクスは、片手を上げて去って行った。


「何でスノウブリーズやグランメリスには、武具を売ってあげないんだろう」

 ジャシードは首をひねった。誰かだけに武具を売らない、などと言うことがあるのだろうか。


「マーシャルさんに、武具を売って貰えば良いんじゃない?」

 マーシャが考え込んでいるジャシードの視界に飛び込んできた。


「そうだね、聞いてみよう」

 ジャシードたちは、とりあえず屋敷を目指した。



「それは、できない」

 マーシャルは、ジャシードの話を聞いて即答した。


「どうしてなんですか?」

 ジャシードはマーシャルの机に両手をついた。


「……ここからは他言無用だ……」

 マーシャルは、ため息をついた。


「グランメリスは時間をかけて、大量に武具を集めている。調査によると、グランメリスが他の街を侵略しようとしているらしい。だから、エルウィンは密かに、グランメリスとその関連のパーティーへ、戦いに使える物の販売および提供を禁止している」

 マーシャルは声を落として言った。


「侵略って……」

「まさに言葉通りだ。グランメリスだけでなくロウメリスも含めて、メリザスは食糧難になることが多いと聞く。それで食料の安定供給ができるように、他の豊かな街を支配下に治めようとする勢力があるようだ」


 マーシャルは肩をすくめながら、話を続けた。


「そんな事で侵略しようというのは、にわかに信じがたいが、実際そう言う話をグランメリスで聞いてきた者がいる」


「グランメリスの侵略って、どこに行くつもりなんだろう」

 オーリスが腕を組んで考えている。


「それは……」

 ガンドは、何かを言おうとしたが、言葉に詰まった。


「一番可能性があるのは、レムリスだ。その途中にあるネクテイルは、いの一番に狙われるだろう。ネクテイルを残しておくと、退路を断たれるからな」

 マーシャルは素っ気なく言った。


「本当なんですか? 侵略って、確実なんですか?」

 ジャシードはそう言いながら、シューブレンが言っていた、レムリスはいい街だ、と言う言葉が思い出されて心に引っかかった。


「エルウィンは、侵略させないために動いている。始めさせてはならないのだ。一旦始まれば、エルウィンも黙って見ているわけにはいかなくなる。ドゴールもそうだろう。つまり戦争になってしまう」

 マーシャルはハッキリと言った。


「僕たちにできることは、何かないですか?」

「それは既に依頼した。ゲートを作ることは、グランメリスが戦う理由を失わせることに繋がる。だから、なるべく急いで欲しい。グランメリスの動きが活発になる前にな」

 マーシャルはジャシードの肩を叩いた。


◆◆


 翌日、バラルが予定より一日遅れでエルウィンに戻ってきた。バラルは、心配をかけたことを詫びて、皆に事情を話した。

 ジャシードも、マーシャルに言われたことを話し、早く行動を開始することにしたいと言った。


 もはや全員の心は、グランメリスの行動阻止のためにも、ゲートを完成させる事に全力を注ぐ事に集中していた。


 特にジャシードやマーシャ、オーリスにとっては、全く他人事ではなかった。戦いになれば、家族が無事でいられる保証はないのだ。

 以前、怪物が攻めてきた事件よりも、比べものにならないほどの大変なことになるだろう。


「戦争は何としても避けなければな。戦争は拡大する。負の連鎖を生む。誰が勝ってもダメなのだ。怪物との戦いとは全く違う」

 バラルは真面目な顔でそう言っていた。


 誰も異を唱えるものなどいない。そして彼らにできることを、すぐにやり始めるしかなかった。出発を二日後と決め、準備を進めることに決まった。

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