第59話 目標

「では、わしは行くよ」

 バラルは杖を手にとって、その美しい装飾を撫でつけた。特に細工が施されているわけでもないようだ。


「砦は行かなくても良いんじゃなかったの?」

 ダリアーがバラルの顔を、いたずらっぽい顔で覗き込む。


「いや、パーティーは若くても、通すべき筋というものはある。それを大人が見せてやらないで誰が見せる」

 バラルは、ダリアーの鼻先に人差し指を突きつけた。


「ふふ、マジメなのね。大人ぁ!」

 ダリアーはバラルの人差し指をどけると、笑顔でバラルの鼻先に人差し指を突きつけた。


「マジメとかそう言うものでは無い。大人が見せるべき背中というものがある。次世代の若人は、そう言うものを見て、憧れ、真似て独自性を付け加えて成長していくものだ。エルフには分かるまい」

「だからマジメだって言ってるのよ!」

 ダリアーは、バラルの鼻を人差し指で弾いた。


「エルフは次世代の事を常に考えていなくても、寿命が長いから次の世代は勝手に育っていくけれど、人間は常に次世代のことを考えなければいけないから、大変だし、マジメよね……さ、引き留めてごめんなさい、攻撃してごめんなさい。また会いましょう」

 ダリアーはバラルの背中に触れた。


「ああ、またな」

 バラルは空気の流れを作り出し、空へと舞い上がった。手を振るダリアーが眩しく見える。


「わしはああ言うのが好みだったっけな……。ま、好みは変わるって言うしな」

 バラルは北へ進路を取りながら、首をひねった。


◆◆


 エルウィンで情報を集めていた五人は、それぞれのタイミングで屋敷に戻って来ようとしていた。


「おや、マーシャは大丈夫なのかい?」

 ジャシードにしがみついて戻ってきたマーシャを見て、最初に帰ってきていたオーリスが少し心配そうに言った。


「ああ、大丈夫だよ。調査の最中に、少しずつお酒を飲んでいたから、酔ってしまったみたいで……。部屋に連れて行くよ」

 ジャシードは、マーシャを半ば抱えるようにして、二階へと上がっていった。

 初めこそ少し酔った感じだったマーシャは、歩き進める毎にだんだん酔いが回ってきて、本格的に酔ってしまったようだった。今やジャシードの支えなしには歩けないほどだ。


「手を貸しましょうか?」

 いつの間にやら、クリーヴが二人の近くにいた。


「僕だけでも平気です。ありがとう」

「そうですか……。水をたくさん飲ませると良いですよ」

「じゃあ、起きたら飲めるように、水だけ用意してあげてくれますか?」

「かしこまりました」

 クリーヴは、そう言うと爽やかな微笑を残して去って行った。


 マーシャの部屋に入ってきたジャシードは、同じ間取りの部屋なのが分からなかったほど、その違いに驚いた。

 レムリスでは同じ部屋に暮らしていて、その違いは風景でしか無かったが、別々の部屋になってみると良く分かる。


 南向きの部屋にだけある窓の辺りには、いつの間にやら買っていた花が飾られているし、テーブルの上には刺繍の付いたテーブルクロスがさりげなく置かれている。

 全てが整頓され、その結果空いた空間に、さりげなくあしらわれる華やかさ。

 これが女性独自の感性なのかと、ジャシードは感心してしまった。近くにいたはずの、幼馴染みのマーシャは、少し離れているうちに成長し、大人の女性への進化を遂げようとしている。


 ジャシードは、慎重にマーシャをベッドに寝かせた。寝かせるとすぐに、マーシャは寝息を立て始めた。


 髪の毛が少し乱れているのに気付き、ジャシードはベッド際に膝をつき、手で梳いて直してやった。指と指の間に流れていく、マーシャの波打つ細い髪の感触は、彼らの子供時代を脳裏に呼び起こした。


 マーシャはいつも、ジャシードについて行きたがった。散歩でも、買い物でも、特訓でも……いつも彼の近くには、この自然な波打つ髪の毛が見えていたものだ。


 いつの間にか、周囲の大人の決まり事で子供から大人に変えられた二人は、子供と大人の狭間で揺れていた。


 ジャシードはマーシャの髪の毛が整ったのを確認すると、ベッド際から立ち上がり、部屋を出て行こうとした。


「ジャッシュ」

 ジャシードは、後ろから小さくマーシャの声が聞こえて振り返った。マーシャはまだ寝ていて、ただの寝言だったようだ。

 少しの間、寝ているマーシャを見ていたジャシードだったが、マーシャは彼に聞こえない寝言を何か言っている様子に見えた。

 ジャシードは鼻で小さくため息をつき、睡眠の邪魔をすまいと部屋を出て行った。


「ジャッシュ、だいすき」

 薄目を開けたマーシャは、部屋を出て行くその背中にそっと、すきま風が通り過ぎるかの如く言った。



 ジャシードが二階から戻ってくると、ガンドとスネイルの二人も帰ってきていた。


「やあ二人とも。良い情報は集まった?」

「集まりまくりまくった!」

 スネイルは、両手の親指を立てて、ジャシードに突き出した。


「ええと……集まり、まくり、まくった?」

「とにかくたくさん!」

 スネイルは、同じポーズをとったまま言った。


「それは凄い。どうやって集めたんだ?」

「おいら達は、店を巡ったんだ。武具の店とか魔法の店とか」

「なるほど、それは思いつかなかったなあ。僕らは衛兵さん達に言われて、酒場巡りだよ」

「そう言えば、アネキは?」

「酔って寝てる。飲み過ぎないように止めれば良かった」

「アニキは平気なの?」

「そう言えば、そんなに酔ってないね。父さんと同じかと思ったけれど、そうじゃないみたいだ」

「さすがアニキ! おいらも大人になったら、アニキと酒を飲む!」

「随分気が早いな」

「もう決めてんの。付き合ってよね」

「あっはは。もちろんさ」

 ジャシードも、スネイルを真似て両手の親指を立て、前に突き出した。


 オーリスは、二人のやり取りを見ていると、とても羨ましい気分になる。彼の家、レイフォン家は厳格で、毎日が息苦しかった。

 友達付き合いも制限されたし、彼が衛兵になるのすら、両親が止めたものだ。

 両親曰く、衛兵になるのは、支配される側の人間だと言う。レイフォン家は、支配する側の人間だから、衛兵になる意味は無いらしい。


 オーリスは子供ながら、この考え方には同意できなかった。同じ人間同士なのに、生まれだけで扱いの変わる世界など、彼の理想ではなかった。だからこそ、彼は衛兵になったし、家を捨てて冒険者となった。


 目の前の二人を見ていると、とても人間らしく、あたたかい。それは彼の家庭には無かったもので、彼が心の底から欲したものでもあった。


「その時には、僕も混ぜておくれよ」

 オーリスはジャシードとスネイルに言った。もちろん、両手の親指を立てて。


「ずるい、僕もだ!」

 ガンドも同じポーズを取って言った。


「二年後、その時には四人で祝おう、スネイルの成人を!」

 四人の親指を立てられた八本の手は、一つ所に集まった。


 一頻り盛り上がったあと、それぞれが得てきた情報を共有しあった。その中には、全く同じ怪物について言っているものもあった。


 幾つもある情報の中で最も近いのは、エルウィンの東側、エレネイア山脈の麓にある湖にいるとのことだった。エレネイア湖と呼ばれる湖の周辺に、オークジャイアントと呼ばれる怪物が棲んでいるらしい。

 情報によると、オークジャイアントは、その背丈十五メートルほど。一般的なエティンよりも大きいらしい。

 そのオークジャイアントが、よく手下を煽動して、エルウィンを攻撃させているらしい。……と言う部分については、想像や妄想が混じっているようで、人によって内容が異なっていた。


 どうせ歩いていくなら、途中のエレネイア湖に寄れば良いオークジャイアントに挑戦するのが、道程としては一番手軽だと思われた。距離としても、一日程度の道程だ。


 その次に行きやすいのは、ウェダール平原に生息するらしい、コボルドの一団だった。総勢二百程いるらしいその一団には、とびきり強いものがいるという。


 そしてデスナイトだ。デスナイトは、ヴァーランの伝説的な存在と言われていて、実際に見たことはない者たちの間で、噂として口伝されているものであった。それ故に、本当はそんな物はいないと断言する者もいた。

 どのみち、それらのことを言う者たちは、ヴァーランを見たことすらないのだ。


「あとは、バラルさんの情報を待つだけかな?」

 ジャシードは、今まで出てきた情報を紙に纏めていた。


 紙が欲しいと思ったその時には、クリーヴが紙とインクと羽ペンを持ってきてくれる。その働きは、商会に係わる誰に対しても分け隔て無く、自然に行われる。


「そうだね。バラルさんは、明日帰るんだったかな?」

「そう言ってたね」

 ガンドはオーリスに言った。


「それなら、明日は休みかな?」

「ジャッシュ、明日は五人でグーベル沼地に行ってみないか?」

 オーリスは、少しテーブルに乗り出して言った。


「何か気になることでもあったかい?」

 ジャシードは、ペンを置いてオーリスの方を向いた。


「いや……僕とマーシャは、まだパーティーに入って日が浅い。だから、パーティーの連携に上手く混ざれていない気がするんだ。だから、訓練をしたいと思ってね」

「分かった。明日は戦闘訓練にしよう。

 オーリスの話を聞いて、彼の心配はもっともだとジャシードは思った。四年間パーティーだった三人に、マーシャとオーリスの二人は何の説明もなく混ざっているが、ちゃんと説明をして訓練をするべきだった。


「僕も、ちょっといいかな」

 ガンドが少し言いにくそうに口を開いた。


「僕は元々、棒術が得意で……結構練習もしてきたつもりなんだけどさ、治療ができるのが僕だけだから、いつも後ろにいて待ってたりするんだよね。治療をできる人間は、後ろにいた方が良いのは分かっているつもりなんだけど、少しは僕も戦いたいなと思って。最近は、治癒魔法を飛ばす技も覚えたし、ずっと後ろにいなくてもいい気がするんだ」

「確かに、ガンドは僕と最初に模擬戦をしたとき、凄く強いなって思ったんだよね……うん。分かった。明日はそれも含めて、訓練をしてみよう。でも、ガンドがやられたら困るから、無理はしないようにね」

「もちろんだよ。ありがとうジャッシュ。みんなが身体を張っているときに、後ろで見ているだけなのは、ちょっと苦痛なときもあるんだ」

「ガンド、僕たちは君がサボっているとも思っていないし、いざという時にチカラを発揮してくれればいいんだ。でも、ガンドがそう望むなら、そうできるように動く訓練をしよう」


「やった! 戦いだ!」

 スネイルは随分と嬉しそうだ。


「スネイルは、チカラが有り余っているんだね。たまには、実戦で経験を積んだ方がいいかも知れないな」

「そうしよう、そうしよう!」



 翌日少し早めに起きた五人は、しっかりと武具に身を包み、グーベル沼地へと出発した。

 門を出る前に衛兵たちに確認すると、普段はスライムやら、沼虫と言うやや大きい虫が棲息しているのみで、リザードマンが現れることは滅多に無いらしい。

 先日襲われたと伝えると、今後警戒するという答えが返ってきた。


「とすると、軽めの訓練になりそうだね」

 オーリスは心なしか残念そうだ。


「練習なんだから、都合がいいね」

 ジャシードはオーリスの肩を叩いて、歩き始めた。


「アニキは、何にでも前向き」

 スネイルも、オーリスの背中をポンと叩いて、ジャシードの後を追っていった。


「あの二人を見ていると、何か自分が悩んでいることが、本当に大したことが無いって思わされる時があるよ」

 ガンドがオーリスに並んで声をかけた。


「さ、行きましょ。私たちが行かないと、訓練にならないでしょ」

 マーシャがオーリスの背中を押した。


「……そうだね。しっかり訓練して貰わないとな」

 オーリスは、ジャシードの元へと小走りしていくマーシャを追いかけていった。

 しばらく、街道を進んでいった。グーベル沼地は、街道を挟み込んで南北に展開している。

 ジャシードは、グーベル沼地を半分程度進んだ辺りで歩を止め、説明を始めた。


「それじゃ、簡単に説明するよ。今までの戦いで分かっていると思うけど、僕が怪物たちの注意を引き付ける役目だ。戦士の特技『ウォークライ』で注意を引き付けるから、僕が叫ぶまでは、攻撃しないようにして欲しい」

 ジャシードは、皆が頷くのを見回した。


「攻撃する相手を決めるとき、僕はそいつに剣を向けているから、剣の向きには気を付けて。それから、基本的には、怪物は一体ずつ倒す。みんなで別々の怪物を攻撃すると、数が減らないから有利に進められなくなる。最後に、これは基本だから、必ず守らなければいけないことじゃない。緊急事態はあるから、そういうときには各自最適な行動を取る。いいかな?」

 ジャシードの説明を待って、一同頷いた。


「そうだ。人数も増えてきたし、バラルさんが帰ってきてから、ハンドサインを決めよう。何かあったときには、手で合図を出すんだ。言葉を話さなくても伝わるから便利だよ」

「ジャッシュは、本当に色々知っているね」とオーリス。

「八歳の時の旅で、父さん達がやっていたのを見たんだ。いつか真似したいと思ってて、今思い出したよ。……さて、基本から試してみようか」


 五人は沼地へと進んでいった。

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