第53話 スノウブリーズ

 翌日、まずは十字路を目指して歩き出した。


 目の前には雄大なレンドール山を見ることができる。レンドール山には、中腹から雲がかかっており、その全体を眺めることはできない。しかしそれでも、如何にこの山が大きいかを知るのには十分だ。


「レンドール山は、本当に……本当に大きいね」

 オーリスは改めて感動していた。レムリスから見えるトポール山は、山と言うより超巨大な岩に見える。

 それに比べてレンドール山は、『これぞ山』と言わんばかりの雄々しい姿をしている。


「レンドール山は、カッコいい」

 スネイルはオーリスに同調して言った。


「頂上、見えないかなあ」

「レンドール山の頂上は、ほぼ見えん。大概雲の中だ」

 バラルはガンドに言った。


「実際、見えたとて、それが本当の頂上なのか、誰にもわからんがな」

 バラルは独り言のように言った。


「ウェダール平原も広い。果てしなく見える」

「でも、オークばっかり」

 スネイルは平原を見渡しているオーリスに言った。ウェダール平原には、見える範囲では、オークが多数生息しているようだ。


「ウェダール平原のオークたちは、弓も使うし、魔法を操る者もいる。更に言えば、街道まで出張ってくるやつもいる。街道だからと油断するなよ」

 スネイルの発言に、小さな油断を感じ取ったバラルが警告した。


「僕たちはまだ、魔法を使う怪物との戦闘経験が少ないから、気を付けないといけないね。もう東レンドール地方だしね」

 ジャシードは気を引き締めた。



 一行はそのまま歩き続け、昼ごろに十字路に着いた。


「南はレムリス、西はエルウィン、東に行くとメンダーグロウ、北に行くとウェルド。だって。どんなところかな」

 スネイルが、十字路に掲示されている道標を読んでいる。


「ウェルドは、エルウィンの南西にある小さな街だ。レムリス程度の大きさだな。エルウィンとの距離は、直線距離で一日だ」

「おお、近い」とスネイル。

「近いが、真っ直ぐに行くことはできん。間に海があるからだ。ウェルドまでは、レンドール山の麓を、北側からぐるっと回って行くしか無い。徒歩なら八日か九日かかるな」

「メンダーグロウは?」

「ここから東に、だいたい五日か六日の距離だ。北方の砂丘にある街で、レムリスより少し大きい街だ。遙か昔に造られた、大きな神殿のような場所がある」

「へえ。どっちも行ってみたい。途中に怪物たくさんいるかな」

 スネイルは、ダガーに手をやった。どうにも有り余るチカラを使いたくて仕方が無いらしい。


「ところで、エルウィンまでの間は、どこで野営するのがいいかな?」

 ガンドはいつものように、地図とにらめっこしていた。街道は、西に延びてから、エレネイア山脈を避けるように蛇行している。


「エレネイア山脈が、北西に張り出している場所がある。風抜け谷と言ったか……まあそんなところだ。そこは守りやすいから、野営にはちょうどいいだろう」

 バラルは記憶を頼りに言った。


「また、誰か来た」

 スネイルは北の方から、十字路に近づく人々を見つけて言った。


「レンドール地方は、人がたくさん通るのね。とりあえずお昼にしましょ」

 マーシャはいつものように料理を始め、男たちは皮の敷物を広げて休んでいた。

 スネイルとオーリスがいれば、いちいち警戒する必要はない。彼らは付近の怪物達の気配を察知することができるからだ。

 しかし、念のためジャシードは座らずに周囲の警戒……の振りをしながら、実際は接近する人物に警戒していた。相手は、もう二十メートル程度の距離まで近づいて来ていた。


 相手は四人組のパーティーのようだった。


「いやあ、いい天気だねぇ。ごきげんよう、冒険者の皆さん」

 リーダーらしき青年が声をかけてきた。マーシャのような、波打つ髪の毛は金髪で、白い透き通るような肌をしている。耳には四つ、木でできているようなピアスが付いている。背中に背負っている剣はかなり大きそうだ。


「こんにちは!」

 ジャシードは、敢えて元気に挨拶を返した。こう言うとき、ジャシードは印象を悪くする事はない。


「ちょうどお昼の時間だねぇ。我々もここで食べても良いかな? もちろん、たかったりしないから安心してくれ」

 リーダーらしき青年が言った。


「いいよ。人数は多い方が、怪物に襲われなくていいし」

 ジャシードは、危険は無いと判断して受け入れた。


「ありがとう。おれたちは、スノウブリーズ。おれは、リーダーのナザクスだ。こちらはレリート、ミアニルス、シューブレンだ。よろしく」

 ナザクスはさらりと自己紹介した。


「僕たちは、ヒートヘイズ。僕がリーダーのジャシード。マーシャに、スネイル、ガンドにオーリス、バラルさんだよ」

 ジャシードは、お返しとばかりに同じように紹介した。


「君たちは、エルウィンに行くのかい?」

「そうだよ。レムリスから来たんだ」

「そうか。おれたちも、ちょっと前に通ったな?」

 ナザクスはシューブレンと呼んでいた、一人だけ年上の男に言った。


「多分、二週間ぐらい前だろう。まあまあ良い街だな、レムリス」

 シューブレンは言った。黒髪で、白い肌、彫りの深い顔に厚い唇、大きな耳たぶは印象的だ。


「あたしたちは、エルウィンにいるのも暇だから、探索してたの〜。ね〜ナザクスぅ〜?」

 ミアニルスは、ナザクスに寄りかかった。


「よっかかんなよ」

 ナザクスはミアニルスを押し返した。ミアニルスの栗色の三つ編みが揺れている。押し返されて、黄色っぽい目が少し怒っている様子だ。


 もう一人の男レリートは、全く無言で笑いもせず、黙々と食事をしていた。細長い切れ長の目は、どこか一点をジッと見つめている。


「エルウィンに行くなら、おれたちも一緒に行っていいか?」

「いいんじゃないかな?」

 ナザクスの提案に、ジャシードは仲間たちに目をやると、仲間たちは特に不満は無さそうだった。


「いいみたい」

「そうか。ありがとうな」

 ナザクスはにっこり微笑んだ。


「ところで、ジャシード。君は、いや君たちは若いな。似た年齢の人もいるが」

「僕は、十五になったばかりさ」

「そうなのか、道理で」

 ナザクスは合点がいったように頷いた。


「おいらは十三になった」

 スネイルが主張した。


「あらぁ、かわいい〜」

 ミアニルスは、スネイルの顔を両手で挟み込んだ。


「かわいいくは、にゃいよ」

 スネイルは頬をむにむにされたまま、言葉を発した。上手く発音できない。


「にゃいよ、だって! かわいいいいいい! ナザクス、この子もってくぅ〜」

 ミアニルスは、スネイルが気に入ったようだ。


「おいらは、持って行かれないぞ」

「ああ。スネイルは渡せないな。大切な弟だ」

 ジャシードがそう言うと、スネイルは満足げに大きく頷いた。


「つれないわねぇ〜、可愛いのに〜」

 ミアニルスは、スネイルのほっぺたを人差し指で突っついた。



 食事を終えた一行は、スノウブリーズの四人を足して十人の集団になり、一路エルウィンを目指した。


 スノウブリーズの面々は、皆白い肌をしている。聞けば、メリザス地方から来たらしい。

 メリザス地方は、レムリスに朝方冷たい風を運んでくる元になっている北の土地だ。気候としては、ドゴールの正反対と言ってもいいだろう。


「遠路はるばる、やってきたんだな。どこか目的地が?」

 オーリスは、興味が出てきて質問した。


「いや。おれたちは護衛なんだよ。グランメリスから、商隊の護衛をやってるんだ」

 ナザクスは、両手を頭の後ろに組んで歩きながら言った。背中の大剣が、徒歩の調子に合わせて揺れた。


「ああ、商隊って……そう言う事か」

 ガンドは、これまで砦で聞いた『商隊』が、スノウブリーズが護衛していた商隊だと分かって言った。


「ま、生きるために、おれたちも金を稼がないと、やっていけないからな。特にメリザスでは、冒険者の稼ぐ方法は多くない」

 ナザクスは不満たっぷりに言った。


「怪物を倒せば良いんじゃない?」

 マーシャは、ジャシードたちがやったように稼ぐ方法を言ってみた。


「メリザスに来れば分かるけどな、怪物がとんでもなく強いんだよ。死んでしまったら意味が無い」

「そっかあ……」

 マーシャは、ナザクスの言葉に、少しだけ世界の広さを感じた。


「なら、こっちに移住したら良いんじゃないかな?」

 ジャシードは言ってみた。無理をして辛い場所にいる必要は無いのではないかと、彼は思う。


「そうも行かない。契約があるからな」

「契約って?」

 ジャシードは、耳慣れない言葉に反応した。


「おれたちは、雇われ冒険者なんだよ。月々の金を貰う代わりに、何でもやるって事」

 ナザクスはぶっきらぼうに言った。


「何でもって、なんでも、やるのか?」

 バラルが言った。


「何でもだ」

 ナザクスはバラルが含んだことを否定しなかった。


「生きるため〜なのだもの〜」

 ミアニルスは何故か、普通に歩かずスキップしている。


「なんだか、同じ冒険者とは思えないよ」

 オーリスは、含んだことが分かって、残念そうに言った。


「お前さんの見ている世界が、世界の全てじゃない。どうせみんな大したこともせずに死んでいく。お前さんもきっとそうなる」

 シューブレンが言った。


「お前たちには同情するが、そんな言葉を若者に叩き付けるような大人には、なりたくないものだ」

 バラルは、吐き捨てるように言った。


「現実を現実と言って何が悪い」

 シューブレンはバラルに噛みついた。


「悪いとは言っておらん。が、良いとも言っておらん。若者には夢のある世を見せてこそ、世界は良くなる可能性を持つ事ができる」

「ふん、この世界のどこに、良くなる要素があると言うんだ。殆どの人間は街の中に閉じ込められ、家畜を飼う家畜のまま死んでいく」

 シューブレンも、吐き捨てるように言った。


「やめないか、シュー。おれたちはおれたちの生活をどうすることもできない。ただそれだけのことだ。噛み付いたところで、状況が変わるわけではないだろ」

 ナザクスは、シューブレンの肩を叩きながら言った。


「そこをどうにかしたいのならば、どうにもならないという前提を捨てんと、何もできないと言っておるのだ。頭の硬い男よ」

「お前の頭の中のように、お花畑じゃねえんだよ、ジジイが」

 バラルとシューブレンは、十人の集団に良からぬ雰囲気を作り出していた。


「すまない、バラル。だがおれたちも、生きるためにやむを得ずやっている事もある。そこだけは分かってやって欲しい」

 ナザクスは頭を下げた。


「わしも、お前たちが生活のためにやっている事を否定はせん。わしが言っているのは、若者の夢を摘むようなことを言うなと言うことだけだ」

 バラルはそこについては、絶対に曲げなかった。オンテミオンもセグムもそうだが、彼らは未来を担う者達から、夢を奪うことをしない――仮に現実は違ったとしてもだ。


 ジャシードが現状から考えると、とんでもなく非常識な夢を持つに至ったのは、それを押しつぶそうとする者が近くにいないからだ。

 そのような夢は、もしかすると世の中を変える流れを作るかも知れないと、ジャシードの近くにいる大人たちも、ごく僅かな希望を持っている。

 託し、託され、未来へとその思いを繋いでいく。だからこそ、夢見る未来は輝かしく、強い光の中に希望となり得るのだ。


 バラルとシューブレンの言い合い以降、一行は言葉を発することもなく、ただひたすらに街道沿いに西へと進んでいった。


 風抜け谷は、エレネイア山脈と、北にあるレッテ山の間にある場所だった。この日は余り風が吹いておらず、風抜け谷と言う名前に相応しい場所では無かったが、テントを張る時に風が無いのはよいことだ。


 昼間の言い合いもあってか、ヒートヘイズとスノウブリーズは離れた場所にテントを設営し、別々のパーティーとして、それぞれの夜を過ごす事になった。


「どうも、スノウブリーズの人達とは相容れないな」

 オーリスは食事中にポツリと言った。


「とりあえず、シューブレンって奴は好きじゃない」

 ガンドも同意を示した。


「あの人を好きな人なんかいないでしょ」

 マーシャも思い出して、ふくれっ面をしている。


「仕方なくって言ってたし、シューブレンさんだって、今まで色々と、夢を打ち砕かれたことがあったから今があるんだよ、きっと」

 ジャシードはそれでもシューブレンを庇った。


「ジャッシュはお人好しすぎるよ……でも、僕は君のそう言うところは気に入ってる」

 オーリスは言った。


「お人好しのままでいた方がいいって事だね」

 ジャシードはオーリスの言いっぷりに、少し吹き出した。


「しかし、わざわざメリザスからこんなところまで、何を仕入れに来たのだろうな」

「メリザスに無いものを買いに来たんでしょう?」

 ガンドはバラルに言った。


「エルウィンに着いたら、少し探りを入れた方がいいかも知れんな。何となく、きな臭い感じがする」

 バラルは、離れた場所にある、スノウブリーズのテントに目をやった。


「やだなあ。みんな仲良くできないのかなあ」

 ガンドは困った顔をしている。


「あの口調で来られて、仲良くしろ言うのもねぇ……難しいわよね」

 マーシャも、スノウブリーズのテントに目をやりつつ言った。


「もういいじゃないか。わざわざ思い出して、嫌な気持ちを呼び起こすのはやめよう。もう少しでエルウィンだ。憧れの街の話をしようよ」

 ジャシードはそう言って、スノウブリーズの話を打ち切った。


 その夜は、エルウィンの街がどんなふうなのか、バラルに話させないようにして、若い五人でそれぞれの想像するエルウィンを言い合った。

 そして一番想像に近い人が美味しいものを驕って貰う、と言う勝負のをすることにし、その話で盛り上がった。

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