第54話 発動

「さあ、今日は遂にエルウィンだ!」

 ジャシードは、目が覚めると元気に起き上がった。テントはいつの間にか吹いてきた風にはためいて、バタバタと音を立てている。


 テントを出ると、ナザクスが近づいてくるのが見えた。


「おはようございます、ナザクスさん」

 ジャシードは、敢えて爽やかに快活に挨拶をした。


「おはよう、ジャシード。……昨日はすまなかった。シューブレンはいつもああなんだ。ヤツにも色々あって」

「誰かの今は、育ってきた歴史が作るんだってさ」

 ジャシードは、伸びをしながらナザクスに言った。


「……そうだな。その通りだ。シューブレンは、まさにそれで色々辛い思いをしている。だから、スノウブリーズで引き取ったのだが、問題も多くてね」

「リーダーって、大変なんだね」

「君にはそう言う悩みは無いのか?」

 ナザクスは少し疑っている顔で言った。


「うーん、僕は特にないかな。みんないい人だし」

 ジャシードは微笑みながら言った。今のメンバーに何ら不満はない。真実の言葉だった。


「そうか……スノウブリーズは、寄せ集めなんだ。仕事を請けるためのね」

「そうなんだ……。僕たちは冒険してみたいと願う人たちの集まりだから、やりたいことはみんな同じなんだ。多分ね」

「うらやましいよ。いつか、そう言うパーティーにしてみたいな。……まずは、契約を果たさないといけないが」

「どんな契約なの?」

「期間が決まっているだけだ。あと三年半ある」

「まだまだ、かかるね」

「ああ。でも逆に考えれば、三年半、食べるのに困らない。生きていける」

 ナザクスは、ため息交じりに言った。


「なんだか、生きるだけで大変そうだね」

「メリザスでは、冒険者になるって事は、こういうことだ。食べ物一つ取っても、自由はない。北の大地で取れるものは限られているからな。それで、街の役に立ちたいと思って冒険者になると、実際は雇われて、契約に縛られてこうして使われ……使えなくなったら捨てられる。空いた冒険者枠は、また誰かが入り、使われる」

 ナザクスは、声を低くして言った。恐らく、仲間に聞かれてはいけない愚痴なのだと、ジャシードは理解した。


「契約を途中でやめられないの?」

「やめたら、殺し屋に狙われてあの世行きらしい。誰も逆らわない」

「そうか……街の役に立ちたいと思っている人に対して、そんな仕打ちはひどい」

「また、話せるといいな、ジャシード……。君の冒険者としての経験は、きっと聞いているだけでも楽しそうだ」

 ナザクスは、そう言い残して自分のテントへ歩いていった。


 ジャシードは、ナザクスの後ろ姿を眺めながら、言い得ない寂しさに満たされていた。同じ動機で冒険者を目指したのに、ナザクスの今は最悪だ。

 環境というものは、これほど結果を変えるチカラがあるのかと、逃れられないものなのかと思い知った。

 同時に、自分の周りにあった環境が、どれほど素晴らしいものであったかを知って、大人たちに心の底から感謝した。


「……ナザクスは、かわいそうだね」

「スネイル、いたのかい」

「盗み聞きしちゃった」

「スネイルは、どう思った?」

「おいらも、ネクテイルでは幸せじゃなかった。オンテミオンさんに連れ出されて、アニキに会って本当に良かった」

「スネイルのおかげで、僕も成長できている気がする」

「だといいな」

「さあ、マーシャを起こして、テントを片付けよう」

「そうしよう、そうしよう」

 二人は、テントの方へと歩いていった。



 その日も、ナザクスが率先してヒートヘイズに付いていくことを選択したため、十人で行動することになった。


 ナザクスの悩みを知らなかったヒートヘイズの四人には、ジャシードが簡単に説明をしてやった。そのため少し気分が補正されたようで、共に行動することに反対はしなかった。


「シューブレンさんの子供時代って、どんな感じだったの?」

 誰も話そうとしないシューブレンに、ジャシードは敢えて話しかけた。


「そんな事を知ってどうする」

 シューブレンは、ジャシードの顔も見ず、ムスッとした様子で言った。


「先輩たちの話を聞くのが好きなんだ」

 ジャシードは笑顔のまま、引かなかった。


「まあいい、教えてやるよ」

 シューブレンは一息ついて話し出した。


「おれはロウメリスで生まれた。北にある寒い土地だ。ロウメリスは、お前の故郷レムリスの三分の二くらいの大きさしかない、貧しい街だ。農作物は育ちづらく、家畜も鹿だの、肉が硬いヤツばかりだ。ロウメリスは、ありとあらゆる意味で、グランメリスに依存している。人々は、危険を冒してグランメリスに買い出しに行き、命からがら戻ってくる」


「グランメリスには住めないの?」

 ジャシードは気になって聞いてみた。


「ロウメリスは、貧民街だ。グランメリスに住めないヤツが、ロウメリスに住む。グランメリスに住むのは、グランメリスの許可が必要で、金を積み契約を交わさなければならない。グランメリスと契約をしたくない者とできない者は、ロウメリスに住むか、命を賭けてレムランドへ向かうしかない。だが、誰がやれると言うんだ。ロウメリスの民はもう限界だ。どこにも行くこともできず、住む場所も無く、金を作ることもできない。そんな中、買い出し中の事故や、病気などで死んでいく。誰も彼らを助けてやることなどできない」


「そうか……そう言う辛い過去があったから、シューブレンさんは、現実を第一にするんだね」

「希望などは持っても意味は無い。果たせてこその現実だ。希望や夢は持っただけで果たせるのか? 違うだろう。まず目の前にある現実に打ち勝たなければ、その先には行けない」

 シューブレンはそう締めくくった。


 ジャシードは、本当にシューブレンが気の毒でならなかった。そして、ロウメリスはいずれ、救うべき街であると認識した。


 エレネイア山脈の張りだしている部分を街道は回り込む。すると、左側にはエレネイア湖が見えてくる。エレネイア湖の周囲には、オークが多数集まっているようだが、街に影響がないようなので放置して進んだ。


「街だ! エルウィンだ!」

 スネイルが大きな声を上げた。


 進み行く者達の目の前に、グーベル沼地と、その向こうにエルウィンの巨大な城壁が現れた。沼地もなかなかの広さだが、その沼地が霞むほどの存在感だ。


「お、大きい……これほどまでに大きい街だったとは……」

 オーリスは絶句した。何故なら、グーベル沼地を越えると、視界の端から端まで、ほぼ全部がエルウィンの城壁なのだ。レムランド砦の大きさにも驚いたが、レムランド砦が小さいと思えるほどの、もの凄い大規模な城壁だった。


「レンドール山もすてきだし、エルウィンも凄いわ……」

 マーシャも、余りの大きさに驚いている。


「想像以上の凄い街だね……」

 ジャシードも想像をいい意味で裏切られて、街の中を探検することを想像してわくわくした。


「早く沼地を抜けて、街に行こう!」

 ガンドは気が急いて仕方が無い様子で、小走りに街道を進み始めた。

 エルウィンは世界地図でも、街のなりが分かるほどの描き方をされていたが、それは実際の大きさだったと分かったのだ。ガンドはずっと誇張だと思っていただけに、地図マニアの興奮も大きい。


「待って待って待ってガンド待って止まって!」

 スネイルが叫んだ。


「なんだよう、スネイル」

「怪物がいる! 下がって!」

「え?」

 ガンドが振り返った瞬間、ガンドの目の前の何もなかった空間から、ヌッと剣が出現した。


「うわっ!」

 ガンドは身体を仰け反らせて剣を避けたが、尻餅をついてしまった。しかし剣は容赦なく次の攻撃に移り、ガンドに突き出されようとしている。


 剣がガンドに到達する直前、すっ飛んできたジャシードの長剣が剣を捉え、弾き飛ばした。剣は宙を舞い、沼地に落ちた。


「……オレノ、コウケキヲ、ヨケルトハ、ナカナカ、ヤルシシシシャナイカ……」

 ジャシードたちの前の前に出現したのは、二足歩行のトカゲだ。身長はジャシードよりも随分高い。二メートルぐらいはあるだろうか。筋骨隆々で、身体には不思議な文様の入った装束を纏っている。その目は真っ赤に染まってい


「こやつ、喋るのか……」

 バラルはぼそっと呟いた。


「ガンド、大丈夫かい?」

「ああ、うん。大丈夫……ありがとうジャッシュ」

 ガンドは目の前の敵から離れて後ろへと移動した。


「おいリザードマン。お前は十人と戦う気か? いい度胸じゃないか」

 ナザクスが背中から大剣を引き抜いて構えた。


「ッッシシシシシャシャシャシャ! ヒトリタト……シャシャシャ!」

 リザードマンは、笑っているような声を上げると、片手を上げた。


 周囲の沼地から、水を滴らせながら、リザードマンが続々と姿を現した。その数は三十以上。一気に数的な形勢はリザードマンに傾いた。


「シャシャシャ……シャアアアアアア!」

 リザードマンは、その手を前へ向けると、全てのリザードマンが一斉に動き出した。


 ピックはリザードマンに驚いて飛び立ち、近くの木の上に止まった。


 バラルは、驚いているラマの手綱を止め木に結びつけ、止め木を地面に差し込んだ。


「少し寝ておれ……」

 バラルがラマの眉間を指でトントンたたくと、ラマは目を閉じて大人しくなった。


「さて、マーシャ。わしらも真面目にやらんと、生き残れそうにないぞ」

「い、言われなくても、分かってるわよ!」

 だがマーシャは経験不足で、まず何をするべきか、全く分からなかった。


「街道の北と南で手分けする! 行くぞ!」

 ナザクスは北側に走り、ウォークライを放った。リザードマンたちは、ナザクスに向けて進み始める。

 レリートは無言で、ナザクスに殺到しようとしているリザードマンたちの後ろへ回り込み、両足を踏ん張った。

 レリートの周囲に黄色っぽい靄が出現し、リザードマンに向けて走り込んでいった。


「おいでぇぇぇ!」

 ミアニルスが杖をブンブンと振ると、ミアニルスの周囲に、宙に浮かぶ鎧が二体出現する。


「いっけぇぇぇ!」

 ミアニルスがリザードマンを指さすと、鎧たちは動き出し、リザードマンに向けて走り出した。


 シューブレンは弓に矢を番え、素早くリザードマンに放った。矢は一直線に飛んでいき、一体のリザードマンの目に突き刺さった。


「シュァァァ!」

 苦しんでいるような、リザードマンの声が聞こえた。


「しゃあらあああっ!」

 ナザクスは、大剣をリザードマンと一体に叩き込んだ。リザードマンは大剣の重量に押し潰されるように、真っ二つになった。大剣は沼地に突き刺さり、沼地の水が激しく飛沫を上げた。


 レリートがリザードマンに到達すると、巨大な戦斧を横凪ぎに振った。戦斧からの衝撃波で、付近のリザードマンが次々に体液を噴き出していった。


 そこへミアニルスの鎧たちが突っ込んでいき、リザードマンたちに殴り掛かった。

 リザードマンたちは、シャアシャアと呻き声らしき声を上げながら、謎の鎧に殴られっぱなしになっている。

 そこへシューブレンの矢が到達し、リザードマンは一体ずつ、確実にとどめを刺されていく。


「こりゃ、負けておれんぞ!」

 バラルは、スノウブリーズの手際の良さに感心して言った。彼らはバラバラだが、戦闘慣れしている。



 ジャシードは、ガンドを襲ったリザードマンと剣をかち合わせていた。ジャシードの攻撃は、完全に見切られていた。


 スネイルがジャシードに加勢しようとして、気配を抑えて背後に回り込んだ。そしてワスプダガーをリザードマンの背中に向けて突き出した。

 が、ワスプダガーはリザードマンの左手に握られたダガーで、後ろ手に弾かれた。


 リザードマンは少しずつ移動し、ジャシードとスネイルを正面に捉えようとしている。

 スネイルは一旦身を引いて、直接正面に捉えられるのを避けた。



 バラルは、リザードマンの中に、魔法使いと弓使いを発見し、まずはそれらに攻撃を集中させることにした。

 弓を引いているリザードマンに、得意の火の玉を放つ。しかし、リザードマンの魔法使いは、水の魔法でバラルの火の玉を相殺した。


「ほう、ならば……」

 バラルは杖を高く掲げ、振り下ろした。どこからともなく現れた雷が、轟音と共にリザードマンの魔法使いに炸裂する。更に、その雷は付近のリザードマンへと伝搬していく。

 リザードマンたちは、バラルが起こした雷に次々と打たれ、ブスブスと煙を上げながら丸焦げになった。


「マーシャ、こいつらには雷だ」

「わかった!」

 マーシャは、小ぶりの杖をブンブン振りまくった。杖の先から小さな雷が次々に出現し、ジャシードの戦いの邪魔をしようとするリザードマンたちに襲いかかった。

 リザードマンたちは、マーシャの小さな雷を、その大きさ程度の威力だと思い込んで避けなかったが、それは間違いだった。

 マーシャの撃ち込んだ雷は、見た目の何倍もの威力が込められていた。油断して雷に触れたリザードマンは、甲高い雷の炸裂音と共に、身体の部分がもげたり、破裂したりし始めた。


 オーリスも奮闘していた。リザードマンは、オークなどに比べて素早いが、オーリスも素早さでは負けていない。

 華麗にリザードマンの槍を避け、瞬間的に間合いを詰めてレイピアの一撃を叩き込む。

 これをリザードマン二体を相手にしながらやっていた。その動きは何となくセグムを思わせるものだ。


 ガンドは全体を見つつ、オーリスが傷つけばそちらへ、ジャシードが少し斬られればそちらへ、新しく覚えた、治癒魔法を飛ばす技術を使って治療を行っていた。


 ジャシードはこれまで戦った相手で、今目の前にいるリザードマンが、最も技巧的に優れた怪物だと認識した。

 ありとあらゆる攻撃は躱され、防がれてしまう。対してリザードマンの攻撃は変幻自在、ジャシードは素早く反応してはいるが、浅い傷を幾つも付けられていた。


「これでけりをつけよう」

 ジャシードは両足を踏ん張り、意識を集中すると、ジャシードの周囲に紅い靄が立ち上り始めた。

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