第107話 ドリアード救出

 キャベチ軍からかなり離れた森の中で、ワタルはステルスを解除した。

 それでもドリアードは相変わらず、ボーッとした様子で何の反応も無い。


(ヒマル、もういいよ。迎えに来て)


 ワタルは心の中でヒマルを呼んだ。

 ワタルの従魔となっているヒマルは、彼がステルスを解除すれば何処にいるのかすぐに分かる。


(了解なのじゃ。さすがは妾の主人じゃ)


 ついでに風の刃を敵軍に幾つか放ちつつ、ヒマルはワタルの方へ向かう。

 そして、去り際にキャベチの軍勢に向かってテレパシーを送った。


(森の守り手を使役するなど、どういう了見じゃ!これ以降、森はお主らの敵となる。ただの一人とて森から生きて帰れぬと知れ!)


 このヒマルの恫喝に、キャベチの兵隊達は震え上がった。

 心の中に直接届けられた声を意識しないで済む者などいる訳が無い。

 ヒマルの怒りが直接、兵士達の心を直撃したのである。

 忠誠心の薄い者や、今回の出兵に疑問を持つ者は戦意を失って逃げ出す者が多く出た。


「貴様ら、それでも誇りある公爵領の兵士か!」


 指揮官の立場にある者は必死で混乱する軍をまとめようとするが、崩れ始めた軍勢を立て直すのは非常に難しい。


「うるせぇ!やってられるか!」


「あんな化け物がいるなんて聞いてねぇよ!」


 1万人の軍勢も、その全てが生え抜きの騎士や兵士な訳では無い。

 食い詰めた冒険者やゴロツキ、報酬に目が眩んだ貧民街の住人や、徴兵された農民なども多く含まれている。

 それに、まともな兵士の中にも普段は別の仕事をしていて、有事の際だけに駆け付ける予備兵の様な立場の者もいる。


 予備兵は、騎士の様に高待遇で雇われている訳では無く、ましてや今回の出兵は自分の国を守る為の戦いでも無い。

 こんな状況で戦意を高く保つ事など出来る訳も無いのだった。


「敵前逃亡は死罪に値する。逃げる者は処刑しろ!」


 軍の指揮官の騎士が命令する。


「いや、しかしそれは……」


「ええい、構わん。見せしめにあそこの集団を焼き殺せ!」


 残酷な命令に、副官の魔法使いが難色を示したが、キャベチ軍の上官の命令は絶対である。


 副官は魔法の詠唱を開始する。


「我が名に於いて、この世の理に力を乞う。この世の不浄を焼き尽くす火神の力よ、我が元に集まりし炎の力を顕現し……」


 長い詠唱を唱えると、頭上に炎の玉が出現した。

 副官の魔法使いの顔には、既に疲れが見て取れる。


「ファイヤーボール!」


 渾身の火の玉が、逃げ出した十数人の者達を追いかけ、ひと塊りになっていた彼らの中央に直撃した。


 ゴオオォ


「うわーっ」


「何だ、熱っ、わっ」


 声をあげられた者は、まだ火傷で済んだ者である。

 火の玉の直撃を受けた者と、そのすぐ近くにいた兵士は、体が燃え上がり、声を出す事も出来ずに崩れ落ちた。


 体の一部が燃えて、その火を消そうと必死になっている者へ、追撃の容赦の無い槍が突き刺さる。


 逃亡兵の側も必死である。

 無茶苦茶に剣を振り回し、何とか追撃の者の攻撃を防ごうとしている。

 その振り回した剣が当たり、負傷する追撃兵もいる。


 全部隊のあちこちで、この様な光景が繰り広げられていた。


 何とか部隊から逃亡出来た者も、そのほとんどが森の魔物に襲われて命を散らしている。

 小人族の村の近くは、それなりに深淵の森の奥地なので、強い魔物が多く出現する。

 余程の実力のある冒険者か、もしくは対策に詳しい森の住人でもない限り、無事に通り抜けるのは難しいだろう。

 しかし、実力の高い冒険者ならこんな作戦に従う必要もないし、深淵の森に詳しい者は、少なからず森に畏敬の念を抱いているので、やはりこの様な行軍に参加をしてはいない。


 結局、1万人は下らない数を揃えたキャベチ軍だったが、ワタルとヒマルのドリアード奪還作戦により、その数を五千人程に減らしてしまったのであった。

 それでもまだ、小人族の村を攻めるには十分過ぎる戦力が残っている。

 村の危機が去った訳ではない。


 しかし、ドリアードを失った事で、キャベチ軍の進軍速度は極端に遅くなる。

 これでチームハナビの到着が間に合う事は確実になったのであった。


 さて、ドリアードをヒマルの背中に乗せて、ワタル達は仲間の元に戻って来た。


「精霊様……」


 ドリアードを見たエスエスは、その様子に相当なショックを受けた様である。

 クリクリとした目から、大粒の涙が溢れている。

 シルコがそっとエスエスの肩に手を乗せている。


「主人、何とかならんかの」


 人型になったヒマルがワタルにすがる様な目をしている。


「うーん、どうかな」


 ワタルはラナリアに意見を聞く。


「そうねぇ。闇の魔力にやられてるみたいだから、取り敢えず吸い出しとく?」


 確かにドリアードからは、禍々しい闇の魔力が立ち昇っている。

 本来なら鮮やかで透明感のある黄緑色の皮膚も、燻んだ様な色になっている。

 髪の色も黒に近い深緑色だ。


 ドルハンとの戦いで、闇の魔力を取り込み過ぎた時のラナリアを思い出させる状態である。

 あの時も、闇の魔力を体の外に出す事で回復したのだった。


「やってみるわ」


 ラナリアは【吸精の杖】を構える。

 特に詠唱をする事も無く、すぐにドリアードから立ち昇っている闇の魔力が杖に流れ込んで行く。

 すると、間も無く深緑色だった体色が明るい色に変化して行った。


 どんどんと杖に流れて行く闇の魔力。

 もともと精霊族は魔力の量が桁違いに多いのだ。


「ラナ、大丈夫?」


 シルコが心配そうにラナリアに声をかける。


「大丈夫みたい。マリアンが杖のバージョンアップをしてくれたお陰かも……」


 頼もしい言葉を返すラナリア。


「姫であれば、当然の事」


 信頼がブレないコモドは腕を組んで頷いている。


 エスエスは必死に祈りの様なものを捧げている。

 小人族独特の何かなのだろう。

 誰も知らない言葉を使った謎の祈りである。

 エスエスの体の周りに薄い魔力が発生している。


 と、ここでラナリアの表情が曇る。


 ドリアードの体は、大分本来の色合いを取り戻しているが、胸にある奴隷紋の様な紋章から湧き出ている闇の魔力が取り除けないのだ。


「何だか、闇がこびり付いている感じね。この紋章を何とかしないとキリが無いわね」


 と、チラッとワタルの方を見ながらラナリアが言った。


「よし、じゃあ紋章の解除をやってみるよ。ラナリアはそのまま続けていてよ。同時進行でやってみよう」


 そう言うとワタルも【エルフの杖】を構える。

 やはり無詠唱のワタルの杖の先から魔力が細く流れ出し、ドリアードの胸の紋章に向かう。


 そしてワタルの魔力が紋章に触れるが、奴隷紋の時の様にすんなりと紋章と同化してはくれない様だ。


「むっ」


 ワタルは更に魔力を込めるものの、紋章に変化は無い。

 少し考える様なそぶりのワタルだったが、そのままシルコに話しかけた。


「なぁ、電気は光魔法だったよな」


「えぇ、そうよ。光魔法の上位魔法が雷魔法よ。簡単に使っているワタルを見てると、その理屈にも自信が無くなるけどね」


 シルコの返事を聞いたワタルは、魔力に軽く電気を乗せる。

 静電気の様なピリピリした感じを紋章に伝えるイメージである。

 日本にいる時に見た、低周波治療器の記憶を参考にしている。


 すると、ドリアードの紋章が光り始めた。


「お、通った感じがするぞ」


 そう言うと、ワタルは魔力操作で紋章を弄り始めた。


 ドリアードは意識が無い様だが、身体はピクッ、ピクッと反応している。


 どうやら、この紋章は、奴隷紋の様に多層構造にはなっていない様だ。

 ワタルの魔力で紋章が回転を始めた。

 時計の秒針が進む様に、金庫のダイヤルをゆっくりと回す様に、紋章が回転して行く。


 紋章の上下が丁度逆さまになった所で


 パリン


 と、小さな音を立てて、その紋章が砕け散った。


 すると、その砕けた紋章の跡から黒い闇の魔力が浮かび上がり、小さなヘビの様な形をとった。


 キィァァァ


 その闇色のヘビは、小さな悲鳴の様な声をあげると、細かな闇の粒子となって消えて行った。

 その時ドリアードは、ビクッと大きく身体を仰け反らせて、バタッと力なく寝てしまったのであった。


 それでも、ドリアードの体色は綺麗な黄緑色になっている。

 髪の色も透き通る様な緑色で、エメラルドの輝きを彷彿とさせる。

 緑が綺麗なエスエスの髪に、透明感を5割り増しにした感じである。


 ただ、相当に弱っている様子である。

 ドリアードからは、微弱な魔力しか感じられない。


「このまま休ませれば大丈夫かも知れんが、心配じゃのう……」


 まだ、安心出来る状態では無い様だ。


「それにしても、さすがは主人じゃ。この様な方法で呪いを解くなぞ、見た事も無いのじゃ」


 その時、急にラナリアの様子がおかしくなった。

 顔色と髪の色が黒っぽく変わって来ている。

【吸精の杖】に貯めきれなかった闇の魔力が、大量にラナリアの体内に入り込んだのだ。

 ドルハン戦の後の時程では無いが、放っておくのは危険である。


「マズイわね」


 ラナリアを見たシルコが呟いた時には、既にワタルはラナリアの背後に陣取っていた。

 特に必要も無いのにステルスまで発動したらしい。


「ラナリア、いくぞ!」


 妙に張り切った声のワタル。


「え?……えぇ……お願いするゎぁぁあ、キャーッ」


 ラナリアの返事もソコソコに、後ろからラナリアの大きな胸を鷲掴みにするワタル。


「あああああっ」


 ラナリアの胸の先端から闇の魔力が絞り出されている。


「今日はスペシャルだぞ〜」


 ワタルは、ラナリアの胸を揉んでいる自分の手に微量の電気を流し始めた。

 先程のドリアードの解呪に使った技術を早速自分のものにした様である。


 ピリピリピリピリ


「きゃっ、ぁぁぁああああ」


 なんとも言えない声を出しているラナリア。

 ワタルの悪ふざけの様にも見える行為だが、これが劇的な効果を生み出した。

 ラナリアの胸の先端から噴き出していた闇の魔力が、ワタルの電気の魔力と反応して、ニュートラルな魔力に変化したのだ。


 その魔力は、そのまま漂いながらドリアードに吸収されて行く。

 まるで、元の場所に帰って行く様な、水が低い所に流れる様な、見ている者がごく自然な現象に感じられる流れであった。


 ラナリアの体内の余分な闇の魔力が放出され、彼女の皮膚や髪が元の色に戻るのと同時に、ドリアードにも元気が戻って来ている。

 ドリアードの体がうっすらと魔力を帯びて、淡く発光を始めた。


 そして、ドリアードがゆっくりと目を開けた。


「おおおっ」


 その姿を見ていたメンバーから感嘆の溜息が漏れる。


「わ、私は何を……ここは深淵の森……ですね」


 口を開いたドリアードだが、記憶が曖昧な様である。


「何も覚えていないのですか?」


 ルレインが優しく尋ねる。


「ええ……私の不注意で公爵に捕らえられて……ああ!私は呪いをかけられ……」


 ドリアードは慌てて自分の胸を見る。

 その姿は恐怖からか細かく震えている。


「呪いが消えている……でも確かに……」


「もう、大丈夫じゃ。何も心配無い」


 ヒマルがドリアードを優しく抱きしめる。

 ヒマルは少女の姿だが、妖精族の身体はもっと小さい。


 真っ白に発光しているヒマルと、エメラルドに発光しているドリアードが抱き合っている姿は、現実を忘れさせる様な、幻想的な姿に見える。


「貴女は、最上位の森の魔物ですね。貴女が助けてくれたのですか?」


「アルビノガルーダのヒマルじゃ。妾も手助けしたが、助けたのは妾の主人じゃ」


 その言葉で皆の視線がワタルに向く。

 ドリアードもその視線を追ってワタルの方を見ると……


 ワタルはまだしつこくラナリアの胸を揉んでいて、ラナリアに頭を小突かれている所であった。


「いつまで揉んでんのよ、全く……」


 赤い顔をしたラナリアが文句を言っている。


「あれが、妾の主人のワタルじゃ……」


 ヒマルは恥ずかしそうである。

 胸を張って、誇らしげに紹介するつもりだったヒマルが俯いている。

 主人が恥ずかしい事をしていると、その従者はもっと恥ずかしいのである。


「全く台無しね。さっきまでちょっと尊敬してた気持ちを返して欲しいわ」


 シルコの意見は、メンバーの気持ちを的確に代弁しているだろう。


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