第108話 闇落ちの権力者達
「あ、貴方が助けてくれたんですね……ありがとうございました」
微妙な空気を振り払うかの様に、ドリアードがワタルに声をかけた。
純真な事で知られる妖精族が、この時は唯の変態にしか見えないワタルに話しかける事が出来たのは、このドリアードの勇気の大きさに他ならない。
この時ばかりは、忠誠心が天よりも高いコモドですら、顔を逸らして見ないふりをしていたのだから……
ワタルは1つ咳払いをすると、意味もなく服の裾の埃を払ってドリアードの方を向く。
「えー、元気になって良かったです」
「ワタル様、森を代表して改めてお礼を言わせて下さい。ありがとうございました」
「いやぁ、俺だけじゃなくて、仲間や従者が優秀なんですよ」
「ワタル様は凄いのですね。ヒマルさんの様な高位の魔物を従魔にしている人族を初めて見ました」
ドリアードはニッコリと微笑んだ。
その微笑みは、妖精族を名乗るに相応しい、純粋な天使の微笑みである。
思わず一歩、ワタルがドリアードに近づく。
すると、ドリアードが一歩後ろに下がった。
その顔には、僅かな恐怖心と嫌悪感が見て取れる。
近付こうとした足を止めるワタル。
あれっ、と思ったワタルだが、もう一歩踏み出すと、
「……っ」
声無き声をあげたドリアードが後退った。
完全にワタルを怖れている様子である。
先程のワタルとラナリアの絡みが、相当なショックをドリアードに与えてしまったのであった。
純真な妖精族には刺激が強過ぎた様だ。
ある意味、キャベチにかけられた呪いよりも、意識がハッキリしているだけに生々しい。
ちょっと落ち込むワタル。
「当然よね……バカワタルスケベ」
と、シルコが追い打ちをかけている。
「しかし、妖精族がここまで感情を露わにするのは珍しいのじゃ。さすがは妾の主人じゃ」
「主人の力なら当然の事」
ワタルの従者達はブレない様子なのがせめてもの救いである。
さて、復活したドリアードは、小人族の村に状況を伝えるべく飛んで行った。
普通なら、妖精族が他の種族に力を貸す事は無いのだが、今回の事件はタチが悪いので特別だそうである。
ドリアードも小人族の村の防衛に協力するらしい。
これで、小人族の村にとっては百人力、いや千人力だろう。
感激したエスエスが、ドリアードの飛び去った方向に向かって、謎の祈りを捧げている。
森の小人族にとって、ドリアードは神様みたいなものなのである。
さて、ワタル達は急ぎ小人族の村に向かう。
ダメージを負ったキャベチ軍の進行は大幅に遅れるだろうから、落ち着いて村を目指す事にする。
いざとなれば、ワタルとラナリア、ヒマルは、飛んで駆け付ける事も出来る。
エスエス位ならヒマルが背中に乗せる事も出来るが、大人を乗せる事は出来ないらしい。
コモドは勿論のこと、シルコやルレインを乗せるのも無理である。
「何なの?私達が重過ぎるって事?」
シルコとルレインは怒っているが仕方ない。
「そんな事が出来るのは竜種の魔物位じゃ。そういうものなんじゃから……」
ヒマルは済まなそうにしているが、どうにもならないらしい。
そう言えば、ガルーダを従魔にしてキャリーは空を飛んでいたが、彼女は子供並みに小柄であった。
アルビノ種でも無い普通のガルーダに乗っていたのだから、ガルーダには相当に重い負担だったに違いない。
本来のガルーダの飛行能力は、到底望めなかっただろう。
当時のワタル達がキャリーに勝てたのには、そう言う理由もあったのかも知れない。
一方、その頃、キャベチ領のチルシュの街の領主の館の一室では、おぞましい光景が広がっていた。
「ぐわぁぁっ」
痩せこけた上半身裸の男が、自分の胸を掻き毟っている。
自分の爪で傷付けた体からは、おびただしい量の血が流れているが、身悶えする男にとってはそれどころではない様だ。
その男は人族の様だが、その体色は黒ずんでいる。
それも陽に焼けた黒では無く、灰色がかった黒色である。
見る者が見れば、相当な量の闇の魔力が体内に蓄積されているのが分かるだろう。
いわゆる「闇落ち」の状態である。
「闇落ち」になった者は、心と体は闇に支配されるが、他人の苦しみや憎悪などの負の感情を糧にして、自身の能力が大幅にアップする様になる。
だから簡単に他人を傷付ける様になるのだ。
しかし、この半死半生で床をのたうち回っている男は、闇の魔力によって苦しんでいる様に見える。
闇落ちした者は、闇の魔力を味方に付けているはずなのだが……
この部屋は領主の執務室である。
チルシュという大きな街の領主だけあって、高価な調度品が並び、内装も豪華で、一目で身分の高い貴族の部屋だと分かる。
しかし、この煌びやかな部屋も、室内に充満する闇の魔力によって何処か黒味がかっている様に見える。
床で苦しそうな声をあげている男からも闇の魔力が立ち上っているが、その周りでその男を眺めている者達からは、もっと濃厚な闇の魔力が感じられる。
「ふん、使えない奴だ。こいつを雇うのにいくらかかったと思ってるんだ」
一際大柄な男が、憎々しげに言い放つ。
この男がキャベチ公爵である。
背丈も周りにいる者達よりも大きいが、何より目を引くのはその横幅である。
丸々と肥っていて、その顔はタップリと脂肪の付いた二重アゴに埋まってしまっている。
体幹が大きく手足の短い独特な体型を、当然にオーダーメイドであろう高級な服が包み、ゴテゴテとした装飾品を身に付けている。
顔色は浅黒く、髪は濃いグレーである。
明らかに闇落ちしている姿である。
元々醜悪と言われるその容姿は、闇の力と相性が良いのか、すこぶる元気そうにも見える。
「全くですねぇ。ランド随一の呪術師だそうですが、下賤の者は当てになりませんなぁ」
キャベチ公爵に擦り寄るようにおべっかを使っているのは、このチルシュの街の領主であるトルイネン伯爵である。
この男、キャベチがここに居なければ、この街の絶対的な権力者なのだが、キャベチの前では召使いの様に低姿勢である。
このトルイネン伯爵も肥っているが、キャベチ程では無く、小太りの中年男である。
顔色はやはり黒っぽく、闇の魔力を身にまとっている。
やはり闇落ちしているのだが、彼が闇の力に身を落としたのはつい最近である。
キャベチ公爵が軍を立ち上げ、このチルシュの街に入ってからのことだ。
元々、トルイネン伯爵は権力志向の男で、権力者に従うしか能の無い貴族であった。
そんな所に、キャベチ領の絶対的な王である公爵が訪れて仕舞えば、トルイネンがキャベチに付き従う様に闇落ちするのに時間はかからなかったのである。
しかし、その影響で、僅かここ数日の間でチルシュの街の犯罪率が爆発的に増加している。
領主とは直接関わりの無い者の中にも、闇の力との親和性の高い者もいる。
闇落ちまでしていなくても、元々犯罪者ギリギリの精神構造の者もいるのだ。
何故か、こういった者達が影響を受けて、周りの者を傷付けたり、他人の物を奪ったりする様になったのだ。
この世界では、一般の者は王族や貴族に支配されているという観念が強い。
それが常識として根付いている世界で、支配階級にある者の影響は、色濃く社会に反映してしまうのかも知れない。
こんな事になれば、その街が衰退して行くのは目に見えているのだが、闇落ちした権力者がそんな事を気にしたりはしない。
そして、キャベチ公爵が闇落ちしているのだから、このチルシュの街を含むキャベチ領全体もどんどん荒れて行き、いずれは滅亡するのだろうが、その間の民衆の苦労は計り知れない。
今回の無謀な挙兵もその1つであろう。
そして、この部屋にはあと2人、闇落ちしている者がいる。
1人はトルーレ伯爵である。
キャベチ公爵の腹心で、ワタル達がチルシュの街を出なければならなくなった原因となった男である。
そして、もう1人は黒尽くめの男である。
この男はトルーレ伯爵の部下であり、貴族達の密命を受けて、領内の表には出せない様な影の仕事を請け負っている組織のボスである。
この部屋にいる者達の中で、この黒尽くめが圧倒的に戦闘力が高い。
この男がまとっている闇の魔力は、触れれば切れる様な鋭さを持っている。
その気になれば、瞬く間に全員を音も無く殺してしまえるだろう。
しかし、いくら闇落ちしていても、その様な事にはならない。
主人である貴族に忠誠を誓っているのだ。
いや、生まれながらにしてその様に育てられているのだ。
主人に逆らう事を思い付きもしない。
反逆する、という概念を持っていないのだ。
そういう一族なのである。
「それにしてもうるさいな。此奴はいつまで苦しんでおるのだ。ドリアードの呪いはどうなったのだ」
キャベチ公爵が、床で苦しんでいる男に冷たい視線を浴びせながら言い放つ。
すると、これにトルーレ伯爵が答える。
「何らかの方法で呪いが解除されたのでしょうな。強い呪いの反動は、術者に返って来ると申します」
トルーレ伯爵は、この場の他の貴族と違って引き締まった身体付きをしている。
相当に鍛え込んでいる様子である。
「絶対に解けない闇の力を使った呪いだと申しておったのに情けない奴だ。噂ほどの力では無かったという事か」
キャベチは侮蔑の視線を床の上の男に向けながら、まるでその男に興味が無くなったかの様に、腰に携えたサーベルを抜いた。
そして、サーベルを男の胸に突き刺す。
そこには躊躇いも無ければ憐憫の情も無い。
「うぐっ」
床で苦しんでいた男は、くぐもった声をあげるとそのまま息を引き取った。
「ひいいいっ」
「いやぁぁっ」
すると、部屋の隅から悲鳴があがる。
「ええい、うるさいわ」
キャベチ公爵は、反射的に自分のサーベルを悲鳴のした方へ投げつけた。
サーベルは、持ち手の方を前にして飛んで行き、ガスッ、という音を立てて何かにぶつかった。
「ううっ」
サーベルをぶつけられたのは、森の小人族の男性であった。
頭から血を流しながら部屋の隅に倒れる。
「いやっ」
もう1人いた小人族の女性が、倒れた男性をかばう様に覆いかぶさった。
それを見たキャベチ公爵は、慌てた様にそこへ駆け寄り口を開く。
先程までの尊大な態度とは違い、赤ん坊に話す様な猫なで声である。
「おぉぉ、済まなかったな。お前達が変な声を出すからだぞぅ。よしよし、これでも食べろ」
キャベチ公爵は、ポケットから飴玉を出して小人族の女性に与える。
「早く回復魔法で治してやりなさい。可哀想になぁ」
自分でやっておいて可哀想も無いのだが、キャベチ公爵自身はそんな事は気にして無い様である。
優しい言葉を使っている公爵だが、小人族の瞳には恐怖の色しか浮かんでいない。
しかし、公爵にはそれすら感じられない様だ。
更に異様なのは、この部屋にいる他の者達に全く動揺が見られない事だ。
こんな事は日常茶飯事なのだろう。
「ふん」
そして、キャベチ公爵は、鼻息を1つ鳴らすと部屋を出て行った。
他の貴族達も後に続く。
回復魔法を使っていた小人族も慌てて後を追っている。
倒れた小人族の男性も、少しフラつきながらも後を追う。
「中の死体を片付けておけ」
廊下にトルイネン伯爵の声が響いた。
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