第106話 進軍するキャベチ軍

 馬車が深淵の森に沿った街道を西に向かっている。

 春が終わり、真夏にはまだ早い初夏の日差しが森の木々を照らしている。


 この森の遥か奥の平和な村が、道を外れた軍隊に蹂躙されようとしているなど、現在の風景を見る限りでは想像する事は出来ないだろう。


 しかし、現実にはキャベチ公爵の興した軍隊が、エスエスの故郷の小人族の村に着々と歩を進めている所である。

 だからワタル達、チームハナビは旅路を急いでいた。

 キャベチ公爵の軍隊よりも早く、小人族の村に到着しなくてはならない。


 だが、それ程は焦ってはいなかった。

 歩兵を含む軍勢が深淵の森を進軍するのは、並大抵の苦労では無いからだ。

 まだ森の端に近い場所ならばまだマシなのだが、森の奥に進むに従って、木々は密集し、足場は悪くなり、強い魔物も多くなる。

 特に深淵の森は、奥地は未開の森であり、前人未到の地域も広く存在する。

 何があるか分からないのだ。


 森の小人族の村は、この深淵の森の比較的奥地に存在している。

 大した武力も持たずに、これまで小人族が平和に暮らして来られたのは、この深淵の森の険しさに守られていたからに他ならない。


 それに、これまで小人族の村が侵略されなかったのは、基本的に慎ましい生活をしている少数民族の村を侵略する旨味が無いからである。

 わざわざ多大な労力を割いて、小人族を侵略しても、それに見合う利益が無いのである。


 そう言った意味では、何故キャベチ公爵が軍を動かしたのかは謎である。

 いくら公爵が小人族にご執心だとしても、それだけで領軍を動かすとは思えない、と考えるのが普通であるが、この公爵は相当に評判の悪い貴族なので、本人の我儘だけで信じられない様な暴挙を犯す事も有り得ないとは言えないのだ。



 さて、気持ちの良い日差しの中をチームハナビの馬車は軽快に進んでいる。

 目指しているのはカムイの村である。

 この村は、ワタル達が初めてノク領に来た時に、最初に泊まった村である。

 納屋の様な所で寝たのだが、出された食事は美味しかったので悪い印象は無いのだ。

 この村に馬車を預けて、深淵の森に入る計画である。


 そして、深淵の森の中を通って直接、森の中小人族の村に向かうのである。

 普通の冒険者では、この様なルートを選ぶ事は有り得ない。

 たとえ森の中を専門とする狩人などでも、こんな事はしないだろう。


 深淵の森は奥地に入るほど深く厳しい。

 当然、強い魔物も多く住んでいる。

 余程森に詳しく慣れた者でなければ、森の中で新たなルートを進む事など出来ないのだ。


 しかし、チームハナビには森の小人族のエスエスがいる。

 そして、最上位の魔物であるヒマルもいる。

 更に、ワタルやラナリアは空の移動も出来るのだ。

 だから、深淵の森の中での長距離の移動も不可能な訳ではない。

 規格外パーティーのワタル達だからこその作戦なのである。



「さすがはエスエスね。頼りになるわ」


 シルコがエスエスを褒めている。


 一行は予定通りに深淵の森の中を進んでいる。

 カムイの村の近くから森に入り、既に3日が過ぎていた。


 ノク領とキャベチ領の領境の辺りはとっくに過ぎている。

 深淵の森の深くでは、貴族が決めた領地など意味が無い。

 ただ、森が広がっているだけである。


 かなり効率の良いルートをエスエスが選んで進んでいるので、深淵の森を進んでいるとは思えないスピードである。

 森の民であるエスエスの本領発揮である。


 それに、エスエス1人であれば避けて通るだろう魔物がいても、構わず突っ切っている。

 相当に強い魔物でも、コモドやヒマルの暇つぶしにしかならないのだ。

 深淵の森の本当の奥地まで行けば、本当の強敵も存在しているのだが、小人族の村がある辺りまでの森では、そこまで危険な魔物も存在しない。


 旅路は順調であった。

 あと1日もあれば、小人族の村に到着するだろう。


 ところが、この時ワタルはヒマルが複雑な表情をしているのに気が付いた。


「ヒマル、浮かない顔だな」


「……おお、主人殿、実はじゃな……ううむ、何となくなんじゃが……エスエス、お主は何か感じないかの」


「ええ、変ですね。森の様子が……不安がっているというか……」


 ヒマルと同様にエスエスも何か感じている様だ。

 森に住む魔物であるヒマルや、森の民のエスエスには常人では感じる事の出来ない感覚を持っている。


「キャベチの軍隊が森に入ったからじゃないの?」


 と、ラナリアが言うが


「いや、森の動物や魔物が騒ぐのは分かるんですが、これは森の木々の不安みたいなんです」


「そうじゃのう。山火事があってもこの様な雰囲気にはならんからのう」


 エスエスとヒマルは、やはり違和感がある様だ。


「よし、妾がひとっ飛びして先に様子を見て来るのじゃ。どうにも気になって仕方が無いからのう」


 ワタルが頷くのを確認して、ヒマルは少女の姿から、本来のアルビノガルーダの姿へと変身した。

 その白く光る神々しい姿は何度見ても美しく、メンバーの視線を釘付けにしている。


(ヒマルの強さは分かっているけど、気を付けてな。無理するなよ)


(……分かったのじゃ)


 ヒマルは、ほとんど羽ばたきもせずに、風の様に飛び立って行った。

 その表情は、ガルーダの姿になると分かりにくいが、幸福感に満ちている。


(妾に頼る者はあっても、心配してくれる者がいるとはのう。思いの外、気分が良いものじゃ)


 機嫌の良いヒマルは、グングンとスピードを上げて小人族の村に向かって行った。


 森の中を歩いていれば丸1日かかる距離でも、ヒマルが空を飛べばほんの数分の距離である。

 程なくヒマルは小人族の村を見つけ、そしてそこに向かっている軍勢を遠目に見る事が出来た。


 かなりの高度で飛んでいるにも関わらず、村の小人族はヒマルを見つけて、何やら騒いでいる様子である。

 小人族は目も良いのだ。


 深淵の森の只ならぬ雰囲気は感じ取っているのだろう。

 アルビノガルーダの出現が原因だと考えた小人族もいるのかも知れない。


(妾の所為ではないぞ。誤解なのじゃ)


 ヒマルは心の中で呟くが、当然小人族には伝わっていない。

 小人族の目が良過ぎるのも考えものである。


 ヒマルは村に異常が無いのを確認すると、向かって来ているキャベチの軍隊の方に飛んで行く。

 その軍勢を目にしたヒマルは、違和感を抱いた。


(なんじゃ、あれは)


 先ずは、小人族の村一つを攻めるには、余りに多い兵隊の数である。

 そして、その進軍のスピードの速さであった。


 ヒマルには正確な数は分からないものの、優に一万人を超える数の軍勢である。

 そして、本来なら大人数の移動を妨げるはずの森の木々が、まるで意思を持っているかの様に道を空けている様に見えるのだ。


 ヒマルには、この現象に心当たりがあった。


(しかし、まさかのう……)


 疑問に思いつつも、ヒマルは軍勢の先頭に近づいて行く。

 ヒマルが近付いた事で、キャベチの軍隊は大騒ぎになった。

 指揮官らしき者が大声をあげ、ヒマルに向かって矢が射掛けられる。


 その矢は、風の魔法に包まれたヒマルに届く事は無いのだが、彼女の苛立ちを誘発した。


(問答無用に矢を放つとは、低俗な魔物と変わらないのう)


 ヒマルは軍の先頭に風魔法を放とうとするが、思わずその行動を止めた。


(あれは、やはりドリアードじゃな……)


 キャベチ軍の先頭には、小さな少女が歩かされていた。

 首輪を付け、その首輪は鎖で繋がれ、その後ろにいる騎士らしき者がその鎖を持っている。


 少女の顔には精気が無く俯いていて、ヒマルの出現にも顔を上げようともしない。


 フォルムは普通の人族の様にも見えるが、体色は緑色である。

 大きな葉を折り重ねた様な形の服を身にまとっている。


(気配は妖精のものじゃが、ドリアードにしては闇の気配が強過ぎるのう。妖精族が闇落ちするなど聞いた事も無いのじゃが……特殊な個体なのか、隷属させられたか……ううむ、分からんのう)


 ヒマルは少しの間考えていたが


(とりあえず、主人に報告するかの。森の守り手を攻撃する訳にもいかんしのう)


 と、結論付けて一旦戻る事にした。


(でも、矢の礼だけはしとくのじゃ)


 ヒマルは、先頭のドリアードを避けて、その後方の軍勢に風魔法を放った。

 生み出された巨大な風の刃は、森を進んで来る兵士達に直撃する。


 ドドドーン


 その刃は後方の兵士達を蹂躙しつつ、地面に巨大な亀裂を生じさせた。

 更に3つ程の風の刃を追加で放ったヒマルは、面白くなさそうに、ふんっ、と鼻を鳴らすと飛び去って行ったのであった。


 この気まぐれなヒマルの攻撃で、キャベチ軍は数百人の犠牲者を出す事になった。

 そして、縦に長く伸びた形の陣形となっていたキャベチ軍は、前後に陣形を分断されて、大幅に進軍の速度を落としたのであった。



「主人殿、大変じゃ。森の守り手が敵に捕まっておるのじゃ。あれでは手が出せんぞ」


 ワタルの元に戻って来たヒマルが慌てて報告している。

 ヒマルは人型に戻っている。


「守り手って、森の妖精族のドリアードですか?そんな事があり得るんでしょうか……」


 エスエスが驚いている。


「俺は良く分からないんだが、ドリアードって何なんだ?」


 ピンと来ていないワタルに、シルコが説明する。


「ドリアードは森の妖精と呼ばれている妖精族よ。それぞれの森には、それぞれの妖精族がいて、森を守ってくれているのよ。森の自然が守られているのはドリアードのお陰なの。その守り手がいなくなったら森は滅びると言われているわ。ただ、強力な森の魔法を使えるドリアードが人族なんかに捕まるなんて聞いた事もないわね」


「そうですよ。守り手様が捕まるなんて考えられないです。それに、捕まえている者がいる事すら信じられません」


 エスエスは鼻息を荒くしている。


「でも、ドリアードがいるのなら、キャベチ軍の進軍が異常に早いのも納得出来るわね。ドリアードの魔法は、木々を自由に動かせると聞いた事があるわ」


 と、ルレインが冷静に意見を述べる。


「妾は確かに見たのじゃ。軍隊の前の森の木々が避ける様に道を空けておった。そして、ドリアードから闇の魔力を強く感じたのじゃ。強力な闇魔力で隷属させているのかも知れん。これは、ランド中の森に住む者を敵に回す所業じゃぞ。主人殿、許可を下され。彼奴ら一人残らず地獄に送ってくれるわ」


 ヒマルが本気で怒っている。

 このままだと、キャベチ領全てを滅ぼしてしまいかねない勢いである。


「まあ、待ちなよ。とにかくそのドリアードを助けるのが先だろう?軍隊をやっつけるのはその後にしよう」


「しかし、主人。無理に助けようとしても、奴隷化されているとしたらドリアードが攻撃をして来るかも知れないのじゃ。森の守り手と戦うのは嫌なのじゃ」


「大丈夫だよ。こっそり連れて来るから。すぐに一緒に行こう」


 ワタルは優しくヒマルをなだめながら、彼女の頭を撫でている。

 確かに、ワタルのステルスなら可能な作戦である。


 ヒマルは、頭を撫でられている気持ち良さにウットリとしそうになりながらも


「分かったのじゃ。主人に任せるのじゃ」


 と了解し、再びアルビノガルーダの姿になり、ワタルと一緒に飛び立って行った。

 ワタルの飛行魔法は、ヒマル程ではないものの、かなりのスピードが出る様になっていた。

 珍しく真面目に練習していた成果だろう。


 日本人としての感覚が残っているワタルにとって、魔法で空を飛ぶ事には、少なからず憧れがあったのだ。

 だから、暇を見つけては熱心に練習していたのだった。

 その成果の表れである。


「やるわね」


 見送っているラナリアが呟いている。

 大魔法使いを目指しているラナリアは、ワタルにも負けられないと思っているのだろう。


 それでも、ワタルではヒマルの飛行速度には到底及ばない。

 ヒマルは飛行速度を落として、ワタルと共に飛んで行く。


(悪いな遅くて)


(なんの。主人の飛行速度は人族の魔法とは思えない程の速さじゃ。人族の主人と肩を並べて戦地に飛ぶなどという体験をしているのは、ランド広しといえども妾だけじゃろう)


 テレパシーを使った会話だが、ワタルにはヒマルの気持ちが弾んでいるのが伝わって来ていた。


 そして、少し余計に時間は掛かったものの、キャベチの軍隊の先頭付近の上空に到着した。


 地上では、先程ヒマルが行なった攻撃の影響で、まだ騒然としており、軍を進める様子は見られない。

 それでも、上空のヒマルに気が付いた者がいたのだろう。


「おい、さっきのガルーダがまた来たぞ」


「弓隊を出せ!射ち落すんだ!」


「魔法使いは何処にいる!」


 元々浮き足立っていた軍隊は、更にパニック状態に陥っている様だ。


(ヒマルはこのまま敵の注意を引き付けてくれ。俺はドリアードを奪取する)


(分かったのじゃ)


 ワタルはステルスを発動。

 剣を抜き、ドリアードの方へ飛んで行った。

 ヒマルは、ワタルが移動するであろう導線に矢が飛んんで来ない様に軍隊の左側の側方に飛んで行く。

 更に、敵を挑発する様に弓隊の直ぐ近くをゆっくりと飛んでいる。

 ヒマルに数え切れない程の矢が襲いかかるが、その全てがヒマルの結界に弾かれて、ただの一矢も彼女に届きはしなかった。


 その間、ワタルは真っ直ぐにドリアードを繋いでいる鎖を持つ馬上の騎士に向かい、ステルスを発動したまま、その騎士の首を刎ね飛ばした。

 そして、直ぐにドリアードを抱きかかえると、森の木々の中へ姿を消した。


 兵士達がヒマルに気を取られている僅かの間の出来事である。


 ワタルは無言で森の中を進んでいる。

 ドリアードは、感情が無くなっているのか全く騒がないどころか、表情に変化も見られない。

 虚ろな目をワタルに向けるだけである。


 ふとドリアードの胸元に目をやると、そこには奴隷紋らしき烙印が付けられていた。

 シルコやコモドに付いていた様な奴隷紋とは違う様に見える。

 何やら禍々しい、闇の魔力が揺らめき立っている様な紋章であった。


 それを見たワタルは、腹立たしい様な、悲しいような、複雑な気持ちになったのであった。


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