第63話 シルコの失敗
深淵の森沿いの街道を、トルキンザ王国に向かって、ワタル達の馬は順調に進んでいる。
日差しは無く、曇り空である。
暑くも寒くも無い、乗馬日和と言っても良いだろう。
日本では花曇りと呼ばれる春の天気である。
雨さえ落ちて来なければ快適な旅路である。
早朝にロザリィを出て、宿のオヤジが持たせてくれた朝食を食べた。
まだ、日本で言うところの午前中である。
それほど急いでいる訳ではないが、馬車の旅と比べると馬の足が早く、どんどんロザリィから離れて行く。
この分だと予定していたよりも早く、昼間のうちに今晩泊まる予定の村に着きそうだ。
深淵の森に近い街道なので、たまに魔物が出てくるが、ゴブリン程度の弱い魔物ばかりである。
今回の旅で、異様に張り切っているシルコが瞬殺している。
シルコにしてみれば、自分の奴隷紋の為に仲間が動いてくれている訳で、どこか申し訳ないと思う気持ちがあるのだろう。
少しでも多く働いて、感謝の気持ちを表したいのかも知れない。
ハナビのメンバーは、シルコの為に旅することを嫌だと思ったり、恩に着せたりすることは全く無く、シルコは気の使い過ぎだと思っている。
まあ、シルコの気が済むのなら好きにすればいい、くらいに考えているのだった。
次の村まであと少し、という所でエスエスが声を上げる。
「グリーンボアがいます。この先を森に少しだけ入った所です」
森の小人族のエスエスは、森に関しては鋭い感覚を持っている。
森に限って言えば、ワタルの索敵能力を上回ることもある。
「リーダー、どうする?」
ワタルがルレインに声をかける。
本当に指示を仰ぎたくて、声をかけた訳ではないのは明らかである。
ルレインをリーダーと呼びたかっただけである。
その、ワタルの半分ふざけた調子が分かっているのだろう、ルレインは半ば微笑みながら判断を下す。
「そうね。街道に近い場所なら、他の旅人を襲うかも知れないわね。狩りましょう」
「じゃあ、私が行くわ!」
案の定、シルコが馬を駆って飛び出して行く。
「仕方のない奴だな。エスエス!」
「了解です」
ワタルとエスエスが、シルコのフォローに向かう。
グリーンボアは、以前にギルドのクエストで狩った事のある魔物である。
その時は、シルコがトドメを刺している。
今のシルコがグリーンボアに遅れを取るとは思えないが、万が一ということもあるだろう。
それなりに攻撃力の高いDランクの魔物である。
何か焦っている様子のシルコだけに、任せっきりにするのは心配だったのだ。
シルコが馬で少し走ると、ちょうど前方で街道に出てくるグリーンボアの姿が見えた。
深い緑の体毛が特徴的な、大きな猪のような魔物である。
通常、大きな個体でも3メートル程の体長なのだが、出て来たグリーンボアは4メートル近くあるように見えた。
こんな大きな魔物が街道にいるのは危険である。
シルコは馬を降りると、巨大なグリーンボアに向かって歩を進めた。
大きな魔物ではあるが、敵に向かって突進するしか能が無い魔物だ。
突進を避けながら、剣を急所に刺しこむだけである。
タイミングを誤らなければ、難しい事ではなかった。
シルコは、大きめの石を拾ってグリーンボアに投げつけた。
石はグリーンボアの鼻先に当たり、奴はシルコの存在に気が付いたようだ。
石をぶつけられた事で、シルコを敵と認定したのだろう。
体勢を低くして、シルコに向かって突進の構えをとっている。
「シルコ!待てぇ!」
背後にワタルの声がした。
待てと言われても、もうグリーンボアは向かって来ている。
その時、シルコは自分のすぐ斜め後ろに、自分の乗って来た馬が付いて来てしまっているのに気が付いた。
馬を脇に押しやろうとするが、シルコの力ではすぐには動かない。
シルコは迷った。
この場合の正解は、馬を見捨ててグリーンボアを仕留める事だったかも知れない。
馬は、自力でグリーンボアの突進を避けたられたかも知れないのだ。
しかし、まだキャベチ領にいる時に盗賊から手に入れて以来、ずっとシルコを乗せて来た馬である。
シルコに寄り添っていた方が、安全だと感じてシルコのそばに来てしまったのだ。
安全な道の脇に、ちゃんと繋いでおかなかったシルコの凡ミスである。
グリーンボアを仕留める事に気を取られ過ぎたのだ。
一瞬の逡巡の後にシルコが出した結論は、馬を連れたままグリーンボアの突進を避ける、というものだった。
はっきり言って悪手である。
間に合う訳がないのだ。
馬を引っ張って、道の脇に押しやりつつ、自分はそこに留まるしかない。
一緒に避けてしまったら、グリーンボアはシルコの方へ向かって方向を変えてしまうだろう。
それだと馬をかばえない。
馬がグリーンボアの突進の射線から外れかけた時、既にグリーンボアはシルコの直前に迫っていた。
シルコは後ろに飛び退ることで、少しでも突進の衝撃を逃がす以外に手はない。
それでも重傷は避けられないだろう。
下手をすると死んでしまうかも知れない。
この異世界での旅では、ちょっとした失敗が死を招く。
魔物を相手にした時は、少しの焦りや気の緩み、相手に対する侮りが、全て自分の身に跳ね返って来るのだ。
シルコは反省と後悔の中、後方へ跳躍する。
しかし、グリーンボアのスピードが速い。
シルコが跳ね飛ばされる……と、その瞬間
ズバァァァッ
グリーンボアが正面から真っ二つに切り裂かれた。
シルコの後方からワタルが放った風の刃である。
シルコが馬を引いて、正面から少し脇に位置を変えたので、風の刃の射線が空いたのだった。
しかし、タイミングが遅かった為に、2つに割れたグリーンボアの片方がシルコに衝突し、シルコは空中に派手に跳ね飛ばされてしまった。
まともな状態の突進よりは、遥かに衝撃は少なくなっていたものの、体重の軽いシルコを跳ね飛ばすには十分な勢いを持っていた。
空中を舞うシルコ。
意識は飛んでしまったようだ。
そのシルコを風のクッションが優しく受け止める。
ラナリアの風魔法である。
「まったく、シルコはしょうがないわね」
ラナリアは軽く溜息を吐きながら、シルコをそっと地面に降ろしたのだった。
トルキンザ王国へ向かう街道の脇の空き地で、シルコは正座をしていた。
もう、消えて無くなりたい、と思う程に絶賛反省中である。
グリーンボアの突撃は、ワタルの斬撃で威力がほとんど無くなっていた。
シルコの怪我は打撲程度で、問題になる程ではなかった。
シルコはラナリアの回復魔法ですぐに目を覚ました。
そして状況が分かると、そのままジャンプ、土下座をしたのであった。
「へぇ、ランドにも土下座があるんだな」
などとワタルが感心している。
そして、シルコはそのまま正座で反省中であった。
シルコが感じている程には、みんな怒ってはいない。
シルコの焦る気持ちをみんな分かっているからだ。
それでも、こんな事を繰り返されては堪らないので、お説教は避けられない。
「アンタが焦ってもしょうがないでしょうが」
と、ラナリア。
「もう少し落ち着いて判断しないと駄目ね」
と、ルレイン。
シルコは正座をして下を向いたまま頷いている。
「もう、いいんじゃないか?シルコも分かってるだろう」
と、ワタルが言うとエスエスも
「まあ、無事で良かったですよ」
と、言っている。
男性陣はシルコに寛大である。
と、シルコは泣き出してしまった。
優しくされると余計に悲しくなるのは、ある意味自然現象である。
「シルコが死んでしまったら、何の為の旅だか分からないですよ。みんな好きで旅してるんですから、シルコが気にすることはないんですよ」
エスエスはシルコに語りかける。
「でも、私……私の為なんだから……頑張らないと……って」
シルコは泣きながら、やっと喋っているようだ。
「だから、そんなに気張らなくていいんだって。感謝するなら、助けたワタルにしなさい」
と、ラナリアが言う。
「まあ、いいさ。今日のことは貸し1だな」
と、ワタルがシルコに言い放つ。
今日の事がシルコの重荷にならないようにする為の、ワタルなりの優しさである。
本来、冒険者のパーティーは、仲間で助け合うのは当たり前である。
借りも貸しもない。
その事をシルコは忘れているのである。
だからワタルはわざと「貸し」と言ったのである。
「シルコが元の姿に戻った時、オッパイを揉ませてくれたらチャラにしようか」
ワタルが趣味と実益を兼ねた事を言い出した。
また始まった……と、皆が思った時……シルコが頷いた。
「それで許して貰えるなら……」
なぜかシルコが了承してしまった。
大分精神的に弱っているらしい。
計らずとも、ワタルはそれに付け込んだ形である。
最低である。
「よーし、だったら頑張るぞぅ!」
と、ワタルの掛け声が響くが、他のみんなはシラーっとしている。
振り上げた拳をそっと降ろして、静かになるワタル。
これで笑いが取れると思っていたのならどうかしている。
さて、縦に真っ二つに斬られたグリーンボアは、次の村で売りさばく事になった。
そこそこ大きな村なので、高値ではないだろうが売れるだろう。
問題は運搬だが、ここはやはりラナリアの風魔法の出番だ。
風のクッションの上にグリーンボアを乗せて、ロープで馬と繋ぐ。
軽い荷車を引いている様なものだ。
魔力の消費は多いのだが仕方ない。
その場に捨てておくには惜しい魔物である。
それに、4メートルもあるグリーンボアの肉があれば、村の食糧事情はかなり改善する筈だ。
是非、村に持ち込みたい。
早足ならば1時間位で村に着くだろう。
「ワタル、あなたも手伝いなさいよ。出来るでしょ、とぼけちゃってさ」
「そんなに上手くは出来ないけどな」
ラナリアの指摘で、ワタルもグリーンボアの運搬を手伝っている。
結界魔法で漢字の魔法陣を書く時に、あれだけ細かい魔力のコントロールをしているのだ。
風のコントロールが出来ない訳はない。
ただ、慣れていないだけなのだ。
ワタルは風のコントロールの練習がてら、魔力を供給してラナリアを助けている。
これが結構上手く行き、グリーンボアのように大きく重いものでも、案外運べてしまう事が分かった。
これは収穫であった。
旅の途中でも、あまり後の事を考えずに狩りが出来るのは大きい。
旅の資金の為にも、食料の確保の為にも。
さて、風魔法のお陰で馬は早足で進み、程なく街道沿いの村に到着した。
大きな街であるロザリィに近い為、大きな村である。
店もあるし、食堂も宿屋もある。
村人は、真っ二つに斬られたグリーンボアを見て驚いていたが、歓迎してくれた。
金貨1枚で買い取りもしてくれた。
街での買い取りとそれ程変わらない値段である。
村としては、随分と頑張ってくれたようだ。
グリーンボアのような大型の魔物が村の近くの街道に出現すれば、村としても冒険者ギルドに討伐依頼を出さなければならない。
そうなる前に魔物を狩って貰えれば、その依頼料がかからなくて済む。
ましてや、村人に被害が出ないで済んだ事を考えれば、ワタル達を歓迎して当たり前なのである。
こうして、トルキンザ王国への旅の初日は終了した。
シルコは凹み気味だが、いい薬になったとも言える。
旅はまだこれからである。
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