第四章 奴隷解放
第62話 新たな旅路
ノク領の北側には、東西に大きな街道が通っている。
馬車がすれ違える程度の幅のある道である。
異世界ランドに於いては、十分に大きな街道ということになる。
ワタル達が、ドルハン暗殺のクエストに向かった時に使った、ノク領中央の街道に比べると、半分位の道幅で路面の状態も良くはない。
それでも、この街道の北側には、魔の森と呼ばれる【深淵の森】が手付かずで広がっている事を考えると、この位の道路整備の状況でも文句は言えないだろう。
この街道では、魔物が襲ってくる確率も高いし、盗賊の類も多いのだ。
ワタル達チームハナビは、この街道を東に向かっている。
目指しているのは、ノク領の東に位置するトルキンザ王国との国境である。
まずは、トルキンザ王国への入国を無事に成し遂げなければならない。
トルキンザ王国とノク領が属するドスタリア共和国との間には国交が無いので、人や物の出入りは限られたものになっている。
それでも、商人などは頻繁に出入りしているので物資の流通は結構盛んである。
お互いの国の利益になる事に関しては寛大なのである。
しかし、冒険者の出入りとなると、それなりの審査がある。
あまり変な輩が出入りするのは好ましくないので厳重なのだ。
ただ、審査と言っても、その者の内面まで分かる訳もなく、単純にAランク冒険者であれば入国を断られることは無い、と言われている。
でも、これは行ってみないと分らない。
たまたま、へそ曲がりの役人が仕切っていたりすれば、どうなるか分らない。
ワタル達にも、キャベチ領からノク領に入る時に苦い経験がある。
あの時は、強引に押し切ったが、いつも上手くいくとは限らないだろう。
まあ、いつもの如く出たとこ勝負になるかも知れない。
その北の街道を、馬に乗り、進んでいるワタル達。
今回は商隊の護衛などはしていないので、それぞれが馬に乗っている……ワタルを除いて。
ワタルは、まだ乗馬が出来ないのであった。
まあ、確かに練習している暇も無いのだが……
こればかりは、スキルや発想でどうにかなるものではないようだ。
エスエスと一緒に大人しく乗っている。
エスエスは、ワタルとタップリ話が出来て嬉しそうだ。
エスエスは、日本の進歩した道具や機器などの話が大好きなのだ。
異世界転移の話は大声では出来ないので、ワタルと距離が近い馬の上は都合が良いのである。
トルキンザ王国への旅は始まったばかりだが、ドルハンとの戦いを終えてロザリィに帰って来てから、既に数日が経過している。
意外と準備に手間取ったのだ。
激しい戦いを続けていたので、思っていたよりも身体や装備にダメージを負っていたのだ。
ルレインは、ドルハンの攻撃を受けた時の衝撃による傷が完治していなかった。
あの時、肋骨が3本も折れていて、回復薬のお陰で痛みや腫れは無かったのだが、まだ骨がちゃんと付いていなかったようだ。
それでも、帰りの旅路を普通にしていたのは、ルレインが怪我慣れしているからである。
並大抵の経験では、ルレインほどの剣技は身に付けられない、という事だろう。
細身で女性らしい体型をしているルレインだが、体幹にはしなやかな引き締まった筋肉がしっかりと付いているのだ。
肋骨の骨折くらいなら、その筋肉達が代わりに支えてくれる。
魔物や悪漢は、ルレインが怪我をしているからと言って待ってはくれない。
むしろ狙われてしまうだろう。
怪我を押して戦う事など、剣士にとっては珍しくないのだ。
ルレインはロザリィの街の病院に連れて行かれた。
骨折が完全に治るまで、3日ほどかかった。
ついでにエスエスも受診したのだが、こちらは全快していたようだ。
派手にやられていたのだが、その後のラナリアの回復魔法が強力だったらしい。
異世界のランドの病院は、日本の病院とは随分と違う。
現代医療には程遠く、手術なども出来ない代わりに、回復魔法や薬草による治療が行われる。
ある意味、地球よりも進んでいるのかも知れない。
日本の最新医療の限りを尽くしても、折れて転位している骨が3日で完治するなど有り得ない。
ただ、回復魔法の使い手の数が少なく、ほぼ貴族や王族が独占してしている状態である。
民間の病院の治療師もいるが、治療費がバカ高く、一般の庶民では滅多にかかれないのが現状だ。
だから、我慢をしていたり、諦めていたりするので、病気や怪我による死者の数が減らないのだ。
この異世界における今後の課題の1つだろう。
それから、武器や防具のメンテナンスにも時間がかかった。
武器屋のナライは、ルレインの剣を見て悲鳴をあげていた。
「どうすりゃ、この剣がこうなるんだ?」
ルレインの剣は魔剣ではない。
ただ、ひたすら硬く、折れない剣である。
剣のみに命を預けて戦うルレインにとって、最も大事な事は、剣が壊れない事である。
純粋に剣技を極めようとしているルレインが剣を失ってしまったら、戦闘力はガタ落ちになってしまう。
だから、とにかく丈夫な剣が必要なのである。
その剣が、壊れかけていた。
考えてみれば、その剣一本で、魔物を100体以上も切り刻み、ドルハンの【漆黒の魔剣】を受けたりもしたのだ。
まだ、その剣が原型を保っているのは、むしろルレインの技術の高さを表しているのかも知れない。
ルレインの剣とワタルの剣を見比べていたナライが
「ワタル、お前さんこんな良い剣を持っているのに、ほとんど使って無いだろう。だめだぞ、ルレインにばかり頼ってちゃ」
と、ワタルにお説教を始めてしまった。
「お前、男なんだから、ルレインの前に立って守ってやる位でなくてどうする?うん?こんな美人が、剣がボロボロになるまで戦っているのに、お前は何をしてたんだ?お前、防具だって傷1つ無いじゃないか」
ナライは、真剣にワタルを諭している。
ワタルは剣も使っているが、基本的な戦い方が違うのだから仕方ない。
風の刃を使うし、魔法、結界、ステルスと、武器や防具が傷付く事がほとんど無い。
しかし、武器屋のオヤジにそれを言っても仕方ないので黙って頷いている。
ラナリア達は、笑いを堪えている。
この場面で恥ずかしいのはルレインだろう。
むしろワタルに守って貰っていたのだから。
だが、それも言い出せずに、下を向いて恥ずかしそうにモジモジしている。
ワタルは、ナライに怒られながら、そんなルレインをチラ見しつつ
(こんなルレイン……アリだな)
などと不謹慎な事を考えていたのだった。
さて、問題だったのは武器屋よりも魔法屋であった。
店主のマリアンは、みんなの無事の帰還をとても喜んでくれた……までは良かったのだが……
ラナリアの杖を見た途端に顔色が変わる。
「あなた、一体どういう使い方をしたのよ」
ラナリアの杖を見ながら、マリアンはそう言った。
最早、悲鳴に近かった。
「闇魔法の回路が、凄く強くなってるわ。これじゃバランスが悪くて、他の魔法が使えなくなる筈なんだけど……あ、でも火魔法が……」
何やらブツブツ言い始めた。
またもや、この伝説の老エルフにも理解不能の現象が起きたらしい。
そして【吸精の杖】を見て、本当に悲鳴をあげた。
「キャー、何これ」
落ち着いた、色香漂うエルフの面影は消え去っている。
(つくづく残念エルフだよなぁ)
ワタルはニヤニヤが止まらない。
「この【吸精の杖】の機能はマックスだった筈よ。どうしてこんなに回路が広がっているのよ。よほどの密度の闇の魔力が無いと……いや、でもそれじゃあ杖が保たないか……」
マリアンのブツブツが止まらない。
埒があかないのでラナリアが声をかける。
「魔物の魔力を吸い取ったのよね……あと呪いの魔剣も……」
「は?!」
マリアンが更に驚く。
「あなた、何を言ってるの?そんな事したら駄目に決まって……いや、でも……それなら……」
また、ブツブツ言い始めた。
そしてラナリアに告げる。
「私の知る限りでは、そんな事をした魔法使いは1人もいないわ。いったい何の魔物だったの?」
「ボルケーノサイクロプスよ」
「は?ボルケーノサイクロプス!ちょっとそれ森の民の天敵じゃないのよ」
「4体……」
「は?4体?ちょっとそれどんだけの魔力よ。よく平気だったわね。あれ1匹で、エルフの村が全滅した事もあったのよ」
「でも、そのお陰で溶岩の魔法を覚えたわ。使いやすいわよ」
「いや、ちょっと聞いた事無い魔法なんですけど。人の身で使えるのは、あなただけかも知れないわよ」
「土魔法と火魔法を合わせるだけよ。闇魔法を他の属性に変えるのに比べたら簡単だわ」
「え?何それ。ちょっと意味が分からないんだけど……あなた、体内で魔力の属性変換をやってるの?」
「呪いの魔剣を使ってる奴がね、闇の魔力でガチガチに強化されてて攻撃が通らないから、その闇魔力を吸い取ってやったのよ。そしたら、アタシが黒くなっちゃって大変だったわ」
「あなた、よく戻って来れたわね。普通は闇落ちするわよ。ああ、それで強制的に魔力変換を覚えたのね。しかし、よくまあ、その歳でねぇ。私だって魔力変換を覚えるのに二百年かかったのよ。それでも、早熟の天才って言われたんだから……」
「そうなの?アタシ、運が良かったのね……確かにワタルが助けてくれなかったら危なかったわ」
「まあ、いいわ。それで、身体の方が心配ね。ちょっと魔力の流れを見てあげるから、裏に来てちょうだい」
マリアンはそう言うと、ラナリアを店の奥の部屋に連れて行く。
「あ、ワタルも来てちょうだい。あなたも危ないわ。闇の魔力を舐めたら駄目よ」
声をかけられたワタルは、嬉しそうに店の奥に入って行く。
闇の魔力の危険性などは全く気にしていないようだ。
だらしない顔のワタルをシルコが睨んでいるが、それだけで猫パンチを見舞う訳にはいかないので我慢している。
奥の部屋で、ワタルとラナリアはベッドに寝かされた。
ワタルは、マリアンにあちこち触られて嬉しそうである。
妖艶な雰囲気のマリアンに大興奮のワタルであったが、チェックは意外とアッサリと終わった。
「ワタルは大丈夫そうね。気絶する程の魔力を浴びて、何で平気なのか分からないけど、まあいいわ。問題はラナリアよ」
マリアンはラナリアの身体をあちこちチェックしていたが
「一見大丈夫そうだけど、もうちょっと詳しく見た方がいいわね。ちょっと裸になってちょうだい」
「え?」
驚くラナリア。
マリアンはテキパキと
「はい、ワタル。いつまでそこにいるつもり?先に帰ってちょうだい。ラナリアは今日はここにお泊りよ」
と言って、ワタルは追い出されてしまう。
これから奥の部屋で何が繰り広げられるのか、興味津々のワタルだったが、仕方なく外に出る。
ここでステルスを発動して覗き見する事に、捨てがたい誘惑を感じたが、グッと我慢したのだった。
ここで鬼畜に落ちる訳にはいかなかった。
まともに仲間として付き合えなくなってしまう気がしたのだ。
ワタルは涙を堪えて、みんなと一緒に宿に戻ったのであった。
ラナリアが戻って来たのは、2日後であった。
闇の魔力の影響は問題無いらしい。
なぜ、こんなにも時間がかかったかというと、ラナリアの魔法に対するマリアンの興味が大きかったようだ。
その代わりに、ラナリアは魔法に対するいろいろなアドバイスを受ける事が出来た。
でも、どうして彼女がこんなに魔法の習得が早いのかは、結局分からなかったようだ。
それでも、齢数百年と言われるマリアンの魔法は素晴らしく、ラナリアには大いに参考になったようである。
そんなこんなで、トルキンザ王国への出発は、大幅に遅れる事になったのであった。
しかし、今回の旅は、クエストでもなければ、追われている訳でもない。
今のところ、それほど急ぐ事もないのだ。
シルコの奴隷紋を早く外してやりたい気持ちは、みんなが持っている。
それでも、あまり慌てるよりは、旅をある程度楽しんでもいいだろう、と考えていた。
周りの警戒を怠る事はないものの、少しリラックスした雰囲気で旅を続ける一行であった。
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