第32話 初討伐クエスト

 春の日差しが所々差し込んでくる森の中を歩いていると、ふと緊張の糸を緩めてしまいそうになるのを感じて、ワタルは身震いする。

 ここは、ノク領の深淵の森の中。

 いつ魔物が襲ってきてもおかしくない場所である。


 ワタルと一緒に森を進むチームハナビのメンバーも、どこか疲れた様子が伺える。

 先ほどまで、不良冒険者とその取り巻き集団と戦闘を繰り広げ、その中に不良貴族も混じっていて、神経をすり減らしたばかりなのだ。

 疲れていて当たり前である。


 それでも、先頭を行くエスエスだけが元気に気を吐いているのは救いである。

 さすが森の小人族である。

 森の中は、彼にとって相性抜群の土地なのだ。


 それに、チームハナビ初のクエストである。

 冒険者に憧れていたエスエスとしては、絶対に成功させたいのであった。


 そんなエスエスが、いち早く魔物の気配を感じて、気配の方へ皆を連れて行っている。


 ほんの10日ほど前の彼らの行動から考えると、信じられないほどの変わりようである。

 ワタルと出会う前までは、魔物の気配を感じると、戦闘を避けて気配を消し、逃げる行為専門であった。

 そのために、敵を見つけるスキルや気配を消すスキルが上達したのだ。

 生き残るための必死の技術である。


 それが今は、その技術を使って魔物を見つけて、狩るために気配を消して近づこうとしているのだ。

 こんなことが出来るのも、ワタルと出会ってからというもの、ふとしたきっかけで戦闘力がグングン上がってきたからである。


「人って変われば変わるものなのね」


 ラナリアは、しみじみと考えてしまう。


 やっぱりワタルが現れてからアタシ達は変わった。

 どうということのない男の子なのだが、彼といると色々な問題が大丈夫な気がしてくるから不思議だ。

 実際に、考えられないようなピンチも普通に通り抜けてしまった。


 ラナリアは、自分の胸を掴んで、弾力が戻ってきているのを確認してから顔を赤くする。


「ちょっとエッチなのは考えものよね」


 ワタルのチョコバーの威力を確認して、自分の独り言に自分で照れながら森を進むラナリアであった。


「いました。あれです」


 先頭を行くエスエスが皆を止める。

 その視線の先、50メートルほど風上の森の木々の間に、濃い青色の毛並みが動いているのが見える。

 狼のような風貌、鼻先から尻尾の先まで2メートル程の大きさである。

 上顎の牙が非常に大きい。

 下顎の脇を通り、自分の胸に届きそうである。

 あの牙に貫かれたら、タダでは済まないだろう。

 ゴブリンあたりだと、一噛みで絶命させてしまうという。


 ワタル達もファングウルフを確認している。

 チームハナビのメンバーは、それぞれが皆、索敵能力が非常に高い。

 高ランク冒険者と同等かそれ以上だ。


 その中でも、圧倒的に能力が高いのはワタルである。

 その能力は、森の中のエスエスよりも上で、ランド全体でもトップクラスなのは間違いない。

 ところが、ワタルにはランドの知識が無いのだ。

 何かいるのが分かっても、ほとんどが未知のものなので役に立たない。

 逆に、細かく分かりすぎるので、情報が混乱して整理がつかないのだ。


 例えば、このファングウルフについても、ファングウルフを知らなければ、何の気配だか分からない。

 それどころか、周りの虫や小動物、集中すれば微生物の類まで察知してしまう。

 そのほとんどが未知の生物なのだから、判別出来ないのだ。

 高性能の顕微鏡を眼鏡代わりに使っているようなものだ。


 これは、ワタルが異世界で経験を積んで、色々なものを見聞きしながら知識を得ていくしかない。

 性能が高ければそれで良いという訳ではないのだ。


 知識で言えば、ハナビの中で一番はシルコだ。

 ランド全体に及ぶ、広範囲の知識は歩く百科事典のようだ。

 ただ、そのほとんどが本によるものなので、実際に自分の目で見たものは少ない。


 従って、森の中では、実践的な知識と経験を有するエスエスがリーダーシップを握ることになる。

 当然、ファングウルフともやり合った事もあり、頼りになるのだ。

 まあ、その時は逃げ回っただけのようだが……


「ちょっと状況が厄介ですね」


 ファングウルフを見ながら、エスエスが告げる。

 ファングウルフが5頭一緒にいるのだ。


 狼系の魔物は、動物の狼と同じで群れを作ることが多い。

 しかし、ファングウルフは単独で行動する魔物のはずだ。

 一匹狼として知られているのだ。


 だから、ランクDの魔物として認定されている。

 群れを作るのであれば、ランクはもっと高くなるし、討伐報酬も高くなる。

 危険度が跳ね上がるからだ。


 更に、今回は討伐報酬の他に、ファングウルフの素材が求められている依頼だ。

 ファングウルフの素材は、まず第一に牙だが、それに負けず劣らず必要とされるのが青色の毛皮である。


 だから、ラナリアの火魔法は使いたくないのだ。

 毛皮を燃やしてしまっては、収入半減である。

 弓か剣で仕留めたい。

 だから、群れているのは厄介だというエスエスの言葉なのである。


「弓で遠距離攻撃をして、反撃に来たところを剣で仕留めてください。シルコとワタル、大丈夫ですか?」


 エスエスが剣の担当者に尋ねる。


「考えてみれば、動物型の魔物は初めてなのよね。大丈夫だとは思うけどね」


 シルコが答える。

 かなりの強さのくせに、変なところで慎重なのだ。

 ヘタレの虫は簡単にはいなくならないのだろう。


「じゃあ、安全策で行こうぜ。物理防御の結界を張るよ。相手の攻撃だけ通らないようにするからさ」


 ワタルがシレッと解決策を提示する。


「え、何それ。そんなバカみたいなことが出来ちゃうわけ?なんか緊張してたのが恥ずかしいんだけど」


 ラナリアが抗議する。


「ま、初めてやるからな。心配なら軽く実験しておくか」


 ワタルはそう言うと、魔力を指先に集めて、地面に漢字を書いていく。


『右敵対物理攻撃無効化結界』

『左敵対物理攻撃無効化結界』


 4人のいる場所の両側にそう書くと、字に魔力を流し始める。


「この前も見たけど、複雑で分かりにくい文字よね。異世界の文字って感じがするわ」


 ラナリアが感心して感想を述べる。

 地球でも、外国人が漢字を覚えるのは相当に大変らしい。

 日本人にだって漢字が苦手な人はたくさんいるのだ。

 異世界人から見たら、更に訳が分からないのだろう。


 魔力が込められた漢字が光りだし、ワタル達4人の周りに透明な結界が作られた。


「これで大丈夫だと思うけどな。シルコ、ちょっと試しに外から斬りつけてみてくれないか。ちゃんと傷付けるつもりでやってくれよ」


「いいわよ。でも大丈夫かしら?」


 ワタルに頼まれたシルコは、結界の外に出て剣を構える。

 シルコは一応、人に当たらない場所を狙っているが、結界を壊すつもりで剣を降り下ろす。


 ブゥゥン


 シルコの剣の斬撃は、結界に触れた途端に力を失い、結界に止められる。


「!?」


 不思議な感覚にちょっと驚くシルコ。

 そして、何度もバシバシと剣を振るうが、結界を壊すことは出来なかった。


「確かに攻撃が通らないわね。なんか不思議な感じね」


 感想を述べるシルコにワタルは


「でも、こっちからは……ほら」


 パンチを出すように腕をシルコの方に伸ばす。

 ワタルの腕は、スッと結界を通り抜ける。

 そして、ワタルの腕はシルコの胸に向かって……


 ムギュッ


 シルコのオッパイを掴んだ。


「キャァァッ」


 シルコは反射的にワタルに猫パンチを見舞うが、結界に阻まれてワタルには届かない。

 ワタルは結界の中でニコニコしている。

 また、ワタルの悪い癖が出た。


「ちょっと、ワタル!」


 シルコが怒るが


「駄目です。気付かれました。シルコ!早く結界の中へ!」


 エスエスが叫ぶ。

 シルコがオッパイを掴まれた時の悲鳴で、ファングウルフがワタル達に気が付いたようだ。

 風下に位置取りをして、慎重に気配を抑えていたのだが、さすがに大きな声を出してしまえば気付かれるのは当たり前である。


 シルコを結界の中へ引っ張り込みながら、ラナリアが怒る。


「アンタ、何やってんのよ、もう」


「え、なんで私が怒られるの?悪いのはワタルでしょ」


「もう、ワタルのあれは病気なんだから仕方ないでしょ。アンタがオッパイを無防備に出しっぱなしにしとくからよ」


「出しっぱなしになんかしてないわよ!ちゃんと服を着てるでしょうが!」


 2人の言い合いをエスエスが止める。


「もう、いい加減にして下さい。ファングウルフが来ましたよ!」


 結界のおかげでもあるのだろうが、何とも緊張感のない話である。

 悪いのはワタルである。

 そのワタルは、結界の隅で小さくなってニヤニヤしている。

 もう、仕事は終えた感でいっぱいである。


 5匹のファングウルフは、凄いスピードでワタル達に向かって突っ込んでくる。

 気配が小さくて、美味しそうな餌が4人もいるのだ。

 自慢の牙を剥き出しにして、一噛みで仕留めようと襲って来ている。


 先頭のファングウルフが飛びかかって来た。


 ブゥゥン


 大きく開けたファングウルフの口が、結界に当たったまま静止する。

 やはり、結界は破れない。

 その口の中に、シルコが剣を突き出した。

 口の中から入った剣で頭の中を切り裂かれたファングウルフは、そのまま絶命する。


 バタッと地面に倒れるファングウルフ。

 そのファングウルフが倒れきる前に次のファングウルフが結界に激突。


 ブゥゥン


 やはり、口を開けたまま結界に衝突しているファングウルフの口の中にシルコが剣を突き刺す。


 ブゥゥン、ブゥゥン


 今度は2匹同時である。

 シルコとワタルが口の中をグサッと……


 アッと言う間に5匹のファングウルフの討伐が完了してしまった。

 結果的には、毛皮に一切の傷を付けずに討伐してしまったのである。


「何だか呆気なく終わったわね」


 ラナリアが言う。


「もう疲れたし、帰ろうぜ。5匹も狩れれば十分だろう」


「そうね」


 ワタルのやる気のない発言に皆が同意する。

 ファングウルフを街まで運ばなければならない。

 仕事はこれで終わりではないのだ。


「ここで解体してしまいましょう」


 森の一族のエスエスは、魔物や動物の解体も得意だ。

 エスエスは、ファングウルフの牙を取り出し、毛皮を剥いでいく。

 実に素晴らしい手際である。

 本当に森では役に立つ男である。

 シルコの胸を揉むくらいしか出来ないワタルとは大違いである。


 シルコも手伝って作業が進み、間もなくファングウルフの牙と毛皮が5組が出来上がった。

 それなりに森の深い場所なので、魔物の死骸も放置して良いだろう。

 他の魔物や動物の餌になるのだ。

 この死骸や血の臭いを嗅ぎつけて、間もなく他の魔物が寄ってくるだろう。

 それらと戦うのも面倒なので、早く立ち去ることにする。


 帰り道、先頭を行くエスエスは、初クエスト成功にご機嫌である。

 憧れの冒険者らしいことを初めて成し遂げて嬉しいのだろう。

 シルコも胸を揉まれたことは忘れたのか、やはり機嫌が良い。


 ファングウルフの解体を済ませてしまったので、荷物はそれほ重くはないが、毛皮が乾燥しているわけではないので、それなりに運ぶのは大変である。

 これが、食糧として肉を求められる魔物の討伐だとしたら、運搬だけで大変である。

 おのずと倒せる魔物の数を抑えなければならなくなる。

 効率よく収入を得るには、討伐クエストを受ける魔物の種類なども考えていかなければならないだろう。

 冒険者稼業も楽ではないのだ。


 ロザリィの街に帰り着いたチームハナビは、早速、冒険者ギルドに報告に向かう。

 クエスト達成の報告をして報酬を貰うのだ。

 素材の買い取りもして貰らわなくてはいけない。


 夕方の冒険者ギルドは、クエスト帰りの冒険者で非常に混んでいる。

 朝イチほどではないが、受付けには列が出来ている。

 イートインスペースもガヤガヤとしていて席もいっぱいだ。

 酒を飲んで、打ち上げをしている者もいる。


 ワタル達も列に並び、無事に受付けを済ませた。


 討伐報酬は、ファングウルフが5匹で銀貨25枚。

 牙と毛皮の買い取りが1匹当たり銀貨10枚の5匹分で50枚。

 合わせて銀貨75枚の報酬になった。

 日本円で75000円である。


 4人で割ったとしても、ランドの物価や生活水準を考えると悪くない稼ぎである。


 でもこれは、相当上手くいったパターンらしい。


 毛皮に傷が全く無く、剥ぎ取り技術も完璧だったそうだ。


「職人さんがいらっしゃるのですか?」


 受付けのお姉さんに尋ねられてしまった。

 さすがエスエスである。

 おかげで、買い取り価格を上乗せしてくれたのだ。


 それに、ファングウルフの牙は、通常は討伐クエストでは買い取りして貰えないそうだ。

 討伐報酬に含まれるのである。

 確かに討伐をしたという証明のために、ギルドに提出する素材なのだ。


 今回は、緊急の依頼だったので買い取りもして貰えた。

 その分、少し報酬が増えたのだ。

 通常のクエストなら、銀貨50枚くらいの報酬だっただろう。


 とにかく、チームハナビの初クエストは大成功と言っても良い出来であった。

 ワタル達は意気揚々と引き上げていった。


 冒険者ギルドから立ち去るチームハナビの様子を、ギルドのカウンターの奥から見ている者がいる。

 ロザリィの冒険者ギルドの幹部のルレインである。


「思ったよりも普通だったわね」


 ルレインは呟く。

 ギルド始まって以来の成績で冒険者試験を突破し、特殊なスキルを持つチームハナビの初クエスト。

 当然、ルレインも興味を持っていた。


 もしかするとファングウルフを何十匹も狩って来て、新記録でも打ち立てるのではないか、くらいの期待をしていたのだ。


「ちょっと、期待しすぎちゃったかしら」


 ルレインは、ガッカリしたような、ホッとしたような、不思議な気持ちになっていた。


 もっとも、ファングウルフ討伐の前に、冒険者とその取り巻き達を皆殺しにしたことを知らないからこその感想なのは言うまでもない。


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