第18話 雨の洞窟
春の陽気の中、二人乗りの2頭の馬が街道を進んでいる。
昨夜は、名前もない集落の空き家に泊めてもらった。
宿泊できるような施設のある集落では無かった。
森に狩りに行き、その日の糧を得ている家族が数軒、近くに住んでいるだけの場所だった。
その中の一軒が廃屋になっていて、そこに泊まったのだ。
野宿よりはマシだが、限りなく野宿に近かった。
少しの銀貨を渡して、肉と野菜を分けてもらい、焚き火で串焼きにして食事にした。
物足りない分は、ワタルのリュックに残っているチョコバーと飴で補充した。
相変わらず日本のお菓子は、異世界組には感動的なようだ。
この強烈な甘さは、ランドでは望んでも得られるものでは無い。
この高度のカロリー食は非常用に取って置きたいところだが、いつまでも保つものでもないので、機会があるごとに食べるようにしていた。
いつまでも現代日本の食品に囚われていてはいけないのではないか、というワタルの思いも働いている。
念のため、交代で見張りをしながら眠りに就いた。
ワタル達は皆、索敵能力が非常に高いので、誰か起きていれば安心して寝ることができる。
元々、貧民街の小屋のような家で暮らしていたのだ。
壁と屋根があれば上等である。
まあ、ワタルは現代の日本の高校生だったので、もっとマシな所に泊まりたいと思っても仕方がない。
しかし、ワタルは、富士の樹海で生活する気だった人間である。
さほど苦にはしていないようだ。
割とよく眠った一行は、日の出と共に出発するのに余計な疲労は残していなかった。
「雲行きが怪しくなってきたわね」
シルコが鼻をヒクヒクさせている。
湿度が高くなると、シルコの白と茶の綺麗な毛並みがペッタリとしてくる。
シルコの雨降り予報である。
太陽は真上あたりにある時間だが、雲に覆われていてよく見えない。
考えてみれば、旅に出て以来まだ雨に当たっていない。
決して雨の少ない季節ではないのだが、たまたまずっと晴れていた。
馬にまたがっての旅路なので、雨が降ると急に辛くなるだろう。
撥水加工されたレインコートがあるわけではない。
庶民は藁で出来た蓑のようなものを被るくらいだ。
一流の冒険者や金持ちの貴族なら、魔法でコーティングされたレインコートを使う者もいる。
これだと、コートから5センチくらい外側に結界を張って雨を通さない。
恐らく、地球上のどのレインコートよりも優秀だ。
現代の日本と比べると、随分と文明が遅れていると思われる異世界のランドだが、魔法のお陰で地球よりも遥かに発達している部分もある。
科学文明として見れば、ランドは中世か戦国時代位の文明だろうか。
しかし、魔法文明は地球の追随を許さないだろう。
ワタルのように、地球の科学文明の知識が有りながら異世界の魔法に触れた者が、ランドにどういう変化をもたらすのか。
ワタルの今後が楽しみである。
さて、しばらくすると雨が降って来た。
ポツリ、ポツリと落ちてきた雨粒は徐々に大きくなり、雨足が強くなっていく。
本降りになりそうである。
ワタルはリュックからレインコートを取り出した。
リュックの内側のポケットに、小さく薄くなって入っているナイロン製のレインコートだ。
ワタルの着ているサバイバルジャケットは水を通さない。
だから、レインコートはラナリアに貸そうかと思って取り出したのだが、ラナリアは風魔法で自分に雨が当たらないようにしている。
月の指輪を装備してから、魔法を使うのも楽なようだ。
ワタルは、レインコートをシルコに貸す。
エスエスも使いたそうにしていたが、レディファーストでいいだろう。
それに、サイズが合わない。
ラナリアの後ろに乗っているシルコに、ワタルはレインコートを渡す。
シルコはラナリアの魔法のおこぼれで、それ程は濡れていないのだが、嬉しそうにコートを受け取る。
「面白い素材で出来てるのね。全然、水を通さないわ」
レインコートを羽織ってご機嫌である。
急ぐ旅ならこのまま馬を進めるのだろうが、今はそうでもない。
雨が降ると、暗くなるのも早くなる。
早めに何処か雨をしのげる場所を探した方が良さそうだと判断する。
「ボクがちょっと見て来ます」
馬をシルコに任せて、エスエスは森の中に入って行く。
森の中だというのに、ドンドン気配が遠ざかり、辺りを探索しているようだ。
あまり森の奥まで行くと馬が入れないので、街道からそれ程は離れていない場所を探している。
しばらくするとエスエスが戻って来た。
「洞窟を見つけました。中に魔物の気配も無いし、ちょうど良さそうです」
さすが森の一族。
こういう時は使える男だ。
ワタル達は、その洞窟へ向かうことにした。
このまま進んでも、夜までに次の村に着くとは限らない。
洞窟で雨をしのぎながら、夜を明かしても良いだろう。
それほど街道からも離れていないので、少し木の枝を払ってやると、馬も洞窟まで行くことが出来た。
洞窟の入り口付近に馬を繋ぐ。
これで、大事な馬達も濡れないで済むのはありがたい。
「ボクは狩りに行って来ます」
エスエスは雨の中、食料調達に行く気だ。
弓を持ち上げて見せている。
「私も行くわよ」
レインコートを着込んでゴキゲンのシルコも働く気のようだ。
弓矢部隊は張り切って出て行った。
残されたワタルとラナリアは、洞窟のチェックだ。
それほど奥の方まで続いている洞窟ではない。
魔物の気配も、人の気配もない。
洞窟の奥には、人が使った跡が沢山残っていた。
焚き火の跡や、寝床の跡などがある。
雨宿りにはちょうど良い場所だし、野宿するにも良い場所だ。
先客がいなかったのはラッキーだったかも知れない。
「今夜はここに泊まりましょう。この雨の中を移動するよりもマシだわ」
と、ラナリアが告げるとワタルは
「洞窟に泊まるとか、初めてで緊張するわ」
などと言いながら楽しそうだ。
ラナリアの指示のもと、かまどを作り火を付ける。
その辺にあるゴザなどを集めて、寝床らしき物も作る。
先住者の残したゴミなどを端に寄せて片付けていると、やけに早くエスエス達が帰って来た。
獲物を手にしている。
耳の短いウサギのような小動物と、首の短いニワトリのような鳥を3羽、そして、ほうれん草のような葉をひと抱え持っている。
「大漁じゃないか。凄いな、短い時間で」
ワタルが驚いている。
エスエスは得意そうだ。
「上手く見つけられました。それから、この葉は茹でると美味しいですよ。群生しているのを偶然見つけました」
確かに、エスエスとシルコの弓の腕なら、獲物を見つけさえすれば射抜くのは簡単だろう。
魔弓の補正があるとはいえ、大したものである。
「血抜きをしてくるわ」
シルコはウサギと鳥を持って外に出る。
ワタルもついて行く。
「私がやるからいいわよ」
「いや、いいんだ。手伝うよ」
首を落として逆さに吊る。
血抜きが済むと、羽根をむしり、皮を剥ぎ、内臓を取り出し、シルコはテキパキと捌いていく。
異世界では当たり前の技術だが、ワタルには出来ない。
日本の都会育ちの高校生のワタルに出来るわけはないのだが、ワタルは、ここ異世界で生きていくために、こういう事も覚えなければいけないと思っていた。
慣れないワタルは、見ているだけで吐き気をもよおすが、グッと堪えてシルコを手伝う。
次からは、自分でも出来るように。
さて、暗くなる前に食事を済ますことになった。
今日の夕食は豪華である。
捌いたウサギと鳥を焚き火で豪快に焼いていく。
湯を沸かし、骨で出汁を取り、ほうれん草のスープも作った。
塩味のシンプルな料理だが
「ワイルドで美味いなぁ」
ワタルは、先ほど吐きそうになったことも忘れて喜んでいる。
ヘタレの弱虫高校生だったワタルだが、ずいぶん根性がついてきたようである。
「ワタルはちょっと男らしくなってきたわよね」
ラナリアが言う。
「確かにね。最初に見たときは、どうしようかと思うほど弱そうだったけどね」
シルコも同意している。
「この世界は、生きていくだけで強くなっていくような感じがするよ。俺のいた日本とは大違いだ」
ワタルは、気配を消して目立たないようにし続けていただけだった日本での学生生活を思い出しながら、しみじみと言うのだった。
さて、食事が終わるともう夕方だ。
着替えをする、服を乾かす、身体を拭く、食事をする、片付ける、こんな基本的とも言える生活上の作業にもかなりの時間を取られる。
日本での近代的で便利な生活に慣れてしまうと、少し時代が戻っただけで、かなり手間のかかることが多いと気付かされる。
ましてや高校生だったワタルは、身の回りのことはほとんど母親がやっていた。
食事の支度も、洗濯も、掃除すらほとんどしたことがなかった。
今のワタルは、出来ることは何でも積極的に手を出すしかない。
仲間達だけにやらせておくわけにはいかない。
引きこもりのヘタレ生活をしていた時とは、環境も、気の持ちようも変わった。
ワタルは大人になって行く。
その事を仲間達は感じているのだろう。
もちろん、ラナリアもシルコもエスエスも、ワタルに出会ってから急激に変わってきている。
それは、今までに無い変化だ。
ラナリアの魔法も、シルコやエスエスの弓もそうだ。
何より、特殊なスキルを持つワタルが仲間でいてくれることが大きいのだ。
強い相手にも恐れないで済むことが多くなった。
だからと言って大胆不敵になれるほど脳筋ではないが、基本的に臆病なメンバーにとっては大きな変化であった。
雨はまだ降り続いている。
ワタル達は交代で見張りをしながら眠りに就くことにする。
洞窟の中は、湿っぽかったが割と快適だ。
それに、ワタルがリュックから出したレジャーシートと、折りたたみのテントが好評で、湿っぽい地面に寝なくて済むのだ。
寝袋もそうだったが、ナイロン系の素材はランドには存在しないので、非常に驚かれる。
代わりになるのは、動物の皮を魔法で撥水性に加工したものや、水性の魔物の皮を使ったものなどで、あまり出回っていないし高価だそうだ。
折りたたみのテントは、ワタルが樹海で寝泊まりするために持っていたもので、1人用の小さい簡易テントだ。
留め金を外すと、バネの力でポンと広がってテントになる。
「これは魔法ではないのですか?」
エスエスはかなりビックリしたようだ。
「ワタルのいた世界はアイテムが進んでいるんですね。羨ましいです。はぁ、夢の様な世界ですね」
エスエスは、テントの構造をつぶさに観察して、バネ仕掛けのギミックを調べながらため息などをついている。
アイテムオタクの血が騒ぐようだ。
ワタルは、レディーファーストでラナリアにでも提供するつもりだったが、エスエスにテントを使わせない訳にはいかない空気になってしまった。
テントに潜り込んで幸せ満点のエスエス。
まあ、良かったよね。
そして、寝袋はラナリアに取られることになったワタル。
ワタルは、自分の体臭が染み込んでいる寝袋は嫌なのではないかと思っていたのだが、ラナリアは全く気にした様子もない。
「これ、暖かくていいわねぇ」
などと言って、寝袋に潜り込んでお気に入りの様子だ。
シルコは、濡れて脱いだ服は乾かしたまま、直接レインコートを着ている。
洞窟の中は、当然雨は降っていないのだが、よほど気に入ったらしくレインコートを脱ぐつもりはないようだ。
レインコートを着たまま、レジャーシートの上を陣取って、丸くなって寝るつもりのようだ。
もう、このレインコートは回収不能だな。まあ、良いけどね。
っていうか、寝袋もテントも返って来そうもないよなぁ。
諦めたワタルは、微笑みながら見張りに付くのだった。
異世界の洞窟の中、外の雨は強く降っている。
雨の音に紛れて、動物だか魔物だか分からないが、鳴き声がわずかに聞こえる。
周囲に危険な気配は感じられない。
ワタルは、この異世界ランドに来てから、気配を察知する能力がドンドン上がっているのを感じていた。
日本にいた時も、人間の悪意や敵意に敏感だった。
しかしそれは、今思えば何となく感じるという程度だった。
異世界に召喚された時に、その力がハッキリとしたものに変わり驚いた。
そしてそれがドンドン強くなっているのだ。
今では、洞窟の外にいる生き物の位置とその強さが、シッカリと感じられる。
その察知出来る範囲も広がっている。
およそ100メートルくらいだろうか。
大きな気配や危険な気配なら、もっと遠くでも索敵出来そうである。
これが日本なら、町内の悪人を残らず探れることになって、凄い超能力者になってしまう。
やはり、異世界における特殊な効果なのか、などとワタルは考えを巡らせていた。
身体は疲れていても、まだワタルには日の入りと共に眠る習慣が身に付いているとは言えない。
ワタルは、見張りの交代の時間まで索敵能力の検証などをして過ごすのだった。
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