第9話 ワタルの特殊能力

 月の綺麗な夜、神林渡(かんばやしわたる)は富士の樹海を歩いていた。

 富士の樹海は、富士山の裾野に広がる、日本でも有数の広大な森で、その森の奥深くはいまだ未開の森とされている。


 そんな樹海を1人で歩いているのには理由がある。

 いや、ここでなければいけない理由はない。

 いいや、理由なんてどうでも良かった。


 渡は疲れ果てていた。


 渡が樹海に入ってまだ1日目である。

 肉体的には、まだそれほど疲れてはいない。

 運動不足で虚弱気味の体だが、高校2年生の17歳である。

 若い体は、まだまだ大丈夫だ。


 疲れ果てているのは、渡の心である。


 渡は絶望感に苛まれて、この富士の樹海にやって来た。

 別に樹海に身を埋めようと思っている訳ではない。

 むしろ、生きる気満々でサバイバル装備を整えてきた。

 食糧などもそれなりに持っている。


 しかし、もしこの樹海で力尽きるならそれでも良い、とも考えていた。


 何とも中途半端な樹海行のようだ。


 渡は何処にでもいそうな普通の子供だった。

 勉強も運動もそれなりにできた。


 ところが中学校でイジメにあう。

 きっかけは些細なこと。

 イジメをする人間にとって、その理由なんて何でもいいのだ。

 イジメの主謀者は、息をするようにイジメをするだけだ。


 タチが悪いのは、それに乗っかる奴がいることだ。

 イジメる理由は、後からついてくる。

 そしてエスカレートする。


 渡も最初は跳ね返そうと頑張ったが、次々に離れていくクラスメートと解決する気の無い教師に絶望していく。


 渡はイジメを避けるために、目立たない行動をとり、危険を避けるために敵となる相手を察知するようになった。

 それでも、イジメは避けきれずに大変な中学生活を送った。


 高校に上がり、新しい生活が始まるはずだった。

 ところが、渡には分かってしまった。


 渡の中学時代に研ぎ澄まされた感性は、新しいクラスメートの本当の顔を暴き出した。


 こいつはイジメをする奴。

 こいつは喜んで乗っかる奴。

 こいつは見て見ぬ振りをする奴。


 クラスメートのほとんどは、渡の敵に見えた。


 渡の新しい高校生活は、やっぱり目立たぬように気配を消して生活することになった。

 学校に行く回数が減り、自室に閉じこもる事が増えた。


 中学時代には、相談にも乗ってくれて、一緒に悩んでくれた両親も、高校ではまだイジメられていないのに、こんな行動をとる渡を理解できなかった。


 渡はもう嫌になっていた。


 富士の樹海に行くことを決意した。

 何故、富士の樹海にしたのかは覚えていない。

 部屋に転がっていた雑誌で見たのか、ネット上をウロウロしていた時に見つけたのか。

 とにかく、あそこで生き残って帰って来れば、自分の人生の何かが変わるかもしれない、と思ってしまった。

 もし、そのまま朽ち果てるのなら、それで構わない。


 出来る限りの準備を整えた。


 だが、現実は甘くなかった。

 森を歩くのは大変なのだ。

 1日中樹海を歩いても、何も変わらない。

 当たり前である。

 日が沈み夜になる。

 綺麗な月が出ている。


 大きな木の根元に寄っかかり休憩する。

 野宿の準備をしなくちゃな。


 静かな夜だ。

 微かな風の音。

 虫の声。

 動物の鳴き声は聞こえないな。


 と、思った時にあたりが白い光に包まれた。


 目の前全てが真っ白になった。

 そして、光が収まると目の前に人がいた。


 おばさんと大猫と子供がいた。




「ワタルは、強力な隠密能力を持っている」


 ラナリアが力強く告げる。


「隠密って忍者が使う奴か?」


 ワタルが尋ねる。


「そのニンジャっていうのは分からないわ」


 ラナリアはシルコに目線を向けるが、シルコは首を振る。

 知らないようだ。

 ランドにはいないのだろう。


 ラナリアが続ける。


「暗殺者や諜報活動をする人達が使うスキルよ。気配を消したり、敵を察知したりするのよ。私達も結構得意なスキルよ」


「でも、ボクにはワタルを察知出来ませんでした」


「私も完全に見失ったわ。この狭い部屋の中なのに」


 エスエスとシルコは不思議そうだ。


 ラナリアは興奮して言う。


「そうなのよ!だからワタルの隠密スキルは相当強力なのよ。私達が見失うって、ちょっと考えられない位のスキルよ!」


「そうなのか?あんまり自分では分からないけど」


 ワタルはあまり興奮していない。


 それもそのはずである。

 日本でも散々やって来たことなのだ。

 イジメを避けるために、目立たないように気配を常に消してきた。

 イジメっ子を避けるために、敵意が近づくのを常に警戒していたのだ。


 そんな地味なスキルを誉められてもな。

 あまり嬉しくない。

 なんだよ、異世界に来ても前と同じなのかよ。


 ワタルは不満であった。


「あんまり嬉しくないなぁ」


 ワタルが言うと、ラナリアが怒る。


「何言ってんのよ!凄いじゃないの!ね、ちょっとそのまま動かないで、気配だけ消してみて」


「分かった。こうかな……」


 ワタルが気配を消すように意識すると……


「いなくなった。もう、どこにいるのか分からないわ。目の前で消えるなんてどんだけよ」


 ラナリアが驚く。


 エスエスも


「ボクにも分かりません。それに意識を集中してないと、ワタルの存在そのものを忘れてしまいそうです」


 と言っている。


「これは認識阻害スキルね。それにしても相手の記憶にまで干渉するなんて聞いたこともないわ」


 とシルコも驚く。


「もういいわよ。出てきて!」


 ラナリアが思わず大声を出す。


「うるさいな。聞こえてるよ」


 ラナリアの目の前にワタルが出現した。


「キャッ」


 またラナリアはひっくり返りそうになり、ワタルに支えられる。


「学習しないな……」


 ワタルの言い方にラナリアが怒る。


「全くとんでもないわね。ワタルには分からないでしょうけど、これは大変なことよ」


 それを見ていたシルコがワタルに話しかける。


「私達は戦闘能力が低いの。ラナは魔法が使えるけど体力に限りがある。だから私達は、敵を察知することで戦闘を避けて生き延びてきたのよ。その索敵能力を簡単にひっくり返すワタルのスキルは脅威なのよ」


「そうか。馬鹿にしたように聞こえたんなら謝るよ。そんなつもりは無いんだ。自分でもこのスキルが良く把握できてないんだ」


 ワタルはそこで言葉を切った。

 そして力強く続ける。


「でも、俺は君たちの敵じゃない。味方になる。だから俺が君らの脅威になることはない。こう見えても人を見る目はあるんだ。嫌な奴に協力はしない」


「ありがとう」


 ワタルの言葉にシルコは下を向いてしまった。

 ワタルのストレートな物言いに照れたのだ。


 ここでエスエスが発言する。


「ワタルの能力は転移じゃないんですか。ボクは森の一族です。この距離で見失うような敵が来たら、ボクの村は全滅してしまいます」


 確かにもっともである。

 森の小人族は皆、戦闘力が弱い。

 だから、強力な索敵能力を生まれながらにして持っている。

 エスエスは、ワタルのスキルは瞬間移動で、索敵範囲の外に移動しているのではないかと思ったのだ。


「じゃあ、証明してみましょう」


 ラナリアが言う。


「そうねぇ。じゃあ、気配を消したまま3人のうちの誰かに触ってみてくれるかしら。転移してたら触れないでしょ」


「分かった。やってみよう。さすがに触れば気付くだろう」


 そう答えたワタルはスキルを発動する。


 ワタルが消えた。

 3人にはそう感じる。


 しばらく待つが、誰も触られている感じがしない。


 神妙な顔で、お互いを見つめる3人。

 変化なし。


 実はこの間に、エスエスの緑色の髪は風にたなびき、ラナリアのローブのフードは被せられ、シルコの耳はクシャクシャにいじられていた。

 でも誰も気が付かない。


 調子に乗ったワタルが、気になっていたシルコの胸を触った時に、つい興奮したワタルは集中を切らしてしまった。


 突然、シルコの胸を揉んでいる体勢で現れたワタル。


 一瞬固まる4人。


「っ!キャーッ!!」


 シルコの悲鳴、そして猫パンチがワタルの頬を綺麗に捉える。

 スローモーションのように飛んでいくワタル。

 顔はパンチの威力で歪んでいるものの、ちょっと笑っているのが気持ち悪い。


「ちょっと!何考えてるのよ!」


 怒るシルコ。

 当然である。

 シルコは顔を真っ赤にしているのだが、毛だらけなので分からない。


「いやぁ、ごめん、ごめん。あまりにも無防備だったんでつい……」


「お、恐ろしい能力ですね」


 エスエスはちょっと引いている。


「そ、そうね。何かされても認識できないのね。凄い能力だわ」


 とラナリアも同意する。


「ちょっと!私の胸の件をスルーしないでよ」


 ワタルにとってシルコは、女性というよりは大猫なので、シルコが思っているほどイヤラシイ気持ちは少ししかなかった。

 でも、さすがにワタルも不味かったかと反省している、ちょっとだけ。


 夜も更けてきた。

 昨日から色々あり過ぎて、皆疲れている。


 ワタルの持っているチョコバーを、もう一本ずつ食べて寝ることになった。

 箱買いしてリュックに沢山入っているチョコバーだ。

 気前よくいこう。

 シルコの機嫌もチョコバーが解決してくれそうだ。


 ワタルにとっては珍しくもないチョコバーだが、みんなと一緒に食べてみると、身体が熱くなり体力が回復する実感があった。

 日本で食べても、高校生にとっては満腹感を得られるほどの食べ物ではない。

 ところがそれを異世界に持ってくると、食べ物のエネルギーがパワーアップするのかもしれない。

 ワタルの得意技がパワーアップしていたのと同じシステムが存在しているのかもしれなかった。

 少し考え込むワタルだったが、考えても分からないので思考停止した。


 ここは異世界だ。

 細かい事を気にするのは止めよう。

 そして、いままでの日本での辛かった出来事は忘れて生まれ変わろう。

 もっと大胆に生きるんだ、と決意するワタルだった。


「さあ、もう寝ましょ。エドキ達が来るにしても明日でしょ。ワタルもいるしね。少しでも眠ってから対策を考えましょ」


 ラナリアが提案する。


「そうね。疲れたわ。寝ましょう。エスエスとワタルはそっちで一緒に寝てね。あ、それからワタルはスキルの使用は厳禁ね」


 シルコはそう言いながら、自分の胸を押さえてワタルを睨んでいる。


「じゃあ、ワタルはこちらで。ベッドはワタルが使う?」


 エスエスは男の仲間にちょっと嬉しそうだ。

 ワタルは、


「ジャーン、これを見ろ、エスエス。これは寝袋といって、外でも寝られる寝具だ。凄いだろ。この中に入って寝るんだ。だから俺はベッドは要らないぞ」


 と言って、リュックの上に付けてある寝袋を広げた。

 道具やアイテムが大好きなエスエスは目を輝かしている。


「おぉぉ、異世界のアイテムですね。持ち運べるベッドとは素晴らしいです。この材質といい、ワタルの来た世界は文明が進んでいるんですね」


「そうかもな。でも魔法とかは無いんだよ。獣人も、エスエスみたいな小人族もいない。つまらない世界かもしれないよ」


「でも、行ってみたいですね。ワタルの世界の進んだ道具やアイテムを見てみたいです」


「そうだな。一緒に行けたら楽しいかもな」


 そう言いながら、ワタルは寝袋に潜り込み眠りに着く。


「おやすみ」


 興奮しているはずなのに、何故か心地良い眠りが訪れて意識が遠のいて行く。

 こんな異世界の、お世辞にも過ごしやすい場所じゃないはずなのに、何故居心地が良く感じるんだろう。

 不思議な感覚だ。

 今日出会った連中も、何故か旧知の仲間のような安心感があった。


 まどろみの中、そんな事を考えながら眠りに落ちていく。


 と、その時、話し声が聞こえた。

 ラナリアとシルコ、エスエスの話し声だ。

 眠りが覚めていく。

 でもワタルはそのまま、話し声に耳を傾ける。


「……確かに危険なスキルだけど、仲間になってくれるって言ってるんだから」


 とはラナリアの声。


「ボクもワタルは悪い人に見えません。一緒に戦って欲しいです。大丈夫だと思います」


 これはエスエスの声。


「でも、オッパイ揉まれたんだよ。安心して暮らせないよ」


 これはシルコ。

 やっぱり不味かったな。


「何よ、ちょっと喜んでたくせに」


「喜んでないわよ!何言ってんの!」


「協力してくれるって言ってるんだから、アンタのオッパイくらい揉ませてあげなさいよ」


「バカなこと言わないでよ!ホント、バカじゃないの。アンタが揉ませればいいのよ!」


「しーっ、二人とも静かにしてください」


 なんか楽しそうな話をしてるな。

 エスエスは大変だな、この2人の相手は。

 とりあえずは、気のいい奴らみたいだな。

 異世界で出会ったのがこいつらでラッキーだったのかもな。


 ワタルはこの異世界3人組のやり取りを聞きながら、再び眠りに落ちていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る