第10話 ワタル対ギャング

 異世界の夜が明ける。

 朝の光が、チルシュの街の貧民街を照らし始める。

 昨夜、大騒ぎがあったとは思えないほどの静かな朝だ。


 エスエスの召喚アイテム暴走により、かなりの範囲の人の体力が失われたが、ほとんどの住人は眠っている時間だったので、体力を奪われたことに気が付かず、その結果大騒ぎにはならなかった。

 従って、警備隊などがやってくることもなかった。


 しかし、相当な体力を奪われた結果、早朝に起き出すのはかなりの苦労を強いられているようだ。

 いつもの朝にに比べて静かすぎる。

 外を出歩いている人がほとんどいないのだ。


 貧民街の朝は早い。

 日の出と共に起き出してくる者がほとんどだ。

 それなのにこの静けさは、異常事態といえるだろう。


 昨日、エスエスの身柄を奪いに来た連中もかなりの体力を失っていたので、まだ復活には時間がかかるだろう。

 今なら先手を打てるのだ。


 ラナリアとシルコ、エスエス、そして召喚され新しく仲間になったワタルは、既に起き出していた。

 召喚アイテムに体力を奪われ、その上ワタルの召喚騒ぎで、睡眠時間は短かったはずなのに元気だ。

 これは、ワタルが日本から持ち込んだチョコバーの威力だろう。

 何故か異世界では、チョコバーが体力回復に物凄い効果を持っていたのだ。


 そのお陰で、ワタル達は元気である。

 朝からヤル気満々で、前向きに事態の解決を考えている。


「ボクの為に本当に申し訳ありません。でも、ボクは貴族の奴隷になんかなりたくありません。お礼は、何でもしますのでよろしくお願いします」


 エスエスは改めてメンバーに頭を下げる。


「まあ、気にするなよ。お礼はたっぷりと貰うからさ。お礼の中身は後々ゆっくり考えるさ」


 と、答えるワタル。


「そこは、お礼なんていらない、って言ってあげるところでしょ。いいのよ、エスエス。気にしないで」


 と、シルコがフォローする。


「そうなんですか?」


 ワタルに聞くエスエス。


「ま、まあな」


 ワタルは頭を掻いている。

 エスエスは真面目なのだ。

 見た目が小さいこともあり、ワタルはついからかいたくなってしまうのだ。


 そこでラナリアが口を開く。


「お礼の件はともかくとしても、今回は完全にワタルが頼りよ。私達もカバーはするけど、よろしくね、ワタル」


「ああ、任しとけ。って言いたいけど不安だよね。敵にスキル使うの初めてだからさ」


 さっそくヘタレぶりを発揮するワタルをラナリアは励ます。


「昨日、エドキが私達の家の中の気配を探った時に、隠れたワタルの気配を見つけられなかったわ。熊の獣人は、ああ見えて臆病で慎重なのよ。あいつの気配察知を跳ね返したんだから大丈夫よ」


「まあ、とにかく借金の証文を盗んで来るだけよ。ワタルのスキルなら楽勝だって」


 シルコも太鼓判を押す。


「じゃ、ササッと行きますか」


 ワタルも軽い調子で返事をした。

 明らかに無理をしている様子だが。



 同じ貧民街の中でも、ラナリア達の家は比較的治安の良い場所にある。

 まあ、良いと言ってもそれなりではあるのだが、それでもこれから向かうエドキ達のアジトのある場所に比べたら遥かにマシである。


 その場所は、チルシュの貧民街の中でも最も危険な場所の一つだ。

 ギャングが徒党を組み、常に勢力争いをしている。

 怪我人や死人が日常的に量産されていて、十分に死体の処理をしていないのか、辺りには独特の腐臭すら漂っている。


 チルシュの街の警備隊も、勝手にチンピラ同士が殺し合って人数を減らしてくれるなら助かると思っているのか、この地域には手を出さない。

 実質的な無法地帯だ。


 エドキはこの地区のチンピラだ。

 それなりに子分達もいるが、大ボスという訳ではない。


 それでも、小さいながらもアジトを構え、自分の縄張りを守っている。

 今、売り出し中の悪党である。


 熊の獣人だけあって腕力には自信がある。

 一対一のタイマン勝負なら負ける気はしない。

 でも、アジトを構えて子分達を養うのには金がかかるのだ。

 元々、真っ当な仕事をしたり、冒険者になったりすることで稼げないから貧民街にいるのだ。

 金の心配は常につきまとっている。


 そんな時に、街中で声をかけられた。

 貴族の使いだそうだ。

 一目見て、腕が立つのが分かるほどの強者だった。

 全身黒ずくめの不気味な男だ。


 話があると酒を奢られて、仕事を依頼された。

 真っ当な仕事な訳はないが、構うことはない。

 報酬が破格だったのだ。


 小人族の誘拐。


 魔法使いのラナリアのところに最近来たばかりのガキだ。

 簡単な仕事に思えた。

 奴らの借金の証文もあるし、すぐに小人族のガキを引き渡すんじゃないかと思った。


 ま、失敗したがな。


 あの変な光に調子が狂った。

 まあ、すぐに出直せばいい。

 本気でやれば奴らなんかどうってことはない。

 次は容赦しない。


 邪魔する奴は殺してでも小人族のガキを奪う。

 自慢のアジトの自分の部屋でエドキが決心しているその耳元に、ささやく声が聞こえた。


「よう、元気か?体力は戻ったか」


 全く抑揚の無い声だ。


 背筋が寒くなり、エドキは反射的に耳元の方向に豪腕を振るう。

 しかし、全く手応えがなくエドキの腕は空を切る。


「何だ、誰だ。何処にいる!」


 叫びながら気配を探るが誰もいない。

 しばらく慎重に、そのまま探知を続けるが、気配があるのは部屋の外にいる手下達のものだけだ。


 変だと思いつつも、ファイティングポーズに構えた腕を降ろす。

 と、その瞬間


「ここにいるぜ」


 耳元で再び、感情の無い声がすると同時に、喉元に短剣が現れた。

 一瞬見えたその短剣は、エドキが見たこともない輝く銀色の短剣で、刃そのものに細かい筋のような模様が付けられていた。


 その短剣は、ワタルが持っているサバイバルナイフである。


「うわっ」


 エドキは喉をかばい、手のひらを重ねて、刃先と自分の喉の間に差し込む。

 サバイバルナイフは、エドキの両方の手のひらを貫き、喉元に達すると思われた瞬間にフッと消えた。


「ウギャーッ、痛ぇ!」


 手のひらの傷で拳を握ることができないエドキは、無茶苦茶に腕を振り回す。

 辺りに血が飛び散るが、手応えは無い。


「アニキ!どうしました!?」


 2人の手下達が部屋になだれ込んでくる。

 しかし、


「うぐっ」「ぐあっ」


 彼等は次々と何かに殴られたような様子で床に倒れてしまう。


 そして


 ドン!


 エドキの顔のすぐ脇の壁に、彼のお気に入りの武器である大斧が突き刺さった。

 その時、肩の上に装備していたプロテクターが吹き飛び、エドキの肩の骨を盛大に砕いている。

 もう、腕は上がらないかも知れない。

 大斧の柄は、グニャグニャに曲がっている。


「どうすればこうなるんだ?」


 エドキは混乱した頭で必死に考えるが、痛みと焦りで何が何やら分からない。

 気配も感じさせず、一瞬で手下達を始末し、正確に肩を砕く。

 想像もつかない強者に襲われているのは確かだ。


「ぐぼぉぉっ」


 腹にハンマーで殴られたような衝撃が走った。

 並み大抵のパンチ力ではない。

 エドキは腰を抜かして、床に座り込んだ。

 気を失いそうだ。


「借金の証文をよこせ。死にたくなかったらな」


 感情のない声が聞こえる。

 いや、興奮しているのか、僅かだが声が高いような気がする。

 暴力に興奮を覚える危ない奴の特徴だ。


 命には替えられない。

 エドキは証文を渡すことにした。


「別に俺はいいんだぜ。お前を殺して自分で探しても」


「いや、渡す!渡させて下さい!」


 エドキは、肩を押さえながら、やっとの思いで立ち上がる。

 そして、部屋の隅にある机の引き出しから、ラナリアの借金の証文を取り出して頭の上に掲げた。


 借金の証文は突然、跡形もなく消えてしまった。


「奴らに手を出すな。次は殺す。分かったな」


 また耳元で声がする。

 急いで振り向くが、誰もいない。

 砕けた肩が痛いだけだ。


「この貴族もこっちで始末する。余計なことはするな」


 声はそれっきりしなくなった。

 始めから敵の気配を感じなかったので、相手がいなくなったのかも分からない。

 エドキは不安で身動きも出来ずに、そのまま硬直していた。


 別の手下が部屋に入ってきて助けられるまで、傷の手当も出来ずにいた。


 あれは一体何だったのか。

 ボロボロの自分の身体が、夢でなかったことを証明している。


 あの証文の大物貴族まで始末すると言っていた。

 あいつ、いや、あの方なら出来るのだろう。

 エドキは思い出しただけで体が震えるのを感じていた。



 話は、エドキ襲撃前のワタルたちに戻る。


「ササッと行きますか」


 なんて言ったものの、ワタルは不安だった、もの凄く。

 何しろ、日本にいる時からケンカなんてしたこともないのだ。


 まして相手は身長2メートルはありそうな熊の獣人である。

 本当は逃げ出したい位だった。

 でも、逃げるのは嫌だった。

 せっかく異世界に来て、新しい仲間に頼りにされている。

 日本にいるときみたいに避けて逃げるのだけではダメなのだ。


 ラナリアの立てた作戦は、ワタルが気配を消してエドキのアジトに潜入。

 エドキを脅して、借金の証文を奪ってくる、というだけのザックリし過ぎているものだった。


 でもワタルは、人を脅したことがない。

 不安がるワタルにシルコがセリフを考えた。


「これを相手の耳元で囁けばバッチリよ」


 シルコは自信満々にワタルに告げた。

 セリフを覚える自信のないワタルは、ボールペンで腕にセリフを書いてカンペにしたのだった。


 ちなみに、このボールペンを見た時のエスエスの反応は凄かったが、今はそれどころじゃない。


 さて、ワタルは、このセリフを言いながらエドキの喉元にサバイバルナイフを突きつけて脅迫する予定である。

 それ以外は成り行き任せで、最悪、証文を盗んでくれば良い、ということになった。


 エドキのアジトの近くまでは、皆で気配を消しながら進んだ。

 近くの廃屋に隠れて、そこから先はワタルが1人で進む。

 ワタルの様子は、ラナリアが風魔法で音を拾うことで把握する。

 風を操ることで、遠くの音もピンポイントで拾えるのだ。


「風を動かすだけだから、魔力もそんなに要らないし楽なのよ」


 チョコバーで体力充実中のラナリアは、発言も強気だ。


「いざとなったら、火魔法をぶっ放しながら助けにいくわよ」


 さて、ワタルはエドキのアジトの前にいる。

 慎重に気配を消しているので、すれ違う獣人達もワタルに見向きもしない。

 アジトの中に入ると、エドキの手下達が思い思いにくつろいでいる。

 昨夜の召喚アイテムの一件で、体力が回復していないのだろう、皆ダルそうだ。


 犬だのトカゲだの色々な獣人達がいてワタルの興味を惹いたのだが、今はそれどころじゃない。


 エドキの部屋はボスらしく、一番奥にあるようだ。

 ドアの前には、一応2人の見張りらしき手下がいる。

 狼の獣人と水牛の獣人だろうか、強そうだがほとんど眠っている。


 当然、ワタルには気が付かない。

 ワタルも自分の隠密スキルに自信がついてきた。

 あまりに気付かれないからである。


 ドアを開けて、部屋の中に入る。

 エドキがいた。

 やはりデカくて怖い。

 さすがに手下達よりも数段強い印象だ。


 椅子に座って、何やらブツブツ悩んでいるようだ。


 ワタルは意を決して、エドキの後ろに回る。

 腕に書いてあるセリフを確認して、隠密スキル解除!

 エドキの耳元で囁く。


「よう、元気か、体力は戻ったか」


 棒読みである。

 もう、ワタル自身も驚くほどの棒読みのセリフが炸裂した。

 でも、急いで隠密スキル発動!


 エドキはワタルに向かって、剛腕を振ってきた。


 うわっ、あぶな。


 ワタルは声をあげそうになるがグッと堪える。

 そして何とか集中して気配を消し続けた。


「何だ、誰だ。何処にいる」


 エドキは慌てているようだ。


 その時、様子を聞いていたラナリア達も頭を抱えていた。

 ワタルのあまりの下手くそぶりに、バレるんじゃないかと思ったのだ。

 でも、エドキは慌てている様子。


「逆に、よくあのセリフで慌てられるわね」


 シルコは呆れている。


「ワタルの棒読み具合が酷いですね」


 エスエスも珍しく辛口である。


 さて、偶然にもエドキのパンチを避けたワタルは、次の行動に移る。

 いよいよ脅迫をしなくてはならない。


 サバイバルナイフをエドキの喉元に突きつける。

 その体勢で隠密スキル解除!


 セリフはまず、


「ここにいるぜ……」


 そのセリフの先をワタルが言う前に、エドキが自分で手のひらをナイフの先に持って来て、ナイフを自分の手に刺してしまった。

 それも深々と。

 あちゃー、痛そう……


 ワタルは慌てて隠密スキル発動!


「ウギャーッ、痛ぇ!」


 暴れるエドキ。

 辺りはエドキの血が飛び散って大変なことに。

 もう、メチャクチャである。


 ワタルは部屋の隅に避難している。


 更に悪いことに、ドアが開いて手下が2人入って来た。

 エドキがうるさくするからだ。


 ワタルは仕方なく、近くにあった大きな斧を持って、入って来た狼の獣人の横っ面を思い切り殴りつけた。

 殺すつもりは無かったので、斧の背の部分を使った。


 慣れないことをするからか、手がしびれてしまった。

 そして、鉄製の斧の柄が曲がってしまった。

 さすがに獣人は固いんだなぁ、などと考えている暇もないので、もう一人の水牛の獣人の頭に斧の背の一撃をお見舞いするが、想像以上の頭の固さに斧が弾かれてしまった。


 水牛の獣人はそれで倒れたが、弾かれた斧はクルクルと空中を回ってエドキの方へ飛んでいった。


 ドン!


 斧は壁際にいたエドキの肩に刺さってしまった。

 結構な勢いだったので、当たりどころが悪ければ死んでいただろう。

 エドキは運が良い。


 ワタルは結果オーライな展開にホッとする。

 スキルを解除しないように気を付けながら、もう一押しだと考える。


 エドキの腹にヤクザキックでもかましてやろうかと思ったが、キック力に自信がない。


 辺りを見回すと、大きなハンマーが置いてあった。

 熊の獣人はこんな武器も使うんだなぁ、などと感心しながらも、そのハンマーをグルグルと身体中を使って回して、その遠心力でエドキの腹にハンマーパンチ。


 さすがにちょっとは効いたようだ。

 ここで脅し文句だ。

 隠密スキル解除!


「借金の証文をよこせ。死にたくなかったらな」


 また棒読み。

 カンペを読んでるんだから仕方ないのだ。

 しかも声が上ずっている。

 慌てて喋るからだ。


 この時ラナリア達は大変なことになっていた。

 先ほどのワタルの大立ち回りの時は、心配したラナリアがアジトに突っ込もうとしてシルコに止められていた。

 それなのに、今度はこのワタルの間抜けなセリフである。


「こんな高い声出してどうするのよ!」


 興奮するラナリア。


 それが聞こえたわけではないのだが、慌てているワタルはアドリブで


「別に俺はいいんだぜ。お前を殺して自分で探しても」


 などと言ってみる。

 そして、隠密スキル発動!


 なぜかこのセリフが意外と効果的だったようだ。


 すぐに証文を渡してくれた。


 最後にダメ押しの脅し文句を言わなければならない。

 エドキの怪我をした肩の方に回って、隠密スキル解除!


「奴らに手を出すな。次は殺す。分かったな」


 すぐに隠密スキル発動!

 エドキが無理して声の方を見ようとしても間に合わない。

 ワタルも大分慣れてきた。


 慣れたついでに、余計なことまで言ってしまった。


「この貴族もこっちで始末する。余計なことはするな」


 余計なことをしたのはワタルの方である。

 この一言のために面倒なことになるのだ。


 なんか、結果としては随分痛めつけちゃったけど、まあ、いいか。悪人だしな。

 などと考えながら、ワタルは急いでみんなの元に戻るのだった。

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