第2話 魔法使いと獣人
よく晴れた日の森の中、2人の女性が歩いている。
ここは、ドスタリア共和国の北部にある「深淵の森」と呼ばれる森の中だ。
2人の歩いている辺りは、街道から1時間ほど森の中に入った場所だ。
魔物が棲む森として有名な深淵の森ではあるが、場所を選べば危険は少ない。
この付近は人が入る事も多く、地面もある程度踏み固められていて歩きやすい。
2人の女性も、楽しそうに話しながら歩いている。
だが、2人の様子をよく見ると、遊びに来ている訳では無いのが分かるだろう。
お喋りをしながらも、周りに対する警戒を緩めていないのが分かるはずだ。
街道に近いと言っても、ここは通称「魔の森」。
程度の低い魔物や動物、毒を持つ昆虫などの危険が無い訳では無い。
それに、この辺りで最も恐ろしいのは人なのだ。
敵意を抱く人ほど厄介なものは無い。
知らない人が近づいて来るようなら、すぐに対応しなければならない。
ここ異世界の大陸「ランド」においても、現代の地球においても、その辺は同じかもしれない。
ちなみに、女性の2人連れでこの様な場所を歩くのは無謀なようにも思えるが、この異世界においては、それほど変わった事ではない。
女性が強いのだ。
男性と女性を単純に力の強さで比べれば、地球と同じように男性の方が強い。
でも、ここは異世界。
魔法も存在するし、武器も普通に携帯している。
種族による特殊なスキルもある。
決して女性だから弱いとは限らないのだ。
しかし、この森を歩いている女性2人は、決して強いとは言えない。
少し前を歩いている女性は、くたびれた黒いローブを着て、小さな杖を持っている。
これでとんがり帽子でも被れば、典型的な魔法使いの格好だ。
ここ異世界では、魔法を使える者の数は多い。
でも、ほとんどの者の魔法は、詠唱の時間が長い割には威力が無く、使った後に物凄く疲れるので、あまり役に立っていない。
ちょっと生活の中で便利に使う程度だ。
まして戦闘に役立つ魔法を使える者などは極々少数なのだ。
だから、ここランドの人々にとって魔法は、それほど凄いものではないのだ。
だから、いかにも魔法使いです、というような格好を好んでする者は変人の部類に入ってしまう。
さて、この変人……いや魔法使いの女性の名前はラナリアという。
17歳の人間族だ。
現代の日本での17歳ならピチピチの女子高生の女の子。
しかし、14歳で立派な成人となるここ異世界のランドでは、17歳だと子供がいて、子育てをしているのが一般的な女性の姿だ。
まあ、このラナリアには子供どころか、旦那も彼氏もいないのだが……
というのも、ラナリアにはビジュアルに少々問題がある。
実年齢は17歳なのだが、見た目には10歳以上年上に見られるだろう。
目鼻立ちはスッキリとしているのだが、ガリガリに痩せていて、顔色も良くない。
赤い髪にもツヤが無くバサバサだ。
とにかくスーパー老けている。
デパートの美容部員も声をかけるのをためらうかもしれない。
厳しい地域、厳しい時代にあっては太っている人がモテる、という傾向があるらしい。
従って、ラナリアは全く男性に人気が無い。
この世界では出生率が高く、生存率が低い。
たくさん生まれるが、死んでしまう子供が多いのだ。
だから、子供を産む年齢も低い。
日本でいえば、江戸時代か戦国時代位の感覚だろうか。
だから、ラナリアのような女性に、敢えてアプローチする男性がいないのだ。
ましてや薄汚いローブを身に付けた魔法使いなど、気味悪がられて当然である。
ラナリア自身は、この事をちょっとは気にしているようだが
「この格好は、魔法使いの矜持なのよ」
などと言って変えようとしない。
女性の身体目的で近づいて来る、タチの悪い男達を遠ざけるのには効果バツグンである。
さて、ラナリアが痩せてしまったのには理由がある。
孤児院で育ち、守ってくれる家族のいなかったラナリアには、魔法の才能があった。
魔法の才能しかなかった、と言ってもいい。
体力も知力も人並み以下だった。
それでも魔法の扱いは上手だった。
小さい時から、火魔法、水魔法、土魔法、風魔法を簡単に使えるようになった。
読み書きが苦手な割には、魔法の詠唱を覚えるのは得意だった。
しかし、この世界の魔法は術者の体力を奪うのだ。
幼少の頃のラナリアは、よくフラフラになって倒れていた。
それでも唯一得意な魔法が大好きだった。
孤児院で読んだ絵本の一つに、魔法使いの話があった。
この絵本の主人公の古えの大魔法使いの魔法は、悪い魔物の巣を焼き払い、海を二つに割り、山を作って火山を爆発させた。
ドラゴンより早く空を飛び、何処にでも現れ、何処からでも姿を消した。
「ラナは大魔法使いになる!」
幼少の頃のラナリアはよく言っていた。
いまでもラナリアのこの想いは、彼女の中で輝きを失っていない。
魔法の使い過ぎで、たとえその身がやつれていこうとも。
志は山よりも高いのだか、全く体がついて行っていない。
今のところ唯の魔法オタクである。
「もう直ぐね」
ラナリアはもう一人の女性に声をかける。
「誰にも見つかってないといいんだけど」
声をかけられた女性は、心配そうに返事をした。
この声をかけられた女性の名はシルコという獣人族である。
15歳になる。
この世界では、多種多様な種族が存在する。
地球のように肌の色が違うというレベルでは無い。
森の小人族もそうだが、巨人族もいる。
人間族の亜種が存在する。
あらゆる生物達の獣人族がいる。
様々な異種生物間で交配が可能な世界で、それをまた受け容れている世界だ。
そういう意味では、懐の深い世界とも言えるだろう。
些細な違いで差別したりする地球の人間とは大違いだ。
でもまあ、その度量も人によって違う。
その点では地球と大差無い部分もあるのだが。
さて、シルコは猫の獣人である。
大分薄汚れてはいるものの、茶色と白の毛並みが美しい。
服を着て二本足で歩いているが、顔はほとんど猫である。
その為、顔を見ただけでは男女の区別はつきにくい。
服の上からでも分かる胸の膨らみや、横に張り出した骨盤などの女らしい体型から、女性だと判断できる。
シルコのように獣の要素が強い獣人だと、女性でも防具は着けても服を着ていない者も多い。
それでもシルコは服を着ることにこだわっている。
自分は半獣人だという思いが強いのだ。
この異世界では、獣の要素が強い獣人と、人間の要素が強い獣人がいる。
人間の要素が強い獣人は半獣人と呼ばれている。
それぞれ一長一短なのだが、概ね獣人は力が強く、半獣人は知力が高い。
獣人は敏捷性や体力に優れ、半獣人は器用で魔法を使う者もいる。
獣人には魔法は使えない。
「私は、半獣人なのよ」
シルコはラナリアによく言っていた。
ラナリアも実は半信半疑なのだが、シルコの話によると、胸に刻まれた紋章の力で獣人にされてしまった、というのだ。
シルコは元奴隷である。
胸の紋章は奴隷紋だ。
しかも、この奴隷紋はドスタリア共和国のものでは無い。
外国の奴隷紋である。
異世界ランドでは、奴隷は一般的に存在している。
奴隷にされた者は、身体の一部に奴隷紋を刻まれる。
これは魔法による呪いの一つで、専門の拘束魔法のスキルが無いと、付けることも外すことも出来ない。
奴隷紋を刻まれると、奴隷は主人の言うことに逆らえなくなる。
もし、逆らうと奴隷紋が反応して、考えられない程の苦痛を味わうことになる。
とても耐えられるものではない。
もちろん逃亡した奴隷にも奴隷紋は反応する。
だから奴隷は逃げられない。
奴隷紋を解除するためには、奴隷の主人の同意と拘束魔法の無効化が必要とされる。
では何故シルコは平気なのだろう。
これについては、シルコにもよく分からないらしい。
外国の奴隷紋だから反応しないのか、シルコの主人が死んでしまったのか、奴隷紋に何か問題があるのか、本当のところは分からない。
シルコは猫の半獣人の両親の元に生まれたが、子供が多く貧しかったので、幼少の頃に口減しのために売られてしまった。
この世界では良くあることで、両親を恨んでもいないそうだ。
とても可愛らしかった半獣人のシルコ(本人談)は、貴族の家に仕える事になったのだが、そこで奴隷紋を刻まれた途端に身体から力が抜けて気を失ってしまった。
どれ位時間が経ったのか分からないが、気が付くと、檻に入れられて馬車に揺られていた。
しかも、身体は獣人のそれに変わっていた。
与えられた皿に入れられた飲み水に映った自分の顔を見た時のショックは忘れられない。
不思議な事に、馬車に乗っていた奴隷商人らしき人間に逆らっても、奴隷紋は反応しなかった。
奴隷商人も呆れた様子でシルコを見るだけだった。
獣人になったシルコが売られる先は大体決まっている。
肉体労働系のキツい仕事をする所だ。
半獣人の子供のシルコに、そんな仕事が務まる訳はないと思われた。
シルコにとって不幸だったのは、獣人の姿になっても身体能力がほとんど上がらなかったことだ。
知力が落ちたかどうかは子供のシルコには分からない。
連れて行かれた先は酷い所だった。
鉱石を掘り出している炭坑のような施設に、沢山の奴隷達が働いていた。
酷い環境だったが、子供のシルコにキツい肉体労働があてがわれる事は無く、皆の食事の世話や掃除などが主な仕事。
そこで数年間過ごした。
その後、身体が大きくなってきたシルコは、肉体労働をさせられることになったが、体力の無いシルコにはとても無理だった。
だらしないと言われ、散々いじめられた。
シルコは頭脳労働がしたかった。
身体が強くなる事よりも、知識欲が旺盛だった。
本が読みたかった。
国の歴史や世の中の理に興味があった。
ちゃんとした服を着たかった。
裸同然なのは嫌だった。
シルコは、そう主張した訳では無かったが、何となく伝わるものがあったのかも知れない。
それが肉体派の獣人達には気に入らなかったのだろう。
イジメはますます酷くなり、命が危うくなる事が多くなった。
もう限界だとシルコは思った。
従順なシルコは、施設を管理している人間に逆らうことは一度も無かった。
だから、使えない獣人だと思われてはいても、それなりに信用はされていた。
奴隷紋を発動させられる事は一度も無かった。
シルコの奴隷紋が働かないことはバレていない。
奴隷紋の機能に安心しきっている施設から逃げ出すのは簡単だった。
その後は、流れ流れてその日暮らしだった。
他人に言えないような事もした。
綺麗事だけでは生きていけない。
流れ者として暮らすなかで、良い人もいたし、悪い奴もいた。
でも、仲間と呼べるほど信頼のおける人には出会わなかった。
そんな生活のなかで、隠れて暮らすこと、敵を避けることは自然に身に付いていった。
そんな時、ラナリアと出会った。
成り行きで、たまたま同じ仕事の依頼を受けたのだ。
それは、森の中で解毒薬の材料になる薬草を採取してくる仕事。
報酬は安いが、どうってことはない普通の仕事だ。
でも、魔の森の中なので、薬草を採っている時に、後ろから襲われて命を落とすこともある。
それを防ぐために、組んで仕事をしただけだった。
一緒に行動してみると、お互いに不思議と背中を預けられる感覚に驚いた。
その後、何度か仕事を一緒にこなし、だんだん仲良くなって、お互いの身の上を話すようになる。
辛い身の上話など、この世界にはいくらでもあるが、お互いを理解するには役に立つ。
今では一緒に暮らし、信頼できる相棒としてこの世界で必死に暮らす仲間となった。
「さあ、着いたよ。誰もいないみたいだね」
ラナリアが言う。
ここはラナリアとシルコのお気に入りの場所だ。
かなりの数の薬草が群生しているのだ。
ここに来れば薬草採取の仕事に困ることはなかった。
そのうち誰かに見つかって、荒らされてしまうのだろうが、それまでは2人の秘密の場所である。
「ちょっと休んだら、薬草を摘んじゃおうか」
2人の行動の主導権を握るのは、年上のラナリアになることが多い。
「ちょっと待って。なにかの気配がする」
シルコは鼻をピクピクさせながらラナリアに告げる。
「そこの木の陰かしら」
シルコは、薬草畑の奥にある太い木に向かって慎重に足を進める。
ラナリアは杖を構えて、その後に続く。
シルコがその木の幹の向こう側を覗くと
「っ!」
人が倒れていた。
顔を横に向けてうつ伏せに倒れている。
幼児のように小さい身体。
深い緑色の髪。
周りの薬草に埋もれるようにして、静かに寝息を立てている。
「なんでこんな所に小さい子供がいるの」
シルコの肩越しにラナリアが顔を覗かせて言う。
「この子、いやこの人は子供じゃないよ。きっと森の小人族だよ」
シルコは声をひそめて答える。
「小人族?よく分かるわね。アタシは会ったことないわよ」
「私も本で見ただけだけど、多分間違い無いよ」
シルコはちょっと得意そうだ。
「寝てるのかな。はー、綺麗な顔してるわね。男か女か分からないわ」
ラナリアが寝顔を覗き込んで溜息をついた。
さて、この行き倒れているのか、寝ているのか分からない人物はエスエスである。
女冒険者に助けられて、捕獲者の魔の手から逃れたのは昨日のことである。
これが、後にこの異世界で活躍することになる3人の初顔合わせの瞬間であった。
「見て、この人怪我してるわ」
エスエスの左足を見てシルコが言う。
確かにエスエスのふくらはぎは青黒く変色して、表面は少しただれている。
「ヘビにでも噛まれたのかもしれないわね。もし魔物の毒だったら厄介だけどね」
ラナリアはそう言いながら、どうしたものかと考える。
小さくて可愛らしいこの人を助けたい気持ちはある。
でも、どうだろう。
シルコがオンブして街まで連れて行くのか。
この傷は大丈夫なのか。
第一、本人が私たちに同行したがるのか。
取り敢えず、話をしてみないと分からないわね。
ラナリアが考えをまとめていると、エスエスが目を覚ました。
近くに人の気配を感じたエスエスは、ビックリして飛び起きる……いや、起きられなかった。
足の怪我の痛みで、バランスを崩してひっくり返ってしまった。
「驚かしてごめんなさい。私たちはあなたに危害を加えるつもりはありません」
シルコが慌てて両手を挙げて、エスエスに話しかける。
「私たちは薬草を採りに来ただけ。あなたは怪我をしているみたいだけど大丈夫ですか?」
エスエスは何とか体勢を整えると、身構えて2人の女性に向き合った。
この時エスエスは既に、この2人に敵意が無いことは分かっていた。
いくら怪我をして寝ていても、自分が敵意に気付かずに寝ていることは有り得ない。
これは、シルコにとっても同じだった。
たとえ木の幹の向こう側にいたとしても、悪い人に気付かずに、こんなに近づいてしまうことなどあるはずも無かった。
その自信は絶大だ。
そうでなければ生きてこられなかった。
ラナリアは、シルコやエスエスに比べると、相手の悪意に対して敏感では無い。
それでも、普通のランドの住人と比べれば十分に鋭いのではあるが。
ただ、ラナリアはシルコに全幅の信頼を寄せていて、相手の善悪の判断は任せている。
この場合、異世界ランドの落ちこぼれとも言うべき3人だからこそ、臆病で隠れるのが得意な3人だからこそ、理解し合うのが早かったとも言えるだろう。
この3人は、不思議なほど直ぐに意気投合してしまった。
本当の仲間が見つかる時というのは、案外簡単にまとまるものなのかもしれない。
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