入学式

 ねぇ。整然と並べられたパイプ椅子の左隣から、突然声をかけられる。見知らぬ男子生徒なのは仕方がない。なにせ今日は入学式なのだから。彼は人懐っこい性格なのか、随分と前からの友だちかのような雰囲気で喋り続けた。

「俺たち順番逆じゃない? 」

「え? 逆、かな」

 一方こちらは人見知りの気が若干ある。言葉と態度がまごつくのは許して欲しい。

「うん。だって海聡(ミサト)だよね、下の名前」

 体育館の入口で渡された座席表を指差して彼は確認してきた。それを一緒に覗きこんで頷く。

「そうだね」

 そうだね、じゃねぇよ自分! と心の中でひとり頭を抱えた。こういうところが嫌いなのだ。もっと気のきいた言葉がとっさに出るようになりたい、とは永遠に思い続ける願望なのだろう。

「で、俺は陽汰。や行よりま行の方が後なんだから」

 な? と口を開けた彼と目線が合わさる。本当に彼とは初めましてだったかしら、と自分の記憶に問いかけた。その所為で、つられたように口調が親しい人に対するそれと変化する。

「でも、「き」より「か」の方が早いら? 」

「ら? てか、え? 何が「き」? 」

 だから、と座席表の名字の部分を示す。そこには金原海聡と金原陽汰が並んで腰かけていた。

「僕は「キンパラ」で、君は「カネハラ」。漢字は同じだけど、読みが違う」

 でしょ? と今度はこちらが口の形だけで問いかけた。パチリと音がしそうなほど大きな瞬きが一回。

「ウソ、マジで? でも何で分かったの、読みが違うって」

「何でって席の表にほら、ふりがな書いてある」

 もう一度指で示せば、彼は小さな文字を確認する為か、用紙を顔に近づけてまじまじと眺めだした。変な奴だと口の端が上に向く。

「あー、ほんとだ。へぇ、同じ漢字なのに、面白いな」

「そうだね」

 笑顔で返せば、

「じゃあ」

 と勢いよく右手が差し出された。もしかして、握手を求められているのだろうか。とすると、やはり彼とは初めましてで正しかったようだ。いや、当たり前だろう。お互いの名前の正しい読み方を、今双方が確認したのだから。頭の中でひとり会話の応酬をしてしまう。それを面には出さずに、こちらも右手を差し出した。

「同じ漢字の苗字ってことで、これからヨロシクね、ぱらっちゃん! 」

「ぱらっちゃ……」

 初めてそんなあだ名で呼ばれた。思わず、握った右手を今すぐ剥がしたい衝動にかられる。しかし目の前にあるのは能天気な笑顔。だから、ついつい苦笑いで許してしまったのだ。

「うん、まぁよろしく」

 仕方がない、後で訂正しよう。心の中でそう決意した。しかしこの決意は、あっけなく崩れてしまうことを、僕はまだ知らない。そしてこの先もずっと、こんなしょうもない会話を続けていく間柄になることもまた……。

 今日は始まりの日。君と僕とのしょうもない日々よ、はじまりはじまり。

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