ただ月のように
メアリーの頭はまだ混乱したままだった。何となく窓の外を見ると、ガス灯が煌々とともっているため、すでに夜になっている事を、彼女は知ることができた。
部屋を出ると、屋根裏部屋へと足を向ける。あの日見た月が不意に恋しくなったからだ。しかし、屋根裏部屋には先客がいた。
「ホーネスト、いえ、サーチャーさん」
「ホーネストで結構ですよ」
エンハンスは窓枠に体を預けた姿勢でそう言うと、頭を下げた。
「私、失礼します」
「ちょっと待ってください」
メアリーがきびすを返すのを、エンハンスは呼び止める。
「なんですか?」
後ろを向いたまま問いかけるメアリーに、エンハンスは、
「月がきれいですよ。一緒に見ませんか?」そんな言葉を掛ける。
「月を、見るだけですか?」
「少し、話をしたいとも思っています」
エンハンスの言葉に、メアリーは笑みをこぼす。
「何かおかしいことを言いましたか?」
「いえ、初めて会った日のことを思い出して。あの時は、私がホーネストさんをここに誘いましたね。あの時の私も、あなたと少し話をしたいと思ったから」
メアリーはそう応え、屋根裏部屋へと足を踏み入れる。
「あの日が遠い昔のようですわ」
エンハンスの隣に移動し、窓の外を眺めながら、感慨深げに呟く。
「色々とありましたからね」
エンハンスの言葉に、メアリーは無言で頷く。その事に返事をする代わりに、
「探偵は、権力を笠に着て、人の私生活を踏みにじり、他人の秘密に土足で上がり込むような、そんな存在だと思っていました」
「いや、実際そうですよ」
自身も探偵であるはずなのに、エンハンスは、メアリーの探偵に対する悪評にあっさりと同意する。
「大半の人はそうだと、今でも思っています。でも、そうでない人もいたことを知りました」
メアリーは、屋根裏にやって来てから初めて、エンハンスに顔を向ける。
「ホーネストさんは、人々から情報を集めるにも無理矢理聞き出すようなことはせず、普通の会話から情報を引き出していました。探偵である事を相手に伝えれば、もっと簡単だったであろう事も、わざわざ遠回りをするような方法で」
「それは、私の悪い癖なんです。事件を早く解決したい、そう思えば無理にでも情報を引き出す方が正しいのですけど」
エンハンスの言葉に、メアリーは首を振り、
「そうかも知れません。でも、あなたは、相手に配慮していたんですね? 自分が話したことで、誰かが罪に問われるかも知れない、その様な不安を相手に感じさせないために」
「買いかぶりですよ。ただ、緊張している時よりも、安心している時の方が人は真実を話しやすいと信じているだけです」
「いいえ、決してそれだけでは無いはずです。私達は、今まで捜査という物に対して不誠実だったことが、今回のことでよく分かりました。事件という物を見世物のように捕らえ、自分たちとは関係の無い世界の話だと考えているんです。だから、ホーネストさんは、情報をくれた人たちを事件の関係者にしてしまわないように配慮をしていた、違いますか?」
メアリーの問いに、エンハンスは無言を貫く事で応える。
「でも、当たり前の様にえん罪が横行し、罪の無い人たちが捕まっている、その事をどれだけの人が知っていたのか、いいえ、他人事ではありませんね、私自身が無知だった。それもこれも私達が、犯罪捜査を不誠実にも、探偵という存在に全て押しつけていたからです。もちろん、それを悪用する探偵、その存在自体は許せませんが、それでも、私達、いいえ、私自身が反省するべき点が沢山ある事が、今回のことで良く分かりました」
メアリーは一時にそれだけを語ると、黙り込み、視線を窓の外に向ける。
「この間、話したことを覚えていますか?」
沈黙を破るように、エンハンスが口を開く。
「この間?」
メアリーは問い返す。
「はい。あの月のような存在になりたいと言った事です」
「ええ」
メアリーの肯定の言葉に、エンハンスは、
「さっきまで、マーガレットさんに言われていたことをずっと考えていました」
話の突然の転換も、メアリーは素直に受け入れる。
「何故、ホワイトに対し、自身がエンハンス・ホーネストではなくエンハンス・サーチャーであると名乗ったのか、そして、なぜ探偵である事を明かしたのか」
「答えは見つかりましたか?」
メアリーの問いかけに、エンハンスは月を見上げる。
「ただ月のようになりたかったから。かすかな灯りで地球を照らす、その存在に」
言葉の意味が分からず、メアリーは眉をひそめる。
「知っていますか、月は常に地球に対して表しか見せていないのです」
「はい。だから、月の模様はいつ見ても同じなのですよね?」
「でも、ずっと表だけを見せ続けるというのは疲れてしまう、そうは思いませんか? 誰かには裏も見てもらいたい、一面だけでなくその全てを見てもらいたい」
「何となく、分かる気はします」
「地球に対しては表の顔しか見せない、でも、太陽は、月の裏も表も全て見ているはずです」
「それは、そうでしょうね」
「だから、あなたには知ってもらいたかった、これでは答えになりませんか?」
その言葉に、メアリーは声を挙げて笑う。その様子に、エンハンスは困ったように苦笑いを浮かべる。
「駄目ですか」
エンハンスは、落胆したように息を吐く。
「エンハンスさんの説明は、持って回った言い方で、わかりにくすぎます。私なら、もっと簡単に、一言で説明出来ますよ」
「一言で?」
メアリーの言葉に、エンハンスが驚きの声を挙げる。
「はい。良いですか、一度しか言わないかも知れませんから、良く聞いていてくださいね」
メアリーの言葉に、エンハンスは小さく頷く。その動作を見届けてから、メアリーは言った。
「私は、あなたを、愛しています」と。
名探偵なんていらない 折房 伝馬 @TENMA_orifusa
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