目的
メアリーは、そこまで書き上げたところでため息を一つ吐いた。先ほど、ホワイトを罠に掛け、無事にその罪を認めさせることに成功したのが遠い昔のように彼女は感じていた。
あの後、アンダーウッドとエンハンスの二人はホワイトを連行して警察へと移動し、メアリーはハミルトンに付き添われ、帰宅した。ウィギンスはまだ解放されてはいないが、数日もすれば釈放されるだろう、ハミルトンはメアリーにそう告げると、帰って行った。
その後、混乱する頭を整理するためもあり、メアリーは昨日の夜、夕食後にエンハンスが事件について語った内容を文章に書き写していた。
自分が書いたその文章を見直し、メアリーは再び大きなため息を吐く。エンハンスが探偵である、それもあの、アンロック・サーチャーの子孫だという。その事実が彼女の気を重くしていた。先ほど書いた文章の続きとして、その場面を書かなければ事件は終わらない、それでも、その場面を描くことはどうにも気が進まなかった。
メアリーはひっつめにした髪をほどくと、眼鏡を外し、首を何度も振る。それで悩みが飛んでいくわけも無いのだが。いや、それ以前に、自分が何故悩んでいるのか、それすら彼女には分かっていなかった。エンハンスが探偵だった事が問題なのではない、アンロック・サーチャーの子孫である事も、彼女が気にする必要も無いことのはずだ。それでも、その事を思うと、彼女はどうしても気が重くなってしまう。
「何故?」
声に出して自問してみる。
「だって」
メアリーはその先の言葉が出てこない。だって、だまされていた、その言葉はそう続くのだ。それでも、その事を認めたくなくて、そして、口にしてしまうと、それが確定してしまうような気がして、彼女はその言葉を飲み込んでしまう。
「メアリー、お茶でも飲まない?」
マーガレットが扉の外から声を掛ける。
メアリーはその言葉に、はい、と返事をし、原稿用紙の上に眼鏡を置いて、立ち上がる。
「お父さん達は?」
一階に下りると、すでに食卓に着いているマーガレットに尋ねる。
「まだ戻ってきていないわよ。ねえ、事件がどうなったのか、詳しく聞かせてくれないかしら?」
マーガレットの問いに、メアリーは少し躊躇したが、それでも、さっき起こったことを話して聞かせる。
「あの人が囮になって、ホワイトを罠に掛けると聞いた時には肝が冷えましたけど、改めて顛末を聞かされると、尚更心臓に悪いわね。私がその場にいなくて良かったわ」
それが、全てを聞き終えたマーガレットの感想だった。
「お母さん、他に驚いた事は無いの?」
「ホーネストさんの事? あら、違ったわね。サーチャーさんの事かしら?」
「ええ」
メアリーは力なく頷く。
「そうねえ、確かに驚きましたけど、元々ただ物では無いだろうなとは思っていましたし、それに私は、彼がアンロック・サーチャーの関係者ではないかしら、と思っていましたよ」
しょげているメアリーを後目に、マーガレットはそんな事を言う。
「え? どうして?」
メアリーはマーガレットの言葉に驚いて聞き返すと、
「だって、アンロック・サーチャーは探偵を止めた後、ササックスに移住して、養蜂業を始めたというのは有名な話ですから」
「そんなの、私は知らないわよ」
メアリーは母の言葉に不満そうに口を尖らせる。
「それは、あなたが探偵が嫌いだからという理由で、今までその手の情報を避けていたからでしょう? たぶん、このことを、多くの人が知っていますよ」
マーガレットの指摘に、メアリーは黙り込むしかできなかった。言われてみれば、探偵好きのリンダや、探偵になりたいと考えているウィギンスはササックスという土地に関心を示していた。それは、アンロック・サーチャー終焉の地だからなのだろう。
「だいたい、あなたは、いいえ、止めておきます。こういうことは、本人の口から聞くのが一番ですからね」
マーガレットはそう言うと、立ち上がり、玄関へと移動する。ちょうど、アンダーウッドが帰ってきた事を告げる声が聞こえてきたからだ。
「お疲れ様です」
マーガレットのねぎらいの言葉に、アンダーウッドは首の周りを気にするように触りながら、
「本当に、ひどい目に遭ったよ。まさか、いきなり首を絞めてくるとは思わなかった」
そんな言葉を返し、食堂の扉をくぐる。
マーガレットは心配そうな表情を浮かべ、その首筋をのぞき込み、そこにかすかに残っている擦過傷に手を当てる。エンハンスがその後ろを通り、階段へ向かおうとした。
「あ、ホーネストさん、お茶の準備ができていますよ」
マーガレットの言葉に、エンハンスは困ったような表情を浮かべ、立ち止まる。
「いや、私は」
そう言って断ろうとするのを、アンダーウッドが、
「まあまあ、とりあえず、座れ。まさか、せっかくマーガレットがいれてくれたお茶が飲めないと言うんじゃないだろう?」
アンダーウッドはエンハンスの肩を掴み、無理矢理食堂へ引き入れる。
エンハンスは渋々と言った体で席に座るが、その表情は堅かった。
「さて、それじゃあ、そろそろ聞かせてもらおうか?」
エンハンスの向かいの席にどっかりと腰を降ろし、目の前に置かれた紅茶を一口すすった後、アンダーウッドが口を開いた。
「もっとも、ある程度の予想は付いている。なんだったら、俺の口から話そうか?」
「いえ、自分で話します」
エンハンスはそれが自らの義務だとでも思っているのか、アンダーウッドの申し出を断り、それまで浮かべていた困惑の表情を押し隠し、口を開いた。
「先ほども話したとおり、私はアンロック・サーチャーの子孫で、本当の名前はエンハンス・サーチャーと言います」
「どうして偽名なんて使ったんだ?」
アンダーウッドがエンハンスをまっすぐと視界に捕らえる。
「できれば、サーチャーの名前は使いたくなかったので。ホーネストというのは、母の旧姓です」
「それは、アンロック・サーチャーとの関係を知られたくなかったからか?」
「はい。できれば、秘密のままで活動したかった。もちろん、探偵である事を隠していたのも同じ理由です」
「でも、どうして隠したかったの?」
マーガレットが尋ねる。
「簡単に言うと、私がここに来た目的を考慮して、できれば知られない方が良いだろうと判断したからです」
「来た目的というのは?」
アンダーウッドの問いかけに、エンハンスは気を落ち着かせようとでもするように大きく息を吸う。
「今この国にはびこっている、探偵という誤った存在を正すためです。そのためには、探偵よりも、一般人が行動した方が効果があるかと思ったからです」
エンハンスの言葉にも、アンダーウッド達は何も言わない。探偵の祖で有り、世界一の探偵と評されるアンロック・サーチャー、その子孫で有り、本人もU級の探偵であるエンハンスが、探偵が誤った存在であると断じるその異常さ、その悔しさ、そして、その胸中に浮かんでいるであろう無念を思うと、おいそれと言葉を掛けられない雰囲気が生まれていた。
「でも、私達には言ってくれても良かったじゃないですか」
その空気を破って、メアリーが問いかける。思わず出てしまったその言葉は、言った本人ですら驚くほどに、エンハンスの表情を歪ませた。
「それは、申し訳ないと思っています。皆さんをだましていたと詰られても否定はできません。事実、本当のことを言った場合、この家にいられなくなるのではないかという思いもありました」
「それでも、この家にいようと思った理由は、私達が探偵と対峙する時に役に立つと思ったからかしら?」
エンハンスの苦渋に満ちた表情を受け、マーガレットが尋ねる。
「それもありますが」
エンハンスは顔を上げると、不安げに一同の顔を見回す。
「まあ、あそこまでご先祖様を悪し様に言われたら、そう簡単に名乗り出ることはできなかったかもしれないわね」
マーガレットがそう言ってため息を吐く。初めてエンハンスがこの家に来た日、メアリーは探偵の事を碌でもないと言い、アンロック・サーチャーですら悪し様に罵った、その時のエンハンスの態度は自然だったが、その内心を思うと、マーガレットはエンハンスに同情せずにはいられなかった。
「私のせいだって言うの?」
メアリーが驚いた様にマーガレットに抗議の声を挙げる。
「あなたは、悪感情をストレートに出し過ぎです」
「いえ、私が悪いんです。もっと誠実に対応するべきでした」
マーガレットの小言を止めるようにエンハンスが言葉を挟む。
「いいえ、ホーネストさん、今回だけではありません。自分の気に入らないことを気に入らないと発言する、それが必ずしも悪いとは言いません。それでも、その発言によって傷つく人がいるかもしれないことを意識するようにしないと、この子のためになりませんから」
「おいおい、今はその話は良いだろう。しかし、今回の事件で探偵の権利に対して一石を投じることができるかも知れないな」
アンダーウッドが、マーガレットを宥めると共に、その様な発言をする。
「それを期待しています。そのためにも、ホワイトには洗いざらいしゃべってもらう必要がある、そのために私の身の上を明かしました。権力を笠に着る人間には、それ以上の権力で当たるのが一番ですから」
「まあ、S級の探偵であるホワイトにとっては、U級である探偵には逆らえないだろうな」
「できれば、この手は取りたくはなかったのですけどね」
エンハンスはそう言うと、小さく息を吐いた。
「本当にそうかしら?」
マーガレットが、エンハンスの言葉に疑問を呈する。
「話を聞く限り、ホーネストさんは、自らの素性を明かす必要なんて無かった、だって、すでにホワイトの罪を暴いた後なんですから」
「ですから」
エンハンスが反駁しようと口を開くのを押しとどめるように、マーガレットは、
「確かに、素性を明かした方が素直に言うことを聞いたかも知れません。でも、ウィルを殺害しようとした、その現場を押さえたのですから、ホワイトは言い逃れすることはできません。いくら否認しようとも、ホワイトは罪から逃れることはできなかったはずですわ」
マーガレットの言葉を、エンハンスは否定することもできず、黙り込む。
「それならどうしてそれを明かしたのか、その理由として考えられることは一つしかありませんね」
「それは何?」
メアリーが尋ねるが、
「それは、あなた自身が考えなさい。ホーネストさんも」
マーガレットは、二人に意味ありげな視線を送ると立ち上がり、
「さて、そろそろ片付けてしまおうかしら」
そう言って食器類を手元に集め始める。
「あなた、ちょっと、手伝ってくださる?」
マーガレットの言葉に何かを感じ取ったのか、アンダーウッドは無言で頷くと、立ち上がり、集められた食器の半分を持ち、彼女について台所へと向かう。
その場に残された形になったメアリーとエンハンスは言葉も無く、ただ座っている。どちらも居心地悪そうにはしているが、どちらも席を離れる様子は無い。何か言いたいことがある様子なのだが、微妙な空気がそれを拒み、ただ、時間だけが二人の間を流れていた。
しばらくして、居心地の悪さに絶えきれなくなったメアリーが立ち上がる。
「部屋に戻ります」
彼女は何とかそれだけを告げ、飛び出す様にして食堂を出ると、階段を駆け上がっていった。
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