夜明け前
「いったい、こんな時間に何の用ですか?」
ホワイトはそう言うと、胡散臭そうにアンダーウッドを眺める。夜明け前という時間のためか、周囲はまだ薄暗く、足下もおぼつかない。
「いや何、ちょっと聞いてもらいたい話があるんですよ。モイーズとフランクの件でね」
アンダーウッドはそう言うと、ホワイトの表情を眺める。
「それなら、署の中で聞こうじゃ無いか。何もこんな所に来る必要は無いだろう?」
ホワイトはそう言って辺りを見回す。彼自身、つい先ほどまで自分の家で眠っていた所をたたき起こされたためか、かなり不機嫌そうだった。
「なあに、論より証拠と言うでしょう? 直接見てもらった方が早いこともあるもんです」
アンダーウッドは、そう言うと、足を速める。
「それに、あまり人に聞かれちゃあ、まずい話もあるんじゃないですか?」
「何のことだ?」
ホワイトはぎょっとしたように足を止める。
「なあに、一般論ですよ。偉大な探偵様にとって、一介の刑事に忠告されるだなんて、屈辱でしょう?」
アンダーウッドは上半身だけをねじり、ホワイトの驚いている表情を眺めると、にやっ、と笑って見せた。
「そんな事は無い、私は、君たちを対等な仲間だと思っている」
「それは、ありがたい話です。それに、一般論と申し上げたはずです」
アンダーウッドはひょうひょうとした物言いで応えると、
「さあ、見えてきましたよ」
そう言って、事件現場となった倉庫を顎で示した。
「君に言われなくても、分かっている」
ホワイトは憮然とした表情で応える。
「まあ、とにかく入りましょう」
アンダーウッドが先頭に立って、二人は倉庫の入り口をくぐった。その瞬間、ホワイトは大きく息を呑み、
「なんだ、これは?」
少し震える声で、その様な問いを発する。
「どうかしましたか?」
アンダーウッドは表情も変えずに問い返す。
「どうしたと言って、君」
そう言った所で、
「そうか、私を試そうというのか。誰の差し金だ? これは君の考えでは無いのだろう?」
「試す? 何を仰有っているのか、俺には分かりませんが」
「分からないはずは無いだろう。この床はどういう事だ?」
「床?」
アンダーウッドはとぼけた表情で視線を下に向け、
「ああ、タイルのことですか。倉庫会社が、事件の跡が残るタイルでは縁起が悪いからと、取り替えるらしいですね」そう言って、つま先で石がむき出しになっている床を叩く。
「そんな話、私は聞いていないぞ?」
「現場保存の指示を解除されたのはあなたでしょう? なら、後は会社の自由じゃ無いですか。それとも、何か都合の悪いことでも?」
「いや、そんな事は無いが」
「実は私、一つ思いだしたことがあったんですがね」
アンダーウッドが不意に切り出す。
「あの日、この倉庫を見た時、モイーズの死体が無い事は覚えていたんですが、どうも違和感があった」
「ちょっと待て、君はあの日、この倉庫を覗いたのか?」
「いやね、俺が見た時には死体も無かったし、それにちょっと様子も違ったもんだから、別の倉庫を覗いたのかと思っていたんですがね、どう考えても、この倉庫だった。そう思い直して昨日、ここに様子を見に来たんですよ。そしたらこの有様で」
「何故その事を私に言わなかった?」
ホワイトが声を荒らげる。
「ですから、先ほども申し上げたでしょう? 別の倉庫だったと思っていたと。それに、私は捜査から外されていましたし」
「しかし、情報提供くらいはできただろう?」
「そうは言っても、我々刑事にはあなた方探偵と違って、私有地に無断で入る権利はありませんからね」
「それで、黙っていたというのか?」
「そう怒らないでくださいよ。おかげであの日、ここで何が行われたのか、分かったんですから」
アンダーウッドの発言に、ホワイトは眉をしかめる。
「おや、驚かれないのですね。もしかして、すでにご存じでしたか? しかしそれなら、どうして公にしないのでしょう?」
「何のことだ?」
「さっき言ったでしょう? あの日、ここで何が行われたのか、ですよ」
「モイーズが殺された、そうじゃないのか?」
「では、モイーズはどうやってここに入り込んだというのですか? 人目に触れず、この場所に来ることはできなかった、それをあなたは納得したから、俺は解放されたのでしょう?」
アンダーウッドの問いに、ホワイトは、はっ、と鼻で笑うと、
「そんな事、気にする必要は無いだろう? 彼はここで殺された、それ以上でも以下でも無い。君を釈放したのは、君を犯人として考えるには色々と難しい点があったからだ」
「その色々という点を後学のためにお聞きしたいところですが、今は止しておきましょう。どのみち、モイーズはここには来れなかったんですから」
ホワイトの言葉を、アンダーウッドは即座に否定する。
「君は知らないかもしれないが、彼がここに来たルートはすでに判明しているよ」
「いいえ、モイーズが殺されたのは、別の場所ですよ」
「馬鹿な、現に、床には犯行現場である痕跡が残っていただろう?」
アンダーウッドはホワイトに背を向け、倉庫内を見回すと、
「しかし、今はありませんよ」
アンダーウッドの返答に、ホワイトは言葉に詰まる。
「なるほど、君は何かつかんでいるようだね?」
ホワイトの口調が、それまでの激昂から一転、冷静な声へと変わる。
「そして、私を呼んだ、そうか」
ホワイトはポケットに手を入れると、ゆっくりとアンダーウッドの背後に近寄る。
「まさかとも思いましたが、証拠も出てきたんですよ。取り外したタイルの床からね」
「ほう、それは興味深い、その証拠とは一体何だい?」
「毛髪ですよ。タイルの裏側に一本、明らかにモイーズのとは違う毛髪がくっついていました。それも、最近の物が」
「なるほど、それは重要な証拠だね」
ホワイトの手が、ポケットから抜き出される。その手には細い何かが握られていた。その手がゆっくりとアンダーウッドの首へと伸びる。
「ええ。後は、鑑識に回せば、犯人特定への大きな手がかりになるでしょう」
「それは、お手柄だね。それで、その証拠は今どこに?」
「まだ俺が持っていますよ。胸ポケットの中に入っています」
「そうか、それは、本当にご苦労だったね。その証拠品は、後で私に渡してもらおう」
そう言って、ホワイトはアンダーウッドの首に手に持っていた荒縄を回し、締め上げる。
アンダーウッドはその縄と首の間に指を通し、なんとか首が完全に絞まることを回避した。
「いったい、どういうつもりかは知らないが、君は知りすぎたようだ。死んでもらうよ」
ホワイトの手に力がこもる。アンダーウッドは声も出せず、上半身を動かすことでそこから逃れようともがくが、ホワイトは巧みにその動きを抑え込む。
「やはり、あんたが犯人だったのか?」
アンダーウッドは、やっとの事でその言葉を口にする。
「ああ、そうさ。しかし、証拠は無いと思っていたが、タイルの裏に毛髪か、それは盲点だった。その証拠は回収しておくよ。君が死んだ後にね」
ホワイトの指に力がこもる。その口元には勝利を確信したかのような笑みが浮かぶ。
「そこまでだ」
倉庫の入り口から、そんな大音声が響く。ホワイトは弾かれたように声の聞こえた方向に視線を向ける。そこにはエンハンスとハミルトン、そしてメアリーが立っていた。
「ホワイト、観念するんだな」
ハミルトンがそんな言葉を告げる。
「お前達、聞いていたのか?」
ホワイトの問いかけに、エンハンスはゆっくりと倉庫内に足を進める。
「ええ。最初から全て聞かせてもらいました」
エンハンスが一歩前に進みながら応える。
「これは全て、お前の差し金か?」
ホワイトはアンダーウッドからエンハンスへと、憎悪のこもった視線を動かす。
エンハンスはそれに応える代わりに、憐れみのこもった視線をホワイトに向ける。
「ホワイト、あなたに問いたい。あなたは探偵をなんだと思っているんですか?」
「探偵とは、事件を捜査し、犯人を逮捕する者だ。そのためなら、どんな手段だって使う。そのための権利は全て与えられているからな」
「どんな手段でも? その結果えん罪が生まれたとしても構わないというのか?」
エンハンスが声を荒らげる。
「構わないさ、それで事件に幕を引くことができるならな」
「そんな事では、事件が解決したことにはならない」
「認識の違いだな。私はそうやって、今まで感謝されてきた。多くの人間を救ってきたんだ」
ホワイトも声を張り上げる。
「違う。探偵とは、事件に巻き込まれた被害者が受けた心の傷を、少しでも癒やすため、ただそのためだけに存在しているんだ。誰かに感謝されるために生まれたんじゃ無い」
エンハンスとホワイトの距離はもう数フィートと言うところまで近付いていた。
「ただの子供である君には分からないさ」
ホワイトが手を離すと、解放されたアンダーウッドはよろめきながらその場に倒れ込む。しかし、ホワイトはそんな事には目もくれず、エンハンスに向けて手を伸ばした。
エンハンスはホワイトの伸ばした右腕を左手で掴むと、右手は奥襟を取り、そのまま体を半回転させ、腰を落とす。そして次の瞬間、ホワイトが持ち上がったかと思うと、縦に回転し、床にたたきつけられていた。
むき出しになっている石の床に背中から落とされたホワイトは一瞬呼吸もできず咳き込む。エンハンスはその体を、押さえ込み、ホワイトが持っていた縄を使って、後ろ手に縛り上げた。
メアリーとハミルトンは倒れているアンダーウッドに駆け寄り、無事である事を確認すると安堵の息を吐いた。
「悪いね。僕は家の方針で、小さい頃からバリツを習っているんだ」
「バリツってなんだ?」
メアリーに上体を起こしてもらった態勢で、首を押さえたまま、アンダーウッドがエンハンスに尋ねる。
「東洋の武術ですよ。犯人逮捕の時には非常に役立ちます。今度アンダーウッドさんも習ってみますか?」
アンダーウッドの声に安心したような笑顔を浮かべ、エンハンスが応える。
「お前、何者だ?」
何度も咳き込みながらも、ホワイトが尋ねた。エンハンスは笑みを引っ込めると、ホワイトに顔を向け、
「エンハンス・サーチャー、探偵ですよ。U級のね」
「U級?」
アンダーウッドとメアリーが同時に声を挙げる。
「U級というと、S級の上にいるという、世界でも数人しかいない?」
アンダーウッドの問いに、エンハンスは頷く。
「もしかして、サーチャーって?」
メアリーが尋ねる。
「ええ。僕はアンロック・サーチャーの子孫です」
その応えに、メアリーは困惑したような表情を浮かべる。
「今はそれよりも、その男のことだろう?」
いつもの調子を取り戻したアンダーウッドが、立ち上がり、床に転がされているホワイトを見下ろしながら発言する。ホワイトはU級という言葉に驚いたのか、言葉もなくエンハンスの姿を目が飛び出さんばかりに見つめていた。
「お前、無茶しすぎだぞ」
ハミルトンがアンダーウッドに向けて声を掛ける。
「しかし、おかげで自供が取れたじゃ無いか」
アンダーウッドは大げさに肩をすくめ、
「さあ、ホワイトさん、一緒に署までご同行願えますか?」
アンダーウッドは、ホワイトのにらみつける様な視線を受け流し、その両腕を掴むと、無理矢理立たせる。
「ホーネスト君、いや、サーチャー君か? とにかく、一緒に来てくれるかな? 俺だけじゃあ、事件を説明する自信が無い」
「分かりました」
メアリーの視線を避けるように顔を背け、エンハンスが応える。
「ハミルトン、お前はメアリーを家まで連れ帰ってくれ」
アンダーウッドはハミルトンの肩に手を乗せ、
「よろしくな?」
そう言うと、ホワイトを無理矢理歩かせる。エンハンスもその横に並び、二人は倉庫を出て行った。
ホワイトのエンハンスに対する怨嗟の声だけが、倉庫内に響き渡っていた。
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