探偵達の落日
昼過ぎ、エンハンスが外出の準備をしている所にメアリーは出くわした。どこへ行くのか、というメアリーの問いに、彼は、
「ちょっと散歩です」
とだけ応え、一人で出かけていった。
「お母さん、ホーネストさんは、いったいどうしたのかしら?」
「さあ。でも、散歩だというのですから、それ以上詮索する物ではありませんよ」
マーガレットの分別くさい忠告に、メアリーはややすねながらも、はい、と素直な言葉を返し、自分の部屋に戻っていった。
各々が別々の時間を過ごすその時、それは、エンハンスがこの家に住むようになって以降、もっとも落ち着いた時間だったかも知れない。それでも、それはこれから起こるであろう嵐のような出来事の前段階で有ることが、メアリーにはひしひしと感じられた。
メアリーはリンダからもらったアンロック・サーチャーの活躍を描いた冒険譚の表紙を再び開いてみた。ここ数日で、探偵という存在の悪しき側面をいくつも見せられたはずなのに、どういうわけかその作品に、以前ほどの嫌悪感を感じることは無かった。
「どうしてかしら?」
その事に気がついたメアリーが、独りごちる。しかし、その問いに応えを返してくれる者はいない。ただ、彼女は何となく、その応えが分かっているような気がした。しかし、それを素直に認めて良い物なのかどうなのか、その判断をつける事ができず、結局、彼女は大きな音を立ててそのハードカバーを閉じることによりその悩みを封じ込めた。
「メアリー、少し手伝ってもらえないかしら?」
下の階からマーガレットの呼ぶ声が聞こえ、彼女は、はい、と返事をした。
「夕食の準備をしようと思うんだけど、あなたも手伝って」
母のその言葉でメアリーは、いつの間にか時刻が夕方に迫っていることに初めて気が付いた。台所で母に指示を受けたメアリーは素直に手伝いを始める。野菜を洗ったり、スープを煮込んだりしている間に、夕食の時間はすぐそこまで迫っていた。
「ホーネストさん、遅いわね」
マーガレットがそんな呟きを漏らす。メアリーもさっきからそれが気になり、時計ばかり見ていたのだが、どういうわけかそれを口に出すことが出来ずにいた。マーガレットがその台詞を言ってくれたことにホッとしながら、
「私、少しその辺りを探してくるわ。もしかして、道に迷っているかもしれないし」
そう言って、マーガレットの返事も待たず、メアリーは台所を飛び出す。その後ろ姿を眺めながら、マーガレットは微笑みを浮かべていた。
往来に出たメアリーは、エンハンスの姿が無いかを確認するために辺りを見回す。しかし、どこにもそれらしい姿は無かった。どこか彼が行きそうな場所は? その様な問いを自らに発しても、その答えは自らの中に無い事に気がつき、メアリーはエンハンスの事を実は全然知らないのだと思い知らされた。
それでもエンハンスが来てからの様々な時を思い出し、そこに何らかのヒントでも無いかと考える。そして彼女は一つだけ、思い当たる場所があることに気がついた。
「でも、こんな時間から」
彼女は誰にとも無く呟く。すでに辺りは暗くなり出し、彼女が思い描いた場所へ行くにはあまり適した時間では無いと感じたからだ。それでも彼女はその思いついた場所へと足を向ける。それは、彼女が掴んだエンハンスとの唯一の繋がりに思えたのだ。もしこの考えが正しかったら、自分の中で何かが変わるのかも知れない、そんな感傷的な思いが彼女の足を動かす。
そして、彼女はついに目的の場所へとたどり着いた。石の壁に囲まれたその空間に、彼女は足を踏み入れる。様々な形をした石があちこちに置かれている中を、内心のおびえを隠すように胸を張って歩く。
辺りを見回し、風が吹くたびに遠くで揺れる柳の枝が立てる音に怯えながら、彼女は半ばまで移動する。そして、そこに目的の人物を発見し、思わず小走りで駆け寄っていた。
「やあ、メアリーさん」
その足音に気がついたエンハンスが顔を上げ、そんな声を掛ける。
「やあ、じゃないですよ。こんな所で、こんな時間に、何をしているのですか?」
こんな時間、メアリーのその言葉に、エンハンスは辺りがすでに暗くなりつつある事に初めて気がついたように驚きの表情を浮かべる。
「ここなら、静かに考えがまとめられるかと思ったもので」
エンハンスは少し照れたように首筋をなでながら、メアリーの言葉に応える。
「なにもこんな時間に墓地に来なくても」
メアリーはそれでも不満そうに言葉を続ける。
「そうですねえ」
そう言って、エンハンスは彼が持つ懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
「ああ、もうこんな時間ですか。そろそろ戻らないと。と言うことは、もしかしてメアリーさんは、私を探して?」
「ええ。もうすぐ夕食の時間になるというのに、誰かさんが戻らないから」
メアリーは、彼女にしては精一杯の皮肉を込めた言葉を投げる。
「いや、面目ない」
そう言って謝るエンハンスの様子に毒気の抜かれたメアリーは、
「いつから、ここに?」と尋ねる。
「家を出てから、まっすぐここに来ました」
「じゃあ、五時間近くもあそこにいたんですか?」
その応えに、メアリーは思わず目を見開いてしまう。
「まあ、そうなりますね」
さらりと応えるエンハンスの態度に、メアリーは呆れるを通り越して、感嘆の念すら抱いてしまった。
「それで、考えはまとまりましたか?」
「おかげさまで、後一歩という所です」
そう言って、エンハンスは立ち上がる。
「さあ、戻りましょう」
エンハンスの言葉に、同意をした物の、辺りはすでに日が落ちかけている。薄暗くなっている墓地の中を、メアリーはエンハンスの腕をつかみ、彼に寄り添うようにして進んだ。メアリーにとって普段は恐ろしいはずの闇だったが、この時ばかりは何故かかすかな安心を感じつつ、二人は家へと帰り着いた。
「お帰り」
アンダーウッドの声が二人を出迎える。
「あれ、お父さん、早かったのね?」
「まあな。それより、ホーネストさんはどこにいたんだ?」
マーガレットから、メアリーが出かけていた理由を聞いていたらしく、アンダーウッドが問いかける。
「墓地で、考えをまとめていました」
「それはまた、奇妙な場所で」
アンダーウッドはそれだけを言うと、それ以上の追求はしなかった。と言うのも、ちょうど、その時、ハミルトンがやって来たからだ。
ハミルトンは、第一声、
「見つけたぞ、あの日の明け方頃、倉庫のある港に着港した船があったらしい。人夫の一人がはっきりと覚えていたよ」そんな言葉と共に家に入ってきた。
その言葉に、エンハンスが嬉しそうに手を打ち合わせる。
「まあ、話は席に着いてからで良いんじゃ無いか?」
ハミルトンに対し、感謝の言葉を告げているエンハンスを押しとどめ、アンダーウッドがそんな提案をした。
「それで、どうだったの?」
全員が席に着いたところで、メアリーがアンダーウッドに問いかける。
「まあ、結果は上々という所だな。ホーネストさん、たぶん、君の思ったとおりの結果になると思うよ」
そうして、アンダーウッドは捜査の結果を伝える。それは、メアリーにとっても、薄々感じていた内容だった。
「それで、犯人は本当にその人物なんですか?」
アンダーウッドとハミルトンが報告を終えたところでメアリーが尋ねる。
「ええ。間違いなく、そうでしょう。それがどれほど信じられない事象であろうと、真実を曲げることはできませんから」
エンハンスは一度大きく頷くと、
「でも、フランクの件はまだしも、モイーズの件はどうなるのでしょう? モイーズはどうやってあの場所で殺されたのですか?」
「その件に関しても、すでに予想が付いています」
エンハンスが自信を持って言い切る。しかしメアリーは、その言葉を聞いても驚かない自分がいることを発見していた。
「説明してくれますよね?」
メアリーの言葉に、エンハンスは、
「今まで、思わせぶりなことを言うばかりで、明言をせず、申し訳ありません。ただ、前回の失敗がありましたから、安易に考えを口にすることは良くないだろう、そのように思いましたので」
「その話は食事の後にしてみてはどうかしら?」
エンハンスがそんな言い訳をした所で、マーガレットが会話に割って入った。
「そうですね、話が長くなるかもしれませんから」
エンハンスはそう応える。お預けを喰らった格好になったメアリーは不満そうな声を漏らし、マーガレットにたしなめられた。
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