青年の失態

 エンハンス達がフランクの死体を発見した次の日、ハミルトンがアンダーウッドの家に朝から顔を出した。

「よう、おはよう」

 ハミルトンは明るい声でアンダーウッドに声を掛ける。

「朝から元気だな」

 アンダーウッドは、顔をしかめて応えるが、

「朝から陰気よりは良いだろう。それより、昨日言っていたことを調べてきたぞ」と、ハミルトンは堪えた様子も無く続ける。

「本当ですか?」

 アンダーウッドが応えるよりも早く、エンハンスが尋ねる。

「ああ、もちろんだ。ところで、俺は朝食はまだなんだが、ご一緒しても良いかな?」

「ええ、良いですよ」

 マーガレットが快く応じ、準備をするためにそのまま台所へと移動する。

「お前、朝食を食べるために朝一できたんじゃ無いだろうな?」

「馬鹿を云うなよ、一分でも早く教えてやろうという親切心じゃ無いか」

「なら、昨夜のうちに来れば良かっただろう?」

「いや、さすがに夕食をごちそうになるのは悪くてな」

 そう言って、ハミルトンは笑う。その応えにアンダーウッドは、やっぱりか、とため息を吐いた。

「それで、何か分かりましたか?」

 このままでは話が進まないとでも考えたのか、エンハンスが、先を促す。

「その事なんだがな」

 ハミルトンは椅子に座ると、話し出す。

「確か聞きたいのは、あの倉庫を最後に確認したのはいつだったか、だったよな?」

 そう言って、手帳を胸ポケットから引き抜き、その内容を眺めながら、

「何でも最後にあの倉庫の中を確認したのは、事件のちょうど六日前、使われていない倉庫の点検は週に一回だけだったそうだ」

「それで、その時倉庫内に異常は?」

「特に無かったと言っていたよ。床のタイル一枚欠けてはいなかったとね」

「それは間違いないですか?」

 ハミルトンは、ちょうど、朝食と紅茶を運んできたマーガレットに礼を言った後、

「俺にそんな事を言われても困る。実際に点検をした担当者がそう明言はしたが、俺が直接見たわけでは無いからな」そう言って、運ばれてきたばかりの紅茶に口を付ける。

「さすがに、事件でも無いのに管理表を見せてもらうわけには行かなかったが、それでも、真面目そうな男だったから、嘘は吐いていないと思うけどな。それが何か重要なのか?」

 ハミルトンの問いは、エンハンスに耳に入っていないのか、彼は口の中で何かをぶつぶつと呟くだけで、応えようとはしなかった。

「それにしても、よく調べることができたな」

 アンダーウッドがハミルトンの情報に賛辞を贈る。

「ああ。苦労したんだぞ。と言いたいところだが、実を言うとな、俺はその倉庫会社の社長を知っていたんだ」

「知っていた?」

「ああ。一月ほど前にその事務所に泥棒が入ってな、俺もその捜査に協力したんだが、その時ちょっとしたことがあって、意気投合したというわけさ」

「なるほど、だから、ああもあっさり引き受けたという訳か」

 アンダーウッドは、昨日のハミルトンの様子を思い出しながら独りごちる。

「まあ、そういう事だ」

 ハミルトンはそんな言葉と共に、目の前に置かれたトーストに手を伸ばす。

「ハミルトンさん、今の話」

「うん?」

「今の話ですが、その事件で指揮を執ったのは誰でしたか?」

「事件? 一ヶ月前の盗難事件か?」

「ええ。もしかして、ホワイト氏だったりしませんか?」

「ああ、そう言えばそうだったかな。高名な探偵が、随分と小さな事件に出張ってくる物だと驚いたのを覚えているよ」

 ハミルトンはそう応えると、やっと手に持ったトーストを口に運ぶ。

「その事件は解決しましたか?」

「ああ、すぐに犯人は捕まった。前科三犯だったかな。今頃は監獄の中だろうが、あれは出てきてもまた同じ罪を犯すだろうな。それで、それが何か今回の件に関係有るのか?」

 エンハンスは無言で首を横に振る。

「ただ、気になっただけです」

「嘘を言え、何か気がついたんだろう?」

 アンダーウッドがそう言ってエンハンスの言葉を否定する。

「犯人が分かったんですか?」

 メアリーも、アンダーウッドの言葉に乗じて問いかける。

「いえ、まだです。ただ」

「ただ、なんです?」

 メアリーの問いに、エンハンスは再び無言で首を振る。ちょうどその時、玄関を開ける音が響き、一同は身構える。探偵の問題を語っていたため、警戒心が働いていたのだ。

 すぐにマーガレットが対応する声が聞こえてくる。そしてすぐにメアリーを呼ぶ声がした。

「メアリー、リンダさんが来たわよ」

「リンダが?」

 予想外の名前にメアリーは首をかしげ、立ち上がると玄関へと向かう。

 玄関には確かにリンダが立っていた。リンダはメアリーの姿を見つけると、その胸に飛び込む。

「ポリー、どうしよう、テッドが、テッドが」

 リンダはそこまで言うと、メアリーの体にすがりつき、泣くばかりでそれ以上は何も言えなかった。

「リンダ、落ち着いて、いったいどうしたのよ?」

 メアリーが問いかけると、リンダは涙を浮かべたまま、

「テッドが、逮捕されたのよ」

「テッド? テッドって誰のこと?」

「エドワードよ。ポリーだって、この間会ったじゃない」

 そう言われてメアリーは、先日、エンハンスと父親の無実を証明するために捜査をしていたときに紹介された、リンダと一緒にいた男性の事を思い出した。

「エドワードって、ウィギンスさんのこと? でもどうして? 何故逮捕されたりするの?」

「そんなこと、私には分からないわ。ただ、モイーズとか言う探偵を殺害した犯人だとかそんな理由で」

「どういう事? モイーズを殺害した犯人はもう捕まったはずよ?」

「メアリー、あなた、この事件のこと知っているの?」

 リンダがメアリーの言葉を受け、顔を上げる。

「ええ。少しだけ」

「良かったら、話を聞かせていただけませんか? もしかしたら、私達が何かお役に立てるかもしれません」

 様子が気になったらしく、エンハンスが顔を出し、そんな提案をした。

 リンダを中心にして、エンハンスとメアリー、マーガレット、ハミルトン、そしてアンダーウッドの六人が食卓に着く。

 五人に囲まれ、萎縮しそうになるリンダを勇気づけるように、メアリーは彼女の肩を抱く。その行為が功を奏したのか、リンダはゆっくりと話し出す。

「さっきも言ったけど、私のお友達のウィギンスさんが逮捕されてしまったのよ」

 取り乱していた時にエドワードの愛称であるテッドと呼んだことから二人が友達以上に親しい関係である事がメアリーには分かっていたが、わざわざそのような指摘はしなかった。

「モイーズ殺害の容疑ということでしたが?」

 エンハンスの問いにリンダは頷き、

「はい、モイーズという人物が何者なのか、ウィギンスさんとどのような関係なのかは私には分かりませんが、そう言っていました」

「しかし、妙だな、モイーズ殺害の犯人はフランクということになったはずだが?」

 アンダーウッドが腕を組んで首を傾げる。

「たぶんリンダさんは気が動転していて情報を正確に理解できなかったのでしょう」

 エンハンスが片手を挙げて発言する。

「本当はこう聞いたのでは無いですか? モイーズ殺害の共犯者として拘束すると」

「言われてみればそうだったかもしれません」

 リンダはエンハンスの指摘を驚きと共に肯定する。

「やっぱり」

 推測が当たっていたというのに、エンハンスは何故か悔しそうにその言葉を口にした。

「すごい、! でも、どうしてそう思ったんですか?」

 メアリーも、エンハンスの言葉が不思議だったのか、そんな疑問の言葉を投げる。

「全然すごい事なんてありません。それどころか、私はエバンスさんに詰られても仕方が無いような失態を犯してしまいました」

 その場にいる誰一人、エンハンスの言っている意味が分からず、お互いに視線で探り合う。結局、マーガレットが代表して、

「ホーネストさん、いったいどのような失態を犯したというのでしょう? 私たちにも分かるように説明していただけませんか?」と、尋ねた。

「そうですね、そうして、許しを請う以上に、私が今すべき事は無いのかもしれません」

 エンハンスはそう言うと、一度大きく息を吸い、

「まず、今回の事件を一旦整理してみましょう。そうすれば、私の過ちも自ずと明白になるはずです」

 エンハンスは相当落ち込んでいるのか、暗い口調で話し出す。

「発端はアンドルー・モイーズという探偵が三日前、川沿いのラッピングという倉庫街にある一つの倉庫の中で死体となって発見されたことです」

 それはリンダ以外には自明なことだったが、エンハンスがどのような話をしようとしているのか、そこに集まった面々は興味深そうに話の続きを待つ。

「最初に容疑者として捕まったのは、ここにいるウイリアム・アンダーウッドさんでした。というのも、モイーズの死亡推定時刻である午後一〇時から一時の間、ラッピングの倉庫街に通じる門を出入りする人物は完全にチェックされ、記録に残っていた。そして、その時間の間に倉庫街の中にいて、かつアリバイの無い人物がアンダーウッドさんしかいなかったというのがその理由です」

「そうだったの?」

「ええ。そうなのよ。三日前に街で会ったでしょう? あの時にはお父さんはもう拘束されていたの。だからあの時は、お父さんの無実を証明するために何かできないかと動いていたの」

 リンダの驚きを、メアリーが肯定すると共に簡単に事情を説明する。

「ポリーが? 探偵をしていたというの?」

 メアリーが探偵行為を行っていたことが相当意外だったのか、リンダは口の中で何度も、まさか、と繰り返していた。

「厳密には私じゃ無くてホーネストさんが、だけどね」

「でも、一緒にいたんでしょう? 信じられない」

 メアリーの訂正を受けても、リンダは驚きからすぐには立ち直れない様子だった。

「モイーズとアンダーウッドさんとの間にはちょっとした諍いが有ったのも、その説を補強しました」

 メアリーが事情を知らないリンダに、モイーズがこの家に乗り込んできたときの話を説明する。その話を聞き終えたリンダは、心底驚いたようにエンハンスの姿を見直した。

「でも、話を聞く限り絶望的な状況に思えますけど、どうやっておじ様の無実を証明したのですか?」

「それは」

 エンハンスが一瞬言い淀む。しかし、すぐに意を決したように説明を始める。

「倉庫街に入るための門には見張りがいて、出入りする人物をチェックするというのは先程話しました。しかし、不思議なことに当のモイーズが、倉庫街に入った記録が無かったのです」

「それは、不思議ですね。被害者は倉庫街で発見されたのに、そこに入った記録が無いだなんて」

 リンダは昔から探偵小説を好んで読み、特に、アンロック・サーチャーの大の愛好家だった。そんな彼女にとって、今目の前で語られている状況に興奮するな、と言うことは無理な注文だったのかもしれない。

 それとも、もしかすると、今現在、殺人の共犯者として捕まっている彼女の友人(たぶん特別な)も、同じように絶望的な状況に追い込まれていたアンダーウッドを、どのような方法でかはまだ知らないが、見事助け出したこの青年なら救ってくれるかもしれない、そのような希望を持ったのかもしれない。

 どちらにしても、さっきまで涙を流し、絶望の色を宿していた彼女の瞳に、力が蘇ってきた事だけは事実だった。

「そこで確認した所、倉庫街への出入りをチェックしているのは、午後七時以降だと言うことが分かりました」

「と言うことは、被害者はそれよりも前に倉庫街に入ったということですね?」

「ところが、そうじゃないのよ」

 どうにも口が重いエンハンスに代わって、リンダの推測をメアリーが否定する。

「どういう事? 他に考えられないと思うんだけど」

 リンダは隣のメアリーに体を向ける。

「ホーネストさんと、犯行のあった日にモイーズがどんな行動をしていたかを調べたら、モイーズがその日の午後六時過ぎに時計塔近くの仕立屋に顔を出していた事が分かったの」

「それがどうかしたの?」

 リンダは首を傾げ、そう尋ねる。

「時計塔から、倉庫街のあるラッピングまで移動するには馬車でも一時間以上掛かるのよ?」

「へえ、一時間。案外遠いのね。でも、待って! それはおかしいわよ。もし被害者が六時に時計塔を出発したとして、ラッピングに着くのは七時以降になるじゃない。その時間だと、被害者は、倉庫街の中に入れないわ」

「ええ。だから、お父さんを積極的に疑うことはできなくなった、重要参考人ではなくなったのよ」

「でも、おかしいわ。被害者、モイーズだったかしら? 彼は間違いなく、ラッピングの倉庫街で発見されたのよね? しかも、死亡推定時刻は人の出入りを管理している真夜中の間だった。だったら、犯人はいったいどうやってモイーズを倉庫街に連れ込んだの?」

 その問いに、メアリーはおろかその場の誰も応えることができない。

「それは一旦保留にしましょう。事件にはまだ続きがありますから」

 エンハンスは紅茶に口を付けると、再び話し出す。

「アンダーウッドさんが戻ってきた次の日、私達はジェームズ・フランクという探偵のフラットで、彼の遺体を発見しました」

「殺人ですか?」

 リンダの問いにエンハンスは首を振り、

「今分かっていることは、フランクが神経を麻痺させる毒物で亡くなっていたということだけです」

「しかし、確か現場には遺書が残っていたんだろう? つまり、フランクは自殺したということじゃないのか?」

 ハミルトンが質問する。

「その遺書には何と書かれていたんですか?」

「私達の中に、その遺書を実際に直接見た人はいないのよ、リンダ。ただそこには、モイーズを殺害したのは私ことフランクだ、といった意味の自供が残されていたそうよ」

「ならどうしてウィギンスさんが逮捕されないといけないの? 犯人はそのフランクという人物なんでしょう?」

 リンダはメアリーに向かってそんな問いを発する。しかし、メアリーには当然応えられるはずも無く、ただうつむく事しかできなかった。

「それは、事件がまだ完全に解かれてはいないからです」

 エンハンスの言葉に、一堂は視線をそちらに向ける。

「どういう事だ?」

 アンダーウッドが尋ねると、

「先程、リンダさんが疑問に思ったとおり、今回の事件には時計塔からラッピングへ時間するための一時間という時間の壁が立ち塞がっています」

「その謎が解けたのですか?」

 メアリーの問いに、エンハンスは首を振り、

「解けた、とは言いません。ある可能性を考えてはいますが。ただその前に、リンダさんに確認したいことが一つあります」

「はい、なんでしょう?」

 リンダは居住まいを正すと、エンハンスからの視線を正面で受け止める。その瞳には、ここに来た時の様な不安は消え、ウィギンスを助ける為の強い意志が宿っている。

「ウィギンスさんは、蒸気自動車の運転資格を持っていますね?」

 思っていたよりも簡単な質問で気が抜けたのか、リンダは、はい、と少し間の抜けた声で返事をした。

「ウィギンスさんって自動車の運転手なの?」

「運転手かと言われると少し違うわ。彼は今、探偵の見習いをやっているの。彼は昔から探偵にあこがれていたらしくて、自動車の運転ができれば探偵業に何か役に立つかもしれないと資格を取ったんですって。ほら、事件現場に一分でも速く駆けつけるには自動車の方が良いでしょう? おかげで、彼は高名な探偵に見習いとして認められたらしいの」

「その探偵の名前は?」

 エンハンスの問いにリンダは首を振り、

「ごめんなさい、名前は知りません」

 リンダは申し訳なさそうに応えると、不思議そうな表情を浮かべているメアリーに向かって、

「だって、ほら、探偵って、敵もいっぱいいるし、取り入ろうとする人も多いじゃ無い? もし、エドワードがそんな人達に目を付けられたら困るから、絶対に誰にも内緒なんですって。案外探偵になるのも大変なんだなって、そう思わない?」

 リンダはウィギンスの事を饒舌に語り出す。その様子にメアリーは、ほほえましさと共に後悔を感じていた。リンダが新しい恋の話を自分にしてくれない、その事を悲しく思っていたが、その理由それはメアリーにあったのだと理解した。

 メアリーは以前から探偵嫌いを公言こそあまりしてはいないが、それでもリンダには知られていた。そのため、新しい恋人が探偵の見習いだとはとても言えなかったのだろう。そう考えるなら、リンダがメアリーの誕生日にアンロック・サーチャーの本をプレゼントした理由も見えてくる。

 リンダは、メアリーの探偵嫌いを少しでも直して欲しいと思っていたに違いないのだ。そのために、アンロック・サーチャーの冒険物語を送ることが本当に正しかったのかは分からないが、メアリーはその理由に気が付き、本を悪し様に罵っていたことを反省する。

 メアリーはリンダの手を取り、

「絶対、ウィギンスさんを助け出しましょう。そして、もう一度正式に紹介してもらって良いかしら?」

「もちろんよ、ポリー」

 リンダもメアリーの手を握り返し、その提案に応じる。

「しかし、何故ウィギンス君は捕まったんだ? それが分からないことには助けようが無いだろう?」

 アンダーウッドが尋ねると、

「それは、私の責任です」と、エンハンスが応える。

「そういえば、さっきも失態だとか不思議なことを言っていたが、それと関係があるのか?」

「そうですね。ウィギンスさんが捕まる理由を、私は作ってしまいました」

「どういう事だ?」

「時計塔からラッピングまで、馬車で一時間以上かかると言うことは先ほど話しました」

「ああ。だから、俺は解放されたんだろう?」

「そうです。私はアンダーウッドさんを助けるために、モーリス殺害の前に横たわる一時間という時間の壁をクローズアップしてしまった。そのために、今度はウィギンスさんが疑われる状況を作ってしまったんです」

 エンハンスはその言葉と同時にリンダに頭を下げ、

「本当に申し訳ありません」と、謝罪の言葉を口にする。

「どういう事ですか?」

 リンダは突然のことに驚きを隠せず尋ねると、

「時計塔からラッピングまでが一時間かかる距離だから問題になるのです。しかし、もしその距離を三〇分で行けるならどうなりますか?」

「それは、問題にはならないと思います。七時までに倉庫街に付く事ができますから、入場記録を取られる事もありませんし」

「そうです。だから、ウィギンスさんが疑われたのです。車を運転できる、ただそれだけの理由で」

「そうだわ、蒸気自動車を使えば、時計塔からラッピングまで三〇分くらいで着けるって、当のウィギンスさんが言っていました」

 メアリーは先日のウィギンスとの会話を思い出し、思わず声を上げる。

「そうです。もちろん、自動車を運転できる人間はウィギンスさんだけではありません。それでも、自動車の数自体も少ないですし、その事件のあった時間、アリバイの無い人物を調べれば、すぐに絞り込めたでしょう。いや、あまりにも手際が良い事を考えると、フランクの遺書にウィギンスさんの名前が書かれていたのかもしれません」

「そんな! 彼が車を運転したなんてあり得ません!」

「そうです。あり得ません」

 エンハンスはリンダの否定に何故か同意する。

「それでも、ウィギンスさんが捕まってしまった以上、そのようなことが実際に行われたのだと、探偵は主張するでしょう。これは、私がまだ事件の全容をつかんでいないのに、先走って自説を展開してしまったがために起こったことです。だからこそ、これは全て私の失態なのです」

「そんな、ホーネストさん、ホーネストさんは何も悪くないですよ。悪いのは犯人です」

「そうですよ、ホーネストさん、悪いのはそんな単純な理由で簡単に人を逮捕する探偵です」

 メアリーはそう言ってから失言に気が付いたのか、苦笑いを浮かべ、

「いや、まあ、悪い探偵ばかりでは無いと思うけど」

 マーガレットが一度深いため息を吐き、

「あなたは本当に」と首を振り、一同は声を出して笑った。

「四日前の午後六時から七時の間、ウィギンスさんが何をしていたか、リンダさんは知りませんか?」

 笑いが収まってから、エンハンスが尋ねる。

「四日前と言われても、いつも一緒にいるわけではありませんから」

「でも、次の日にウィギンスさんとあなたは二人で演劇を見に行ったのでしょう? その話をしたりはしなかったの?」

 メアリーが三日前に会った時に聞いた話を持ち出すと、

「ええ。あの日は彼が午後の三時にカフェに来て、その時少しお話ししただけだったから」

「リンダの働いているカフェはロージェント・ストリートだったわよね? 時計塔のすぐ近くだわ」

 メアリーはそのことが残念なことのように首を振るが、エンハンスは特に落胆した様子も無く、

「となると、別の方法を考えるしか無いですね」

 すると、ハミルトンが右手を挙げ、

「例えば、ラッピング辺りで蒸気自動車の目撃情報を探すというのはどうだ? それで運転していたのがそのウィギンス君だったかどうかが分かるだろう?」

「それは難しいだろう。例えば自動車の目撃情報があったとして、それが事件と関係あるのか、立証することはできん。また、目撃者を見つけることができなかったとしても、それだけで自動車がそこに来なかったと証明することはできないだろう。人海戦術を採ることができない我々にはあまり有効な手段ではないな」

 アンダーウッドがハミルトンの考えを退ける。

「そうですね。やはり、本当の犯人を見つけるしか方法はなさそうです」

 すると再びハミルトンが右手を挙げ、

「彼女には悪いが、ウィギンス君が本当にモイーズをラッピングまで乗せたという可能性は無いのか? もちろん、それが殺人の共犯行為だと知らずにと言う意味だけどな」

 最後はリンダの様子を気にしながら付け足す。

「それは無いと思います」

「何故そう言いきれる?」

 アンダーウッドの疑問にエンハンスは何も応える気は無いとでも言いたげに首を振る。代わりに、

「所で、お聞きしたいのですが、モイーズが懇意にしていたと言うS級の探偵が誰だったのか、ご存じではありませんか?」

「モイーズと懇意の探偵? 何のことだ?」

 アンダーウッドが、初耳だとでも言いたげな表情を浮かべる。そこでエンハンスは、探偵通りに住む老女から聞いたモイーズのエピソードを披露した。

「なるほど、そんな事がねえ。モイーズとフランクが随分と悪さをしても平気だったのは、後ろにその探偵がいたからなのか」

 ハミルトンがそんな感想を洩らす。

「そうですね。お婆さんの話ではフランクの名前は挙がりませんでしたが、モイーズとフランクが仲間である事を考えるなら、フランクもその探偵と関係があったと考えて良いと思います」

「まあ、それはそうだろうが、おい、ホーネストさん、もしかしてお前さん、その探偵が? そして、その探偵というのは?」

「まだ、確証が無いので何も言えません。ですから、その人物が何者か、調べてもらいたいと思っています。できませんか?」

「探偵の調査か、難しそうだが、やるしか無いだろう?」

 アンダーウッドは言葉とは裏腹に嬉しそうな笑みを浮かべる。

「お父さん、無茶はしないでね」

 メアリーが心配を口にすると、

「なあに、これでも俺はプロだぜ? 信じて待ってな。なあ、ジェリー」

「俺もやるのかよ?」

「当然だろう? ただ飯を食おうなんて甘いよ」

 そう言って、ハミルトンの目の前に並べられている、空になった食器を指さす。

「いや、これは、倉庫会社の調査に対する」

「ふん、知人のつてを使っただけじゃ無いか。その程度では許さないぜ」

「ちえ、高い朝食代になっちまったな」

 ハミルトンはそう愚痴ったが、彼自身もまんざらでも無い表情を浮かべる。

「しかし、お前がモイーズやフランクのバックにいた探偵を調べるというのなら、俺はどうしたら良いんだ? 同じ事を調べる必要は無いだろう?」

 ハミルトンの疑問に、エンハンスが、

「それでしたら、モイーズが殺された晩の、倉庫街での目撃証言を集めてもらえませんか?」

「目撃って、車の目撃情報か? しかしそれはさっき」

 ハミルトンの疑問にエンハンスは首を振り、

「車ではありません。船です」と応えた。

「船?」

 ハミルトンはその意外な言葉にその言葉を繰り返すが、エンハンスはその説明をしようとはせず、ただ、今は言えません、と応える。アンダーウッドとハミルトンはその様子にあきらめたように息を吐くと、立ち上がり、

「じゃあ、マーガレット、今日もいつも通りに戻るからな。こいつの分の夕食も用意しておいてくれ」

 そう言って家を出て行った。

「面白い方達ですね」

「本当に。昔から二人はあんな感じだったそうよ」

 マーガレットがエンハンスの洩らした感想に応える。

「でも、ハミルトンおじさんも、と言うのは意外だったわ」

「あの二人は、子供の頃から二人していたずらばかりしていたらしいから。だからこそ、尚更、犯罪が許せないんじゃ無いかしら」

「お母さんは、お父さんとはどうやって知り合ったの?」

 メアリーが興味津々といった体で問いかける。

「そういう話は、また今度ね」

 マーガレットはそう言って、二人が机の上に残していった食器を持ち上げる。

「ああ、逃げられた」

 メアリーが残念がる言葉に苦笑を漏らし、エンハンスも立ち上がる。

「今日の予定は?」

「部屋に戻って、自分の考えをまとめたいと思っています」

 メアリーの問いにそう応えて階段を上っていった。

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